婚約破棄、どう見ても私の理想なんですが?

夏乃みのり

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「……おかしい」

執務室の窓際で、私は腕組みをして唸った。

「何がおかしいのでございますか、奥様?」

ギルバートが紅茶を注ぎながら尋ねてくる。

「レオニード様の様子よ。……ここ数日、私を避けている気がするの」

そうなのだ。

あの「温泉掘削」の翌日から、レオニード様の挙動が明らかに不審なのである。

私が近づくと、ビクッとして逃げる。

目を合わせようとすると、真っ赤になって泳ぐ。

食事中も、私の顔を見ずに、皿の模様を数えるように俯いている。

「もしかして……混浴の約束、嫌だったのかしら?」

私が呟くと、ギルバートは苦笑した。

「まさか。旦那様は、毎晩カレンダーの『温泉完成予定日』に赤丸をつけてニヤニヤしておられますよ」

「……それはそれで怖いわね」

「おそらく、別の『重大な決断』を前にして、緊張しておられるのでしょう」

「重大な決断?」

私が首を傾げたその時。

バササッ!

窓の外から、黒い影が飛び込んできた。

「キャッ!?」

それは、レオニード様が飼っている伝書鷹(タカ)だった。

普段は魔獣の出現を知らせるための軍用鷹だ。

その鷹が、私の机の上にドン! と着地し、足に結ばれた手紙を突き出した。

「手紙……?」

私は恐る恐るそれを解いた。

封筒は真っ黒。

封蝋(シーリングワックス)は、血のように赤い。

そして、中に入っていたのは、分厚い羊皮紙に、震える筆跡で書かれた一文だった。

『本日 日没 裏山の丘にて待つ  レオニード』

「…………」

私は手紙を裏返し、透かし、匂いを嗅いだ。

「ギルバート。これ、どう見ても『果たし状』よね?」

「……左様でございますね。字体から殺気を感じます」

「私が何かしたかしら? 昨日の夕食のハンバーグ、一つ減らしたのを根に持ってる?」

「旦那様ならあり得ます」

冗談はさておき、呼び出しだ。

しかも、わざわざ鷹を使うなんて。

(……逃げるつもりはないわ。受けて立つ!)

私は決意を固め、最強の勝負服(一番お気に入りのドレス)に着替えることにした。



日没の時刻。

裏山の丘は、茜色に染まっていた。

風が草を揺らし、ザワザワと音を立てる。

その丘の上に、一人の男が立っていた。

レオニード様だ。

彼は夕日を背負い、仁王立ちしている。

服装は、なぜか「正装」――王都の夜会で着たタキシードだ。

こんな山の中で、タキシード。

シュールすぎる。

「……来たか」

私が近づくと、彼はゆっくりと振り返った。

その表情は、かつてないほど硬い。

眉間に深い皺が刻まれ、口元は引き結ばれ、額には玉のような汗が滲んでいる。

まるで、これからドラゴン討伐に向かう戦士の顔だ。

「呼び出しに応じ、参上いたしました。……用件とは?」

私は努めて明るく尋ねた。

まさか本当にハンバーグの恨みで決闘を申し込まれるわけではないだろうが、この緊張感は尋常ではない。

「……エーミール」

彼は一歩、私に近づいた。

ズザッ。

足音が重い。

「単刀直入に言う」

「はい(ゴクリ)」

「俺と……『契約更新』をしてくれ」

「……は?」

契約更新?

私はキョトンとした。

「あの、契約なら『終身』で結んだはずですが?」

「あれはビジネスの契約だ。……俺が言っているのは、そうじゃない」

レオニード様は、懐から何かを取り出した。

小さな箱だ。

それを握りしめる手が、ガタガタと震えている。

(あ……!)

察した。

これは、あれだ。

プロポーズだ。

私の心拍数が跳ね上がる。

なんだ、決闘じゃなかった。

よかった。

「レオニード様、それは……」

「聞け! 俺の覚悟を!」

彼は私の言葉を遮り、大声で叫んだ。

どうやら、台詞を暗記してきたらしい。

「俺は! 不器用で、無愛想で、筋肉しかない男だ!」

「知っています!」

「お前のような賢く美しい女性を、幸せにする自信はない!」

「えっ、ないの!?」

「だが! 俺の視界にお前がいないと、俺の精神は不安定になり、筋肉の分解が進む!」

「それは医学的に問題です!」

「だから!」

レオニード様は、私の両肩をガシッと掴んだ。

痛い。

握力が強すぎて、骨がきしむ。

そして、至近距離で、あのアメジストの瞳で見つめてきた。

「お前を……一生、俺の『監獄』に閉じ込めたい!」

「…………はい?」

時が止まった。

カラスが「アホー」と鳴いて通り過ぎる。

監獄。

今、監獄って言った?

