天明繚乱 ~次期将軍の座~

ご隠居

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大詰め ~家治の愛妾の千穂に年寄として仕える玉澤とその妹の長尾の真の経歴~

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 宿元やどもととは身元保証人のことであり、大奥に勤める者は皆、この「宿元やどもと」を持っていた。それは年寄としよりとて例外ではなく、そして大抵たいていの場合、宿元やどもとは身内であるケースが多く、この点、現代に通じるものがある。

 さて、千穂ちほぞく、それも年寄としよりとしてつかえる玉澤たまさわであるが、家治が思い出したように、玉澤たまざわ宿元やどもとつつみ中納言ちゅうなごんこと、ぎょうつつみ代長しろながであった。

 すると千穂ちほは何か意味ありほほみを浮かべつつ、「御意ぎょい…」と答えるや、「されば玉澤たまざわの父にて…」と答えたのであった。

 父が宿元やどもと…、それは「ポピュラー」と言えた。現代における宿元やどもと、もとい身元保証人にしてもそうだろう。

 ともあれ、玉澤たまざわが、いや、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹がぎょうつつみ代長しろながの娘であれば、苦労人とはいささ合点がてんがいかぬ。

 無論むろんぎょうといっても所謂いわゆる

「ピンからキリまで…」

 であり、中には「貧乏びんぼうぎょう」も存在し、そのようなぎょうの娘として生まれたならば、成程なるほど千穂ちほの言う通り、

「苦労人…」

 との表現にもうなずけるというものだが、さりながらつつみ代長しろながはただのぎょうではない。れきとした、

しょう二位にい中納言ちゅうなごん

 その位にある。いや、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹が生まれた当初はまだ、つつみ代長しろながもその位にはなかったであろうが、それでもつつみ家と言えばぎょうの中でもめいとして知られ、そうであれば決して贅沢ぜいたく三昧ざんまいの生活を送れたわけではないにしても、さりとて苦労したわけでもなかろう。

 それゆえ家治は玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹を「苦労人」と形容けいようする千穂ちほのその言葉に合点がてんがゆかなかったのである。

 するとそうと察した千穂ちほようやくに「絵解えとき」をしてくれた。

「されば確かに、玉澤たまざわ宿元やどもとでござりまするつつみ中納言ちゅうなごん殿は玉澤たまさわの父なれど、正確にはようにて…」

 それで家治もようやくに千穂ちほが先ほど、意味ありほほみを浮かべた理由に合点がてんがいった。

「されば玉澤たまざわは…、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹の実家は…」

 家治はかすようにして千穂ちほうながした。

「されば玉澤たまざわは旗本のしゅつにて…」

「旗本の生まれとな?」

御意ぎょい…」

「して、具体的には?」

「さればぎょう750石の本田ほんだ家にて…」

「ほんだ家…」

 家治がそうふくしょうすると、千穂ちほ本多ほんだではなく本田ほんだであると補足ほそくした。

「ふむ…、なれどやはり…」

 ぎょう750石と言えば、上級旗本とは言えないが、しかし下級というわけでもない。いて言うならば、「中の上」といったところか。つまりは、

「まぁまぁ」

 の部類の旗本であり、やはり大層たいそうめぐまれたきょうぐうというわけでもないが、さりとて貧乏というわけでもなかろう。つまりは「苦労人」のイメージからはやはりまだ程遠ほどとおい。

「されば、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹はその本田ほんだ家のちゃくでありました新兵衛しんべえ正久まさひさの娘として生まれ…」

 そこで家治は、「ちゃくであった、とな?」と聞きとがめた。

御意ぎょい…、されば寛保2(1742)年の6月頃に父・新兵衛しんべえが何かつつかなるとがにより追放に…」

「寛保2(1742)年ともうさば、余はまだ5歳…」

「さればおそれ多くも八代様の御代みよにて…」

 家治が知らないのも無理はない…、千穂ちほはそう示唆しさした。

「それで本田ほんだ家は…、いや、新兵衛しんべえ正久まさひさなる者、確かちゃくとのことなれば、家には関わりなし、か?」

 家治がそう先回りしてたずねるや、千穂ちほは「御意ぎょい」と答えた。

 確かにその通りであり、これで仮に本田ほんだ新兵衛しんべえ正久まさひさ本田ほんだ家の当主であったならば、当主が追放刑に処せられた時点でぎょう750石の本田ほんだ家は改易かいえきあいり、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹はとうに迷ったに違いない。

 だが新兵衛しんべえ本田ほんだ家の当主ではなく、ちゃくであれば、本田ほんだ家とは関わりなしということで、本田ほんだ家は無事ぶじ安泰あんたいというものである。

「して本田ほんだ家は…、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹の実父じっぷであるその新兵衛しんべえ正久まさひさなる者がちゃくの身であったならば、その当時の本田ほんだ家の当主は新兵衛しんべえの父、玉澤たまさわ長尾ながおにとりては祖父そふに当たりし者であったのであろうが…」

 家治がそうかんを働かせるや、千穂ちほはやはり「御意ぎょい」と家治のそのかんばたらきを首肯しゅこうした上で、

「さればその当時の本田ほんだ家の当主は玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹の祖父そふに当たりし、市正いちのかみ正方まさかたなる者にて…」

 そう補足ほそくした。すると家治は、「市正いちのかみとな?」と、いみなである「正方まさかた」ではなく、

市正いちのかみ

 という名の方に反応した。それも当然と言うべきであり、それと言うのも、

市正いちのかみ

 は官名であるからだ。そして官名を名乗ることが許されるということはすなわち、じゅろく布衣ほい役か、あるいはさらにその上の従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役のいずれかにいていたことをものがたっていた。

おそれながら…、上様うえさまがご想像そうぞうの通り、市正いちのかみ正方まさかた布衣ほい役にて…」

 千穂ちほひかに、まさしく、

「おずおず…」

 その表現が似合うように切り出した。将軍たる家治の考えを読み、先回りするような発言に対する断りのような気持ちからであった。

 家治もそのような千穂ちほの胸のうちが分かるだけにほほみで答えると、

「されば、目付めつけか?」

 そう付け加えた。布衣ほい役の「代名だいめい」はやはり何と言っても目付めつけだからだ。

 だが違った。

「いえ、それが…、月光院殿の用人ようにんにて…」

 千穂ちほは家治の言葉を否定する申し訳なさから、如何いかにも申し訳ない様子でそう応じたものであった。これに対しては家治は苦笑で応じたものだ。

「それにしても月光院殿の用人ようにんとは…、大奥にえんがあったと言うべきか…」

 家治はしみじみそう言い、それに対しては千穂ちほも同意見だったようで、「御意ぎょい…」と心底しんそこからそう応じたものだった。

「して、その後の本田ほんだ家は…」

 家治は千穂ちほにその後の本田ほんだ家についてたずねた。

 新兵衛しんべえ正久まさひさちゃくであったことが幸いし、本田ほんだ家は無事ぶじ安泰あんたいとは言え、いつまでもちゃくざいというわけにもゆくまい。ちゃくめぐまれなければ今度こそ本当に改易かいえきうからだ。

「やはり、次男か、三男がいだのか?」

 新兵衛しんべえの弟が本田ほんだ家をいだのかと、家治は千穂ちほ示唆しさした。

御意ぎょい…、されば末弟まってい清兵衛せいべえ正章まさあきらなる者が兄・新兵衛しんべえ正久まさひさわりて本田ほんだ家を…」

末弟まっていとな?」

御意ぎょい。されば清兵衛せいべえ正章まさあきらは何でも四男とのこと…、なれど兄…、長兄ちょうけい新兵衛しんべえ正久まさひさが追放刑に処せられしおりにはすでに次男も三男も他家たけへと養子に…」

「いかさま…、四男であった清兵衛せいべえ正章まさあきらのみ実家に残っており、それゆえ清兵衛せいべえ正章まさあきら本田ほんだ家をぐこととあいったわけか…」

御意ぎょい…」

「して、玉澤たまざわ長尾ながおは…」

「されば叔父おじに当たりし清兵衛せいべえ正章まさあきら養女ようじょに…」

 千穂ちほが表情をくもらせてそう答えたことから家治もようやくに、玉澤たまざわながおの姉妹を千穂ちほは、

「苦労人…」

 と評したのか薄々うすうすだが察しがつき始めた。

「されば叔父おじである、そしてようとなりしそれな清兵衛せいべえ正章まさあきらと、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹の仲は…」

「あまり良いようではなかったとのことにて…」

 千穂ちほあいわらず表情をくもらせたままそう答え、それに対して家治は内心、「やはりな…」とつぶやいたものだった。

「いえ、正確には当初は…、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹が叔父おじ清兵衛せいべえ正章まさあきら養女ようじょとなりし当初はそれほど、仲が悪かったわけではなく…、それどころか大層たいそう、大事にされ、親子仲はそれこそむつまじく…」

「それは…、父を失いし玉澤たまざわ長尾ながおに対する同情心からか?」

「それもあろうかと…、玉澤たまざわが申しますには…」

「それでは他に何があると?」

 家治が首をかしげると、千穂ちほは「下世話げせわな話になりまするが…」と断りを入れてから答えた。

「されば家を…、本田ほんだ家をげましたることに対する感謝からではないかと…」

「感謝、とな?」

御意ぎょい…、されば清兵衛せいべえ正章まさあきらにしてみれば、兄・新兵衛しんべえ正久まさひさのおかげで…、と申しては皮肉ひにくになりましょうが、ともあれ本田ほんだ家をげることがかない…」

「いかさま…、たなから牡丹ぼたもちというわけだの?」

 家治はさら下世話げせわな表現をしてみせたが、まさしくこと本質ほんしつを言い当てていた。

 確かに、長兄ちょうけいにしてちゃくであった新兵衛しんべえ正久まさひさしょうを起こして追放刑に処せられたからこそ…、清兵衛せいべえ正章まさあきらからすれば、

「追放刑になってくれたからこそ…」

 本来、ちゃくの座とは大よそえんであった四男坊の己のもとへとそのちゃくの座がめぐってきたのであった。これをたなから牡丹ぼたもちと言わずして何と言おうか。

 父…、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹にとっては祖父そふ市正いちのかみ正方まさかたちゃくとして期待していたに相違そういないその新兵衛しんべえ正久まさひさ祥事しょうじをしでかし、あまつさえ追放刑に処せられたことに大いに憤慨ふんがいしたであろうが、しかし、そのおかげで晴れてちゃくの座がめぐってきた弟の清兵衛せいべえ正章まさあきらにしてみれば、父・市正いちのかみ正方まさかたとは違い、感謝の念しかないであろう。

 それゆえその感謝の念から、兄・新兵衛しんべえ正久まさひさの「わすがたとも言うべき玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹を清兵衛せいべえ正章まさあきらは当初は大事にしたに違いなく、そのような清兵衛せいべえ正章まさあきらの心理は家治にも大いに理解できた。

 問題はそれがいつまでも続かなかったということだ。

「きっかけは…、ようである叔父おじ清兵衛せいべえ正章まさあきらとその養女ようじょとなりし玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹の仲が悪くなり申しましたきっかけはやはり、清兵衛せいべえ正章まさあきらに実子が生まれ申しましたことでござりましょうか…」

 養親に実子が生まれたために、それまで仲が良かった養子と仲が悪くなる…、これも良くあるケースと言えよう。

「されば清兵衛せいべえ正章まさあきら長兄ちょうけい新兵衛しんべえ正久まさひさわるちゃくと定められし当初とうしょは実子にめぐまれなかったと?」

御意ぎょい…、さればその事もあって、玉澤たまざわ長尾ながお養父ようふとなりし清兵衛せいべえ正章まさあきらから大事にされたものと…」

「さもあろう…」

「まぁ、としも近かったためでもありましょうが…」

「何と?」

清兵衛せいべえ正章まさあきらと、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹が叔父おじめいあいだがらとは申せ、それはあくまで名目的なものにて…」

「実際には違う、と?」

御意ぎょい。されば兄妹きょうだいのようなあいだがらにて…、清兵衛せいべえ正章まさあきらが兄・新兵衛しんべえ正久まさひさわって本田ほんだ家のちゃくと定められし寛保2(1742)年の時点においては、清兵衛せいべえ正章まさあきらよわいは14、一方、玉澤たまざわ長尾ながおの姉妹でござりまするが、玉澤たまざわよわいは12、長尾ながおは11にて…」

「確かに…、千穂ちほが申す通り、叔父おじめいあいだがらと申すよりは兄妹きょうだいと申した方がしっくりくるのう…」

御意ぎょい。さればそれまでは…、ちゃくと定められるまでの清兵衛せいべえ正章まさあきららくひとにて…」

部屋へやずみの身ともあらばさもあろう…」

御意ぎょい。なれど、ちゃくと定められし以上は…」

らくひとは許されぬと、さしずめ父・市正いちのかみ縁談えんだんをすすめられたわけだな?」

御意ぎょい…」

 いえの存続という観点かんてんから考えれば、市正いちのかみ正方まさかたの対応は当然のものであった。

「されば新兵衛しんべえ正章まさあきらは父、市正いちのかみ正方まさかたに命じられるままに、翌寛保3(1743)年に旗本の柴田しばた日向守ひゅうがのかみ康闊やすひろの五女と結ばれ…」

日向守ひゅうがのかみ…」

 やはり家治はその官名に反応した。先ほどの「市正いちのかみ」とは違い、

日向守ひゅうがのかみ…」

 その官名はは国名ゆえ、つまりは従五位下じゅごいのげしょ大夫だいぶ役にいていたことのあかしと言えたからだ。

 千穂ちほもそうと察して、

「されば甲府こうふ勤番きんばん支配しはいを勤めし柴田しばた日向守ひゅうがのかみにて…」

 そう付け加えたのであった。すると家治は「ほう…」と感嘆した声を上げた。それもそのはず甲府こうふ勤番きんばん支配しはいと言えば、遠国おんごく役人の頂点に位置するからだ。

 甲府こうふせん先として有名であり、ぞくに、「山流し」とも称されるものの、しかし、せんされた甲府こうふ勤番きんばんたばねる、

甲府こうふ勤番きんばん支配しはい…」

 そのお役目は遠国おんごく役人の頂点であり、つまりは長崎奉行や京都町奉行、大坂町奉行よりも格上というわけで、当然、従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役であった。

 当然、旗本ならば誰もがくことができる「ポスト」というわけではなく、限られた「エリート」がくことのできる「ポスト」であり、それゆえ家治はその甲府こうふ勤番きんばん支配しはい柴田しばた日向守ひゅうがのかみ康闊やすひろいていたと知って、

「ほう…」

 そう感嘆の声を上げたのであった。

もっとも、娘が本田ほんだ家に…、清兵衛せいべえ正章まさあきらもとした当初は使つかいばんにて…」

 使つかいばん従五位下じゅごいのげ諸大夫しょだいぶ役ではないものの、しかし、目付めつけと同様、従六位じゅろくい布衣ほい役であり、旗本にとっては目付めつけあるいはこの使つかいばん所謂いわゆる

「出世の登竜門とうりゅうもん

 と言えた。甲府こうふ勤番きんばん支配しはいという重職じゅうしょく辿たどり着いた柴田しばた康闊やすひろ使つかいばんを経ていたのもうなずけた。

「さればその、柴田しばた日向守ひゅうがのかみ康闊やすひろの娘は寛保3(1743)年、よわい13にして清兵衛せいべえ正章まさあきらもとに…」

「寛保3(1743)年ともうさば、清兵衛せいべえ正章まさあきらは15…、されば2つ年下というわけか?柴田しばた日向ひゅうがの娘は…」

御意ぎょい…」

「されば…、玉澤たまざわと同い年というわけか?柴田しばた日向ひゅうがの娘は…」

御意ぎょい…、さればその翌年…、延享元(1744)年、清兵衛せいべえ正章まさあきらは父・市正いちのかみ正方まさかたまかりしにともない、せきを…、ぎょう750石の本田ほんだ家をぎましたとのこと…、それと時を同じくして、清兵衛せいべえ正章まさあきらちゃくなんめぐまれ…」

「何と…、柴田しばた日向ひゅうがの娘はよわい14にして、清兵衛せいべえ正章まさあきらの子を…、それもだんごもったと申すか…」

 家治は驚きの声を上げた。いくら江戸時代でもそうじゅくと言えよう。

「なれどそれから…」

叔父おじめいあいだがらに…、清兵衛せいべえ正章まさあきらと、玉澤たまざわ長尾ながお姉妹のあいだがらに、いや、兄妹きょうだいあいだがらへんが生じたと申すのだな?」

 家治が先回りしてそう尋ねると、千穂ちほは「御意ぎょい」と答えた。
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