天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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田沼意致の回想 3

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 ともあれ、治済はるさだのその性癖せいへき…、「生き物殺し」の性癖せいへきが「エスカレート」するにつれ、宗尹むねただは本気で治済はるさだはいちゃくを考えた。

 宗尹むねただにしても治済はるさだのその性癖せいへきに気付いており、そうであればこそ、治済はるさだの兄のような存在そんざいである意致おきむね治済はるさだきょうどうたのみ、それが無理むりと分かるや、宗尹むねただはいよいよもって治済はるさだはいちゃくを本気で考え始めた。それが宝暦ほうれき10(1760)年のことであった。

 そこで宗尹むねただ一橋ひとつばし家の重職じゅうしょくである、所謂いわゆる

八役はちやく

 彼らと治済はるさだはいちゃくの件につき、相談することとした。

 この「八役はちやく」だが、

ろう

ばんがしら

用人ようにん

はた奉行ぶぎょう

長柄ながえ奉行ぶぎょう

ものがしら

こおり奉行ぶぎょう

勘定かんじょう奉行ぶぎょう

 以上の八つのお役目であり、その当時…、宝暦ほうれき10(1760)年時点では、遠藤えんどう易績やすつぐと、それに田沼たぬま市左衛門いちざえもん改め能登守のとのかみ意誠おきのぶの二人がろうつとめていた。

 田沼たぬま意誠おきのぶはそれまではじゅろく相当そうとう布衣ほい役であるばんがしらのお役目にあったのだが、それが宝暦ほうれき9(1759)年の正月15日に、それまでろうつとめていた河野こうの長門守ながとのかみ通延みちのぶ一橋ひとつばし邸から江戸城へと召還しょうかん西之丸にしのまる留守居るすい異動いどうたしたために、そこでこの河野こうの通延みちのぶ後任こうにんろうとして、ばんがしらであった田沼たぬま意誠おきのぶあてがわれた次第しだいである。

 なお、その他…、さしずめ「七役しちやく」についてだが、

谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう正乗まさのり

石川いしかわ孫太郎まごたろうおさむ

高林たかばやし彌兵衛やへえ明慶としのり

 以上の3人がばんがしらであり、

小宮山こみやま利助りすけ昌則まさのり

成田なりた八右衛門はちえもん勝豊かつとよ

鈴木すずき彦八郎ひこはちろう茂正しげまさ

末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん利隆としたか

鈴木すずき治左衛門ぢざえもん直裕なおひろ

 以上の5人が用人ようにんであり、それからはた奉行ぶぎょう三田みた藤四郎とうしろう守保もりやす長柄ながえ奉行ぶぎょう矢葺やぶき三郎左衛門さぶろうざえもん景與かげよ、さらに、

杉山すぎやま嘉兵衛かへえ美成よししげ

大村おおむら小左衛門こざえもん貞韶さだつぐ

平岡ひらおか喜三郎きさぶろう茂高しげたか

 以上の3人がものがしらであり、そしてこおり奉行ぶぎょう横尾よこお六右衛門ろくえもん昭平てるひら守山もりやま八十郎はちじゅうろう房覚ふさあき勘定かんじょう奉行ぶぎょう小倉おぐら小兵衛こへえ雅周まさちかという構成こうせいであった。

 その彼ら「八役はちやく」に対して宗尹むねただ治済はるさだはいちゃくの件を持ちかけたのであった。いや、それは持ちかけたと言うよりは、

治済はるさだはいちゃくしたい…」

 そう明確めいかく意思いしひょうをしたのであった。

 それに対して彼ら「八役はちやく」の反応はんのうはと言うと、まずろう遠藤えんどう易績やすつぐ田沼たぬま意誠おきのぶ慎重しんちょう、いや、否定ひてい的な見解けんかいしめし、それに対してばんがしらはそれとは好対照こうたいしょうであり、皆がさんしめした。