「……あの、レオニード様? 監獄?」

「あ、いや、間違えた! 違う!」

レオニード様がパニックになる。

「本に書いてあったんだ! 『君を腕の中に閉じ込めたい』と! だが緊張して、領地の治安維持マニュアルと混ざった!」

「マニュアルと混ぜないでください!」

「訂正する! 監獄じゃない! ええと……そう、独房だ!」

「悪化してます!」

「ち、違う! 俺が言いたいのは、つまり……お前の自由を奪いたいわけじゃなくて、その……俺の管理下に置きたいというか……」

彼はしどろもどろになりながら、顔を真っ赤にして俯いた。

「……くそっ。なんで俺は、こんなに駄目なんだ」

彼は小さな箱を握りしめたまま、うなだれた。

「……大事な時に、格好もつけられない。……お前を呆れさせてばかりだ」

その背中が、小さく震えている。

私は、ため息をついた。

そして、笑いがこみ上げてきた。

「ふ、ふふふ……」

「……笑うな」

「ごめんなさい。だって、おかしくて」

私は彼の手を取り、握りしめられた拳をゆっくりと開かせた。

中には、小さなベルベットの箱。

開けると、そこには指輪が入っていた。

宝石ではない。

透き通った水色の石――『氷屑石(フローズン・ティア)』を、最高級の技術でカットした、世界に一つだけの指輪だ。

「……これ」

「俺が初めて、お前のために採掘した石だ。……ダイヤのような価値はないが、お前が『ブランド』にしてくれた石だから」

レオニード様が、恥ずかしそうに目を逸らす。

「俺たちの……始まりの石だと思って」

ズキュン。

またしても、心臓を撃ち抜かれた。

(この人は……本当に……)

不器用で、言葉選びのセンスは壊滅的で、すぐに筋肉の話をするけれど。

誰よりも、私との思い出を大切にしてくれている。

「……レオニード様」

私は指輪を箱から取り出し、彼の手に乗せた。

「はめて、いただけますか?」

「え……?」

「『監獄』に入る手錠代わりですわ」

私が左手を差し出すと、彼は驚いて私を見た。

「……いいのか? 俺で」

「あなたがいいのです」

私はニッコリと笑った。

「私を閉じ込められるほど頑丈な檻(うで)を持っているのは、世界であなただけですから」

「……エーミール」

彼の表情が、ふわりと緩んだ。

それは、朝日に輝く雪山のような、眩しく、美しい笑顔だった。

「……ああ。絶対に、逃がさない」

彼は震える手で、私の薬指に指輪を通した。

サイズはぴったりだ。

ひんやりとした石の感触が、熱くなった体に心地よい。

「……愛している、エーミール」

やっと。

やっと言えたその言葉は、どんな詩人の言葉よりも甘く響いた。

「私もです、レオニード様。……覚悟してくださいね?」

私は彼の首に腕を回した。

「これからは契約書なしの、正真正銘の夫婦です。……もう『業務時間外』なんて言い訳は通用しませんからね?」

「……望むところだ」

彼は私を強く抱きしめた。

監獄?

いいえ、ここは世界一安全で、温かい場所だ。

「きゃー! おめでとうございますー!」

「ヒューヒュー!」

突然、茂みの陰から歓声が上がった。

見ると、ギルバートをはじめ、使用人たちが総出で覗き見していた。

「あ! みんな、いつから!?」

レオニード様が真っ赤になる。

「最初からでございます! 『監獄』のくだり、最高でしたぞ!」

「語り継ぎましょう! グライフェン家の伝説として!」

「や、やめろぉぉぉ!」

絶叫する公爵様と、笑う使用人たち。

そして、その中心で指輪を光らせる私。

私たちの「契約」は、こうして「永遠の愛(という名の終身刑)」へと書き換えられたのだった。
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