天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大奥篇 ~倫子、萬壽姫、千穂、そして種姫~ 最終章・倫子と萬壽姫が家基よりも先に毒殺された理由

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 将軍・家治は約束を反故ほごにして西之丸にしのまるの大奥に「篭城ろうじょう」する玉澤たまざわたちの「強制きょうせい排除はいじょ」を一度は決断したものの、しかし、将軍・家治に附属ふぞくする年寄としより松島まつしま高岳たかおかいさめられて、それは取り止めた。

 もっとも、家治が玉澤たまざわたちの「強制きょうせい排除はいじょ」を白紙はくしもどしたのは他でもない、高岳たかおかさくを…、玉澤たまざわたちおく女中じょちゅうが、

自主じしゅ的に…」

 西之丸にしのまるの大奥から出て来たくなるような、そのように仕向しむけるさくを家治にさずけてくれたためであり、仮に高岳たかおかが家治にそのさくさずけてくれなかったならば、家治は年寄としより松島まつしま高岳たかおか無視むしする格好かっこうで、玉澤たまざわたち年寄としより西之丸にしのまるの大奥より、

強制きょうせい排除はいじょ…」

 例え、怪我けがにんが出ようとも、あるいは死人しにんが出ようとも、その「強制きょうせい排除はいじょ」を実行するつもりでいた。ここまで家治が強行きょうこう姿勢しせいを見せることは滅多めったにないが、それだけ玉澤たまざわたちおく女中じょちゅうに対して、いや、将軍たる己をまんまといてくれた玉澤たまざわに対して、いきどおりを通りして、殺意さついまでいていた。

 そしてそのことは松島まつしま高岳たかおかにもすぐにそうと察せられたので、それゆえその中でも高岳たかおか玉澤たまざわの身をあんじればこそ、その家治に対して玉澤たまざわたちおく女中じょちゅう西之丸にしのまるの大奥よりみずからすすんで出て来たくなるよう仕向しむけるさくを家治に対して献上けんじょう…、献策けんさくしたのであった。

 それではそのさくとは何かと言うと、

西之丸にしのまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつにな西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの数を増やす…」

 というものであった。

 玉澤たまざわたちおく女中じょちゅうがそもそも何ゆえに西之丸にしのまるの大奥に篭城ろうじょうしているのか、その原因をめれば、

西之丸にしのまるの大奥の方が本丸ほんまるの大奥よりも居心地いごこちが良いから…」

 それにきた。

 それではさらに進めて、玉澤たまさわたちおく女中じょちゅうは何ゆえに西之丸にしのまるの大奥の方が本丸ほんまるの大奥よりも居心地いごこちが良いと感じるのか、それを考えた時に出される答えは、

本丸ほんまるの大奥では9人もの廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらがその本丸ほんまるの大奥に目を光らせているものの、しかし、西之丸にしのまるの大奥においては、その大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらは、

「たった3人しかいない…」

 それゆえ、玉澤たまざわたちは廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらの目をそれほど、気にせずにそれこそ、

おも存分ぞんぶん…」

 羽を伸ばせるというもので、そうであればその西之丸にしのまるの大奥へと、本丸ほんまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら…、本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら西之丸にしのまるの大奥へと送り込み、そして西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら合流ごうりゅう、共同で西之丸にしのまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たらせれば、さしもの玉澤たまさわも、それに他のおく女中じょちゅうにしても、

「これでは窮屈きゅうくつなる本丸ほんまるの大奥と変わらず…」

 ということで、たまらずに西之丸にしのまるの大奥を出て、本丸ほんまるの大奥へと戻って来るに相違そういない、というのが高岳たかおかの「読み」であり、そこで家治は高岳たかおかのこの「読み」に乗ることにし、9人いる本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらのうち、その半数はんすうの5人を…、5人もの本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら西之丸にしのまるの大奥へとし、そして西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらに合流させると、8人でもって、西之丸にしのまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たるようにした。

 すると高岳たかおかの「読み」通り、初日も…、本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしら西之丸にしのまるの大奥へとし、そして西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらと共に、西之丸にしのまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たり始めたその日のうちに、玉澤たまさわたちおく女中じょちゅうはこれはたまらぬと、本丸ほんまるの大奥へともどって来たのであった。

