悪役令嬢は婚約破棄に歓喜!

夏乃みのり

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王都の高級サロン。


そこは、選ばれし高位貴族の婦人や令嬢たちが集い、優雅にお茶と会話を楽しむ社交の聖地である。


……というのは表向きの顔だ。

実態は、マウント合戦、派閥争い、そして噂話という名の情報戦が繰り広げられる、血塗られた戦場である。


その戦場に、私は足を踏み入れた。


「……あら、あれは」


「まさか、あのアークライト家の……」


「王太子殿下に捨てられた女が、どの面下げて……」


私が会場に入った瞬間、さざ波のようにヒソヒソ話が広がっていく。

扇子で口元を隠した令嬢たちの視線は、針のように鋭い。


だが、私は動じない。

私の隣には、最強の護衛(と書いて『最終兵器』と読む)がいるからだ。


「……うるさいな」


私の腰に手を回し、周囲をギロリと睨みつけたのは、ラシード様だ。

その一睨みで、会場の気温が五度下がった気がする。


「放っておけばいい。雑音(ノイズ)だ」


「ええ、問題ありませんラシード様。想定内の環境音です」


私はニッコリと微笑んだ。


今日の私は、先日支給された「制服(イブニングドレス)」を完璧に着こなしている。

深い青のドレスは、ラシード様の礼服とカラーコーディネートされており、誰が見ても「私たちはペアです」という強烈な主張を放っていた。


(ふふふ……この視線、悪くないわ)


私は内心で計算機を叩く。


(私への注目度が高いということは、ここで私が「クライシス公爵家は盤石である」とアピールできれば、領地の信用格付けが一気に上がる。これはお茶会ではない。投資家向け説明会(IR活動)です!)


「さあ、行きましょう」


私はラシード様のエスコートで、会場の中央へと進んだ。


すると、待ち構えていたように、数人の令嬢が道を塞いだ。

中心にいるのは、派手なドレスを着た伯爵令嬢だ。


「ごきげんよう、ミリュー様。……あら、随分と顔色がよろしいこと」


嫌味たっぷりの挨拶だ。


「婚約破棄されて、さぞやお嘆きかと思っておりましたのに。すぐに公爵様に乗り換えるなんて、相変わらず……『計算高い』こと」


周囲からクスクスと笑い声が漏れる。

「計算高い」は、社交界における私への最大の侮蔑語だ。

感情を持たない機械のようだ、と。


しかし、私は扇子をパチリと閉じて、満面の笑みで応じた。


「お褒めいただき、光栄ですわ」


「……は?」


「計算高さとは、すなわち『先を見通す知性』の証。無計画に感情で動いて破滅するより、計算通りに幸福を掴む方が、生物としての生存戦略として正しいでしょう?」


「なっ……!?」


令嬢が言葉に詰まる。

私は畳み掛ける。


「それに『乗り換えた』という表現は不正確ですね。正しくは『より条件の良い優良物件にヘッドハンティングされた』です。王太子殿下(ブラック企業)との契約が満了し、公爵様(ホワイト企業)に転職した。……これの何が問題でしょうか?」


「ブ、ブラック……? ホワ……?」


意味が分からずポカンとする令嬢たち。


そこに、別の夫人が割って入ってきた。


「まあ、相変わらず口が達者だこと。でもね、ミリュー様。噂で聞きましたわよ? 貴女、公爵邸で……使用人のような『労働』をしているそうですわね?」


夫人は勝ち誇ったように鼻を鳴らした。


「庭の草むしりをしたり、書類仕事に追われたり……。公爵夫人ともあろう方が、下々の者の仕事をするなんて。やはり、王太子妃になれなかった女は、品位も地に落ちたのかしら?」


周囲から「まあ、はしたない」「泥仕事なんて」という嘲笑が聞こえる。


ラシード様の眉間に、深い谷が刻まれた。

彼が口を開こうとしたのを、私は手で制した。


(ここは私が。……この程度の煽り、数字で黙らせて見せます)


私は一歩前に出た。


「労働、結構なことではありませんか」


「え?」


「私は、自分の住む環境を、自分の手で最適化することに喜びを感じます。それに、私の『労働』が生み出した経済効果をご存知ですか?」


私は指を折って数え始めた。


「庭園の改修により、害虫被害が減少し、近隣農家の収穫高が5%向上しました。書類整理により、公爵領の行政コストが20%削減されました。さらに、資材調達の見直しで浮いた予算は、領民への減税として還元される予定です」


私は夫人を真っ直ぐに見つめた。


「私は汗を流し、知恵を絞り、確実な『利益』を生み出しました。……さて、皆様は?」


「な、なによ……」


「毎日お茶会で他人の噂話をして、高価なドレスを消費し、生産性のない時間を過ごす……。それで『品位』を保っているとお思いですか? 私には、それが単なる『社会的資源の浪費』にしか見えませんが」


