9 / 28
9
しおりを挟む
「……遅いわね、殿下。予定より三秒遅刻よ」
森の朝。ログハウスの前に立つレーンは、ストップウォッチを手にアリスティードを睨みつけた。
「三秒くらい勘弁してくれ! これでも騎士団の朝練より早く起きたんだ!」
「その三秒で、開墾予定地の土壌から酸素がどれだけ逃げると思っているのかしら?
さあ、言い訳をする時間はさらに無駄よ。このクワを持ちなさい」
アリスティードは渡されたクワの重さに顔をしかめた。
その後ろでは、シャロンが「レーン様とお揃いの作業着ですわ!」と、なぜか自作の(無駄にフリルがついた)エプロンを締めて気合を入れている。
そこへ、森の入り口から遠慮がちな声が響いた。
「あの……『爆速の賢者様』はいらっしゃいますでしょうか……?」
現れたのは、先日レーンが立ち寄った村の老人だった。
「あら、ジャック。昨日のアドバイス通り、水車の軸受けに油は差したのかしら?」
「はい! おかげさまで、村の製粉効率が劇的に上がりました!
今日はそのお礼に……これを」
老人が差し出したのは、カゴいっぱいの泥がついたジャガイモだった。
「お礼? いらないわ。私は自分の滞在環境を整えるために知恵を貸しただけ。
それをわざわざここまで運んでくる労力とカロリーを、次の収穫に回しなさい」
相変わらずの塩対応に、アリスティードはハラハラしながら見守る。
(やっぱり冷たいな……せっかくお礼に来てくれたのに)
だが、老人は慣れた様子で苦笑いした。
「ははは、相変わらずですな。
でも賢者様、あんたがあの日、『あんたの歩き方は非効率だ、膝の角度が五度足りない』って罵倒してくれたおかげで……」
「罵倒ではなく、歩行メカニズムの修正案を提示しただけよ」
「そのおかげで、長年痛んでいたワシの腰が、すっかり良くなったんです。
医者に見せても治らなかったのに、あんたに『無駄な動き!』と一喝されただけでな」
レーンはフン、と鼻を鳴らした。
「それは、あなたが重心を右にかけすぎて、靴底の減り方が不均等だったからよ。
それを放置して将来的に歩けなくなれば、村の労働力が一人分失われる。
それは私にとって、非常に寝覚めが悪い『計算ミス』になるの。……さあ、わかったら帰りなさい」
老人はジャガイモを無理やりアンに押し付けると、何度も頭を下げて去っていった。
その様子を見ていたアリスティードが、ぽつりと呟いた。
「……レーン。お前、もしかして王都でもそうだったのか?」
「何がかしら?」
「ほら、領民の訴えを『話が長い!』と一蹴していただろう?
あの時、私はお前をなんて冷酷な女だと思ったが……」
「実際、彼らの話は非効率の極みだわ。
『おばあちゃんの体調が悪くて、でも昨日見た夢が不吉で……』なんて前置きは不要よ。
要点は『薬の配分を間違えた』ということだけだった。
だから私は、話を遮って正しい処方箋を三秒で書いただけよ」
アリスティードは衝撃を受けた。
「つまり……お前は彼らを助けるために、あえて冷たく接して時間を短縮していたのか?」
「助ける? 違うわ。
苦しんでいる時間を一秒でも短くして、一秒でも早く生産活動に戻ってもらう。
それが社会全体にとっての『最大幸福』でしょう?
