悪役令嬢は婚約破棄に歓喜!

夏乃みのり

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「ミリュー様。旦那様がお呼びです」


執事のトマスが、私のオフィス(元・倉庫を改造した快適空間)にやってきたのは、昼下がりのことだった。


私は決算書から顔を上げた。


「ラシード様が? 珍しいですね。定例報告会は夕方の予定ですが、何か緊急のトラブル(バグ)でも?」


「いいえ。何やら、ミリュー様に『支給したい物資』があるとのことで」


「物資?」


私の目がキラーンと光った。


「新しい計算機でしょうか? それとも、最新式の魔導ファイル整理棚?」


「……行ってのお楽しみ、ということで」


トマスは微笑ましげに目を細めた。


私はペンを置き、意気揚々とラシード様の待つサロンへと向かった。

まさか、それが計算機よりも遥かに扱いづらい代物だとは知らずに。





サロンに入ると、ラシード様がソワソワと落ち着かない様子で立っていた。

テーブルの上には、大きな箱が置かれている。

白地に金の装飾が施された、高級感あふれる箱だ。


「お呼びでしょうか、ラシード様」


「ああ、ミリュー。仕事中すまない」


ラシード様は私を見ると、少し頬を染めて咳払いをした。


「君がここに来て、一週間が経つな」


「はい。おかげさまで、領地改革の進捗率は予定通り(オン・スケジュール)です」


「そのことなんだが……。君は、着の身着のまま実家を出てきただろう? 荷物も最小限だった」


「ええ。断捨離しましたので。今の持ち物は、機能性の高い室内着とパジャマ、あとは万年筆くらいですね」


「……やはりか」


ラシード様は眉をひそめ、痛ましげな表情をした。


「公爵夫人(仮)たる君に、不自由な思いをさせていたとは……私の配慮不足だ」


「不自由? いえ、特に困っては……」


「これを」


ラシード様はテーブルの上の箱を、ずいと押し出した。


「君のために用意させた」


「……!」


私は期待に胸を膨らませて箱に近づいた。

この大きさ。この重厚感。

これはもしや、高性能な魔導タイプライターか!?


私はワクワクしながら蓋を開けた。


「……あれ?」


中に入っていたのは、機械でも文房具でもなかった。


布だ。

それも、目が覚めるような鮮やかなミッドナイトブルーの、とてつもなく滑らかな布。


私は恐る恐るそれを持ち上げた。


それは、ドレスだった。

シルクとレースをふんだんに使い、細かな刺繍が施された、夜会用のイブニングドレス。

色はラシード様の瞳と同じ、深い青。


「……ドレス、ですか?」


「そうだ。王都でも指折りのデザイナーに、特急で作らせた」


ラシード様は私の反応を伺うように、じっとこちらを見ている。


私はドレスを広げ、まじまじと観察した。


(……なるほど。分析開始)


私の脳内コンピューターが高速回転を始める。


1.素材:最高級シルク。耐久性は低いが、光沢による威圧効果(プレゼンス)は高い。

2.デザイン:流行のコルセットスタイルだが、ウエスト周りの締め付けは緩めに調整されている。長時間着用しても疲労度が低い設計。

3.目的:私がこれを着るシチュエーションといえば……対外的な交渉の場、あるいは社交界への殴り込み。


ピーンときた。


「理解しました、ラシード様!」


私はドレスを抱きしめ、キリッとした顔で彼を見た。


「これは『制服(ユニフォーム)』の支給ですね!」


「……は?」


ラシード様の目が点になった。


「制服?」


「はい! 公爵家の一員として、対外的な業務を行う際の『戦闘服』ですよね? 確かに、いつまでも実家から持ってきた古いドレスでは、公爵家のブランドイメージ(対外信用)に関わります」


