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「あら、レオニード様。口元にソースがついていますわよ」
「……む。すまん」
「いいえ、動かないで。……私が取って差し上げます」
平和な朝のダイニングルーム。
窓からは柔らかな朝日が差し込み、テーブルには焼きたてのパンと、新鮮なサラダ、そしてカリカリに焼いたベーコンが並んでいる。
私はナプキンを持ち、レオニード様の唇の端を優しく拭った。
至近距離で見つめ合う私たち。
レオニード様のアメジストの瞳が、少し恥ずかしそうに揺れる。
「……エーミール。朝から、その……刺激が強い」
「ふふ、新婚夫婦(予定)ですもの。これくらい当然ですわ」
プロポーズという名の「監獄宣言」から数日。
私たちの仲は、急速に深まっていた。
以前のような「ビジネスパートナー」という壁は消え、甘い空気が漂っている。
もちろん、私の筋肉チェックという日課は変わらないけれど。
「失礼いたします、旦那様、奥様」
そこへ、執事のギルバートが入ってきた。
手には、銀の盆に乗せた一通の新聞を持っている。
「王都より、最新の『王宮広報』が届きました。……例の件について、詳細が掲載されております」
「例の件?」
レオニード様が眉をひそめる。
私は紅茶を啜りながら、興味なさげに言った。
「ああ、あの『不良債権処理』の結果ですね。……そこに置いてちょうだい」
「はっ」
ギルバートがテーブルに新聞を広げる。
一面トップを飾っていたのは、衝撃的な(そして私にとっては最高のエンターテインメントである)見出しだった。
『前代未聞! 第一王子ロベルト、廃嫡(はいちゃく)決定!』
『平民に降格し、北の強制労働鉱山へ! 借金完済まで懲役50年!?』
そして、その下には、どこかの画家が描いたであろう挿絵が載っている。
かつては煌びやかな衣装を着ていたロベルト殿下が、ボロボロの作業着を着て、涙目でツルハシを握っている図だ。
隣には、髪を短く刈り込まれ、質素な修道服のようなものを着てジャガイモの皮を剥くリリィ嬢の姿も。
「……うわぁ」
レオニード様が新聞を覗き込み、顔をしかめた。
「こ、これは……随分と思い切った処分だな」
「当然ですわ。彼らが作った借金と、私への慰謝料。それを返済するには、王族としての年金では足りません」
私はパンにバターを塗りながら、淡々と解説した。
「労働こそが、唯一の更生への道です。……まあ、殿下の細腕でツルハシが振れるかは疑問ですが」
記事によると、ロベルト殿下は『ロブ』という名で鉱夫見習いとして登録されたらしい。
リリィ嬢は、鉱山付属の炊事場で、一日千個のジャガイモ剥きの刑だそうだ。
「……『僕は王子だぞ!』と叫んで現場監督に怒鳴られ、初日から減給処分」
レオニード様が記事の細かい部分を読み上げる。
「……『リリィ、爪が割れたと泣き喚き、ジャガイモを投げつけて独房入り』……」
「ふっ」
私は思わず吹き出した。
「相変わらずですわね、あの二人。学習能力というものがないのかしら」
「……エーミール」
レオニード様が、心配そうに私を見た。
「平気か?」
「何がです?」
「その……かつては愛した男だろう? そんなに落ちぶれた姿を見て……心が痛まないか?」
彼は、私が強がっているのではないかと疑っているようだ。
優しい人だ。
でも、残念ながら私の心はダイヤモンド(物理)よりも硬い。
「レオニード様」
私はナイフとフォークを置き、彼に向き直った。
「正直に申し上げますね」
「あ、ああ」
「『ふーん』」
「……へ?」
「感想は、それだけです」
私は肩をすくめた。
「悲しくもなければ、嬉しくもありません。ただ『ああ、そうですか』という事実確認だけです」
「……そ、それだけ?」
「ええ。今の私にとって、ロベルト殿下は『終わったコンテンツ』です。読み終わって捨てた週刊誌のようなものですわ」
私は新聞を指差した。
「彼が鉱山で泣こうが喚こうが、私の人生には1ミリも影響しません。……私が関心があるのは、もっと建設的で、美しくて、価値のあるものだけです」
「価値のあるもの……?」
「はい」
