天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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将軍・家治の毒殺危機

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 意知おきともと平蔵が御城おしろに着いたのは夕七つ(午後4時頃)を四半刻しはんとき(約30分)程度ていど過ぎた頃であった。

 午後4時30分…、将軍はまだ、この時間帯、夕食ではなく「ギリギリセーフ」であった。

 家治は中奥なかおく御休息之間ごきゅうそくのま下段げだんにて、御側おそば御用ごよう取次とりつぎ横田よこた筑後守ちくごのかみ準松のりとし稲葉いなば越中守えっちゅうのかみ正明まさあきら、それに御側おそば御用ごよう取次とりつぎ見習みならい本郷ほんごう伊勢守いせのかみ泰行やすゆきを相手に政務せいむ最中さなかであった。

 いや、そろそろ政務せいむを終えようとしている頃であり、そこへ意知おきともと平蔵がんで来たのであった。意知おきともたちが中奥なかおくへと立ち入ることについては、所謂いわゆる

「フリーパス」

 であったので、誰からもとがめられることなく、中奥なかおくの、それも御休息之間ごきゅうそくのま下段げだんめんした入側いりがわまで進むことができた。

家基いえもとの死の真相を探れ…」

 将軍・家治よりの「特命とくめい」をおおせ付かっているためであった。

 それでも意知おきともと平蔵は将軍・家治たちが政務せいむっていた、それも終えようとしていたその御休息之間ごきゅうそくのま下段げだんめんした入側いりがわ…、廊下ろうかにてこしをおろすなり、二人は同時に家治に対して平伏へいふくした。

 一方、家治も意知おきともと平蔵が何か急ぎのしらせでもあって、んできたのだろうと、そうと察すると、ぐに二人の顔を上げさせると、二人に対してんで来た事情を尋ねた。

 すると意知おきともから将軍・家治へとその事情を説明した。

 その事情、すなわち、将軍・家治の命がねらわれていると単刀たんとう直入ちょくにゅう、そう打ち明けたのであった。

 これには当人である家治は元より、御側おそば御用ごよう取次とりつぎ横田よこた準松のりとし稲葉いなば正明まさあきら、その見習みならい本郷ほんごう泰行やすゆきまでも皆、目をいたものである。

「そは…、まことで?」

 稲葉いなば正明まさあきらうめくように尋ねた。

「恐らくは…」

「恐らくは?」

 正明まさあきら意知おきとものその曖昧あいまいな答えを聞きとがめた。

無論むろんかくたるあかしはござり申さず…、なれどその蓋然がいぜん性がかなり高いものと思われます」

 意知おきとも正明まさあきらに対してそう答えると、将軍・家治より、「もそっと、くわしく申せ」とうながされたので、意知おきともは己よりも事情にくわしい平蔵より説明させると伝え、意知おきともは平蔵をうながした。

 平蔵は意知おきとも配慮はいりょに感謝しつつ、その事情を簡潔かんけつに説明した。すなわち、

家基いえもと毒殺に使われたとおぼしき、遅効ちこう性にして致死ちし性のある毒物どくぶつ、それがシロタマゴテングタケか、あるいはドクツルタケである可能性が高いこと」

「そのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを用意したのが小児しょうにが専門の町医者の小野おの西育さいいく章以あきしげである可能性が高いこと」

小野おの章以あきしげ一橋ひとつばし家より巨額の報酬ほうしゅうを得ていた可能性が高いこと」

「それが証拠に小野おの章以あきしげは本銀町一丁目の家屋敷を名主なぬし明田あけた惣蔵そうぞうより2000両で買い取り、のみならず、明田あけた惣蔵そうぞうに対して2000両もの代金を支払う際、一橋ひとつばし御門ごもんないにある一橋ひとつばし邸へと明田あけた惣蔵そうぞうとさらに配下はいかの五人組を招き、そこで支払ったこと」

「その上、小野おの章以あきしげの保証人として一橋ひとつばし家の陪臣ばいしんである山名やまな荒二郎こうじろう信鷹のぶたかが名をつらね、あまつさえ、ひろめ…、町内への挨拶あいさつ回りの折には同じく一橋ひとつばし家の陪臣ばいしんである高尾たかお惣兵衛そうべえ山名やまな荒二郎こうじろうに加わり、ひろめ…、町内への挨拶あいさつ回りに従ったこと」

「そして山名やまな荒二郎こうじろうおもてばん医師いし遊佐ゆさ信庭のぶにわ実弟じっていの可能性が高く、一方、高尾たかお惣兵衛そうべえはここ本丸ほんまるにて御膳ごぜん奉行ぶぎょうつとめる高尾たかお惣十郎そうじゅうろう信福のぶとみ叔父おじか弟に相当そうとうする者と考えられること…」

 平蔵はそれらの点を手際てぎわ良く、将軍・家治に対して説明したのであった。

御膳ごぜん奉行ぶぎょう…」

 そばで聞いていた横田よこた準松のりとしがそうつぶやいた。どうやら将軍・家治が毒殺されるかも知れないとの意知おきともと平蔵の「注意ちゅうい喚起かんき」がようやくにめた様子であった。

