盗みから始まる異類婚姻譚

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46. 捨てられた奴隷

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「…え…?」

 自身への提案に、リュカは戸惑いの声を漏らした。
 彼の前には、不機嫌を顔全面に押し出す蘇芳と彼とは対照的にへらへらと笑う琥珀が並んで座っている。

「だからね?人間ちゃんには、バトーの奴隷と一緒に過ごして欲しいんだ。奴隷の警戒心を解いて、彼の持ってる情報を引き出してくれないかな~?」
「…そ、んなこと言われても、俺、自分以外の人間と話したことない」
「まあまあ、そんな固いこと言わずに。俺ら鬼だと、取って食われるんじゃないかって怯えちゃってさ~。でも人間ちゃんとなら、同じ種族同士さ、打ち解けやすいと思うんだよね~。いやね?考えたんだよ、中には優しい鬼もいるよ~って思わせようかなって。掌返して、情に訴えれば懐柔できんじゃないかって。でもさ、あれだけ散々拷問した奴等が急に優しくなったら気味悪いし、何か裏があるんじゃないかって余計身構えるだろ?そこで人間ちゃんに白羽の矢が立った訳だ。人間にも関わらず、鬼一族に嫁入りした人間ちゃんの言葉なら、あの奴隷も耳を貸すんじゃないかってね~」

 翌日、昼を迎える直前に赤鬼の後について訪問してきた黄鬼は、こうして喋りまくっている。琥珀は早口で一方的に自分の主張を述べ、言葉をはさむ余地すら与えようとしない。少年は反応に困ってしまい、助けを求めるかのように無意識に蘇芳に視線を移した。

「琥珀、やっぱ俺は気が進まねえ」
「蘇芳、親父も了承済みなんだぜ。決定事項。やんなきゃなんねえの。でなきゃ、もう壊して廃棄するしかねえからさ~」

 壊す。廃棄する。
 物騒な言葉を軽い調子で口にする黄鬼に、背筋に冷たいものが走った。生物に対して使うような言葉ではない。やはり、異形にとって人間は代替のきく物としか思ってないのだ。

「危ねえだろ。限界まで追い詰められたあの人間が、一矢報いようとコイツに襲い掛かるかもしれねえ。隙をついて逃げ出す可能性だってある」

 蘇芳は苦虫を嚙み潰したかのように顔をしかめている。彼は明らかにこの案に不満らしい。だが、それでも強く抗議しないのは、一族の頭領である黒鳶が容認したからなのだろう。

「だーいじょうぶだって。手枷と足枷は外さねえし、俺らは階下で待機して、外にも見張りを置く。そんな態勢下で逃げられるもんならやってみろって感じ」
「…はあ、分かった」
「マジ?じゃ、早速青藍に声かけて連れて来てもらうわ」

 首に腕を回して肩を抱き寄せる琥珀の手をやんわりと払いながら、蘇芳は諦めた様子で重い溜息を吐いた。蘇芳の許可も得た黄鬼は喜び勇んで部屋を飛び出した。
 まるで嵐のように一連のことがあっという間に決まってしまった。尚も苦い顔の赤鬼はぐいと茶を飲み干している。

「…俺、自信ない」

 茶飲みを両手で包みこみ、透き通った緑色の液体を見下ろしながら、少年はぽつりと呟いた。

「…無理に情報を引き出そうとしなくていい」
「え…、でも」

 赤鬼は少年の隣に腰かけると、誰かに聞かれるのを警戒しているのか、声を落として言った。彼の言葉に一瞬安堵するものの、それではまずいのではないかと不安が大きくなる。

「あれだけ拷問を受けてもまだ口を割らねえのは、本当に何も知らねえからだ。皆薄々気づき始めてる」
「じゃあ何で、まだ諦めないんだ…?」
「プライドが許さねえからだ。いとも簡単に人間の侵入を許して、かつ何の情報も得られなかったなんざ、一族の面子に関わる。けど、もう他に手立てが無いんだろうな。馬鹿にしてる人間のリュカの手を借りたいってのがその証拠だ」

 蘇芳は短く鼻を鳴らして嘲笑った。

「…一時間でいい。一時間、あの奴隷といろ。今セキシがリュカとあの奴隷二人分の食事を用意してるから、一緒に食え。会話はしてもしなくてもいい」
「会話しなくていい…って、そんな訳にはいかないんじゃないのか?情報を引き出せなかったら、俺責められるじゃん…」
「ハッ。リュカを責める前に、拷問でも情報を引き出せなかった自分達が責められてしかるべきだろ。まァ正直なところ、自分達でも駄目だったのに、自分よりも下等だと見下してる奴が尋問に成功する方が嫌だと思うだろうけどな。プライドの高い面倒くせえ奴ばっかだから」

 本当に面倒だと少年は思った。高いプライドと強いエゴでがんじがらめで、生きにくくないのだろうか。
 無意識に顔をしかめていたからか、くつくつと喉を鳴らして笑う赤鬼に頭を撫でられる。

「俺は階下にいる。何かあれば叫べ。すぐに駆けつける。俺がやった短刀はちゃんと持ってるよな?」

 リュカは力強く頷き、胸元に手を当てた。いつも通り、懐に短刀を忍ばせている。
 階下から琥珀の声と戸を開ける音がした。赤鬼が立ち上がり、出迎えるために障子を開く。彼の後ろに立ち、階段を昇る音を耳にしながら、少年は緊張で体がこわばるのを感じていた。最後に奴隷の少年を見たのは、もう何日も前だ。拷問を受けた姿は見るも無残に違いない。そう考えると胃がきゅうと締めつけられた。

「…ッ」

 青藍の後に続いて現れた少年に、リュカは小さく息を呑んだ。酷い姿なのだろうと想定して身構えてはいたが、実際目にすると予想以上だった。ほぼ全身を包帯で巻かれ、露出している皮膚は赤黒く焼けただれている。治療と言うよりも、死なせない程度に応急処置をしたように思えた。その上から着物を着せられているが、血がにじんでいるのがわかった。首、両手首、両足首の分厚い鉄の枷には鎖がつけられ、青藍の手中に繋がっている。木の枝のように細い足を引きずるようにして歩き、風が吹いただけでも倒れてしまいそうだった。
 長い間肉体的責苦を受けていたからか、顔には何の表情も浮かんでいない。瞬きさえ、注意深く見ていないとしているのか分からない程に動きが緩慢だ。まるで生きた屍のようだった。
 青藍は鎖を全て束ねると、両手で握った。瞬間、青い炎が生まれ、燃え上がる。ぎょっとしたが、一瞬の後に鎖は全てなくなっていた。だが枷のせいで腕を上げたり、走ったりはできないようだった。

「じゃあ、人間ちゃん!よろしくね~」

 にこやかに笑みを浮かべる琥珀が、ひらひらと手を振る。青藍は何か言いたげな視線を送ってきたが、何も言わずに部屋を出て行った。

「すぐにセキシが飯を持って来る」

 そう言い残した蘇芳もいなくなり、部屋に二人きりだ。静寂が部屋を包む。まるで人形のように、その場に突っ立って微動だにしない少年に、リュカはゆっくりと近づいた。座椅子に座るよう促すが、反応はない。視線は一点をみすえたままだ。

「え、っと…手、触るからな?」

 怖がらせないように声をかけ、そっと腕に触れる。瞬間、奴隷少年の体がびくついたが、リュカは何度も声をかけ、彼を自分のお気に入りの座椅子に座らせた。痩ぎすの体に負担がかからないよう、ふわふわのクッションをありったけ敷き詰めてやる。蘇芳がいつも使っている座椅子に自分も腰を落ち着けたタイミングでセキシが入ってきた。リュカと少年の前に御膳を運ぶ。薬味を散らした卵粥に、新香や葉物野菜の和え物などどれも消化に良いものばかりが乗せられている。今日のご飯も文句なしにうまそうだった。

「お口に合うとよろしいのですが…。何かありましたら、気軽にお呼びくださいね」

 リュカがお礼を言うと、セキシは優しく笑みを浮かべた。再び二人きりになると、リュカはいたただきますと両手を合わせ、レンゲを手に取った。だが、奴隷はじっと御膳を見つめたまま動かない。

「セキシの料理、すげーうまいんだ!熱いうちに食べようぜ」

 彼の分のレンゲを手に取り、ぐいと突き出す。一向に受け取ろうとしない彼に少し焦れる。

「毒なんか入ってない。普通の粥だよ。ほら、俺が食ったって何ともない」

 リュカはレンゲで彼の分のお粥を掬い、食べた。鶏のだしがきいた優しい味に既に頬が落ちそうになり、無意識にうまいと声が出る。彼の手にレンゲをねじこもうとして、そこではっとした。指の骨を全て折られていて、全く力が入らないのだと。数分前の自分の行動に後悔しつつ、リュカは粥を掬ったレンゲを口元へと運んだ。

「本当にうまいんだ。少しでいいから食べてみてくれ。お願い」

 懇願の末、わずかに開かれた口に粥を流し入れる。少年はゆっくりと時間をかけて咀嚼し、やがて飲み込んだ。

「な、うまいだろ?」

 身を乗り出して問いかければ、ようやく少年の目がリュカの方に向いた。しばし見つめ合い、奴隷の少年は同意するように頷いた。やっと反応が返ってきて、リュカは嬉しくなった。笑みを隠せない。じゃあもう一口!と差し出せば、先程よりも大きく口が開かれて、リュカの心は喜びにあふれた。
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