十五年分のただいま

なの

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第2話:強引な同居生活

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「とにかく、俺の言うことを聞いてくれ!」

地面に膝をついたままの格好で、一楓は光希のズボンの裾に手を伸ばす。

その姿は、まるで悲劇のヒロインのように大げさで、しかし本気だった。光希はそれをバレリーナのように軽やかなステップでひらりとかわし、心の底から冷え切った声を放った。

「離してください。見苦しいですよ」

「見苦しくたっていい!俺はお前と一緒に暮らすためなら、プライドなんて犬にでも食わせてやる!」

「その情熱は、もっと別のことに使うべきだと思いますけど」

一楓はむくりと立ち上がると、今度はどこからともなく自信を取り戻し、キザな笑みを浮かべて胸を張った。数秒前の絶望が嘘のようなその切り替えの早さに、光希は本気でこの男の情緒を心配し始めた。

「光希。君の未来は、すべて僕が保証する。中野のアパートも、コンビニの仕事も、何もかも心配いらない。君はただ、僕の隣で笑っていてくれればいいんだ」

キラリ、と効果音がつきそうなウィンクまで飛ばしてくる。その完璧なまでの胡散臭さに、光希はもはや感心すら覚えた。

「……詐欺師の口上にしか聞こえませんね」

「さ、詐欺師!?」

再びガラスのように砕け散る一楓の自信。その精神の脆さに、光希は静かに距離を取った。

「とにかく!まずは車に乗ってくれ!話はそれからだ!」

半ばヤケクソになった一楓は、高級車の後部座席のドアを勢いよく開ける。
しかし、焦りで力加減を間違えたのか、ドアの縁が施設の年季の入ったコンクリート塀に「メコッ」と鈍い音を立ててめり込んだ。

「あ!」

一瞬にして顔面蒼白になる一楓。

「だ、大丈夫だ!今のは気のせいだ!傷じゃない、ちょっと埃が……」

必死で取り繕いながら、高級ブランドのハンカチで凹んだ箇所をこする姿は、あまりにも滑稽だった。光希はしっかりとその一部始終を目に焼き付け、今日一番深いため息をつく。

「……もういいです。俺、バスで駅まで行きますから」

「待ってくれ~~光希ぃ!」

踵を返して歩き出す光希の腕を、今度は一楓が骨が軋むほどの力で掴む。
その手は、真剣さゆえか、少し震えていた。

「お願いだ。十五年……俺は、お前を迎えに行くことだけを考えて生きてきたんだ。この車も、これから帰る家も、全部お前のためなんだ」

先ほどまでのコメディタッチの言動とは違う、切実な響き。光希は思わず足を止めた。目の前の男の瞳が、本気で泣きそうに揺れている。その瞳の奥に、遠い記憶の中の、泣き虫だった自分をあやす優しい誰かの面影が、一瞬だけ重なった気がした。

「……あなたの都合ですよね、それ」

それでも、光希は突き放すように言った。人に頼ること、期待することに慣れていない彼にとって、一楓の過剰なまでの好意は、理解不能な重荷でしかなかった。

「俺の都合が、お前の都合になるんだ!これから!」

一楓は狂気じみた理論を叫びながら、光希が抱えていたリュックをひったくるように奪った。

「うわっ!」

「さあ、乗れ!これはもう決定事項だ!」 

「いや、だから人の話を……!」

有無を言わさず、一楓は光希を革張りの後部座席に押し込み、自身も運転席に滑り込む。そして、まるで誘拐犯のようにエンジンを吹かし、急発進させた。

「シートベルト、ちゃんとしろよ!」

「するわけないでしょ、こんな状況で!」

「そこはちゃんとしろよ!安全第一だろ!」

「だったらまず車を停めてください!」

しばらくそんな不毛な言い争いが続いた後、光希は言い返すのに疲れ、押し黙った。すると今度は、一楓が堰を切ったように昔話を語り始める。

「お前、小さい頃はピーマンが嫌いでさ。おばさんに頼んでみじん切りにしてハンバーグにいれたんだ。でも……ピーマンの緑色でバレちゃって、結局、俺がケチャップで顔を描いてやったら、美味しいって全部食べたんだぞ」

「……」

「あと、よく俺のTシャツの裾を掴んで昼寝してた。離すとすぐ起きちゃうから、俺も一緒に昼寝して、夜眠れなかったこともあったな。だから小遣い貯めて、あのぬいぐるみを買ったのに……そうか、もう……ないのか」

「…………」

光希は窓の外の景色を眺めながら、胸の奥に生まれる微かな違和感を押し殺した。

――何かを知っている気がする。でも思い出せない。
あの懐かしい温もり、柔らかい声……

その言葉の一つ一つが、固く閉ざした記憶の扉を、錆びついた蝶番を軋ませながら少しずつこじ開けていくような奇妙な感覚があった。

車はのどかな郊外を抜け、やがて光を遮る無機質なビル群へと吸い込まれていく。それはまるで、自分の意思とは関係なく、未来が塗り替えられていくようで、光希は小さく唇を噛んだ。

やがて車は、都心にそびえ立つタワーマンションの広大な地下駐車場へと滑り込んだ。

「着いたぞ、光希。ここが、俺たちの新しい家だ」

一楓に促され、高速エレベーターに乗り込む。最上階のボタンが押され、息を呑むほどの速さで上昇していく。やがて軽やかな音とともにドアが開いた瞬間、目の前に広がったのは、ホテルのロイヤルスイートと見間違うほどの空間だった。

玄関ホールだけで、施設で暮らしていた自分の部屋がすっぽり収まりそうだ。視線の先には床から天井まで切り取られたガラス窓があり、その向こうに広がる東京の街並みは、現実感を失ってまるでCGのように輝いていた。

光希は、呆然と立ち尽くした。

「……本当に、一人暮らし、なんですか?」

「ああ。まあな」

一楓は少し照れくさそうに頭を掻きながら、誇らしげに胸を張った。

「あの日から十五年。光希を迎えに行って、一緒に暮らすことだけを目標に、死ぬ気で、頑張ってきたんだ」

その言葉に嘘はないのだろう。学生時代は猛勉強し、社会に出てからは脇目も振らずに働いたに違いない。あまりのスケールの大きさと、十五年という執念にも似た時間の重みに、光希は言葉を失った。

「さあ、上がってくれ」

玄関で靴を脱ぎながら、一楓が振り返って微笑む。その笑顔は、どこか得意げで、それでいて少しだけ不安そうだった。

光希はしばらく躊躇った後、すべての抵抗が無意味だと悟ったかのように、小さなため息を一つついて、覚悟を決めたように一歩、その部屋に足を踏み入れた。

「……おじゃま、します」

その呟きは、再会を祝うにはあまりに素っ気なく、けれど一楓にとっては、十五年間待ち続けた「ただいま」への、確かな第一歩に聞こえた。

彼は光希に気づかれないよう、唇を噛みしめ、込み上げる涙を必死にこらえた。

こうして、強引で、ちぐはぐで、少しだけ切ない同居生活が幕を開けたのだった。




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