 とりわけばんがしらじょうしゅ…、筆頭ひっとうである谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうさき賛同さんどうしたものである。

 それと言うのも谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだとは常々つねづね

「そりがあわない…」

 そのため、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだはいちゃくに大いに賛同さんどうしてみせたのであった。

 だがそこで待ったをかけたのが5人の用人ようにんであり、とりわけ末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん治済はるさだはいちゃくおよぶことが如何いかおろかなことであるか、それを主君しゅくん宗尹むねただ懇々こんこんさとしたものである。

 もっとも、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんは何もじゅんすい治済はるさだはいちゃくに反対したわけではなく、そこにはさんふくまれていた。いや、さんから治済はるさだはいちゃくに反対したと言った方が正確せいかくだろう。

 それでは末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんさんとは何かと言うと、それはズバリ、

谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうへの対抗たいこう…」

 それであった。

 その当時…、宝暦ほうれき10(1760)年の時点では治済はるさだこそが一橋ひとつばし家の世継よつぎの有力候補であった。

 にもかかわらず、一橋ひとつばし家のばんがしらつとめる谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうはその一橋ひとつばし家の世継よつぎの有力候補である治済はるさだとは常々つねづね、そりがあわず、しかしそうであれば谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうはとっくの昔にばんがしらの役職を解任かいにんされていてもおかしくはなかった。

 何しろ、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだとそりがあわないのは昨日きのう今日きょうの話ではなく、宗尹むねただ治済はるさだはいちゃくを考えるよりも前、それこそ、

はるか前から…」

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだとはそりがあわず、また、治済はるさだ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろううとましく思っており、いや、きらっており、そうであれば治済はるさだが父・宗尹むねただたのんで、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうばんがしらより解任かいにん、それが無理むりならせめて上首じょうしゅ…、筆頭ひっとうよりヒラのばんがしらへと降格こうかくさせて欲しいと、そう望むところであり、実際、治済はるさだは父・宗尹むねただにそうたのんだ。

 その頃はまだ、宗尹むねただ治済はるさだはいちゃくを考えてはおらず、そうであればそく治済はるさだのその、

「ワガママ」

 も聞いてやってもおかしくはなかったのだが、しかし、宗尹むねただせがれのその「ワガママ」に対して首をたてることはなかった。

ばんがしらろうなら附人つけびと…、こうよりされし者なれば、如何いかにわしとて、どうにもならぬ…」

 宗尹むねただせがれの「ワガママ」に対して首をたてらなかった理由として、せがれ治済はるさだにそう挙げてみせたものの、しかし、それはあくまで、

おもてきの理由…」

 それに過ぎなかった。成程なるほど、確かに宗尹むねただの言う通り、ごこう…、幕府よりされる附人つけびとのその任免にんめん権はさんきょうにはなく、それゆえ宗尹むねただ一存いちぞんではその附人つけびとである谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうじょうしゅ…、筆頭ひっとうばんがしらからヒラのばんがしらへと降格こうかくさせることも出来できなければ、ましてやクビにすることなど出来できようはずがなかった。

 もっともそれは、

建前たてまえ

 に過ぎず、確かに従五位下じゅごいのげしょ大夫だいぶ役のろうであれば成程なるほど、そのくつ通りであるが、しかし、じゅろく相当そうとう布衣ほい役であるばんがしらであれば、さんきょう意向いこうがその任免にんめん大分だいぶ反映はんえいされる。

 それゆえこの場合で言えば、宗尹むねただ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうばんがしらじょうしゅよりの解任かいにんあるいはヒラのばんがしらへの降格こうかくのぞめば、かなりの確率かくりつ宗尹むねただのその意思いしが人事に反映はんえいされ、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう一橋ひとつばし家より追われるか、あるいはそこまでいかなくとも、ヒラのばんがしらへと降格こうかくさせられることになる。

