婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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王都での決戦から数日後。

私たちを乗せた馬車は、グライフェン領への帰路についていた。

行きは「地獄への片道切符」だの「生贄の搬送」だのと陰口を叩かれたボロ馬車だったが、帰りは違う。

王都で購入した(代金は慰謝料から前借り)最高級の馬車だ。

クッションはふかふか、サスペンションも完備。

快適すぎて、このまま大陸横断旅行に行けそうなくらいだ。

「……エーミール。そろそろ領都が見えてくるぞ」

向かいの席で、レオニード様が窓の外を見ている。

その表情は、どこか緊張しているように見えた。

「どうなさいました? 顔色が優れませんわよ」

「いや……少し、憂鬱でな」

彼は深いため息をついた。

「王都では、お前のおかげでなんとかなったが……領地に戻れば、俺はまた『恐怖の魔公爵』だ」

彼は自嘲気味に笑う。

「領民たちは俺を恐れている。俺が帰ってきたと知れば、また皆、家に閉じこもって震えるだろう」

「まあ、そんなことを心配していらしたの?」

私は紅茶(今回は高級茶葉)を飲みながら、優雅に微笑んだ。

「レオニード様。あなたは一つ、勘違いをしています」

「勘違い?」

「噂話というのは、悪いことばかりではありません。良い噂ほど、尾ひれがついて、光の速さで広まるものです」

「……どういう意味だ?」

「窓の外をご覧ください。答えはそこにあります」

私が顎でしゃくると、レオニード様は恐る恐るカーテンを開けた。

その瞬間。

「うおおおおおおーーーッ!!」

「キャアアアアアーーーッ!!」

地鳴りのような歓声が、馬車を包み込んだ。

「なっ、なんだ!? 敵襲か!?」

レオニード様が飛び上がり、剣(護身用)に手をかける。

「違います。よく見てください」

馬車の外には、数え切れないほどの領民たちが溢れかえっていた。

街道の両脇を埋め尽くし、手には旗や花束を持っている。

そして、彼らが叫んでいる言葉は……。

「お帰りなさいませー! 領主様ー!」

「王都での武勇伝、聞きましたぞー!」

「あのバカ王子を片手で黙らせたって本当ですかー!?」

「きゃー! レオニード様ー! こっち向いてー! 筋肉見せてー!」

敵意など微塵もない。

あるのは熱狂と、爆発的な好意だ。

「な……な、なんだこれは……?」

レオニード様が呆然としている。

「彼らは……俺を、恐れていないのか?」

「ええ。王都での出来事は、早馬や行商人を通じて、すでに領内に拡散されています」

私は指を折って解説した。

「一、領主様は実は超絶イケメンだった」

「二、領主様は悪徳王子を成敗し、不遇な令嬢(私)を救ったヒーローだった」

「三、領主様の筋肉は、岩をも砕く『奇跡の芸術』だった」

私はニヤリと笑った。

「特に三番目は、私が事前に流しておいた『ポスター』の効果も大きいですわね」

「ポ、ポスター……?」

「ええ。以前、鉱山視察の際に撮らせていただいた、上半身裸でつるはしを振るうあのお写真。大量に印刷して街に貼っておきましたの」

「なっ……!?」

レオニード様が顔を真っ赤にする。

「あ、あれを貼ったのか!? 恥ずかしくて死にそうだ!」

「何を仰います! あれのおかげで、『氷屑石(フローズン・ティア)』のアクセサリーも飛ぶように売れていますのよ!」

馬車がゆっくりと広場に進むと、そこには巨大な看板が立てられていた。

『祝・凱旋! 我らが筋肉領主!』

その横には、レオニード様のブロマイドを持ったご婦人方が行列を作っている。

「信じられん……」

レオニード様は額を手で覆った。

「俺は……いつの間に、見世物小屋の熊から、アイドルになったんだ」

「アイドルではありません。『英雄』です」

私は彼の手を取り、無理やり窓から振らせた。

「さあ、ファンサービスです! 笑顔で! 口角上げて!」

「ひぃっ!? こ、こうか!?」

レオニード様が引き攣った笑顔で手を振ると、群衆から「ギャーーーー!」という黄色い悲鳴が上がった。

「目が合った! 今、私を見て笑ってくださったわ!」

