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大詰め ~家治の愛妾の千穂に年寄として仕える玉澤とその妹の長尾の真の経歴~
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宿元とは身元保証人のことであり、大奥に勤める者は皆、この「宿元」を持っていた。それは年寄とて例外ではなく、そして大抵の場合、宿元は身内であるケースが多く、この点、現代に通じるものがある。
さて、千穂に附属、それも年寄として仕える玉澤であるが、家治が思い出したように、玉澤の宿元は堤中納言こと、公卿の堤代長であった。
すると千穂は何か意味あり気な微笑みを浮かべつつ、「御意…」と答えるや、「されば玉澤の父にて…」と答えたのであった。
父が宿元…、それは「ポピュラー」と言えた。現代における宿元、もとい身元保証人にしてもそうだろう。
ともあれ、玉澤が、いや、玉澤と長尾の姉妹が公卿の堤代長の娘であれば、苦労人とは些か合点がいかぬ。
無論、公卿といっても所謂、
「ピンからキリまで…」
であり、中には「貧乏公卿」も存在し、そのような公卿の娘として生まれたならば、成程、千穂の言う通り、
「苦労人…」
との表現にも頷けるというものだが、さりながら堤代長はただの公卿ではない。歴とした、
「正二位・中納言」
その位にある。いや、玉澤や長尾の姉妹が生まれた当初はまだ、堤代長もその位にはなかったであろうが、それでも堤家と言えば公卿の中でも名家として知られ、そうであれば決して贅沢三昧の生活を送れたわけではないにしても、さりとて苦労したわけでもなかろう。
それゆえ家治は玉澤と長尾の姉妹を「苦労人」と形容する千穂のその言葉に合点がゆかなかったのである。
するとそうと察した千穂は漸くに「絵解き」をしてくれた。
「されば確かに、玉澤の宿元でござりまする堤中納言殿は玉澤の父なれど、正確には養父にて…」
それで家治も漸くに千穂が先ほど、意味あり気な微笑みを浮かべた理由に合点がいった。
「されば玉澤は…、玉澤と長尾の姉妹の実家は…」
家治は急かすようにして千穂を促した。
「されば玉澤は旗本の出自にて…」
「旗本の生まれとな?」
「御意…」
「して、具体的には?」
「されば知行750石の本田家にて…」
「ほんだ家…」
家治がそう復唱すると、千穂は本多ではなく本田であると補足した。
「ふむ…、なれどやはり…」
知行750石と言えば、上級旗本とは言えないが、しかし下級というわけでもない。強いて言うならば、「中の上」といったところか。つまりは、
「まぁまぁ」
の部類の旗本であり、やはり大層、恵まれた境遇というわけでもないが、さりとて貧乏というわけでもなかろう。つまりは「苦労人」のイメージからはやはりまだ程遠い。
「されば、玉澤と長尾の姉妹はその本田家の嫡子でありました新兵衛正久の娘として生まれ…」
そこで家治は、「嫡子であった、とな?」と聞き咎めた。
「御意…、されば寛保2(1742)年の6月頃に父・新兵衛が何か不束なる咎により追放に…」
「寛保2(1742)年と申さば、余はまだ5歳…」
「されば畏れ多くも八代様の御代にて…」
家治が知らないのも無理はない…、千穂はそう示唆した。
「それで本田家は…、いや、新兵衛正久なる者、確か嫡子とのことなれば、家には関わりなし、か?」
家治がそう先回りして尋ねるや、千穂は「御意」と答えた。
確かにその通りであり、これで仮に本田新兵衛正久が本田家の当主であったならば、当主が追放刑に処せられた時点で知行750石の本田家は改易と相成り、玉澤と長尾の姉妹は路頭に迷ったに違いない。
だが新兵衛が本田家の当主ではなく、嫡子であれば、本田家とは関わりなしということで、本田家は無事、安泰というものである。
「して本田家は…、玉澤と長尾の姉妹の実父であるその新兵衛正久なる者が嫡子の身であったならば、その当時の本田家の当主は新兵衛の父、玉澤と長尾にとりては祖父に当たりし者であったのであろうが…」
家治がそう勘を働かせるや、千穂はやはり「御意」と家治のその勘働きを首肯した上で、
「さればその当時の本田家の当主は玉澤と長尾の姉妹の祖父に当たりし、市正正方なる者にて…」
そう補足した。すると家治は、「市正とな?」と、諱である「正方」ではなく、
「市正」
という名の方に反応した。それも当然と言うべきであり、それと言うのも、
「市正」
は官名であるからだ。そして官名を名乗ることが許されるということは即ち、従六位の布衣役か、或いは更にその上の従五位下の諸大夫役のいずれかに就いていたことを物語っていた。
「畏れながら…、上様がご想像の通り、市正正方は布衣役にて…」
千穂は控え目に、正しく、
「おずおず…」
その表現が似合うように切り出した。将軍たる家治の考えを読み、先回りするような発言に対する断りのような気持ちからであった。
家治もそのような千穂の胸のうちが分かるだけに微笑みで答えると、
「されば、目付か?」
そう付け加えた。布衣役の「代名詞」はやはり何と言っても目付だからだ。
だが違った。
「いえ、それが…、月光院殿の用人にて…」
千穂は家治の言葉を否定する申し訳なさから、如何にも申し訳ない様子でそう応じたものであった。これに対しては家治は苦笑で応じたものだ。
「それにしても月光院殿の用人とは…、大奥に縁があったと言うべきか…」
家治はしみじみそう言い、それに対しては千穂も同意見だったようで、「御意…」と心底からそう応じたものだった。
「して、その後の本田家は…」
家治は千穂にその後の本田家について尋ねた。
新兵衛正久は嫡子であったことが幸いし、本田家は無事、安泰とは言え、いつまでも嫡子不在というわけにもゆくまい。嫡子に恵まれなければ今度こそ本当に改易の憂き目に遭うからだ。
「やはり、次男か、三男が継いだのか?」
新兵衛の弟が本田家を継いだのかと、家治は千穂に示唆した。
「御意…、されば末弟の清兵衛正章なる者が兄・新兵衛正久に替わりて本田家を…」
「末弟とな?」
「御意。されば清兵衛正章は何でも四男とのこと…、なれど兄…、長兄の新兵衛正久が追放刑に処せられし折には既に次男も三男も他家へと養子に…」
「いかさま…、四男であった清兵衛正章のみ実家に残っており、それゆえ清兵衛正章が本田家を継ぐことと相成ったわけか…」
「御意…」
「して、玉澤と長尾は…」
「されば叔父に当たりし清兵衛正章の養女に…」
千穂が表情を曇らせてそう答えたことから家治も漸くに、玉澤と長の姉妹を千穂は、
「苦労人…」
と評したのか薄々だが察しがつき始めた。
「されば叔父である、そして養父となりしそれな清兵衛正章と、玉澤と長尾の姉妹の仲は…」
「あまり良いようではなかったとのことにて…」
千穂は相変わらず表情を曇らせたままそう答え、それに対して家治は内心、「やはりな…」と呟いたものだった。
「いえ、正確には当初は…、玉澤と長尾の姉妹が叔父・清兵衛正章の養女となりし当初はそれ程、仲が悪かったわけではなく…、それどころか大層、大事にされ、親子仲はそれこそ睦まじく…」
「それは…、父を失いし玉澤と長尾に対する同情心からか?」
「それもあろうかと…、玉澤が申しますには…」
「それでは他に何があると?」
家治が首を傾げると、千穂は「下世話な話になりまするが…」と断りを入れてから答えた。
「されば家を…、本田家を継げましたることに対する感謝からではないかと…」
「感謝、とな?」
「御意…、されば清兵衛正章にしてみれば、兄・新兵衛正久のお蔭で…、と申しては皮肉になりましょうが、ともあれ本田家を継げることが叶い…」
「いかさま…、棚から牡丹餅というわけだの?」
家治は更に下世話な表現をしてみせたが、正しく事の本質を言い当てていた。
確かに、長兄にして嫡子であった新兵衛正久が不祥事を起こして追放刑に処せられたからこそ…、清兵衛正章からすれば、
「追放刑になってくれたからこそ…」
本来、嫡子の座とは大よそ無縁であった四男坊の己の許へとその嫡子の座が回ってきたのであった。これを棚から牡丹餅と言わずして何と言おうか。
父…、玉澤や長尾の姉妹にとっては祖父の市正正方は嫡子として期待していたに相違ないその新兵衛正久が不祥事をしでかし、あまつさえ追放刑に処せられたことに大いに憤慨したであろうが、しかし、そのお蔭で晴れて嫡子の座が回ってきた弟の清兵衛正章にしてみれば、父・市正正方とは違い、感謝の念しかないであろう。
それゆえその感謝の念から、兄・新兵衛正久の「忘れ形見とも言うべき玉澤と長尾の姉妹を清兵衛正章は当初は大事にしたに違いなく、そのような清兵衛正章の心理は家治にも大いに理解できた。
問題はそれがいつまでも続かなかったということだ。
「きっかけは…、養父である叔父・清兵衛正章とその養女となりし玉澤・長尾の姉妹の仲が悪くなり申しましたきっかけはやはり、清兵衛正章に実子が生まれ申しましたことでござりましょうか…」
養親に実子が生まれたために、それまで仲が良かった養子と仲が悪くなる…、これも良くあるケースと言えよう。
「されば清兵衛正章は長兄・新兵衛正久に替わる嫡子と定められし当初は実子に恵まれなかったと?」
「御意…、さればその事もあって、玉澤と長尾は養父となりし清兵衛正章から大事にされたものと…」
「さもあろう…」
「まぁ、齢も近かったためでもありましょうが…」
「何と?」
「清兵衛正章と、玉澤、長尾の姉妹が叔父と姪の間柄とは申せ、それはあくまで名目的なものにて…」
「実際には違う、と?」
「御意。されば兄妹のような間柄にて…、清兵衛正章が兄・新兵衛正久に替わって本田家の嫡子と定められし寛保2(1742)年の時点においては、清兵衛正章の齢は14、一方、玉澤と長尾の姉妹でござりまするが、玉澤の齢は12、長尾は11にて…」
「確かに…、千穂が申す通り、叔父と姪の間柄と申すよりは兄妹と申した方がしっくりくるのう…」
「御意。さればそれまでは…、嫡子と定められるまでの清兵衛正章は気楽な独り身にて…」
「部屋住の身ともあらばさもあろう…」
「御意。なれど、嫡子と定められし以上は…」
「気楽な独り身は許されぬと、さしずめ父・市正に縁談をすすめられたわけだな?」
「御意…」
御家の存続という観点から考えれば、市正正方の対応は当然のものであった。
「されば新兵衛正章は父、市正正方に命じられるままに、翌寛保3(1743)年に旗本の柴田日向守康闊の五女と結ばれ…」
「日向守…」
やはり家治はその官名に反応した。先ほどの「市正」とは違い、
「日向守…」
その官名はは国名ゆえ、つまりは従五位下諸大夫役に就いていたことの証と言えたからだ。
千穂もそうと察して、
「されば甲府勤番支配を勤めし柴田日向守にて…」
そう付け加えたのであった。すると家治は「ほう…」と感嘆した声を上げた。それもその筈、甲府勤番支配と言えば、遠国役人の頂点に位置するからだ。
甲府は左遷先として有名であり、俗に、「山流し」とも称されるものの、しかし、左遷された甲府勤番士を束ねる、
「甲府勤番支配…」
そのお役目は遠国役人の頂点であり、つまりは長崎奉行や京都町奉行、大坂町奉行よりも格上というわけで、当然、従五位下の諸大夫役であった。
当然、旗本ならば誰もが就くことができる「ポスト」というわけではなく、限られた「エリート」が就くことのできる「ポスト」であり、それゆえ家治はその甲府勤番支配に柴田日向守康闊が就いていたと知って、
「ほう…」
そう感嘆の声を上げたのであった。
「尤も、娘が本田家に…、清兵衛正章の許に嫁した当初は使番にて…」
使番は従五位下の諸大夫役ではないものの、しかし、目付と同様、従六位の布衣役であり、旗本にとっては目付、或いはこの使番が所謂、
「出世の登竜門」
と言えた。甲府勤番支配という重職に辿り着いた柴田康闊が使番を経ていたのも頷けた。
「さればその、柴田日向守康闊の娘は寛保3(1743)年、齢13にして清兵衛正章の許に…」
「寛保3(1743)年と申さば、清兵衛正章は15…、されば2つ年下というわけか?柴田日向の娘は…」
「御意…」
「されば…、玉澤と同い年というわけか?柴田日向の娘は…」
「御意…、さればその翌年…、延享元(1744)年、清兵衛正章は父・市正正方が身罷りしに伴い、遺跡を…、知行750石の本田家を継ぎましたとのこと…、それと時を同じくして、清兵衛正章は嫡男に恵まれ…」
「何と…、柴田日向の娘は齢14にして、清兵衛正章の子を…、それも男児を身篭ったと申すか…」
家治は驚きの声を上げた。いくら江戸時代でも早熟と言えよう。
「なれどそれから…」
「叔父と姪の間柄に…、清兵衛正章と、玉澤、長尾姉妹の間柄に、いや、兄妹の間柄に異変が生じたと申すのだな?」
家治が先回りしてそう尋ねると、千穂は「御意」と答えた。
さて、千穂に附属、それも年寄として仕える玉澤であるが、家治が思い出したように、玉澤の宿元は堤中納言こと、公卿の堤代長であった。
すると千穂は何か意味あり気な微笑みを浮かべつつ、「御意…」と答えるや、「されば玉澤の父にて…」と答えたのであった。
父が宿元…、それは「ポピュラー」と言えた。現代における宿元、もとい身元保証人にしてもそうだろう。
ともあれ、玉澤が、いや、玉澤と長尾の姉妹が公卿の堤代長の娘であれば、苦労人とは些か合点がいかぬ。
無論、公卿といっても所謂、
「ピンからキリまで…」
であり、中には「貧乏公卿」も存在し、そのような公卿の娘として生まれたならば、成程、千穂の言う通り、
「苦労人…」
との表現にも頷けるというものだが、さりながら堤代長はただの公卿ではない。歴とした、
「正二位・中納言」
その位にある。いや、玉澤や長尾の姉妹が生まれた当初はまだ、堤代長もその位にはなかったであろうが、それでも堤家と言えば公卿の中でも名家として知られ、そうであれば決して贅沢三昧の生活を送れたわけではないにしても、さりとて苦労したわけでもなかろう。
それゆえ家治は玉澤と長尾の姉妹を「苦労人」と形容する千穂のその言葉に合点がゆかなかったのである。
するとそうと察した千穂は漸くに「絵解き」をしてくれた。
「されば確かに、玉澤の宿元でござりまする堤中納言殿は玉澤の父なれど、正確には養父にて…」
それで家治も漸くに千穂が先ほど、意味あり気な微笑みを浮かべた理由に合点がいった。
「されば玉澤は…、玉澤と長尾の姉妹の実家は…」
家治は急かすようにして千穂を促した。
「されば玉澤は旗本の出自にて…」
「旗本の生まれとな?」
「御意…」
「して、具体的には?」
「されば知行750石の本田家にて…」
「ほんだ家…」
家治がそう復唱すると、千穂は本多ではなく本田であると補足した。
「ふむ…、なれどやはり…」
知行750石と言えば、上級旗本とは言えないが、しかし下級というわけでもない。強いて言うならば、「中の上」といったところか。つまりは、
「まぁまぁ」
の部類の旗本であり、やはり大層、恵まれた境遇というわけでもないが、さりとて貧乏というわけでもなかろう。つまりは「苦労人」のイメージからはやはりまだ程遠い。
「されば、玉澤と長尾の姉妹はその本田家の嫡子でありました新兵衛正久の娘として生まれ…」
そこで家治は、「嫡子であった、とな?」と聞き咎めた。
「御意…、されば寛保2(1742)年の6月頃に父・新兵衛が何か不束なる咎により追放に…」
「寛保2(1742)年と申さば、余はまだ5歳…」
「されば畏れ多くも八代様の御代にて…」
家治が知らないのも無理はない…、千穂はそう示唆した。
「それで本田家は…、いや、新兵衛正久なる者、確か嫡子とのことなれば、家には関わりなし、か?」
家治がそう先回りして尋ねるや、千穂は「御意」と答えた。
確かにその通りであり、これで仮に本田新兵衛正久が本田家の当主であったならば、当主が追放刑に処せられた時点で知行750石の本田家は改易と相成り、玉澤と長尾の姉妹は路頭に迷ったに違いない。
だが新兵衛が本田家の当主ではなく、嫡子であれば、本田家とは関わりなしということで、本田家は無事、安泰というものである。
「して本田家は…、玉澤と長尾の姉妹の実父であるその新兵衛正久なる者が嫡子の身であったならば、その当時の本田家の当主は新兵衛の父、玉澤と長尾にとりては祖父に当たりし者であったのであろうが…」
家治がそう勘を働かせるや、千穂はやはり「御意」と家治のその勘働きを首肯した上で、
「さればその当時の本田家の当主は玉澤と長尾の姉妹の祖父に当たりし、市正正方なる者にて…」
そう補足した。すると家治は、「市正とな?」と、諱である「正方」ではなく、
「市正」
という名の方に反応した。それも当然と言うべきであり、それと言うのも、
「市正」
は官名であるからだ。そして官名を名乗ることが許されるということは即ち、従六位の布衣役か、或いは更にその上の従五位下の諸大夫役のいずれかに就いていたことを物語っていた。
「畏れながら…、上様がご想像の通り、市正正方は布衣役にて…」
千穂は控え目に、正しく、
「おずおず…」
その表現が似合うように切り出した。将軍たる家治の考えを読み、先回りするような発言に対する断りのような気持ちからであった。
家治もそのような千穂の胸のうちが分かるだけに微笑みで答えると、
「されば、目付か?」
そう付け加えた。布衣役の「代名詞」はやはり何と言っても目付だからだ。
だが違った。
「いえ、それが…、月光院殿の用人にて…」
千穂は家治の言葉を否定する申し訳なさから、如何にも申し訳ない様子でそう応じたものであった。これに対しては家治は苦笑で応じたものだ。
「それにしても月光院殿の用人とは…、大奥に縁があったと言うべきか…」
家治はしみじみそう言い、それに対しては千穂も同意見だったようで、「御意…」と心底からそう応じたものだった。
「して、その後の本田家は…」
家治は千穂にその後の本田家について尋ねた。
新兵衛正久は嫡子であったことが幸いし、本田家は無事、安泰とは言え、いつまでも嫡子不在というわけにもゆくまい。嫡子に恵まれなければ今度こそ本当に改易の憂き目に遭うからだ。
「やはり、次男か、三男が継いだのか?」
新兵衛の弟が本田家を継いだのかと、家治は千穂に示唆した。
「御意…、されば末弟の清兵衛正章なる者が兄・新兵衛正久に替わりて本田家を…」
「末弟とな?」
「御意。されば清兵衛正章は何でも四男とのこと…、なれど兄…、長兄の新兵衛正久が追放刑に処せられし折には既に次男も三男も他家へと養子に…」
「いかさま…、四男であった清兵衛正章のみ実家に残っており、それゆえ清兵衛正章が本田家を継ぐことと相成ったわけか…」
「御意…」
「して、玉澤と長尾は…」
「されば叔父に当たりし清兵衛正章の養女に…」
千穂が表情を曇らせてそう答えたことから家治も漸くに、玉澤と長の姉妹を千穂は、
「苦労人…」
と評したのか薄々だが察しがつき始めた。
「されば叔父である、そして養父となりしそれな清兵衛正章と、玉澤と長尾の姉妹の仲は…」
「あまり良いようではなかったとのことにて…」
千穂は相変わらず表情を曇らせたままそう答え、それに対して家治は内心、「やはりな…」と呟いたものだった。
「いえ、正確には当初は…、玉澤と長尾の姉妹が叔父・清兵衛正章の養女となりし当初はそれ程、仲が悪かったわけではなく…、それどころか大層、大事にされ、親子仲はそれこそ睦まじく…」
「それは…、父を失いし玉澤と長尾に対する同情心からか?」
「それもあろうかと…、玉澤が申しますには…」
「それでは他に何があると?」
家治が首を傾げると、千穂は「下世話な話になりまするが…」と断りを入れてから答えた。
「されば家を…、本田家を継げましたることに対する感謝からではないかと…」
「感謝、とな?」
「御意…、されば清兵衛正章にしてみれば、兄・新兵衛正久のお蔭で…、と申しては皮肉になりましょうが、ともあれ本田家を継げることが叶い…」
「いかさま…、棚から牡丹餅というわけだの?」
家治は更に下世話な表現をしてみせたが、正しく事の本質を言い当てていた。
確かに、長兄にして嫡子であった新兵衛正久が不祥事を起こして追放刑に処せられたからこそ…、清兵衛正章からすれば、
「追放刑になってくれたからこそ…」
本来、嫡子の座とは大よそ無縁であった四男坊の己の許へとその嫡子の座が回ってきたのであった。これを棚から牡丹餅と言わずして何と言おうか。
父…、玉澤や長尾の姉妹にとっては祖父の市正正方は嫡子として期待していたに相違ないその新兵衛正久が不祥事をしでかし、あまつさえ追放刑に処せられたことに大いに憤慨したであろうが、しかし、そのお蔭で晴れて嫡子の座が回ってきた弟の清兵衛正章にしてみれば、父・市正正方とは違い、感謝の念しかないであろう。
それゆえその感謝の念から、兄・新兵衛正久の「忘れ形見とも言うべき玉澤と長尾の姉妹を清兵衛正章は当初は大事にしたに違いなく、そのような清兵衛正章の心理は家治にも大いに理解できた。
問題はそれがいつまでも続かなかったということだ。
「きっかけは…、養父である叔父・清兵衛正章とその養女となりし玉澤・長尾の姉妹の仲が悪くなり申しましたきっかけはやはり、清兵衛正章に実子が生まれ申しましたことでござりましょうか…」
養親に実子が生まれたために、それまで仲が良かった養子と仲が悪くなる…、これも良くあるケースと言えよう。
「されば清兵衛正章は長兄・新兵衛正久に替わる嫡子と定められし当初は実子に恵まれなかったと?」
「御意…、さればその事もあって、玉澤と長尾は養父となりし清兵衛正章から大事にされたものと…」
「さもあろう…」
「まぁ、齢も近かったためでもありましょうが…」
「何と?」
「清兵衛正章と、玉澤、長尾の姉妹が叔父と姪の間柄とは申せ、それはあくまで名目的なものにて…」
「実際には違う、と?」
「御意。されば兄妹のような間柄にて…、清兵衛正章が兄・新兵衛正久に替わって本田家の嫡子と定められし寛保2(1742)年の時点においては、清兵衛正章の齢は14、一方、玉澤と長尾の姉妹でござりまするが、玉澤の齢は12、長尾は11にて…」
「確かに…、千穂が申す通り、叔父と姪の間柄と申すよりは兄妹と申した方がしっくりくるのう…」
「御意。さればそれまでは…、嫡子と定められるまでの清兵衛正章は気楽な独り身にて…」
「部屋住の身ともあらばさもあろう…」
「御意。なれど、嫡子と定められし以上は…」
「気楽な独り身は許されぬと、さしずめ父・市正に縁談をすすめられたわけだな?」
「御意…」
御家の存続という観点から考えれば、市正正方の対応は当然のものであった。
「されば新兵衛正章は父、市正正方に命じられるままに、翌寛保3(1743)年に旗本の柴田日向守康闊の五女と結ばれ…」
「日向守…」
やはり家治はその官名に反応した。先ほどの「市正」とは違い、
「日向守…」
その官名はは国名ゆえ、つまりは従五位下諸大夫役に就いていたことの証と言えたからだ。
千穂もそうと察して、
「されば甲府勤番支配を勤めし柴田日向守にて…」
そう付け加えたのであった。すると家治は「ほう…」と感嘆した声を上げた。それもその筈、甲府勤番支配と言えば、遠国役人の頂点に位置するからだ。
甲府は左遷先として有名であり、俗に、「山流し」とも称されるものの、しかし、左遷された甲府勤番士を束ねる、
「甲府勤番支配…」
そのお役目は遠国役人の頂点であり、つまりは長崎奉行や京都町奉行、大坂町奉行よりも格上というわけで、当然、従五位下の諸大夫役であった。
当然、旗本ならば誰もが就くことができる「ポスト」というわけではなく、限られた「エリート」が就くことのできる「ポスト」であり、それゆえ家治はその甲府勤番支配に柴田日向守康闊が就いていたと知って、
「ほう…」
そう感嘆の声を上げたのであった。
「尤も、娘が本田家に…、清兵衛正章の許に嫁した当初は使番にて…」
使番は従五位下の諸大夫役ではないものの、しかし、目付と同様、従六位の布衣役であり、旗本にとっては目付、或いはこの使番が所謂、
「出世の登竜門」
と言えた。甲府勤番支配という重職に辿り着いた柴田康闊が使番を経ていたのも頷けた。
「さればその、柴田日向守康闊の娘は寛保3(1743)年、齢13にして清兵衛正章の許に…」
「寛保3(1743)年と申さば、清兵衛正章は15…、されば2つ年下というわけか?柴田日向の娘は…」
「御意…」
「されば…、玉澤と同い年というわけか?柴田日向の娘は…」
「御意…、さればその翌年…、延享元(1744)年、清兵衛正章は父・市正正方が身罷りしに伴い、遺跡を…、知行750石の本田家を継ぎましたとのこと…、それと時を同じくして、清兵衛正章は嫡男に恵まれ…」
「何と…、柴田日向の娘は齢14にして、清兵衛正章の子を…、それも男児を身篭ったと申すか…」
家治は驚きの声を上げた。いくら江戸時代でも早熟と言えよう。
「なれどそれから…」
「叔父と姪の間柄に…、清兵衛正章と、玉澤、長尾姉妹の間柄に、いや、兄妹の間柄に異変が生じたと申すのだな?」
家治が先回りしてそう尋ねると、千穂は「御意」と答えた。
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この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
四代目 豊臣秀勝
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アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
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