【完結】この契約に愛なんてないはずだった

なの

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この手を離さない

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翔太が、重い足取りでマンションに帰宅したのは、夜も更け始めた頃だった。

ドアを開けるとリビングには温かい光が灯っており、怜司が静かにソファに腰掛けていた。彼は本を読んでいたようだが、翔太の気配を察してすぐに顔を上げる。その姿を見た瞬間、張り詰めていた翔太の心の糸が、じわりと緩んでいくのを感じた。

「……ただいま」

そのか細い声に、怜司は静かに立ち上がった。

「遅かったな」

責めるでもなく、ただ事実だけを告げるその一言に、翔太はふっと肩の力を抜いた。この人は、きっともう気づいている。

「……あなたの親族の人に、呼び出された」

怜司の表情が、わずかに険しくなる。

「……叔父か?」

翔太はこくりと頷いた。

「いろいろ言われたよ。俺が、あんたの隣にいる資格はないって。あんたの未来を潰す存在だって。
ふさわしくないって遠回しに、はっきりと。……でもね、俺は……もう決めたんだ。簡単には離れてやらないって」

怜司はしばらく無言のまま翔太を見つめていた。その瞳には、驚きと、痛みと、そして何よりも深い愛情の色が浮かんでいた。やがて彼は静かに翔太の前まで歩み寄ると、その震える肩を抱きしめたい衝動を抑えるかのように、強く拳を握った。

「……すまない、翔太。君を俺の世界の醜い部分に巻き込んでいる自覚はある。俺がどんな立場にいるのか、君が一番よく分かってしまったな」

「……怜司」

「けれど、だからと言って、誰にも君を手放す気はない」

その言葉に、翔太の胸が熱く、そして痛いほどに締めつけられた。怜司はまっすぐ翔太の目を見て、はっきりと、一語一語を刻みつけるように続けた。

「明日、一族の臨時理事会が開かれる。そこで、正式に君を俺のパートナーとして認めると宣言する」

翔太の目が見開かれる。

「それって……本気で、言ってるの?」

「本気だ。……俺にとって、君を守ることは、もはや単なる恋愛感情などではない。俺の人生、そのものだ」

翔太の目に、熱いものがじわりと浮かぶ。

「でも、絶対に反発されるんじゃないの?怜司の立場が……鷹城の次期当主っていう、あんたの未来が……」

「その覚悟はもうできている。俺が背負うべき責任がどれほど重いものであっても、それを理由に、君の尊厳を犠牲にすることなど断じて許さない」

怜司はそっと翔太の手を取った。冷え切っていた翔太の指先に、彼の確かな体温が伝わってくる。

「翔太、お前の存在が、俺を強くした。臆病で、ただ家の言いなりになるだけだった俺に、初めて抗う力をくれた。今なら、何が来ても戦えると思える」

その手の温もりに、翔太はこくんと頷いた。溢れそうになる涙を、必死に堪える。

「俺も、信じてる。……怜司となら、きっと、どんなことでも乗り越えられるって」

その夜、二人はどちらからともなく手を繋いだまま、言葉少なに心の繋がりを感じながら、静かに寄り添っていた。

***

翌日。
鷹城怜司は、重厚なマホガニーの扉の向こうに立っていた。鷹城一族の重鎮たちが顔を揃える、巨大な円卓が置かれた会議室。その空気は、冷たく重く、まるで裁きの場のような非情な緊張感を孕んでいる。

「怜司、今回の件について、我々に説明を求める。我が鷹城家の後継者として、一体どういうつもりだ?」

上座に座る叔父、鷹城貴文が、鋭い視線で口火を切った。
怜司は、その視線を真っ向から受け止め、迷いなく、真正面を見据えた。

「本日、皆様に正式にご報告すべきことがあります。私、鷹城怜司は、朝倉翔太と番関係を結び、今後、人生を共に生きていく覚悟を固めました」

一瞬、場が水を打ったように静まり返った。
次の瞬間、堰を切ったように、重苦しいざわめきが部屋中に広がる。

「よりによって、あんな出自も知れぬ劣等オメガを……」
「あの子では、鷹城の嫁としての役目は到底果たせない。怜司には荷が重すぎる」
「我々は、君の個人的な感情に、一族の未来を付き合わせるつもりはないぞ。社の信用問題にも関わる。君は一体、何を考えているのか!」

次々に浴びせられる、侮蔑と非難の言葉。しかし、怜司は一歩も引かない。その背筋は、鋼のように真っ直ぐに伸びていた。

「もしこの家に、愛する人間を自ら選ぶ自由すら許されないというのなら、俺はその家そのものの在り方を疑います。翔太は、私にとってただのオメガではない。私の人生の、唯一無二のパートナーです」

その言葉は、鷹城家という巨大な権威と伝統に対する、明確な宣戦布告に等しかった。
その揺るがぬ意志と、アルファとしての圧倒的な覇気が、場の空気を少しずつ変えていく。
やがて、一族の中でも最も古株である老人が、静かに口を開いた。

「……どうしてもオメガでなければならぬと言うのなら、こちらで相応しい家柄の者を選んでやろう。だが、あの子では困る」
「まさか、本気であの子と添い遂げるつもりか?戯れも度が過ぎるというものだ」
「……ならば、見せてもらおうか。その覚悟とやらを。我々を納得させられるだけの結果を、お前が示せるかどうかをな」

それは、承諾ではなかった。冷徹な、試練の宣告だった。

***

重苦しい会議室を後にした怜司は、外に出て、大きく息を吸い込んだ。そして、スマホを取り出すと、震える指で、ただ一人の人間へとメッセージを送った。

〈翔太、全部伝えた。もう、隠しごとは何もない〉

そのメッセージを送った瞬間、彼の心の中には、嵐の前の静けさと、不思議なほどの清々しさがあった。
敵は、あまりにも大きい。だが、もう一人ではない。
翔太が待つあの場所へ。自分には、真っすぐに、迷いなく帰れる場所がある。
それだけで、どんな困難にも立ち向かえる気がした。


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