婚約破棄された瞬間、不人気の呪いが解けてモテモテに!?

夏乃みのり

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ハァ、ハァ、ハァ……!

私は夜風を切って走っていた。

ドレスの裾をたくし上げ、裸足で王宮の中庭を疾走する。

背後から騒がしい声が聞こえてくるが、振り返る余裕はない。

「待ってくれリーフィー嬢!」

「僕の実験台ー!」

「リーフィー! 俺が悪かったから戻ってこーい!」

男たちの叫び声が、物理的にも精神的にも重い。

特に最後の一人。

どの口が言っているのか。

私は庭木の茂みを華麗に飛び越え、裏門へと続く砂利道に着地した。

痛くない。

やはり体が軽い。

以前の私なら、コルセットに締め付けられた体でこんな動きをすれば、即座に酸欠で倒れていただろう。

(これが、呪いが解けた私……!)

感動している場合ではない。

早く馬車を見つけなければ。

私は裏門の待機所へと急いだ。

そこには、各家の馬車がずらりと並んでいる。

御者たちが集まって賭け事をしたり、煙草を吸ったりしている中、我がバーベナ侯爵家の紋章が入った馬車を見つけた。

「ハンス!」

私は馴染みの御者の名前を呼んだ。

老齢の御者ハンスは、のんびりとパイプを吹かしていたが、私の声に顔を上げた。

「おや、もうお帰りですかお嬢……様?」

ハンスがポカンと口を開け、私を凝視する。

そして、キョロキョロと周囲を見回した。

「あの、どちら様で?」

「リーフィーよ! 貴方の主の娘!」

「へっ? いやいや、ご冗談を。うちのお嬢様はもっとこう、眉間に皺が寄っていて、全体的にどんよりとしたオーラを……」

「それは呪いのせいだったの! いいから早く扉を開けて! 追っ手が来るわ!」

「追っ手!? もしかして泥棒ですか!? 衛兵ーーッ!」

「違うわよ!」

私は強引にハンスの胸ぐらを掴み(自分でも驚くほどの腕力だった)、顔を近づけた。

「よく見て! この目! この泣きぼくろ! 私でしょ!?」

ハンスは目を白黒させながら、まじまじと私の顔を見た。

「あ……ああーっ! 言われてみれば、その気の強そうな目つき! 間違いねぇ!」

「褒めてないわねそれ!」

「し、しかしお嬢様、なんとまぁ美しくなられて……。整形魔法でも失敗しましたか?」

「成功したと思っておきなさい! とにかく出して! 屋敷へ!」

「は、はいっ!」

ハンスが慌てて馬車の扉を開ける。

私は転がり込むように乗り込んだ。

「急いで! 全速力よ!」

「御意!」

鞭の音が響き、馬車が急発進する。

車窓から、王宮の灯りが遠ざかっていくのを見て、私はようやく安堵の息を吐いた。

「はぁ……。死ぬかと思った……」

ふかふかのシートに身を沈める。

心臓が早鐘を打っている。

婚約破棄を突きつけられ、呪いが解け、求婚され、逃亡する。

これだけの出来事が、わずか一時間の間に起きたのだ。

キャパシティオーバーもいいところだ。

「……でも」

私は窓ガラスに映る自分の顔を見た。

夜の闇を背景に、ぼんやりと映るその顔は、確かに私だが、私ではないようだった。

肌は陶器のように白く、瞳は宝石のように輝き、以前のような陰鬱さは微塵もない。

これが、本当の私。

「……悪くないわね」

口元が自然と綻ぶ。

アラン殿下には感謝しなければならないかもしれない。

彼が愚かだったおかげで、私は自由と美貌を取り戻したのだから。

「ふふっ」

馬車の揺れに身を任せながら、私は久しぶりに心の底から笑った。

***

一方その頃、王宮の大広間。

主役(リーフィー)が去った後の会場は、異様な空気に包まれていた。

「行ってしまわれた……」

「まるで風のようだったな」

「女神が天に帰ってしまったようだ……」

貴族の男たちが、放心状態で出口を見つめている。

その中心で、二人の男が仁王立ちしていた。

「逃げ足まで速いとは。やはり彼女の身体能力は素晴らしい」

ジェラルドが腕組みをして、満足げに頷く。

「照れている姿も可愛らしかったですねぇ。これは攻略しがいがある」

サイラスが眼鏡の位置を直しながら、不敵に笑う。

二人は顔を見合わせると、バチバチと火花を散らした。

「サイラス。先ほども言ったが、彼女は私の獲物だ。邪魔をするなよ」

「おやおや。彼女は『どちらも選ばない』と言っていましたよ? つまり、スタートラインは同じだ」

「フン。武人の妻には武人が相応しい。魔導師のような軟弱な男に、彼女の相手が務まるものか」

「脳筋には彼女の知性は理解できませんよ。……まあいいでしょう。どちらが彼女の心を射止めるか、勝負ですね」

二人が勝手に盛り上がっている横で、完全に蚊帳の外に置かれた人物がいた。

アランである。

彼は呆然と立ち尽くしたまま、事態を飲み込めずにいた。

「な、なんだ……? どういうことだ……?」

自分の婚約者だった女が、急に絶世の美女になり、国の英雄二人に求婚され、そして逃げた。

「……はっ! そうか!」

アランがポンと手を打った。

その顔に、安堵と納得の表情が浮かぶ。

「わかったぞ! リーフィーのやつ、恥ずかしかったんだな!」

「は?」

隣でハンカチを噛み締めていたミナが、素っ頓狂な声を出す。

「だってそうだろう? 急にあんなに綺麗になって、注目を浴びて……。元々地味な女だったから、耐えられなかったに違いない」

アランは自信満々に続ける。

「それに、俺に捨てられたショックもあったはずだ。強がっていたが、内心では傷ついていたんだろう。だから、俺の顔を見るのが辛くて逃げ出したんだ」

「……」

周囲の貴族たちが、憐れみの目でアランを見る。

もはや「バカ殿下」という視線ですらなく、「可哀想な人」を見る目だ。

しかし、アランの勘違いは止まらない。

「まったく、可愛いところがあるじゃないか。あんな美人になるなら、最初からそう言えばいいものを」

アランは髪をかき上げ、ニヤリと笑った。

「よし。明日にでも迎えに行ってやるか。婚約破棄は撤回してやるとな。泣いて喜ぶだろう」

その言葉に、会場の空気が凍りついた。

ジェラルドがゆっくりと振り返る。

「……殿下。耳がお悪いのですか?」

低い、地を這うような声。

「彼女は『謹んでお受けします』と言いましたよ? そして『嫌悪の呪い』は貴方が贈った指輪のせいだとも」

「うっ……。そ、それは、誤解が解ければなんとかなる!」

「なりませんね」

サイラスが冷たく言い放つ。

「分析結果が出ましたよ。あの指輪の呪い、解ける条件は『心からの愛の喪失』と『絶縁の言葉』だったようです」

「なっ……!?」

「つまり、貴方が『婚約破棄する』と叫び、彼女が貴方への情を完全に断ち切ったからこそ、呪いが解けたのです。皮肉な話ですねぇ。貴方の愛が嘘だったことが、彼女を解放する鍵だったとは」

「そ、そんな……」

アランが青ざめる。

「つまり、彼女はもう貴方に1ミリも関心がないということです。復縁? 寝言は寝てから仰ってください」

サイラスの辛辣な言葉に、アランは膝から崩れ落ちた。

「う、嘘だ……。リーフィーは俺のことが好きだったはず……」

「アラン様ぁ!」

そこでようやく、ミナが金切り声を上げてアランに詰め寄った。

「何言ってるのよ! リーフィーのことなんかどうでもいいでしょ!? 私と結婚するんでしょ!?」

「う、うるさいな! 今それどころじゃ……」

「ひどい! 私が一番だって言ったじゃない! あの女が綺麗になったからって掌返すの!? 最低!」

ミナがアランの胸をポカポカと叩く。

しかし、以前なら「可愛い」と思えたその仕草も、今のリーフィーを見た後では、ただのヒステリーにしか見えなかった。

「……ミナ。少し静かにしてくれ」

「なによ! アラン様のバカ! 甲斐性なし!」

ギャーギャーと喚く二人。

ジェラルドは深い溜息をついた。

「……行くぞ、サイラス。これ以上、この茶番を見ていると知能が下がりそうだ」

「同感ですね。さっさと帰って、彼女へのプレゼントでも選ぶとしましょう」

二人は踵を返し、アランたちに見向きもせずに歩き出した。

それに続くように、他の貴族たちもぞろぞろと会場を去り始める。

「さあ、帰ろうか」

「明日はバーベナ侯爵邸に行かなくては」

「私も釣書を書こう」

誰もアランとミナに挨拶をしない。

かつてちやほやされていた第一王子と、その愛人は、広いホールに二人きりで取り残された。

「……くそっ」

アランは床を殴りつけた。

「なんでだ……。なんでこうなったんだ……」

後悔と未練。

しかし、彼が失ったものの大きさには、まだ気づいていなかった。

リーフィーという優秀な補佐役を失った彼が、これから王位継承争いでどのような末路を辿るのか。

それはまた、別の話である。



バーベナ侯爵邸。

馬車が屋敷の前に到着した。

「着きましたぜ、お嬢様!」

ハンスの声に、私は勢いよく扉を開けて飛び降りた。

「ありがとうハンス! お父様にはうまく言っておいて!」

「へいへい。……って、お嬢様! 靴! 靴履いてない!」

「いいのよこれくらい!」

私は芝生の上を駆け抜け、屋敷の玄関へと飛び込んだ。

執事やメイドたちが「えっ、誰?」という顔で私を見るのを無視して、階段を駆け上がる。

自室に飛び込み、ベッドにダイブした。

「あーーーーーーっ!」

枕に顔を埋めて叫ぶ。

終わった。

いや、始まったのか?

どっちでもいい。

とりあえず今は、この静寂が愛しい。

「……寝よう」

今日はもう何も考えたくない。

私はドレスのまま毛布にくるまり、泥のように眠りに落ちた。

しかし。

翌朝、その静寂が「嵐の前の静けさ」だったことを、私は思い知ることになる。

窓の外では、すでに私の噂を聞きつけた男たちの馬車が、長蛇の列を作り始めていたのだった。
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