 そうして玉澤たまざわたちおく女中じょちゅ…、千穂ちほつかえていたおく女中じょちゅうが皆、西之丸にしのまるの大奥から本丸ほんまるの大奥へともどって来るや、西之丸にしのまるの大奥へとした…、西之丸にしのまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらと共にその西之丸にしのまるの大奥の警衛けいえい監察かんさつに当たった本丸ほんまる廣敷ひろしき番之頭ばんのかしらにしてもやはりその日のうちにふたたび、本丸ほんまるの大奥へともどさせたのであった。

 そして安永4(1775)年の11月に種姫たねひめ家基いえもと御台所みだいどころとして西之丸にしのまるの大奥へとまねかれたのであった。

 いや、正確にはまだ…、安永4(1775)年の11月の時点では種姫たねひめ家基いえもとの、

婚約者こんやくしゃ…」

 その位置いちけであった。

 家基いえもとが正式に本丸ほんまる盟主めいしゅすなわち征夷大将軍になったあかつきに、そのれて将軍となった家基いえもと御台所みだいどころとなるはずであった。

 ちなみに、大奥の御客おきゃく会釈あしらいつとめる向坂さきさかより田安たやす家サイドに対して、家基いえもと種姫たねひめ縁談えんだんが持ち込まれたのが安永2(1773)年であるので、種姫たねひめれて家基いえもと御台所みだいどころ、いや、婚約者こんやくしゃとして西之丸にしのまるの大奥へとまねかれた安永4(1775)年まで2年もの間があるが、これは、

花嫁はなよめ修行しゅぎょう

 そのための期間であった。つまり、2年間、種姫たねひめは「花嫁はなよめ修行しゅぎょう」についやしたのであった。

 そして今にいたる…、いや、家基いえもとき後、種姫たねひめ千穂ちほまう本丸ほんまるの大奥へと移り、今にいたる。

 将軍・家治はこれら大奥の事情を意知おきともと平蔵に打ち明けるや、意知おきともは「もしかして…」と思わせぶりに切り出した。

「何だ?」

 家治は意知おきともうながした。

「ははっ。されば…、何ゆえに一橋ひとつばし治済はるさだおそれ多くも御台所みだいどころ様と萬壽ますひめ様のお命をねろうたのか…」

「そは…、人体じんたい実験のためであろう?シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケなる毒キノコの効能こうのうを確かめるべく…」

 家治はそう応じた。

御意ぎょい…、なれどいまひとつ、別の目的があったのやも知れませぬ…」

「別の目的とな?」

御意ぎょい…」

「して、その別の目的とは?」

「されば…」

 意知おきとも流石さすが躊躇ちゅうちょした。言っても良いものかどうか、と…。

 するとそうと察した家治が、「許す、腹蔵ふくぞうなく申せ…」と意知おきともうながしたので、意知おきともも、「ははっ」と応ずるや、その「目的」を説明し始めた。

「されば、一橋ひとつばし治済はるさだ確実かくじつに将軍職が…、次期将軍の地位が豊千代とよちよぎみもとへと回ってくるよう、まずはおそれ多くも御台所みだいどころ様、いで萬壽ますひめ様のお命をねろうたものと思われまする…」

「そはまた一体いったい、何ゆえに?次期将軍の地位が欲しくば、家基いえもとが命をうばうのがすじと申すものではあるまいか?」

 そう答える家治の顔は流石さすがゆがんでいた。

御意ぎょい…、なれどおそれ多くも大納言だいなごん様がお命をうばいしところで、おそれ多くも御台所みだいどころ様や萬壽ますひめ様…、とりわけ御台所みだいどころ様が生きておわせば、必ずしも次期将軍の地位が得られるとは限らず…」

「何ゆえに?」

「されば…、仮にでござりまするが、おそれ多くも大納言だいなごん様がお命をうばわれし時点で御台所みだいどころ様が生きておわせば、おそれ多くも上様うえさま大納言だいなごん様に代わる次期将軍として…、将軍しょうぐん養君ようくんとして一橋ひとつばし治済はるさだ一子いっし豊千代とよちよぎみをおえあそばされますことに猛反対もうはんたいあそばされましたやも知れず…」