泣き言を聞いてやるのは、その場しのぎの感情的満足に過ぎないわ」
「お嬢様は照れてるんですよ」
アンが横からクスクスと笑いながら口を挟む。
「アン、余計な分析は不要よ。解雇するわよ」
「おー、怖い。でも殿下、お嬢様は王都にいた頃から、こっそり孤児院の予算表を書き直して、
『無駄な寄付金』を『子供たちの職業訓練費用』に転換させていたんですよ」
「寄付金なんて、もらう側の自立心を損なう非効率なシステムだもの。
手に職をつけさせたほうが、将来的な納税額が上がる。ただの投資よ」
レーンはそっぽを向いて、クワを地面に突き立てた。
アリスティードは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
自分が「冷酷だ」と避けていた彼女の言葉の裏側には、
誰よりもシビアに、それでいて誰よりも確実に「人を救う」ための論理があったのだ。
「……レーン。私は本当に、お前のことを何も見ていなかったんだな」
「今更の反省ね。
そんなことに脳の計算資源を使っている暇があったら、そこの土を耕しなさい。
私の計算では、あなたの筋肉量ならあと十分でこの区画が終わるはずよ」
「……あぁ、やってやるよ! 効率的に、な!」
アリスティードが必死にクワを振るう横で、レーンは少しだけ、本当に少しだけ、口角を上げた。
「殿下、腰の角度が三度高いわよ。無駄な負荷がかかっているわ」
「はい! 指導お願いします、レーン先生!」
森の中に、今までになかった「賑やかな非効率」が響き渡る。
それはレーンの計算機のような心に、少しずつ未知の数値を書き込んでいくのだった。
森の朝。ログハウスの前に立つレーンは、ストップウォッチを手にアリスティードを睨みつけた。
「三秒くらい勘弁してくれ! これでも騎士団の朝練より早く起きたんだ!」
「その三秒で、開墾予定地の土壌から酸素がどれだけ逃げると思っているのかしら?
さあ、言い訳をする時間はさらに無駄よ。このクワを持ちなさい」
アリスティードは渡されたクワの重さに顔をしかめた。
その後ろでは、シャロンが「レーン様とお揃いの作業着ですわ!」と、なぜか自作の(無駄にフリルがついた)エプロンを締めて気合を入れている。
そこへ、森の入り口から遠慮がちな声が響いた。
「あの……『爆速の賢者様』はいらっしゃいますでしょうか……?」
現れたのは、先日レーンが立ち寄った村の老人だった。
「あら、ジャック。昨日のアドバイス通り、水車の軸受けに油は差したのかしら?」
「はい! おかげさまで、村の製粉効率が劇的に上がりました!
今日はそのお礼に……これを」
老人が差し出したのは、カゴいっぱいの泥がついたジャガイモだった。
「お礼? いらないわ。私は自分の滞在環境を整えるために知恵を貸しただけ。
それをわざわざここまで運んでくる労力とカロリーを、次の収穫に回しなさい」
相変わらずの塩対応に、アリスティードはハラハラしながら見守る。
(やっぱり冷たいな……せっかくお礼に来てくれたのに)
だが、老人は慣れた様子で苦笑いした。
「ははは、相変わらずですな。
でも賢者様、あんたがあの日、『あんたの歩き方は非効率だ、膝の角度が五度足りない』って罵倒してくれたおかげで……」
「罵倒ではなく、歩行メカニズムの修正案を提示しただけよ」
「そのおかげで、長年痛んでいたワシの腰が、すっかり良くなったんです。
医者に見せても治らなかったのに、あんたに『無駄な動き!』と一喝されただけでな」
レーンはフン、と鼻を鳴らした。
「それは、あなたが重心を右にかけすぎて、靴底の減り方が不均等だったからよ。
それを放置して将来的に歩けなくなれば、村の労働力が一人分失われる。
それは私にとって、非常に寝覚めが悪い『計算ミス』になるの。……さあ、わかったら帰りなさい」
老人はジャガイモを無理やりアンに押し付けると、何度も頭を下げて去っていった。
その様子を見ていたアリスティードが、ぽつりと呟いた。
「……レーン。お前、もしかして王都でもそうだったのか?」
「何がかしら?」
「ほら、領民の訴えを『話が長い!』と一蹴していただろう?
