168 / 197
田沼意致の回想 4
しおりを挟む
かくして谷口新十郎の「クーデター」は未遂に終わった。
この「クーデター」で一番、激怒したのは言うまでもなく、嫡子の座を脅かされそうになった治済である。
この時…、宝暦10(1760)年の時点では、治済はまだ9歳に過ぎなかったが、それでもこの間の事情や、或いは動きといったものを具に観察していた。
いや、ただ観察していたのみならず、己の味方をしてくれた用人の末吉善左衛門と連絡を密にした。
末吉善左衛門もただの好意から、治済の味方をしたわけではない。そこには当然、
「打算…」
それがあった。
それでは末吉善左衛門の打算とは何かと言うと、
「出世」
ズバリそれであった。末吉善左衛門はこの一橋邸内において何かと「縁者風」を吹かせる谷口新十郎への対抗心から治済の味方をしたわけだが、それ以上に、
「出世」
それを目論んで治済の味方をしたのであった。
即ち、無事に谷口新十郎の姦計…、谷口新十郎とは折り合いの悪い治済を廃嫡した上で、誰か別の者を、それこそ治済のすぐ下の弟の治之を一橋家の新たな嫡子に据えようとする、谷口新十郎のその姦計を叩き潰した折には、
「谷口新十郎に代わって、己を一橋家の邸臣…、家臣の筆頭にしてもらいたい…」
末吉善左衛門はそう望み、実際、治済に対して、谷口新十郎の姦計を告げ、己は治済に忠誠を誓と同時に、そう陳情したのであった。
それに対して治済も即座に、末吉善左衛門のその「陳情」を了としたのであった。
それゆえ末吉善左衛門が見事、谷口新十郎の姦計を叩き潰してみせるや、治済は、
「今度は己が末吉善左衛門への約束を果たす番…」
というわけで、そこで治済は父、宗尹に頼んで、末吉善左衛門を用人の上首…、筆頭にしてもらった。
それまで用人の上首…、筆頭は鈴木彦八郎であったが、鈴木彦八郎は今回の谷口新十郎による「クーデター」計画において、特に目立った働きをしなかった。
無論、「クーデター」の首謀者とも言うべき谷口新十郎に与したわけではないので、罰するわけにもゆかぬが、さりとて末吉善左衛門のように積極的に、「クーデター」を阻止しようとしたわけでもない。
要は傍観であった。そうであれば、己のために力を尽くしてくれた末吉善左衛門こそ用人の上首に据えてやるのが当然であろう。
また、末吉善左衛門と共に、治済のために奔走してくれた年寄の岩田、それに工作資金を捻出してくれた郡奉行の横尾六右衛門と勘定奉行の小倉小兵衛に対してもそれぞれ、「ご褒美」を与えた。
まず横尾六右衛門と小倉小兵衛の二人に対しては、そのお役目の「濫用」を大っぴらに認めてやった。
今回、横尾六右衛門と小倉小兵衛が治済のために…、治済こそが一橋徳川家の正統なる世継であるとの、言わば地位確認のために幕閣諸侯や、或いは大奥にばら撒いたその「工作資金」だが、横尾六右衛門と小倉小兵衛がそれぞれ、職務を利用、いや、「濫用」して捻出したものであった。つまりは「横領」である。
それを治済はこれからは大っぴらに「横領」を認めたのであった。それは横尾六右衛門と小倉小兵衛が最も望むところであり、治済も二人がそれを望んでいるであろうと見越して、それを…、横領を認めてやったのだ。
また大奥への工作を担った年寄の岩田に対しては、横尾六右衛門と小倉小兵衛の二人に命じて、
「大っぴらに…」
横領させた多額の金を成功報酬として支払った。岩田は金を欲しがっており、それをまた、治済が見抜いたからだ。
治済はこの時、弱冠9つの幼児、とまでは言わぬにしても、幼き少年に過ぎなかった。にもかかわらず、誰が一体、何を望んでいるのか、ピタリと見抜いてみせたのであった。真にもって、
「末恐ろしい…」
その表現がピタリと当て嵌まり、その様を間近で見ていた家老の田沼意誠も治済の恐ろしさを肌で感じ取り、その当時、同居していた息・意致に対しても、治済の恐ろしさを語って聞かせたものである。