「ぐぬっ……!」


夫人の顔が真っ赤になる。


「な、生意気な! そんな理屈、社交界で通用すると思って……!」


夫人が扇子を振り上げた、その時だった。


ドォォォォン……。


地響きのような、重苦しいプレッシャーが会場全体を圧迫した。


「……通用する」


低く、絶対零度の声が響いた。


ラシード様だ。

彼は私を背に庇い、夫人たちを睥睨していた。


その青い瞳は、完全に「敵を排除する目」をしていた。


「ミリューの言葉は、我が公爵家の総意だ。彼女の労働は、尊い。彼女が生み出す成果は、宝石よりも輝かしい」


「こ、公爵閣下……?」


「彼女が庭いじりをしている時、その手についた土さえも、私には黄金に見える。彼女が書類と格闘している時の鬼気迫る表情は、女神のように美しい」


ラシード様は真顔で、とんでもないことを言い出した。


「お前たちには分からんのか? 何も生み出さず、ただ着飾っているだけの人形と、自らの手で未来を切り拓く機能美あふれる彼女と……どちらが本当に『品位』があるかを」


「ひっ……!」


夫人たちが後ずさる。

ラシード様の言葉は、愛の告白なのか脅迫なのか分からないが、その迫力は凄まじかった。


「私の妻を侮辱することは、クライシス家への宣戦布告とみなす。……その覚悟がある者だけが、口を開け」


シーン……。


会場が静まり返った。

誰一人、声を発する者はいない。

扇子を落とした音さえ聞こえそうだ。


(……やりすぎです、ラシード様)


私は苦笑しながら、彼の袖を引いた。


「そこまでで結構ですわ。これ以上やると、今後の外交に支障が出ます」


「……フン」


ラシード様は鼻を鳴らし、殺気を収めた。


私は凍りついた夫人たちに向き直り、ニッコリと微笑んだ。


「というわけで、我が家の経営方針(ポリシー)をご理解いただけましたでしょうか? 私たちは『実利』と『効率』を愛しております。もし、皆様の中に『生産的な提携話』をお持ちの方がいらっしゃいましたら、いつでも歓迎いたしますわ」


私は懐から、公爵家の新しい名刺を取り出した。


「こちら、私の名刺です。領地経営に関するコンサルティング、資産運用のアドバイス、なんでも承ります。初回相談は無料ですので」


私は呆然とする夫人たちの手に、強引に名刺を握らせた。


「それでは、皆様ごきげんよう。……ああ、そのドレス、素敵ですが素材の通気性が悪そうですわね。肌荒れにはご注意を」


捨て台詞の代わりに実用的なアドバイスを残し、私はラシード様の腕を取ってその場を離れた。


背後で、夫人たちが「負けた……」「勝てる気がしない……」と崩れ落ちる気配がした。





バルコニーに出ると、夜風が心地よかった。


「……すまない、ミリュー。つい熱くなってしまった」


ラシード様が反省したように頭を下げる。


「私のせいで、君が孤立してしまったかもしれない」


「孤立? いいえ、逆です」


私は手帳を開き、満足げに頷いた。


「見てください。先ほどの騒ぎを見ていた数人の貴族男性が、こちらを伺っています。彼らは実利重視の派閥……おそらく、私の『コンサル提案』に興味を持ったのでしょう」


「……は?」


「つまり、ターゲット層への宣伝(アピール)は成功したということです。あの夫人たちは、私の優秀さを引き立てるための『踏み台』として、良い仕事をしてくれました」


「…………」


ラシード様は呆れたように私を見つめ、それから吹き出した。


「くくっ……ははは!」


「何かおかしいですか?」


「いや……君は本当に強いな。そして、頼もしい」


彼は私の肩を抱き寄せた。


「君を敵に回さなくて本当によかった。……ジェラルド殿下は、本当に惜しいことをしたな」


「そうですね。彼が失ったのは、単なる婚約者ではなく『歩く国家戦略局』ですから」


私が冗談めかして言うと、ラシード様は私の額にキスを落とした。


「そして私は、最高の『幸福』を手に入れた」


「幸福? ……ああ、業務効率化のことですね?」


「……まあ、そういうことにしておこう」


ラシード様は苦笑いしながら、夜空を見上げた。


こうして、私の社交界デビュー戦(商談)は大勝利に終わった。


悪役令嬢という悪名は、いつしか「冷徹なる女参謀」という、より恐ろしく、より実用的な異名へと変わっていくことになるのだが……それはまた別のお話。


今はただ、この隣にいる不器用な上司(夫)と共に、次の「改善案件」を探すのが楽しみで仕方なかった。
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