「失神しそう……尊い……!」

かつて「呪い」と恐れられた視線と笑顔は、今や「ファンサ」として最高級の価値を持っていた。



屋敷に到着すると、そこでもサプライズが待っていた。

「旦那様ぁぁぁ! 奥様ぁぁぁ!」

執事のギルバートが、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして走ってきた。

後ろには、メイドや庭師、料理番たちが整列している。

全員、以前のような怯えた目ではない。

誇らしげで、キラキラとした瞳だ。

「お帰りなさいませ! 王都でのご活躍、風の噂で聞きましたぞ!」

「あのグライフェン家が、王家の鼻を明かす日が来るとは……!」

「旦那様、かっこよすぎます!」

使用人たちが口々に称賛する。

屋敷は見違えるように飾り付けられ、玄関には「ウェルカムホーム」の垂れ幕まで下がっている。

「みんな……」

レオニード様は馬車を降り、立ち尽くした。

「俺は……ただ、妻を迎えに行っただけだ。……そんなに褒められるようなことじゃ……」

「ご謙遜を!」

ギルバートが鼻をかむ。

「長年、不当な扱いを受けてこられた旦那様が、こうして日の目を見る……。爺やは、嬉しくて……うっ、ううっ」

号泣する老人。

レオニード様は困ったように眉を下げ、不器用にギルバートの肩を叩いた。

「……泣くな。……ただいま、ギルバート」

その優しい声に、使用人たちも貰い泣きを始めた。

私はその光景を、少し離れた場所から満足げに眺めていた。

(計画通り……いえ、それ以上ね)

私の目的は、領地の立て直しと、私自身の安泰だった。

そのためにレオニード様のイメージアップを図ったわけだが、ここまで熱狂的に受け入れられるとは。

やはり、彼には人を惹きつけるカリスマ性(と筋肉)があったのだ。

「……エーミール」

ふと、レオニード様が私の方を向いた。

使用人たちの輪を抜け、私の前まで歩いてくる。

「……なんだか、夢を見ているようだ」

彼は周囲の喧騒を見渡して言った。

「半月前まで、ここは廃墟同然で、俺は孤独な怪物だった。……それが、お前が来てから、何もかもが変わった」

彼は真っ直ぐに私を見つめた。

その瞳は、アメジストのように澄んでいて、熱を帯びている。

「全部、お前のおかげだ。……ありがとう」

「お礼には及びませんわ」

私は澄まして言った。

「これは『投資』です。あなたが輝けば、領地の価値も上がり、私の生活も豊かになります。ビジネスですわ」

「……ふっ」

レオニード様が笑った。

「相変わらずだな。……だが、そんな強がりなところも、嫌いじゃない」

「なっ……」

不意打ちだ。

またしても、この天然タラシめ。

私が言葉に詰まっていると、レオニード様はそっと私の腰を引き寄せた。

「疲れただろう。中に入ろう」

「え、ええ……」

「今日は久しぶりに、お前の手料理が食べたい。……あの干し肉のスープを」

「あら、今はもっと良い食材がありますわよ? 霜降り肉とか」

「いや、あれがいい。……お前と初めて食べた、あの味が」

彼は少し照れくさそうに言った。

「あれを食べると……『家族になったんだな』と実感できるから」

ズキュン。

私の胸の奥で、何かが爆発した。

(……反則よ、それは!)

ビジネスライクに行こうと決めているのに、この人はいつも私のガードを軽々と超えてくる。

「……分かりました。特別に作って差し上げます」

私は顔が赤くなるのを隠すように、早足で屋敷に入った。

「その代わり! 食後は筋トレですよ! 王都への移動で座りっぱなしでしたから、大臀筋がなまっています!」

「ええ……帰って早々か?」

「当然です! 英雄たるもの、一日たりとも鍛錬を欠かしてはいけません!」

「……やれやれ。俺の妻は鬼コーチだな」

背後でレオニード様の楽しそうな笑い声が聞こえた。

屋敷の中は、温かい空気で満ちていた。

噂の『魔公爵』はもういない。

そこにいるのは、領民に愛され、私に愛され(契約上)、そして私のスパルタ指導に耐える、世界一幸せな『筋肉領主』だけだった。

次は、この人気を利用して、領地の経済をさらに爆発させるわよ!
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