あの時、私はお前をなんて冷酷な女だと思ったが……」
「実際、彼らの話は非効率の極みだわ。
『おばあちゃんの体調が悪くて、でも昨日見た夢が不吉で……』なんて前置きは不要よ。
要点は『薬の配分を間違えた』ということだけだった。
だから私は、話を遮って正しい処方箋を三秒で書いただけよ」
アリスティードは衝撃を受けた。
「つまり……お前は彼らを助けるために、あえて冷たく接して時間を短縮していたのか?」
「助ける? 違うわ。
苦しんでいる時間を一秒でも短くして、一秒でも早く生産活動に戻ってもらう。
それが社会全体にとっての『最大幸福』でしょう?
泣き言を聞いてやるのは、その場しのぎの感情的満足に過ぎないわ」
「お嬢様は照れてるんですよ」
アンが横からクスクスと笑いながら口を挟む。
「アン、余計な分析は不要よ。解雇するわよ」
「おー、怖い。でも殿下、お嬢様は王都にいた頃から、こっそり孤児院の予算表を書き直して、
『無駄な寄付金』を『子供たちの職業訓練費用』に転換させていたんですよ」
「寄付金なんて、もらう側の自立心を損なう非効率なシステムだもの。
手に職をつけさせたほうが、将来的な納税額が上がる。ただの投資よ」
レーンはそっぽを向いて、クワを地面に突き立てた。
アリスティードは、胸の奥が熱くなるのを感じた。
自分が「冷酷だ」と避けていた彼女の言葉の裏側には、
誰よりもシビアに、それでいて誰よりも確実に「人を救う」ための論理があったのだ。
「……レーン。私は本当に、お前のことを何も見ていなかったんだな」
「今更の反省ね。
そんなことに脳の計算資源を使っている暇があったら、そこの土を耕しなさい。
私の計算では、あなたの筋肉量ならあと十分でこの区画が終わるはずよ」
「……あぁ、やってやるよ! 効率的に、な!」
アリスティードが必死にクワを振るう横で、レーンは少しだけ、本当に少しだけ、口角を上げた。
「殿下、腰の角度が三度高いわよ。無駄な負荷がかかっているわ」
「はい! 指導お願いします、レーン先生!」
森の中に、今までになかった「賑やかな非効率」が響き渡る。
それはレーンの計算機のような心に、少しずつ未知の数値を書き込んでいくのだった。
1
あなたにおすすめの小説
お飾り王妃の死後~王の後悔~
ましゅぺちーの
恋愛
ウィルベルト王国の王レオンと王妃フランチェスカは白い結婚である。
王が愛するのは愛妾であるフレイアただ一人。
ウィルベルト王国では周知の事実だった。
しかしある日王妃フランチェスカが自ら命を絶ってしまう。
最後に王宛てに残された手紙を読み王は後悔に苛まれる。
小説家になろう様にも投稿しています。
親切なミザリー
みるみる
恋愛
第一王子アポロの婚約者ミザリーは、「親切なミザリー」としてまわりから慕われていました。
ところが、子爵家令嬢のアリスと偶然出会ってしまったアポロはアリスを好きになってしまい、ミザリーを蔑ろにするようになりました。アポロだけでなく、アポロのまわりの友人達もアリスを慕うようになりました。
ミザリーはアリスに嫉妬し、様々な嫌がらせをアリスにする様になりました。
こうしてミザリーは、いつしか親切なミザリーから悪女ミザリーへと変貌したのでした。
‥ですが、ミザリーの突然の死後、何故か再びミザリーの評価は上がり、「親切なミザリー」として人々に慕われるようになり、ミザリーが死後海に投げ落とされたという崖の上には沢山の花が、毎日絶やされる事なく人々により捧げられ続けるのでした。
※不定期更新です。
始まりはよくある婚約破棄のように
喜楽直人
恋愛
「ミリア・ファネス公爵令嬢! 婚約者として10年も長きに渡り傍にいたが、もう我慢ならない! 父上に何度も相談した。母上からも考え直せと言われた。しかし、僕はもう決めたんだ。ミリア、キミとの婚約は今日で終わりだ!」
学園の卒業パーティで、第二王子がその婚約者の名前を呼んで叫び、周囲は固唾を呑んでその成り行きを見守った。
ポンコツ王子から一方的な溺愛を受ける真面目令嬢が涙目になりながらも立ち向い、けれども少しずつ絆されていくお話。
第一章「婚約者編」
第二章「お見合い編(過去)」
第三章「結婚編」
第四章「出産・育児編」
第五章「ミリアの知らないオレファンの過去編」連載開始
恋人に夢中な婚約者に一泡吹かせてやりたかっただけ
棗
恋愛
伯爵令嬢ラフレーズ=ベリーシュは、王国の王太子ヒンメルの婚約者。