倫子ともこ豊千代とよちよを次期将軍にえることに反対したと申すか?」

「それは分かりませぬが、なれど…、少なくとも一橋ひとつばし治済はるさだ左様さように考えたはず…」

「そはまた何ゆえぞ?」

「されば…、この意知おきともめがかることを申し上げまするは僭越せんえつきわみなれど…」

かまわぬ」

「ははっ。されば…、おそれ多くも御台所みだいどころ様はけん夫人ふじんにて…」

 意知おきとも倫子ともこのことをけん夫人ふじんだと持ち上げてみせるや、家治は満更まんざらでもなさそうな表情を浮かべた。

「さればその、けん夫人ふじんにあらせられます御台所みだいどころ様のこと、おそれ多くも上様うえさま大納言だいなごん様にわりまする次期将軍として豊千代とよちよぎみを…、一橋ひとつばし治済はるさだ一子いっし豊千代とよちよぎみをおえあそばされようとすれば、必ずや反対あそばされたのではないかと…、さればおそれ多くも上様うえさまにあらせられてはまだおわかく、されば御子おこを…、嫡男ちゃくなんをおもうけあそばされますことをあきらめられまするにはまだ早いと…、されば側室そくしつとの間にいまいちど…」

「何と…、倫子ともこ左様さようなことを申したと言うのか?」

 家治はすっかり、倫子みちこがそう言ったものと誤解ごかいしていた。

「いえ、ですからあくまで、一橋ひとつばし治済はるさだ想像そうぞうにて…」

 意知おきともがそう付け加えると、家治も思い出したような顔をしたものの、しかし、すぐに「いや…」と言うと、

倫子ともこなればあるいは左様さように申したやも知れぬな…」

 家治も同じ想像をしてみせた。その点については意知おきともも同意見であり、「御意ぎょい…」と首肯しゅこうすると、

「されば、あるいはおそれ多くも御台所みだいどころ様ご自身が今一度いまいちどおそれ多くも上様うえさまとの間で…」

 嫡男ちゃくなんをもうけようとしたはず…、意知おきともがそう示唆しさすると、家治もやはり同じ想像をしていたらしく、うなずいてみせた。

「ともあれ、一橋ひとつばし治済はるさだとしては先に大納言だいなごん様がお命をうばたてまつりしところで、必ずしも我が子、豊千代とよちよに将軍職が…、次期将軍の地位が回ってくるわけではないと、その可能性におもいたり、そこで…」

倫子ともこが命をねろうたと申すのか?」

御意ぎょい…、それに萬壽ますひめ様がお命も…」

萬壽ますも同じことを…、倫子ともこと同じことを…、と申しても萬壽ますは我が娘なれば、倫子ともこのようにみずからがとの間に嫡男ちゃくなんをもうけようとは考えず、されば千穂ちほとの間に今一度いまいちど家基いえもとわる嫡男ちゃくなんをもうけてはと、左様さよう進言しんげんいたしたと申しすか?」

「少なくとも一橋ひとつばし治済はるさだ左様さように想像したはずにて…」

「それで、治済はるさだめは倫子ともこ萬壽ますが命をまず先にねらい、そしてうばったと申すか?」

 家治はふたたび、表情をゆがませた。

御意ぎょい…、それもまず初めに御台所みだいどころ様、いで萬壽ますひめ様…、この順番が重要で…」

「なに?」

「さればこの逆…、先に萬壽ますひめ様がお命をうばたてまつりし場合、おそれ多くも御台所みだいどころ様のお命はうばえなかったやも知れず…、いえ、一橋ひとつばし治済はるさだ左様さように考え申したのではあるまいかと…」

「何と…、まず初めに萬壽ますを殺害せし場合には倫子ともこには手が届かなかったと?いや、治済はるさだめは左様さように考えたと申すか?」

御意ぎょい…」

「何ゆえに?」

「さればそのご下問かもんに答え申し上げまする前に、尋ね申し上げたきがござりまする…」

「許す」

「ははっ。さればお千穂ちほ方様かたさまつかえ申し上げしちゅう年寄どしより長尾ながおなる者、一橋ひとつばし家とのえにしは…」

 意知おきとものその問いに対しては留守居るすい高井たかい直熙なおひろが答えた。

長尾ながおなれば一橋ひとつばし家とのえにしはないぞえ」

 直熙なおひろ即答そくとうした。

左様さようで…、いや、これでこの意知おきとも推量すいりょう、成り立つものと申すものにて…」

 意知おきともが思わせぶりにそう言うと、家治は「早く申せ」と意知おきともをせっついた。

「ははっ。されば…、おそれ多くも御台所みだいどころ様につかたてまつりしちゅう年寄どしより岩田いわた…、おとみかたおよび、萬壽ますひめ様につかたてまつりしちゅう年寄どしより高橋たかはし…、この両名につきましてはいずれも一橋ひとつばし家とのえにしがあり、されば…」

