婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「待て! 待ちやがれぇぇぇ!!」

夜会の会場を出て、私たちがエントランスホールを歩いていると、背後から騒々しい足音が追いかけてきた。

振り返るまでもない。

あの往生際の悪い元婚約者、ロベルト殿下だ。

そして、その少し後ろを、ヒールの音をカツカツと鳴らしながらリリィ嬢もついてくる。

「……しつこいな」

レオニード様が眉をひそめる。

「魔獣でも、一度追い払えば学習して逃げるぞ」

「彼らは魔獣以下の知能しか持ち合わせていないのかもしれませんわ。……無視して行きましょう」

私たちは歩調を緩めずに進んだ。

しかし、殿下は全力疾走で回り込み、私たちの前に立ちはだかった。

「はぁ、はぁ……! 逃がさんぞ、エーミール!」

殿下は肩で息をしながら、私を、そしてレオニード様を睨みつけた。

「認めん……! 俺は認めんぞ! あんなふざけた請求書も、婚約破棄もだ!」

「合意書にサインなさいましたよ?」

「あれは脅されたからだ! 無効だ!」

殿下は駄々っ子のように地団駄を踏んだ。

「だいたい、おかしいだろう! なんであの『呪われた熊』が、こんないい男になっているんだ! 魔法か!? 幻覚か!?」

殿下がレオニード様を指差して叫ぶ。

「詐欺だ! こんなの詐欺だぞ! 俺だって、こんなイケメンだと知っていたら……いや、関係ないが!」

「殿下、落ち着いてください」

私は冷ややかな視線を送った。

「これは魔法でも詐欺でもありません。……『愛』と『プロテイン』の力です」

「ぷ、プロテイン……?」

「ええ。適切な栄養管理と、心のケア。そして何より、彼自身のポテンシャルの高さです」

私はレオニード様の腕に手を添えた。

「あなたは彼の外見(と筋肉)を恐れ、中身を見ようとしませんでした。私は見ました。ただそれだけの違いです」

「ぐぬぬ……!」

殿下が言葉に詰まる。

その時だった。

「……あのぉ」

殿下の後ろから、リリィ嬢がおずおずと顔を出した。

彼女の視線は、ロベルト殿下ではなく、レオニード様に釘付けになっていた。

その瞳が、獲物を狙うハンターのようにギラついているのを、私は見逃さなかった。

(……来たわね)

私は心の中で警戒レベルを引き上げた。

リリィ嬢のようなタイプは、「他人の持っている良い物」が欲しくなる習性がある。

ましてや、今のレオニード様は、見た目よし、家柄よし、資産よし(私が管理中)の超優良物件だ。

借金まみれのロベルト殿下と比べて、どちらが「お得」か、彼女の計算高い脳みそなら一瞬で弾き出すだろう。

「レオニード様……でしたわよね?」

リリィ嬢が、猫なで声でレオニード様に近づく。

「先日は……その、失礼いたしました。私、あなたがこんなに素敵な方だなんて知らなくて……」

彼女は上目遣いで、胸元を強調するポーズをとる。

「私、怖かったんですぅ。急にキュウリを出されて……。でも、今なら分かります。あれはあなたの優しさだったんですね?」

「……あ、ああ。まあ、そうだが」

レオニード様が戸惑って後ずさる。

リリィ嬢は、その距離を詰める。

「私、誤解していました。……ねえ、レオニード様。私とお話ししませんか? ロベルト様は怒ってばかりで怖いですの。私、慰めてほしいな……なんて」

出た。

必殺技『私は可哀想な子だから守ってアピール』だ。

ロベルト殿下なら、これでイチコロだっただろう。

殿下も「おいリリィ、何をしている?」と呆気に取られている。

リリィ嬢は無視して、さらにレオニード様に擦り寄ろうとした。

「キャッ! 足が……!」

彼女はわざとらしく躓くフリをして、レオニード様の胸に倒れ込もうとした。

ベタだ。

あまりにもベタすぎる展開。

普通なら、紳士が支えて、「大丈夫かい?」とロマンスが始まるところだ。

だが。

レオニード様の反応は違った。

シュバッ!!

彼は目にも止まらぬ速さで、横にステップを踏み、リリィ嬢を回避した。

「……!?」

支えを失ったリリィ嬢は、そのままの勢いで石畳の床にダイブした。

ベシャッ!!