私は身を乗り出し、レオニード様の胸板に手を置いた。
シャツ越しに伝わる、硬く温かい筋肉の感触。
「例えば、あなたのこの大胸筋の張り具合とか」
「……!」
「今夜の夕食のメニューとか」
「……!」
「そして、これから二人で作る『温泉ランド』の設計図とか」
私はニッコリと笑った。
「過去を振り返ってメソメソする暇があったら、私はあなたと未来の話をしたいのです。……それとも、私が元婚約者のことを考えて泣いていた方が、可愛げがありましたか?」
「……いや」
レオニード様が首を激しく横に振った。
そして、私の手をギュッと握り返した。
「その冷徹なまでの切り替えの早さ……。それでこそ、俺が惚れた女だ」
「あら、褒め言葉として受け取っておきます」
「ああ、褒めている。……安心したよ」
彼はホッとしたように息を吐き、新聞を畳んだ。
「この新聞、どうする? 保存しておくか?」
「まさか。ゴミになります」
私は即答した。
「ギルバート、これを持って行って。……あ、待って」
私はあることを思いついた。
「ちょうどよかったわ。今日、巨大大根の収穫をする予定でしょう?」
「は、はい」
「この新聞、泥落としの下敷きに使いましょう。紙質が無駄に良いから、水気をよく吸うはずよ」
「……プッ」
レオニード様が吹き出した。
「くくく……。元王子の記事を、大根の泥よけにするのか」
「最高のリサイクルですわ。ロベルト殿下も、最後に『農業の役に立った』と思えば本望でしょう」
私たちは顔を見合わせて大笑いした。
王宮広報は、ギルバートによって回収され、数時間後には泥だらけになって廃棄される運命となった。
元婚約者の破滅?
ヒロインの没落?
そんなドラマチックな悲劇も、私たち「グライフェン家」においては、朝のコーヒーのつまみにもならない。
「さあ、レオニード様。朝食を食べたら、お仕事ですよ!」
「ああ。今日は何をすればいい?」
「温泉の脱衣所の建設です! 丸太を百本、運んでくださいね!」
「百本か……。いいウォーミングアップになりそうだ」
私たちは希望に満ちた朝日の中、新たな一日へと踏み出した。
過去は清算された。
ここにあるのは、輝かしい未来と、愛する筋肉だけである。
「……む。すまん」
「いいえ、動かないで。……私が取って差し上げます」
平和な朝のダイニングルーム。
窓からは柔らかな朝日が差し込み、テーブルには焼きたてのパンと、新鮮なサラダ、そしてカリカリに焼いたベーコンが並んでいる。
私はナプキンを持ち、レオニード様の唇の端を優しく拭った。
至近距離で見つめ合う私たち。
レオニード様のアメジストの瞳が、少し恥ずかしそうに揺れる。
「……エーミール。朝から、その……刺激が強い」
「ふふ、新婚夫婦(予定)ですもの。これくらい当然ですわ」
プロポーズという名の「監獄宣言」から数日。
私たちの仲は、急速に深まっていた。
以前のような「ビジネスパートナー」という壁は消え、甘い空気が漂っている。
もちろん、私の筋肉チェックという日課は変わらないけれど。
「失礼いたします、旦那様、奥様」
そこへ、執事のギルバートが入ってきた。
手には、銀の盆に乗せた一通の新聞を持っている。
「王都より、最新の『王宮広報』が届きました。……例の件について、詳細が掲載されております」
「例の件?」
レオニード様が眉をひそめる。
私は紅茶を啜りながら、興味なさげに言った。
「ああ、あの『不良債権処理』の結果ですね。……そこに置いてちょうだい」
「はっ」
ギルバートがテーブルに新聞を広げる。
一面トップを飾っていたのは、衝撃的な(そして私にとっては最高のエンターテインメントである)見出しだった。
『前代未聞! 第一王子ロベルト、廃嫡(はいちゃく)決定!』
『平民に降格し、北の強制労働鉱山へ! 借金完済まで懲役50年!?』
そして、その下には、どこかの画家が描いたであろう挿絵が載っている。
かつては煌びやかな衣装を着ていたロベルト殿下が、ボロボロの作業着を着て、涙目でツルハシを握っている図だ。
隣には、髪を短く刈り込まれ、質素な修道服のようなものを着てジャガイモの皮を剥くリリィ嬢の姿も。