 宗尹むねただにしても谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうの人事につき、おのれ一存いちぞんでどうとでもなるということは勿論もちろんしょうしていたものの、それでも宗尹むねただ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう馘首かくしゅ勿論もちろんのこと、降格こうかくさえも拒絶きょぜつしたのは他でもない、

宗尹むねただ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうに対して遠慮えんりょがあったから…」

 それにきた。

 てんさんきょうともあろう者がそのさんきょうのたかだか陪臣ばいしんに過ぎぬ者に対して遠慮えんりょがあるとは何ともおかしな話のようにも思えるが、しかし、こと宗尹むねただ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうとの関係で言えばそれも無理むりからぬところであった。

 それと言うのも谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう宗尹むねただ叔父おじに当たるからだ。

 すなわち、八代将軍・吉宗が側室そくしつひさこと深心院しんしんいんとの間に生まれただんこそ宗尹むねただであり、宗尹むねただじつであるひさこと深心院しんしんいん実弟じっていこそが谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうであった。

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう一橋ひとつばし家のばんがしら、それも筆頭ひっとうであるじょうしゅに取り立てられたのも、ひとえにおいに当たる一橋ひとつばし家の初代当主となった宗尹むねただの強い「ヒキ」があればこそ、であった。

 そのため宗尹むねただとしてもおのれが取り立てたその谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうをヒラのばんがしらへと降格こうかくさせることには抵抗感ていこうかんがあり、ましてやクビにするなど到底とうてい可能かのうであった。

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうもそんな宗尹むねただの胸のうちを見透みすかし、いや、足下あしもとを見て、一橋ひとつばし邸内ていないにおいてそれこそ、物顔ものがおっていた。

 ろん遊歌ゆかのようにぼうじゃくじんっていたわけではないが、それでもせいが強く、治済はるさだ治之はるゆきの兄弟に対しても強く出るまつであった。

 何しろ治済はるさだ治之はるゆき兄弟は宗尹むねただの子…、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうおいに当たる宗尹むねただの子ということで、そうであれば谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうにとって治済はるさだ治之はるゆき兄弟は、

姪孫てっそん

 に当たり、それゆえ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだ治之はるゆき兄弟にも当然、遠慮えんりょするところがなかった。

 いや、治済はるさだ治之はるゆき兄弟のみならず、宗尹むねただちゃくなん…、正室せいしつ俊姫としひめあきとの間にもうけた、はじめてのちゃくなん重昌しげまさや、さらに遊歌ゆかとの間にもうけたちょうじょ保姫やすひめやそのすぐ下の弟の重富しげとみに対してもそうであった。

 重昌しげまさは母・俊姫としひめあきゆずりのおっとりとした性格せいかくで、それゆえ谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうから強く出られたところで、何とも思わなかったが、しかし、かち遊歌ゆかの血を引く保姫やすひめ重富しげとみの姉弟はそんな谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうたい猛反発もうはんぱつしたものである。

 この時…、宝暦ほうれき10(1760)年の時点においてはすで重富しげとみ一橋ひとつばし邸を出ており、それゆえ一橋ひとつばし邸に残っている宗尹むねただじょ治済はるさだ治之はるゆき兄弟の他にはちょうじょ保姫やすひめであり、この時点でも、保姫やすひめ実弟じってい治済はるさだと共に、それこそ、

「タッグをんで…」

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうたい猛反発もうはんぱつしていた。

 それとは対照たいしょう的なのがすえ治之はるゆきであり、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうのそのたいに対して、保姫やすひめ治済はるさだのように反発はんぱつおぼえるどころか、新鮮しんせんさを感じ、そんな谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうなつき、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうもそんな姪孫てっそんである治之はるゆきを大いに可愛かわいがったものである。

 さて、これらの事情は用人ようにんである末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんも良くしょうしているところであり、そうであれば、

保姫やすひめ治済はるさだ姉弟…、とりわけ治済はるさだかたをする…」

 末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんにはその選択せんたくしかなかった。何しろ、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんにしてもまた、一橋ひとつばし邸内ていないにて物顔ものがお谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうに対してけんかんいていたからだ。