倫子ともこ萬壽ますの毒殺も可能だったのであろう…、何しろちゅう年寄どしより毒見どくみ役ゆえな…」

御意ぎょい…、なれどそれにしまして、お千穂ちほ方様かたさまの場合にはちゅう年寄どしより長尾ながおなる者は一橋ひとつばし家とは所縁ゆかりのなき者なれば、お千穂ちほ方様かたさま毒殺どくさつせしは…、一橋ひとつばし治済はるさが毒殺どくさつはかろうにも、その、お千穂ちほ方様かたさまのお毒見どくみ役でもありまする長尾ながおとの伝手つてがなくば不可能と申すものにて…」

「いかさま…、千穂ちほはおかげで今でもピンピンしておるわ…」

 家治は皮肉ひにくな口調でそう応じた。

「されば…、先に…、明和8(1769)年8月に、おそれ多くも御台所みだいどころ様ではのうて、先に萬壽ますひめ様のお命をうばたてまつりし場合、この頃、すで西之丸にしのまるの大奥へとお移りあそばされし、お千穂ちほ方様かたさま本丸ほんまるの大奥へとおもどりあそばされたやも知れず…」

 意知おきともがそう言うと、家治も何かに気付いたらしく、「ああ」と大きな声を発した。

「そういうことか…」

 家治がそうつぶやいたので、意知おきともも家治がどうやら己の言いたいことを理解したものとかんき、「御意ぎょい…」と応じた。

「されば…、萬壽ますをまず初めに殺してしもうては、千穂ちほ西之丸にしのまるの大奥から本丸ほんまるの大奥へと戻る可能性がきにしもあらず…、そして千穂ちほ西之丸にしのまるの大奥から本丸ほんまるの大奥へともどりし場合には当然、千穂ちほつかえしおく女中じょちゅうども本丸ほんまるの大奥へと戻っていたことであろう…」

「そしてその中には長尾ながおなるちゅう年寄どしよりふくまれておりましたに相違そういなく…」

「うむ…、そしてその場合には、仮に倫子ともこ毒殺どくさつしようにも…、とみ毒見どくみの機会を利用して毒を…、シロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを食事に混入こんにゅうしようにも長尾ながおなるちゅう年寄どしよりの目があるゆえ、それは不可能と申すものにて…、されば大奥での食事…、御台所みだいどころ息女そくじょ、それに側室そくしつがそれぞれ口にせし食事、その毒見どくみは同時に、それも同じ場所…、おく膳所ぜんしょにて行われるゆえ、倫子ともこ毒見どくみ役であるとみ倫子ともこの食事にそのシロタマゴテングタケ、あるいはドクツルタケを混入こんにゅうしようにも、長尾ながおの目があるゆえ、不可能というわけだな?」

御意ぎょい…、さればまずは御台所みだいどころ様のお命をうばたてまつり、いで萬壽ますひめ様のお命を…、萬壽ますひめ様がおられましたる大奥…、本丸ほんまるの大奥に、お千穂ちほ方様かたさまがおもどりあそばされしことはないだろうと…」

治済はるさだめはそこまで読み切り、そこでまず初めに千穂ちほの命をうばい、いで一人となった萬壽ます姫の命までもうばったと申すのだな?」

御意ぎょい…、されば萬壽ますひめ様につかたてまつりしちゅう年寄どしより…、お毒見どくみ役の高橋たかはしもまた、御台所みだいどころ様につかたてまつり岩田いわた、いえ、おとみかたと同じく、一橋ひとつばし家に所縁ゆかりのある者なれば…」

「されば千穂ちほ西之丸にしのまるの大奥におりし頃…、うらかえさば、千穂ちほ本丸ほんまるの大奥にはおらなんだ頃…、すなわち、本丸ほんまるの大奥に倫子ともこ萬壽ますの二人しかおらなんだ頃には、まず倫子ともこ毒殺どくさついで萬壽ます毒殺どくさつが可能だったというわけか…」

御意ぎょい…」

 意知おきとも伏目ふしめがちに応じた。
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