「さればご夕食の毒見どくみは主にその高尾たかお惣十郎そうじゅうろうと、いまひとり、山木やまき次郎八じろはち勝明かつあきら、この二人の御膳ごぜん奉行ぶぎょう専属せんぞくにて、山木やまき次郎八じろはちにつきましてもその養父・山木やまき織部正おりべのかみ伴明ともあきら一橋ひとつばし家老をつとめていたこと…」

 平蔵がそう付け加えると、準松のりとしは元より、正明まさあきら泰行やすゆきも皆、顔をあおめさせた。

 そんな中、家治は平然としていた。流石さすがきもが太いと、平蔵は感嘆かんたんさせられた。

「なれど毒見どくみ小納戸こなんども…」

 泰行やすゆきが当然の疑問を口にした。

「されば前の御膳ごぜんばん…、一橋ひとつばし家と、と申すよりは豊千代とよちよぎみ生母せいぼ、おとみの方の実家である岩本いわもと家とえにしのある岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろう毒見どくみになえば…」

 将軍・家治を毒殺するのに何ら支障ししょうはない…、平蔵はそう示唆しさした。

 すると家治は泰行やすゆきに対して小納戸こなんど頭取とうどりしゅうの一人、稲葉いなば主計頭かずえのかみ正存まさよしを連れて来るよう命じたのであった。

 その意図いとするところは明らかであり、今日の宿直とのい小納戸こなんどが誰であるのか、さらに明日以降の宿直とのい小納戸こなんどが誰であるのか、それを尋ねるためであった。

 泰行やすゆき勿論もちろん、そうと察するとただちにここ御休息之間ごきゅうそくのま下段げだんをあとにし、そしてそれからしばらくして稲葉いなば正存まさよしを連れて戻って来た。

 稲葉いなば正存まさよし意知おきともの隣にひかえると平伏へいふくしようとしたので、将軍・家治がそれを制し、早速さっそく単刀たんとう直入ちょくにゅうに切り出した。

「されば今宵こよい宿直とのいは…、宿直とのい小納戸こなんどは誰ぞ?」

 家治よりそう問われた稲葉いなば正存まさよしは、

「一体、何ゆえに上様うえさまかることをお尋ねあそばされるのか…」

 内心、そう疑問に思ったものの、将軍・家治のあつ…、

余計よけいなことは考えず、かれたことだけに答えろ…」

 そのあつ正存まさよし看取かんしゅし得たので、恐れをなして「ははっ」と応ずるや、

「されば本日の宿直とのい小納戸こなんど横田よこた十郎兵衛じゅうろべえ延松ながとし新見しんみ長門守ながとのかみ正恒まさつねにて…」

 そう答え、意知おきとも準松のりとしをホッとさせた。それと言うのも横田よこた十郎兵衛じゅうろべえ横田よこた本家の当主である準松のりとしにとっては分家ぶんけ筋に当たる者で、一方、新見しんみ正恒まさつねは田沼家と縁続きであった。具体的には意次の妹の新見しんみ正則まさのりもとへとしており、正恒まさつねはその新見しんみ家の一人であった。

 それゆえ横田よこた十郎兵衛じゅろべえ新見しんみ正恒まさつね、この二人が一橋ひとつばし治済はるさだのために将軍・家治の毒殺に手を貸すとは到底とうてい、考えられず、その二人が今宵こよい宿直とのい…、今日の夕食の毒見どくみつとめると知り、事情を知らぬ正存まさよしを除いて皆、ひとまず安堵あんどした。家治でさえ、流石さすがにホッとした様子を浮かべたほどだ。

 だがまだ安堵あんど出来なかった。

 家治はすぐに表情を引き締め直すと、正存まさよしに対してさらんだ質問をびせた。

「されば岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろう、この二人が宿直とのいの日はあるか?」

 家治のその問いに対して正存まさよし至極しごくあっさりとした口調くちょうにて、

「それでござりましたら明日の宿直とのいまさにその二人にて…」

 そう答えたことから、ふたたび家治たちを緊張させた。

「それはもしや…、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうが望んだことではありますまいか?」

 意知おきともたまらずに口をはさんだ。

 それに対して正存まさよしあい変わらず、事情を知らぬ強みからか、「良くご存知ぞんじで…」と無邪気むじゃきに感心した様子でそう応じた。

 ともあれ岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうみずから明日の宿直とのい…、夕食の毒見どくみを希望したとなると、これはいよいよくさかった。

 すると正存まさよしが追い討ちをかけるかのように衝撃しょうげき的な事実を暴露ばくろした。

「いや、本来なれば明日の宿直とのいは別の小納戸こなんどでありましたが、なれど、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうの二人がどうしても明日、二人で宿直とのいをしたいと…」

「二人は…、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろう左様さように願ったと申すのかっ!?お前に…」

 正明まさあきら身内みうちである気安きやすさからか、同族どうぞくである正存まさよしに対してそうぞんざいな口調くちょうで尋ねた。

 それに対して正存まさよしは気にする風でもなく、「如何いかにも」と平然へいぜんと答えた。

 これは明日の夕食時に将軍・家治を始末しまつ、毒殺するつもりだと、正存まさよしを除いた皆がそう確信した。そうであればこそ、岩本いわもと正五郎しょうごろう松下まつした左十郎さじゅうろうは二人して明日の宿直とのい…、明日の将軍・家治の夕食の毒見どくみを、いや、毒見どくみをしないことを志願しがんしたに違いないからだ。
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