私は感心して頷いた。


「さすがラシード様。経費の使い方を分かっていらっしゃる。これは単なる服飾費ではなく、『広告宣伝費』であり『必要経費』です!」


「いや、ミリュー、そうではなくて……」


「色も素晴らしいです。貴方の瞳の色と同じ……つまり、これは『私はクライシス公爵の所有物(部下)である』という所属コードを周囲に知らしめるためのカラーリング!」


「所属……まあ、独占欲という意味では間違っていないが……」


「ありがとうございます! 早速、カスタマイズさせていただきます!」


「……カスタマイズ?」


不穏な単語に、ラシード様の顔が引きつる。


私はドレスを裏返し、縫い目をチェックし始めた。


「まず、このスカートの裏地に『隠しポケット』を二つ縫い付けます」


「……何を入れる気だ?」


「右には小型のメモ帳とペン。左には予備のインクと印鑑、あと非常食のクッキーです」


「ドレスに印鑑を入れるな」


「さらに、この袖口! フリルが邪魔でペンが走りにくいので、着脱式に改造します。ボタン一つで『事務モード』と『社交モード』を切り替えられるように」


「やめろ! デザイナーが泣く!」


ラシード様が慌てて私の手からドレスを取り上げた。


「ミリュー! これは作業着ではない! 君に……その、ただ美しく着飾ってほしくて贈ったものだ!」


「着飾る? なぜですか? 機能性を犠牲にしてまで?」


私は本気で首を傾げた。

美しさとは機能美のことではないのか?


ラシード様は天を仰ぎ、深いため息をついた。


「……近々、茶会がある」


「茶会?」


「ああ。貴族たちが集まる、くだらない……いや、重要な社交の場だ。そこで君を、私の婚約者として正式にお披露目する」


「なるほど。プレスリリース(記者発表会)ですね」


「……まあ、そうだ。その時に、君には一番輝いていてほしいんだ。誰よりも美しく、誰にも文句を言わせない姿で」


ラシード様は少し悔しそうに、でも真剣な眼差しで私を見た。


「ジェラルド殿下が手放した宝石が、どれほど美しいか……世間に知らしめてやりたい」


(……宝石?)


私のことだろうか。

私はどちらかと言えば、高性能な歯車か潤滑油だと思っていたが。


でも、ラシード様のその目は、とても熱かった。

私の機能(スペック)だけでなく、外見(ガワ)も含めて大切にしてくれていることが伝わってくる。


「……分かりました」


私は少し照れ臭くなって、視線を逸らした。


「そこまで仰るなら、このドレスは『改造なし』で着用します。仕様書(デザイナーの意図)通りに運用しましょう」


「助かる。……ポケットも禁止だぞ」


「むっ……では、印鑑はどこにしまえば?」


「私が持つ。君は手ぶらで、私の腕に掴まっていればいい」


「……効率が悪いですが、ボス(旦那様)の命令なら従います」


私が渋々承諾すると、ラシード様は安堵したように微笑んだ。


「ああ、それともう一つ」


彼は箱の底から、さらに小さな箱を取り出した。


「これもセットだ」


パカッ、と開けられた箱の中には、大粒のサファイアのネックレスが鎮座していた。

目がくらむような輝きだ。

鑑定スキルがなくても分かる。これは国宝級だ。


「……ラシード様」


「なんだ?」


「これ、時価いくらですか? これ一つで、領地の借金が三割返せるのでは?」


「換金するな! 売却禁止だ!」


「チッ……固定資産ですか。減価償却の計算が面倒ですね」


「君という人は……」


ラシード様は呆れながらも、そのネックレスを私の首にかけてくれた。


冷たい宝石が肌に触れる。

でも、それを留めるラシード様の指先は熱かった。


鏡を見る。

そこには、いつもの地味な作業服ではなく、夜空のようなドレスと宝石を身に纏った、見知らぬ令嬢が映っていた。


「……悪くない」


ラシード様が背後から鏡越しに私を見つめ、満足げに頷いた。


「やはり私の目に狂いはなかった。君は青が似合う」


「……そうですか? 少し落ち着きませんが」


「慣れろ。これからは、それが君の『制服』だ」


「了解です。……では、この格好で執務室に戻っても?」


「絶対駄目だ! インクがついたらどうする!」


ラシード様の叫び声がサロンに響く。


結局、私はそのドレスを脱がされ、いつもの地味な服に着替えさせられた。

少し残念だ。

あのドレスの裾なら、床のモップ掛けも同時に行えると思ったのに。


ともあれ、装備(ドレス)は整った。


次は、戦場(お茶会)だ。

そこには、私を嘲笑おうと待ち構えている貴族令嬢たちという『敵対勢力』がいるらしい。


「ふふふ……」


私は着替えながら、不敵な笑みを漏らした。


「望むところです。私の新しい制服の威力、そしてラシード様の投資効果……実戦で証明してみせましょう」


戦いの予感に、私は武者震い……ではなく、プレゼン前の高揚感を感じていたのである。
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