 その谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう治済はるさだはいちゃく賛同さんどうしたとあらば、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうをライバル視する末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんとしてはぎゃくに、治済はるさだこそが一橋ひとつばし家の世継よつぎ相応ふさわしいと、そう論陣ろんじんったのはごく当然とうぜん展開てんかいであり、そこへ、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんと同じく、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうに対して…、その専横せんおうぶりにかねて猛反発もうはんぱつしていた小宮山こみやま利助りすけたちも…、他の用人ようにんたちも末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんかたした。

 一方、その他の「八役はちやく」、すなわち、はた奉行ぶぎょう長柄ながえ奉行ぶぎょうものがしらこおり奉行ぶぎょう、そして勘定かんじょう奉行ぶぎょうといった面々めんめん…、さしずめ「やくはこの時点ではまだ、どっちつかずのたいしゅうした。

 いや、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうと共に、治済はるさだはいちゃく賛同さんどうした、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうと同じくばんがしらつとめる石川いしかわ孫太郎まごたろう高林たかばやし彌兵衛やへえにしても本音ほんねでは治済はるさだはいちゃくすることには内心ないしんきわめてかいてきであったのだが、それでもじょうしゅ…、筆頭ひっとうである谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうに対する遠慮えんりょから引きずられるようにして治済はるさだはいちゃく賛同さんどうしたに過ぎず、心底しんそこ賛同さんどうしたわけではなかった。

 そのことは谷口たにぐち新十郎しんじゅうろう勿論もちろん、良くあくしているところであり、そうであれば谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうとしては「がい」に助けを求めることにした。すなわち、「大奥」である。

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうにはひさ…、宗尹むねただどうであるひさという姉の他、たけという妹がおり、この妹はかつては姉のひさと共に大奥にてらし、のみならず、年寄としより外山とやまによって育てられたのであった。

 谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうはその「ツテ」をたよりに、大奥に治済はるさだはいちゃくの件をたのむつもりでいた。

 大奥より将軍サイドへと治済はるさだはいちゃくもうプッシュしてもらおうとの魂胆こんたんであり、谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうのその目の付け所は悪くはなかった。

 だが谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうにとってうんだったのはこの時点…、宝暦ほうれき10(1760)年の時点では年寄としより外山とやますでく、たのみのつなとも言うべき妹のたけにしても同様どうように、すでかった。

 これでは大奥におけるあしうしなったも同然どうぜんであった。

 いや、これで「さんきょうつぶし」にきょうほんする家重いえしげが将軍でいたならば、あるいは治済はるさだはいちゃくもうまくことが運んだやも知れぬが、こちらも生憎あいにくと、将軍職は家重いえしげから家治へとだいわりしており、将軍職に就任当初の家治は父・家重いえしげとは違い、それほどさんきょうに対して悪感情を持ってはおらず、と言うよりは関心がなく、それゆえ一橋ひとつばし家に波風なみかぜを立てるような治済はるさだはいちゃくには家治は乗り気でなく、その点でも谷口たにぐち新十郎しんじゅうろううんと言えた。

 一方、それとは好対照こうたいしょうなのが末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんであり、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん一橋ひとつばし邸にて年寄としよりつとめる岩田いわた連携れんけいを取りつつ、ちゅうりつ派であるこおり奉行ぶぎょう横尾よこお六右衛門ろくえもんさきなかに引き入れた。

 末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん谷口たにぐち新十郎しんじゅうろうが大奥を動かして将軍に対して治済はるさだはいちゃくはたらきかけてもらおうと、そういう魂胆こんたんであることを当初とうしょより見抜みぬいており、そうであればこちらもと、せん格好かっこうで、一橋ひとつばし邸にて年寄としよりつとめる岩田いわたなかに…、

治済はるさだこそが一橋ひとつばし家の正統せいとうなる世継よつぎである…」

 そのなかに引き入れることにしたのであった。それと言うのも、岩田いわたはここ一橋ひとつばし邸へと引き移る前は江戸城本丸の大奥にて、宗尹むねただもとい小五郎こごろうづき年寄としよりつとめていたのだが、その際、岩田いわたは将軍・家重いえしげづき御客おきゃく会釈あしらい松島まつしましたしく付き合っており、そして、将軍が家重いえしげから家治へとだいわりをたすと、その松島まつしまあらたに将軍となった家治づき年寄としよりとなり、そこで末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんとしては、岩田いわた松島まつしまのルートで新将軍・家治に対してそのむね…、

治済はるさだこそが一橋ひとつばし家の正統せいとうなる世継よつぎである…」

 そうはたらきかえてもらうこととし、しかしそのためには、

さきつもの…」

 それが必要ひつよう不可ふかけつであり、そこで末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんはその「さきつもの」をようてるべく、こおり奉行ぶぎょう横尾よこお六右衛門ろくえもんをもなかに引き入れることとした。

 こおり奉行ぶぎょうとはちょうぜいなどをになうトップであり、それゆえ、さきつものをようててもらうのに、

きわめてごうの良いポスト…」

 そう言え、だからこそ末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんもそのこおり奉行ぶぎょうつとめる横尾よこお六右衛門ろくえもんなかに引き入れようとしたのであったが、しかし、それだけにとどまらない。

 それと言うのも、こおり奉行ぶぎょう横尾よこお六右衛門ろくえもんなかに引き入れることが出来できれば、勘定かんじょう奉行ぶぎょう小倉おぐら小兵衛こへえをもなかに引き入れられることがたいできるからだ。

 どういうことかと言うと、横尾よこお六右衛門ろくえもんそく藤次郎とうじろう宅平たくひら小倉おぐら小兵衛こへえの妹をめとっていたからだ。

 末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん勿論もちろん横尾よこお六右衛門ろくえもん小倉おぐら小兵衛こへえとのその関係をあくしており、それゆえ横尾よこお六右衛門ろくえもんなかに引き入れることにしんし、結果、横尾よこお六右衛門ろくえもんなかに引き入れることに成功するや、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんたいした通り、小倉おぐら小兵衛こへえまでもなかに引き入れることに成功した。

 いや、小倉おぐら小兵衛こへえの場合は末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんがわざわざなかに引き入れるまでもなく、小倉おぐら小兵衛こへえ自身が横尾よこお六右衛門ろくえもんの後を追う格好かっこう末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん陣営じんえい入りをのぞんだのであった。

 ともあれこれで末吉すえよし善左衛門ぜんざえもんこおり奉行ぶぎょう横尾よこお六右衛門ろくえもん勘定かんじょう奉行ぶぎょう小倉おぐら小兵衛こへえなかに引き入れたことで、

ほうぐんきん

 それを得ると、その金をもとに、大奥に対しては岩田いわた松島まつしまルートではたらきかけを行い、一方、中奥なかおくサイドに対しても、あらたにろうとなった、そして、治済はるさだはいちゃくに反対とまではゆかずとも、慎重しんちょう姿せいを見せる田沼たぬま意誠おきのぶかいして、ほんすじにして、御側おそば御用ごよう取次とりつぎとして将軍のそばちかくにつかえる意次より将軍へと、

一橋ひとつばし家の正統せいとうなる世継よつぎ治済はるさだである…」

 それを再確認してもらうべく、末吉すえよし善左衛門ぜんざえもん意誠おきのぶよりそのむね、意次へと伝えてもらい、結果、将軍は…、新将軍・家治は大奥と中奥なかおくの両サイドより、

一橋ひとつばし家の正統せいとうなる世継よつぎ治済はるさだである…」

 そのむねまれたために、家治は改めて、一橋ひとつばし家の正統せいとうなる世継よつぎ治済はるさだであると、そうせんしたのであった。
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