王家の忠臣と名高い父を持ち、更に隣国の姫を母に持つが故に結ばれた完全なる政略結婚。
長年の片思い相手であり、婚約者であるヒンメルの隣には常に恋人の公爵令嬢がいる。
婚約者には愛を示さず、恋人に夢中な彼にいつか捨てられるくらいなら、こちらも恋人を作って一泡吹かせてやろうと友達の羊の精霊メリー君の妙案を受けて実行することに。
ラフレーズが恋人役を頼んだのは、人外の魔術師・魔王公爵と名高い王国最強の男――クイーン=ホーエンハイム。
濡れた色香を放つクイーンからの、本気か嘘かも分からない行動に涙目になっていると恋人に夢中だった王太子が……。
※小説家になろう・カクヨム様にも公開しています
弁えすぎた令嬢
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
元公爵令嬢のコロネ・ワッサンモフは、今は市井の食堂の2階に住む平民暮らしをしている。彼女が父親を亡くしてからの爵位は、叔父(父親の弟)が管理してくれていた。
彼女には亡き父親の決めた婚約者がいたのだが、叔父の娘が彼を好きだと言う。
彼女は思った。
(今の公爵は叔父なのだから、その娘がこの家を継ぐ方が良いのではないか)と。
今後は彼らの世話にならず、一人で生きていくことにしよう。そんな気持ちで家を出たコロネだった。
小説家になろうさん、カクヨムさんにも載せています。
悪役令嬢は永眠しました
詩海猫(8/29書籍発売)
ファンタジー
「お前のような女との婚約は破棄だっ、ロザリンダ・ラクシエル!だがお前のような女でも使い道はある、ジルデ公との縁談を調えてやった!感謝して公との間に沢山の子を産むがいい!」
長年の婚約者であった王太子のこの言葉に気を失った公爵令嬢・ロザリンダ。
だが、次に目覚めた時のロザリンダの魂は別人だった。
ロザリンダとして目覚めた木の葉サツキは、ロザリンダの意識がショックのあまり永遠の眠りについてしまったことを知り、「なぜロザリンダはこんなに努力してるのに周りはクズばっかりなの?まかせてロザリンダ!きっちりお返ししてあげるからね!」
*思いつきでプロットなしで書き始めましたが結末は決めています。暗い展開の話を書いているとメンタルにもろに影響して生活に支障が出ることに気付きました。定期的に強気主人公を暴れさせないと(?)書き続けるのは不可能なようなのでメンタル状態に合わせて書けるものから書いていくことにします、ご了承下さいm(_ _)m
知らぬはヒロインだけ
ネコフク
恋愛
「クエス様好きです!」婚約者が隣にいるのに告白する令嬢に唖然とするシスティアとクエスフィール。
告白してきた令嬢アリサは見目の良い高位貴族の子息ばかり粉をかけて回っていると有名な人物だった。
しかも「イベント」「システム」など訳が分からない事を言っているらしい。
そう、アリサは転生者。ここが乙女ゲームの世界で自分はヒロインだと思っている。
しかし彼女は知らない。他にも転生者がいることを。
※不定期連載です。毎日投稿する時もあれば日が開く事もあります。
【完結】この運命を受け入れましょうか
なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」
自らの夫であるルーク陛下の言葉。
それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。
「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。
みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。
これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。
前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。
ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。
◇◇◇◇◇
設定は甘め。
不安のない、さっくり読める物語を目指してます。
良ければ読んでくだされば、嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる