婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「だ、旦那様! 大変でございます!」

またしても、執事のギルバートが執務室に飛び込んできた。

平和な午後。

私がレオニード様に膝枕をして、その硬い髪(剛毛だが手触りは悪くない)を撫でていた、至福のお昼寝タイムが中断された。

「……む」

レオニード様が不機嫌そうに片目を開ける。

「なんだ、ギルバート。……今、いいところだったのに」

「も、申し訳ございません! しかし、事態は緊急を要します!」

ギルバートは真っ青な顔で、窓の外を指差した。

「王家の紋章が入った馬車が……! しかも、国王陛下直属の『近衛騎士団』が到着しました!」

「……近衛騎士団だと?」

レオニード様がガバッと起き上がる。

その顔から、甘い空気は一瞬で消え、領主の(というより戦士の)険しい表情に戻る。

「……来たか」

彼は低く唸った。

「王都での一件だ。ロベルトに恥をかかせた罪で……俺たちを捕らえに来たのかもしれん」

「捕らえる? まさか」

私は膝の上の埃を払いながら、冷静に立ち上がった。

「私たちは正当防衛と、正当な債権回収をしただけですわ。法的に何の問題もありません」

「だが、相手は王家だ。理屈が通じないこともある」

レオニード様は私の肩を掴んだ。

「エーミール。もし俺が連行されるようなことになったら……お前は逃げろ」

「嫌です」

「聞き分けろ! 俺は罪人になっても構わないが、お前だけは……!」

「レオニード様」

私は彼の人差し指を、自分の唇に当てて止めた。

「早合点はいけません。……それに、もし戦うことになっても、私はあなたを見捨てませんわ」

私はニッと笑った。

「私のバックには、最強の弁護士軍団と、あなたが稼いだ莫大な資産があります。王家相手だろうと、徹底的に裁判で戦って、慰謝料をふんだくってやりますから」

「……お前は、本当に……」

レオニード様は呆れたように、しかし愛おしそうに私を見た。

「分かった。……共に、運命を受け入れよう」

私たちは手を取り合い、覚悟を決めて玄関ホールへと向かった。



ホールには、すでに数名の騎士と、一人の初老の男性が待っていた。

男性は、仕立ての良い服を着て、鋭い眼光を放っている。

この国の宰相、フランツ公爵だ。

国王陛下の右腕であり、その冷徹さから『氷の宰相』(レオニード様とキャラが被っているが、こちらは頭脳派)と恐れられている人物である。

「……出迎えご苦労、グライフェン辺境伯」

宰相は抑揚のない声で言った。

「突然の訪問、許されたい。国王陛下より、勅命を預かってきた」

「……承ります」

レオニード様が片膝をつき、私もそれに倣ってカーテシーをする。

(さあ、何が出るかしら? 逮捕状? それとも……)

宰相は懐から、羊皮紙の巻物を取り出した。

そして、厳かに読み上げ始めた。

「グライフェン辺境伯レオニード、およびその婚約者エーミールに告ぐ」

ゴクリ。

ギルバートや使用人たちが、固唾を飲んで見守る。

「先日の夜会における、其方らの行動について……」

宰相が一呼吸置く。

そして。

「……『実に見事であった』と、陛下より賞賛の言葉を賜った」

「……は?」

レオニード様が顔を上げた。

「しょ、賞賛……?」

「左様。陛下は夜会の様子を、隠し部屋から全てご覧になっていた」

宰相の口元が、わずかに緩んだ。

「ロベルト殿下の愚行、リリィ嬢の浅ましさ。そして何より、其方らの毅然とした態度と、レオニード殿の圧倒的な武勇……。陛下は『長年の胸のつかえが取れた』と、大層ご満悦であらせられた」

「ご、ご満悦……?」

「うむ。特に、レオニード殿が殿下の腕を掴み上げたシーンでは、陛下も思わず『よし、折れ!』とガッツポーズをされたそうだ」

「……親としてどうなんだ」

レオニード様がボソリと突っ込んだが、宰相は聞こえないフリをした。

「よって、陛下は以下の決定を下された」

宰相は声を張り上げた。

「第一王子ロベルトは、王族としての品位を著しく欠いたため、本日をもって『廃嫡(はいちゃく)』とする!」

「おお……!」

使用人たちから歓声が漏れる。

「さらに! 莫大な借金と慰謝料の返済のため、ロベルトおよびリリィ嬢の身柄を、北の『強制労働鉱山』へ送ることとする!」

「鉱山……!」

私は思わず口元を扇子で隠した。

北の鉱山。

そこは、過酷な環境で知られる場所だ。

「陛下曰く、『金がないなら体で払え。エーミール嬢への借金が完済できるまで、ツルハシを振るわせろ』とのことだ」

「まあ、素敵な教育的指導ですこと」

私は笑いが止まらなかった。

あのプライドの高い殿下が、泥まみれになって働く姿。

リリィ嬢が、ドレスではなく作業着を着て、筋肉痛に泣く姿。

想像するだけで、最高級のワインよりも酔えそうだ。

「なお、レオニード殿には、王家の不始末を正した功績として、報奨金と……新たな領地の開発権を与える」

宰相は、分厚い金貨の袋と、権利書をレオニード様に手渡した。

「これは、エーミール嬢への慰謝料の一部でもある。……受け取られよ」

「……ありがたき幸せ」

レオニード様は深々と頭を下げた。

そして、私の方を見て、小さくガッツポーズをした。

(勝った……!)

私たちは目で会話した。

完全勝利だ。

障害は全て排除され、資産は増え、名誉も回復した。



宰相たちが帰った後。

私たちはテラスで、祝勝会のお茶会を開いた。

テーブルには、ギルバートが腕によりをかけた特製ケーキが並んでいる。

「……信じられん」

レオニード様が、まだ夢見心地で紅茶を啜る。

「ロベルトが廃嫡……。あんなにあっさりと」

「自業自得ですわ。陛下も、ずっと頭を悩ませていたのでしょうね。私たちが引導を渡したことで、決心がついたのです」

私はフォークでケーキを切り、口に運んだ。

甘酸っぱいベリーのソースが、口いっぱいに広がる。

「ん~、美味しい!」

「……エーミール」

「はい?」

「お前……本当に嬉しそうだな」

レオニード様が、少し呆れたように笑う。

「元婚約者が鉱山送りになったというのに、同情心はないのか?」

「同情?」

私はフォークを舐めながら、首を傾げた。

「レオニード様。最高のスパイスをご存知ですか?」

「スパイス? ……胡椒か?」

「いいえ。『ざまぁみろ』です」

私はニッコリと微笑んだ。

「嫌な奴が、自らの行いの報いを受けて落ちていく様を聞きながら食べるケーキ。……これが、この世で一番美味しいのです」

「……性格が悪いな」

「あら、今更ですわ」

レオニード様は「くくく」と喉を鳴らして笑った。

「ああ、そうだ。お前は最高の悪役令嬢だ。……そして、俺の最高に可愛い妻だ」

彼はテーブル越しに身を乗り出し、私の頬についたクリームを指で拭った。

そして、その指を自分の口に含んだ。

「……ん。確かに、甘くて美味い」

「っ……!」

不意打ちの色気に、私はケーキを落としそうになった。

この男、最近どんどん学習している。

私の喜ぶツボを、的確に突いてくるのだ。

「……レオニード様。調子に乗ると、明日の筋トレメニューを倍にしますよ?」

「望むところだ。……お前を守るためなら、いくらでも強くなってやる」

彼は私の手を取り、甲に口づけを落とした。

夕日が、二人の影を長く伸ばす。

王都からの吉報は、私たちのハッピーエンドへの最後のピースだった。

もう、邪魔するものは誰もいない。

ここからは、私たちの新しい物語――『筋肉と経営と、時々溺愛』の生活が始まるのだ。

「さて、レオニード様。頂いた報奨金で、何をしましょうか?」

「……新しい農機具が欲しい」

「却下です。まずは温泉を掘りましょう。あなたの筋肉を癒やすために」

「……温泉か。混浴なら、考える」

「……バカ」

私たちは笑い合いながら、沈みゆく夕日を眺めた。

遠く北の空の下で、今頃ツルハシを握っているであろう元婚約者たちに、心からの「頑張ってね(永遠に)」のエールを送りながら。
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