いや、治済の恐ろしさはそれに止まらない。
治済は己に味方してくれた末吉善左衛門たちに褒美を与える一方で、己を追い落とそうとした谷口新十郎に対する罰、報復をも忘れてはいなかった。
治済はやはり父、宗尹に対して、谷口新十郎のクビを求めた。いや、本音を言えば、腹を切らせたいところであったが、流石にそこまでは無理というもので、そこでせめて、谷口新十郎を屋敷より追い出して欲しいと、そう強く求めたのであった。
だがそれに対して父、宗尹は例の、谷口新十郎が附人である云々を持ち出して、それを拒絶したのであった。
ここまでは父、宗尹も、谷口新十郎に命じる格好で治済を廃嫡しようとしたその負い目から、治済の求めに応じてきたものの、しかし、谷口新十郎を追い出すことだけは宗尹も断固としてこれを拒絶したのであった。
そうなると治済とて引き下がるより他になかった。下手にごり押しをすれば、折角、認めてもらった末吉善左衛門たちに対する「ご褒美」まで失いかねなかったからだ。
それでも治済は谷口新十郎に対する恨みを忘れたわけではなかったようで、何とその年…、宝暦10(1760)年の10月19日に55歳で亡くなってしまったのだ。
一応、谷口新十郎の死は表向き、病死ではあるものの、しかし、意誠は谷口新十郎は殺されたのではあるまいかと、その疑いを強く持っており、息、意致に対してもその疑いを他言無用と釘を刺した後、洩らしたのであった。
無論、根拠は何もない。いや、未だ9歳の治済が谷口新十郎を殺せるとも思えなかった。
しかし、万が一という可能性もなくはなかった。丸っきりあり得ない話として片付けるわけにもゆかないように意誠にはそう思え、そして父、意誠よりその疑いを伝え聞いた意致にしても同意見であった。
意致はその時のことを思い出し、いよいよもって、治済こそが家基殺しの黒幕に相違ないと、疑惑を確信へと深めた。
この「クーデター」で一番、激怒したのは言うまでもなく、嫡子の座を脅かされそうになった治済である。
この時…、宝暦10(1760)年の時点では、治済はまだ9歳に過ぎなかったが、それでもこの間の事情や、或いは動きといったものを具に観察していた。
いや、ただ観察していたのみならず、己の味方をしてくれた用人の末吉善左衛門と連絡を密にした。
末吉善左衛門もただの好意から、治済の味方をしたわけではない。そこには当然、
「打算…」
それがあった。
それでは末吉善左衛門の打算とは何かと言うと、
「出世」
ズバリそれであった。末吉善左衛門はこの一橋邸内において何かと「縁者風」を吹かせる谷口新十郎への対抗心から治済の味方をしたわけだが、それ以上に、
「出世」
それを目論んで治済の味方をしたのであった。
即ち、無事に谷口新十郎の姦計…、谷口新十郎とは折り合いの悪い治済を廃嫡した上で、誰か別の者を、それこそ治済のすぐ下の弟の治之を一橋家の新たな嫡子に据えようとする、谷口新十郎のその姦計を叩き潰した折には、
「谷口新十郎に代わって、己を一橋家の邸臣…、家臣の筆頭にしてもらいたい…」
末吉善左衛門はそう望み、実際、治済に対して、谷口新十郎の姦計を告げ、己は治済に忠誠を誓と同時に、そう陳情したのであった。
それに対して治済も即座に、末吉善左衛門のその「陳情」を了としたのであった。
それゆえ末吉善左衛門が見事、谷口新十郎の姦計を叩き潰してみせるや、治済は、
「今度は己が末吉善左衛門への約束を果たす番…」
というわけで、そこで治済は父、宗尹に頼んで、末吉善左衛門を用人の上首…、筆頭にしてもらった。
それまで用人の上首…、筆頭は鈴木彦八郎であったが、鈴木彦八郎は今回の谷口新十郎による「クーデター」計画において、特に目立った働きをしなかった。
無論、「クーデター」の首謀者とも言うべき谷口新十郎に与したわけではないので、罰するわけにもゆかぬが、さりとて末吉善左衛門のように積極的に、「クーデター」を阻止しようとしたわけでもない。
要は傍観であった。そうであれば、己のために力を尽くしてくれた末吉善左衛門こそ用人の上首に据えてやるのが当然であろう。
また、末吉善左衛門と共に、治済のために奔走してくれた年寄の岩田、それに工作資金を捻出してくれた郡奉行の横尾六右衛門と勘定奉行の小倉小兵衛に対してもそれぞれ、「ご褒美」を与えた。
まず横尾六右衛門と小倉小兵衛の二人に対しては、そのお役目の「濫用」を大っぴらに認めてやった。
今回、横尾六右衛門と小倉小兵衛が治済のために…、治済こそが一橋徳川家の正統なる世継であるとの、言わば地位確認のために幕閣諸侯や、或いは大奥にばら撒いたその「工作資金」だが、横尾六右衛門と小倉小兵衛がそれぞれ、職務を利用、いや、「濫用」して捻出したものであった。つまりは「横領」である。
それを治済はこれからは大っぴらに「横領」を認めたのであった。それは横尾六右衛門と小倉小兵衛が最も望むところであり、治済も二人がそれを望んでいるであろうと見越して、それを…、横領を認めてやったのだ。
また大奥への工作を担った年寄の岩田に対しては、横尾六右衛門と小倉小兵衛の二人に命じて、
「大っぴらに…」
横領させた多額の金を成功報酬として支払った。岩田は金を欲しがっており、それをまた、治済が見抜いたからだ。
治済はこの時、弱冠9つの幼児、とまでは言わぬにしても、幼き少年に過ぎなかった。にもかかわらず、誰が一体、何を望んでいるのか、ピタリと見抜いてみせたのであった。真にもって、
「末恐ろしい…」
その表現がピタリと当て嵌まり、その様を間近で見ていた家老の田沼意誠も治済の恐ろしさを肌で感じ取り、その当時、同居していた息・意致に対しても、治済の恐ろしさを語って聞かせたものである。
いや、治済の恐ろしさはそれに止まらない。
治済は己に味方してくれた末吉善左衛門たちに褒美を与える一方で、己を追い落とそうとした谷口新十郎に対する罰、報復をも忘れてはいなかった。
治済はやはり父、宗尹に対して、谷口新十郎のクビを求めた。いや、本音を言えば、腹を切らせたいところであったが、流石にそこまでは無理というもので、そこでせめて、谷口新十郎を屋敷より追い出して欲しいと、そう強く求めたのであった。
だがそれに対して父、宗尹は例の、谷口新十郎が附人である云々を持ち出して、それを拒絶したのであった。
ここまでは父、宗尹も、谷口新十郎に命じる格好で治済を廃嫡しようとしたその負い目から、治済の求めに応じてきたものの、しかし、谷口新十郎を追い出すことだけは宗尹も断固としてこれを拒絶したのであった。
そうなると治済とて引き下がるより他になかった。下手にごり押しをすれば、折角、認めてもらった末吉善左衛門たちに対する「ご褒美」まで失いかねなかったからだ。
それでも治済は谷口新十郎に対する恨みを忘れたわけではなかったようで、何とその年…、宝暦10(1760)年の10月19日に55歳で亡くなってしまったのだ。
一応、谷口新十郎の死は表向き、病死ではあるものの、しかし、意誠は谷口新十郎は殺されたのではあるまいかと、その疑いを強く持っており、息、意致に対してもその疑いを他言無用と釘を刺した後、洩らしたのであった。
無論、根拠は何もない。いや、未だ9歳の治済が谷口新十郎を殺せるとも思えなかった。
しかし、万が一という可能性もなくはなかった。丸っきりあり得ない話として片付けるわけにもゆかないように意誠にはそう思え、そして父、意誠よりその疑いを伝え聞いた意致にしても同意見であった。
意致はその時のことを思い出し、いよいよもって、治済こそが家基殺しの黒幕に相違ないと、疑惑を確信へと深めた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
【時代小説】 黄昏夫婦
蔵屋
歴史・時代
江戸時代、東北地方の秋田藩は貧かった。
そんな中、真面目なひとりの武士がいた。同僚からは馬鹿にされていたが真面目な男であった。俸禄は低く貧しい。娘二人と実母との4人暮らし。
秋田藩での仕事は勘定方である。
仕事が終わると真っ直ぐ帰宅する。
ただひたすら日中は城中では勘定方の仕事をまじめにして、帰宅すれば論語を読んで知識を習得する。
そんな毎日であった。彼の名前は立花清左衛門。年齢は35歳。
娘は二人いて、一人はとめ15歳。もう一人は梅、8歳。
さて|黄昏《たそがれ》は、一日のうち日没直後、雲のない西の空に夕焼けの名残りの「赤さ」が残る時間帯のことを言う。「|黄昏時《たそがれどき)」。 「黄昏れる《たそがれる》」という動詞形もある。
「たそがれ」は、江戸時代になるまでは「たそかれ」といい、「たそかれどき」の略でよく知られていた。夕暮れの人の顔の識別がつかない暗さになると誰かれとなく、「そこにいるのは誰ですか」「誰そ彼(誰ですかあなたは)」とたずねる頃合いという意味で日常会話でよく使われた。
今回の私の小説のテーマはこの黄昏である。
この風習は広く日本で行われている。
「おはようさんです」「これからですか」「お晩でございます。いまお帰りですか」と尋ねられれば相手も答えざるを得ず、互いに誰であるかチェックすることでヨソ者を排除する意図があったとされている。
「たそかれ」という言葉は『万葉集』に
誰そ彼と われをな問ひそ 九月の 露に濡れつつ 君待つわれそ」
— 『万葉集』第10巻2240番
と登場するが、これは文字通り「誰ですかあなたは」という意味である。
「平安時代には『うつほ物語』に「たそかれどき」の用例が現れ、さらに『源氏物語』に
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 夕顔の花」
— 『源氏物語』「夕顔」光源氏
と、現在のように「たそかれ」で時間帯を表す用例が現れる。
なおこの歌は、帖と登場人物の名「夕顔」の由来になった夕顔の歌への返歌である。
またこの言葉の比喩として、「最盛期は過ぎたが、多少は余力があり、滅亡するにはまだ早い状態」をという語句の用い方をする。
漢語「|黄昏《コウコン》」は日没後のまだ完全に暗くなっていない時刻を指す。「初昏」とも呼んでいた。十二時辰では「戌時」(午後7時から9時)に相当する。
「たそがれ」の動詞化の用法。日暮れの薄暗くなり始めるころを指して「空が黄昏れる」や、人生の盛りを過ぎ衰えるさまを表現して「黄昏た人」などのように使用されることがある。
この物語はフィクションです。登場人物、団体等実際に同じであっても一切関係ありません。
それでは、小説「黄昏夫婦」をお楽しみ下さい。
読者の皆様の何かにお役に立てれば幸いです。
作家 蔵屋日唱
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
仇討浪人と座頭梅一
克全
歴史・時代
「アルファポリス」「カクヨム」「ノベルバ」に同時投稿しています。
旗本の大道寺長十郎直賢は主君の仇を討つために、役目を辞して犯人につながる情報を集めていた。盗賊桜小僧こと梅一は、目が見えるのに盗みの技の為に盲人といして育てられたが、悪人が許せずに暗殺者との二足の草鞋を履いていた。そんな二人が出会う事で将軍家の陰謀が暴かれることになる。
If太平洋戦争 日本が懸命な判断をしていたら
みにみ
歴史・時代
もし、あの戦争で日本が異なる選択をしていたら?
国力の差を直視し、無謀な拡大を避け、戦略と外交で活路を開く。
真珠湾、ミッドウェー、ガダルカナル…そして終戦工作 分水嶺で下された「if」の決断。
破滅回避し、国家存続をかけたもう一つの終戦
そしてそこから繋がる新たな近代史へ
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる