地獄0丁目

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18 衝突

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「陛下、失礼を承知の上でお聞きしますが、…ヴィカを抱いたのですか」

 ツヴェーテに続いて彼の寝室に入るなり、オンデゥルウェイスは口を開いた。扉の側で控えたまま、主人の姿を目で追う。

「オンデゥルウェイス、そのような顔をヴィカの前でするなよ。怖がるぞ」
「陛下、茶化さないでください。私は真剣に…」

 揶揄われているのだとはわかりつつも、オンデゥルウェイスはさりげなく眉間に寄った皺を指で伸ばした。

「お前らしからぬ、下衆で直接的な質問だな」

 ツヴェーテはいつもみたく口角を上げて、オンデゥルウェイスに視線を向けたまま寝巻きを脱いだ。上等な布地がふわりと落ちる。主の視線にいたたまれず、オンデゥルウェイスは下を向いて、床に敷かれた絨毯の模様を見つめた。
 自分らしくないのは十分に理解していた。寝巻き姿のツヴェーテが、ヴィカを押し倒して馬乗りになっている光景を見たからだ。驚愕と当惑のあまり、あの瞬間思考が停止した。今も戸惑いが収まらず、胸の中で心臓が大きく拍動している。

「心配するな、抱いていない」

 あのような貧弱な体をどうこうしようと思う程、俺は鬼畜ではない、と上衣に袖を通しながら、ツヴェーテは喉を鳴らして笑った。

「まだ、な」

 ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、呟かれた言葉にオンデゥルウェイスは目を剥いた。普段の冷静さを取り戻そうと、咳払いをして呼吸を整える。

「では何故、ヴィカの寝台に寝巻き姿でいたのです」
「何だ、今日は質問ばかりだな」

 ツヴェーテは煩わしそうに前髪をかき上げた。だが、まあ良いと、ヴィカと同衾した経緯を話した。
 少年が悪夢に苦しんでいたことを知り、オンデゥルウェイスの胸は痛んだ。

「…陛下はヴィカをどのように思っているのですか」

 部屋を出ようと扉に近づくツヴェーテの行く手を阻むかのように、オンデゥルウェイスは彼の前に立った。

「オンデゥルウェイス、退け」
「陛下は、彼を伴侶とする気なのですね?」

 オンデゥルウェイスは、地獄王とあの少年が親しい間柄になるのを、快く思ってはいなかった。
 突然現れた、オッドアイの瞳の少年。地獄では、オッドアイは圧倒的な力の象徴。
 過去の例を鑑みれば、ヴィカも強大な力を有していると考えるのは普通だ。かつて金と黒の眼を持った、槍の名手ドロトワが女王カーリーンの伴侶となったように、言うまでもなくヴィカがツヴェーテの伴侶となるだろう。並外れた力を持つ者同士の間で子供が生まれれば、その子供もまた弩級の能力を有する可能性があるからだ。幸い、地獄の世界では性別・種族に関係なく、婚姻関係にあれば問題なく子供をもうけることが出来る。
 ツヴェーテは質問に答えずに、黙ってオンデゥルウェイスの視線を受け止めている。宰相はそれを肯定だとみなした。

「それは、力の有無如何に関わらずですか?」

 王は今でこそ少年に対し、細かい点にまで注意を払っている。それはヴィカに力があると考えてのことだろう。しかし万が一、ヴィカが何の力も持っていなかったとしたらどうなる?元は人間だ。その可能性は十分考えられる。
 その場合、王はヴィカを切り捨てるのではないか。そうなれば彼の心は、今度こそ修復不可能なレベルにまで砕けてしまうのではないか。
 少年の過去を己のことのように追体験したオンデゥルウェイスは、それを危惧していた。
 だからこそ最悪のケースを免れようと、必要以上に二人の距離が縮まることがないよう注意してきたつもりだった。だが、今朝目にした光景に己の努力は足りなかったのだと思い知らされた。

「お前には関係の無いことだ」

 突き放すかのような物言いに、カッと頭に血がのぼる。確かに関係ないと言われればそれまでだ。だが少年がいかに凄惨な人生を歩んできたかを知っている身としては、彼がこれ以上不幸になるのを指を咥えて見ているわけにはいかない。
 ヴィカは幸せになるべきだ。幸せになる権利がある。

「もし……もしヴィカに力が無いと判明した場合、切り捨てるのであれば」

 オンデゥルウェイスはゆっくりと息を吐くと、きつく拳を握った。主人の琥珀の瞳を真正面から見据える。

「私にください。私が彼を幸せにします」
「何だと…?」

 ツヴェーテの額に青筋が浮かぶ。蜂蜜のような色の瞳が鋭い光を帯び、瞳孔が縦に細く収縮している。

「黙って聞いていれば、さっきから勝手なことをベラベラと…」

 地を這うような声と共に、ゆらりと腕が伸ばされる。不味いと思って避けようとするも時既に遅く、オンデゥルウェイスは襟首を掴まれ、壁に叩きつけられていた。その衝撃で一瞬、オンデゥルウェイスの呼吸が止まる。大きな音を耳にするのと同時に、壁が崩れて自分の体が埋まるのがわかった。

「オンデゥルウェイス、一体誰に向かって生意気な口をきいている」

 痛みに顔を歪めながらも、宰相は爛々と怒りに燃える眼を毅然とした態度で見つめ返す。王の体から放たれる圧力に屈することなく、オンデゥルウェイスは口を開いた。

「彼の人生に責任を持てないのであれば、これ以上過剰な接触はお止めください。期待が大きければ大きい程、それを失った時のダメージは甚大なものとなります」

 ツヴェーテの額には、青筋が浮かんでいた。室内の空気が、より一層重く苦しいものになった。オンデゥルウェイスはなるべく平静を保とうと、細く息を吐く。

「お前は、ヴィカが悪夢に苛まれていることも、そのせいで眠れずいることも知らなかった。そうだな?そんなお前が責任を持ってヴィカを幸せに出来るとでも?ハッ、笑わせてくれる」

 痛い所を突いてくる。紛れも無い事実に反論できない。だからと言って退くつもりは毛頭無い。
 二人は言葉を発さずに、互いを睨みつけていた。

「陛下ー、失礼するわよー…って、ちょーっと修羅場かしらー…?」

 ノック音が響いて間も無く、ジェシカの場にそぐわない声が響いた。

「ヴィカちゃん、出直しましょうか」

 その言葉を耳にして、二人の視線が互いから逸れる。ジェシカの背後から、ヴィカが顔をのぞかせていた。ジェシカが部屋から出るように促すも、少年はその場から動かない。

「…け、ケンカ…?」

 心配そうに眉尻を垂らすヴィカの姿を目の当たりにして、ツヴェーテはオンデゥルウェイスの襟首から手を離した。

「いや、少し戯れていただけだ。それよりもヴィカ、良く似合っているな」

 表情を軟化させたツヴェーテがヴィカに近寄る。先程までの息が詰まるような重々しい雰囲気は、すっかりなくなっていた。

「ジェシカさんの作ってくれた服、何も着てないみたいに軽くて、肌触りもすごくいいんだ!」

 ヴィカの顔に笑みが浮かぶのを、オンデゥルウェイスは乱れた襟を整えながら目にした。
 ヴィカは、緑味が強い青の上衣と、青紫の下衣を身につけていた。上下ともに薄い色味で、少年の柔らかな雰囲気に合い、瞳の色をより引き立てていた。

「ジェシカ、流石だな」
「でしょう、でしょう?ヴィカちゃんの可愛さがより際立っていて、我ながら素晴らしい出来だと思っているの」

 うっとりとした表情のジェシカがヴィカを背後から抱きしめ、彼に頬擦りをする。少年は恥ずかしそうにしていたが、満更でもない様子でそれを受けていた。
 紫と水色の瞳がこちらを向く。

「えと、ウェイス…どう、かな…?」
「似合っていますよ、とても」

 途端、彼の顔が嬉し気に綻ぶ。不意に向けられた笑みに、オンデゥルウェイスは、己の心臓が一際強く鼓動を打つのを感じた。

「ほら、ヴィカちゃん、陛下にお願いすることあるでしょう?」
「う、うん」

 ジェシカに促されて、ヴィカが意を決したように口を開く。

「この世界のこと教えてくださいっ!」
「この世界のことを…?」
「私と色々話してて、何も知らないってことに気がついて、興味を持ったのよね」

 目を丸くする王に、少年はこくりと頷いた。

「私が教えます」

 主君が何か答える前に、オンデゥルウェイスは彼の前に歩み出た。構いませんよね、という意味を込めて王を振り返る。ツヴェーテは片眉を吊り上げたが、それ以上は何も言わなかった。それを了承と受け取って、オンデゥルウェイスはヴィカに向き合った。

「うん!お願いします!」

 ヴィカはにこりと笑むと、深く頭を下げた。
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