「い、痛ぁぁぁい!?」

リリィ嬢が無様に這いつくばる。

「な、なんで避けるんですかぁ!?」

彼女が涙目で抗議すると、レオニード様は真顔で答えた。

「すまない。……敵襲かと思った」

「て、敵襲……!?」

「不自然な動きで接近してきたからな。暗器(隠し武器)でも持っているのかと警戒してしまった」

「持ってませんわよ! 愛を持っていたんです!」

「愛? ……殺気の間違いじゃないか?」

レオニード様は不思議そうに首を傾げた。

「それに、俺のスーツはエーミールが選んでくれた一張羅だ。……お前の厚化粧(ファンデーション)がつくと、クリーニングが大変だろう」

「あ、厚化粧ぉぉぉ!?」

リリィ嬢が白目を剥いて倒れた。

私は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。

素晴らしい。

天然なのか計算なのか分からないが、この男、女の武器が一切通じない。

「リリィ! 大丈夫か!」

ロベルト殿下が慌てて彼女を助け起こす。

「貴様! レディが転んだのを見捨てるなんて、それでも男か!」

「男だ。……妻以外の女に触れる男など、ただの不誠実者だ」

レオニード様はバッサリと言い捨てた。

「俺の手は、エーミールを守るためと、魔獣を狩るため、そして……畑を耕すためにある。浮気女を支える機能はついていない」

「……っ!」

殿下が黙り込む。

その言葉が、自分(浮気男)への強烈なブーメランになっていることに気づいたのだろう。

「行こう、エーミール。……ここにいると、知能指数が下がりそうだ」

「ええ、そうですね」

私はリリィ嬢を見下ろした。

ドレスは汚れ、化粧も崩れ、惨めな姿だ。

「リリィ様。乗り換え失敗、残念でしたわね」

「……くっ!」

「でも安心して。ロベルト殿下はお金はありませんが、プライドだけは高いですから。二人で『過去の栄光』をつまみに、仲良く暮らしてくださいな」

私はニッコリと手を振った。

「さようなら。二度と私たちの視界に入らないでくださいね」

私たちは今度こそ、二人を置き去りにして歩き出した。

背後からは、ロベルト殿下とリリィ嬢の、互いを罵り合う声が聞こえ始めた。

「お前がレオニードに色目を使うからだ!」

「ロベルト様が甲斐性なしだからでしょう!」

「なんだと!?」

醜い。

実に醜い。

けれど、それが彼らに相応しいエンディングだ。



外に出ると、手配しておいた馬車が待っていた。

レオニード様が扉を開け、私をエスコートしてくれる。

「……大丈夫か? エーミール」

馬車の中で、彼が心配そうに私を覗き込む。

「何がです?」

「あいつらに……酷いことを言われて。……傷ついていないか?」

彼は私の手を、壊れ物を扱うようにそっと包み込んだ。

なんて優しい人なのだろう。

私は彼の肩に頭を預けた。

「傷つく? まさか」

私はクスクスと笑った。

「むしろ、スカッとしましたわ。……それに」

私は彼を見上げた。

「あなたが、あんな風に私のために怒ってくれたり、リリィ様を避けてくれたりしたことが……何よりの薬です」

「……当然だ」

レオニード様は、少し顔を赤くして窓の外を見た。

「俺は、お前と契約したんだ。……一生、お前だけを見ると」

「ふふ、その契約、更新料は高いですわよ?」

「いくらだ?」

「そうですね……」

私は指を顎に当てて考えた。

「とりあえず、今夜のディナーでの『あーん』を、もう一回お願いします」

「……うっ」

「それと、明日の朝練では、新しいポーズを見せてください。ダブルバイセップス(両腕の力瘤を見せるポーズ)がいいです」

「……注文が多いな」

「嫌ですか?」

「いや。……善処する」

馬車は夜の王都を駆ける。

窓から見える街の明かりは、宝石箱のように輝いていた。

婚約破棄から始まった私の逆転劇。

悪役令嬢と呼ばれた私は、今、誰よりも幸せな「筋肉公爵夫人」へと生まれ変わった。

「さて、レオニード様。帰りましょうか、私たちの家に」

「ああ。……帰ろう」

彼の手の温もりが、私の左手にしっかりと残っていた。

それは、どんな高価な指輪よりも確かな、愛の証だった。

(さあ、帰ったら領地経営の続きよ! あそこをもっと発展させて、王都を見返してやるんだから!)

私の野望は、まだ始まったばかりである。
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