悪役令嬢の婚約破棄は先回り。断罪の時間も惜しいですわ。

夏乃みのり

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「……それで殿下。まだそこにいらっしゃるおつもり? 
私の計算では、あなたがそこに突っ立っているだけで、この部屋の二酸化炭素濃度が〇・〇三パーセント上昇しているわ」

レーンはティーカップを置き、冷徹な眼差しをアリスティードに向けた。

「ひどくないか!? はるばる王都から馬を飛ばして、不眠不休で追いかけてきた婚約者に対する第一声がそれか!」

「不眠不休。それこそが無駄の極みね。
適切な睡眠をとらないことで脳のパフォーマンスは低下し、判断ミスを招く。
その結果、あなたは私の足取りを追うのに予定より二日も余計に時間をかけた。
……あぁ、思い出すだけで私の頭痛の種が増えるわ」

「違うんだ、レーン! 遅れたのは私のせいじゃない! 
途中の村で、君が残した『爪痕』のせいで足止めを食らったんだ!」

アリスティードが必死に弁解すると、後ろに控えていた騎士のカイルが深く頷いた。

「左様です、レーン様。
我々が最初に立ち寄った村では、村人が全員、涙を流しながら水路を拝んでいたのですよ。
『爆速の女神様が、三代にわたる水不足を一瞬で解決してくださった』と」

「……あぁ、あの詰まっていた水路のこと? 
あれは流体力学の基礎を無視した設計だったから、石の位置を三つ動かしただけよ。
三十分の作業で今後百年の水利権争いが消えるなら、安い投資でしょう?」

「三十分で百年の争いを終わらせるなよ……」

アリスティードが顔を覆う。

「それだけではありませんわ、レーン様!」

シャロンが鼻息を荒くして身を乗り出した。

「次の町では、市場の配置が劇的に変わっていました! 
『謎の美女が三枚の図面を置いていってから、客の動線が最適化され、売り上げが五割増しになった』と、商人たちがあなたの銅像を建てようとしていましたわ!」

「あれは単なる確率論と心理学の応用よ。
入り口に高い商品を置くなんて、購買意欲の減退を招くだけだもの。
配置を変えれば売り上げが上がるのは自明の理だわ。……銅像? 
そんな不毛な石材の無駄遣い、今すぐ止めさせてきなさい」

レーンは心底迷惑そうに溜息をついた。

「レーン様、極めつけは国境付近の宿場町です」

カイルが震える声で続けた。

「宿屋の主人が『予約管理システム』なるものを導入しておりました。
あなたが木板に彫ったというその表のおかげで、部屋の回転率が三倍になり、
清掃スタッフの移動距離が半分になったそうです。
主人は『あの方はきっと、天から遣わされた管理の天使だ』と……」

「ただの表計算よ。暗算でできることを紙に書き出しただけ。
なぜ皆、そんな当たり前のことに感動するのかしら? 
この国の教育水準に、私は深刻な危機感を覚えるわ」

アリスティードは、レーンの淡々とした説明を聞きながら、己の愚かさを痛感していた。

「……レーン。君にとっては『当たり前』のことかもしれない。
でも、君が去った後の王都は、その『当たり前』ができなくてパニックなんだ。
君が道すがら解決していった問題は、普通の人間が一生かけても解決できないことばかりなんだよ」

「それは、皆が『感情』や『伝統』という名の非効率に縛られているからよ」

レーンは窓の外、自らが整え終えた完璧な庭を見つめた。

「『今までこうだったから』という理由で、穴の開いたバケツで水を汲み続ける。
そんな生き方を強要される場所に、私が戻る理由があると思う?」

「……ないな。正直、君の立場なら私も戻りたくない」

「殿下!? 説得しに来たんじゃないんですか!」

カイルの突っ込みを無視して、アリスティードはレーンの前に膝をついた。

「だが、レーン。私は君を『便利な道具』として連れ戻したいんじゃない。
君がいないこの数日間、私はずっと考えていたんだ。
なぜ私は、君に厳しいことばかり言っていたのかを」

「分析結果は出たのかしら?」

「……君が完璧すぎて、怖かったんだ。
君の隣にいると、自分の無能さが浮き彫りになる。
だから、君を『冷酷だ』と決めつけることで、自分を守ろうとしていた。
最低な男だよ、私は」

レーンは少しだけ目を見開いた。

「……。
感情論にしては、なかなかの自己分析ね。
誤差は三パーセント以内といったところかしら」

「戻ってくれとは言わない。
ただ、君がこの森で進めている『効率化』を、私の手伝いで少しでも加速させられないだろうか」

「殿下!? 王位継承権はどうするんですか!」

「そんなもの、レーンの作業効率に比べれば誤差みたいなものだ!」

アリスティードのまさかの発言に、ログハウス内は静まり返った。

「……殿下。あなたが私の作業を手伝う? 
私の計算によれば、あなたの習熟度では私の足を引っ張る確率が九十八パーセントよ」

「残りの二パーセントにかけてくれ! 
私は君の隣で、この世界の無駄を削ぎ落としていく様を見ていたいんだ!」

レーンは、必死な形相の王太子をじっと見つめ、それからアンに視線を送った。

「アン。予備の斧と、計算尺を持ってきなさい。
……殿下。明日の朝六時から、裏山の斜面のテラス状開墾を始めます。
一秒でも遅れたら、即刻、国外追放よ」

「あぁ! やらせてくれ!」

こうして、王太子と元婚約者、そしてそのファンクラブ(?)による、
森の中の「超効率的共同生活」が幕を開けることになった。

それは、レーンにとっても、計算外の「温かさ」という非効率が混じり始めた瞬間でもあった。
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