「……うわぁ」
レオニード様が新聞を覗き込み、顔をしかめた。
「こ、これは……随分と思い切った処分だな」
「当然ですわ。彼らが作った借金と、私への慰謝料。それを返済するには、王族としての年金では足りません」
私はパンにバターを塗りながら、淡々と解説した。
「労働こそが、唯一の更生への道です。……まあ、殿下の細腕でツルハシが振れるかは疑問ですが」
記事によると、ロベルト殿下は『ロブ』という名で鉱夫見習いとして登録されたらしい。
リリィ嬢は、鉱山付属の炊事場で、一日千個のジャガイモ剥きの刑だそうだ。
「……『僕は王子だぞ!』と叫んで現場監督に怒鳴られ、初日から減給処分」
レオニード様が記事の細かい部分を読み上げる。
「……『リリィ、爪が割れたと泣き喚き、ジャガイモを投げつけて独房入り』……」
「ふっ」
私は思わず吹き出した。
「相変わらずですわね、あの二人。学習能力というものがないのかしら」
「……エーミール」
レオニード様が、心配そうに私を見た。
「平気か?」
「何がです?」
「その……かつては愛した男だろう? そんなに落ちぶれた姿を見て……心が痛まないか?」
彼は、私が強がっているのではないかと疑っているようだ。
優しい人だ。
でも、残念ながら私の心はダイヤモンド(物理)よりも硬い。
「レオニード様」
私はナイフとフォークを置き、彼に向き直った。
「正直に申し上げますね」
「あ、ああ」
「『ふーん』」
「……へ?」
「感想は、それだけです」
私は肩をすくめた。
「悲しくもなければ、嬉しくもありません。ただ『ああ、そうですか』という事実確認だけです」
「……そ、それだけ?」
「ええ。今の私にとって、ロベルト殿下は『終わったコンテンツ』です。読み終わって捨てた週刊誌のようなものですわ」
私は新聞を指差した。
「彼が鉱山で泣こうが喚こうが、私の人生には1ミリも影響しません。……私が関心があるのは、もっと建設的で、美しくて、価値のあるものだけです」
「価値のあるもの……?」
「はい」
私は身を乗り出し、レオニード様の胸板に手を置いた。
シャツ越しに伝わる、硬く温かい筋肉の感触。
「例えば、あなたのこの大胸筋の張り具合とか」
「……!」
「今夜の夕食のメニューとか」
「……!」
「そして、これから二人で作る『温泉ランド』の設計図とか」
私はニッコリと笑った。
「過去を振り返ってメソメソする暇があったら、私はあなたと未来の話をしたいのです。……それとも、私が元婚約者のことを考えて泣いていた方が、可愛げがありましたか?」
「……いや」
レオニード様が首を激しく横に振った。
そして、私の手をギュッと握り返した。
「その冷徹なまでの切り替えの早さ……。それでこそ、俺が惚れた女だ」
「あら、褒め言葉として受け取っておきます」
「ああ、褒めている。……安心したよ」
彼はホッとしたように息を吐き、新聞を畳んだ。
「この新聞、どうする? 保存しておくか?」
「まさか。ゴミになります」
私は即答した。
「ギルバート、これを持って行って。……あ、待って」
私はあることを思いついた。
「ちょうどよかったわ。今日、巨大大根の収穫をする予定でしょう?」
「は、はい」
「この新聞、泥落としの下敷きに使いましょう。紙質が無駄に良いから、水気をよく吸うはずよ」
「……プッ」
レオニード様が吹き出した。
「くくく……。元王子の記事を、大根の泥よけにするのか」
「最高のリサイクルですわ。ロベルト殿下も、最後に『農業の役に立った』と思えば本望でしょう」
私たちは顔を見合わせて大笑いした。
王宮広報は、ギルバートによって回収され、数時間後には泥だらけになって廃棄される運命となった。
元婚約者の破滅?
ヒロインの没落?
そんなドラマチックな悲劇も、私たち「グライフェン家」においては、朝のコーヒーのつまみにもならない。
「さあ、レオニード様。朝食を食べたら、お仕事ですよ!」
「ああ。今日は何をすればいい?」
「温泉の脱衣所の建設です! 丸太を百本、運んでくださいね!」
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