悪役令嬢は婚約破棄に歓喜!

夏乃みのり

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夜会の騒動から数日後。


公爵邸は、かつてないほどの平和と秩序に包まれていた。


「素晴らしい……」


私は執務室で、今月の収支報告書を眺めながら、うっとりと溜め息をついた。


赤字だった鉱山事業は、私の導入した『シフト制導入による24時間稼働体制』と『魔導トロッコの自動化』により、一転して黒字化。

無駄だらけだった食料備蓄庫は、『先入れ先出し法』の徹底により廃棄ロスがゼロに。


グラフの右肩上がりの曲線は、私にとってどんな名画よりも美しい芸術作品だ。


「ミリュー、コーヒーだ」


「ありがとうございます、ラシード様」


隣のデスクから、ラシード様がマグカップを差し出してくれる。

彼もまた、書類の山から解放され、優雅に外交文書に目を通している。


「君のおかげで、午前中の仕事が二時間で終わった。……午後はどうする? また庭の視察(デート)に行くか?」


「いいですね。今日は『害虫駆除の成果確認』をしましょう」


平和だ。

あまりにも効率的で、静謐な時間。


そう、まるで嵐の前の静けさのような――。


ウゥゥゥゥ――ッ!!


突如、屋敷内にけたたましい警報音が鳴り響いた。


「な、なんだ!?」


ラシード様が立ち上がる。

私も反射的に計算機を構えた(武器にはならないが)。


バタン!

ドアが開き、執事のトマスが転がり込んできた。


「緊急事態です! 『侵入者』あり! 正面ゲートにて、警備兵と揉み合っております!」


「侵入者だと? 盗賊か?」


「いえ、それが……」


トマスは言いにくそうに、しかしハッキリと告げた。


「ジェラルド王太子殿下です」


「……は?」


私とラシード様の声が重なった。


「『ミリューを出せ!』『俺の話を聞け!』と大声で叫びながら、ゲートを蹴り飛ばしておられます。警備兵が『アポイントメントのない方は通せません』と制止したところ、『王族にアポなどいるか! 不敬だぞ!』と暴れ始め……」


「……野蛮な」


私は呆れて頭痛がした。

アポなし訪問。

ビジネスにおいて、これほど相手の時間を奪う非効率で無礼な行為はない。

しかも王太子が、ゲートを蹴る?

ゴリラか何かだろうか。


「ラシード様。私が対応します」


私は立ち上がった。


「君が? 危険だ」


「いえ、これは『クレーム対応』の範疇です。元・責任者として、私が引導を渡してきます」


「……分かった。だが、私も行く。君に指一本でも触れさせはしない」


ラシード様の目が座っている。

完全に「排除モード」だ。


私たちは連れ立って、屋敷の玄関ホールへと向かった。





玄関ホールの重厚な扉の向こうから、ドンドン! と激しく叩く音と、怒鳴り声が聞こえてくる。


「開けろ! いるのは分かっているんだぞミリュー! 隠れてないで出てこい!」


「……近所迷惑ですね」


私は冷ややかに呟き、使用人に合図した。


「開けなさい」


ギィィィ……。


扉が開くと、そこには――。


「はぁ、はぁ……やっと開いたか!」


肩で息をするジェラルド殿下が立っていた。

その姿を見て、私は目を疑った。


かつてのキラキラしい王子の面影はどこにもない。

髪はボサボサ、目の下にはどす黒いクマ、頬はこけ、服はシワだらけ。

まるで三日間徹夜した後のプログラマーのような形相だ。


「……ジェラルド殿下?」


「おお、ミリュー! やっと会えた!」


ジェラルド殿下は私を見るなり、パァッと顔を輝かせ(ただし目は血走っている)、ズカズカと屋敷に入り込んできた。


「な、なんなんだこの屋敷の警備は! 私の顔パスが通用しないとは! 教育がなっていないぞ!」


「殿下。ここは公爵家の私有地です。王城とはセキュリティプロトコルが異なります」


私は冷淡に告げた。


「それで? アポイントメントもなしに、何のご用でしょうか。私の時給は高いと申し上げたはずですが」


「金の話などどうでもいい!」


ジェラルド殿下は叫んだ。


「ミリュー! 戻ってこい! 今すぐだ!」


「……は?」


「城が……執務室が、大変なことになっているんだ!」


ジェラルド殿下は両手で頭を抱え、早口でまくし立てた。


「書類が終わらない! 次から次へと湧いてくる! 予算会議の資料が作れない! 外交官の名前が覚えられない! リリナは『爪が割れた』と言って泣くだけで何の役にも立たん!」


彼は私にすがりつくような目で言った。


「お前がいなくなって分かった! あの『呪い』は、お前がいないと解けないんだ!」


「……まだ呪いだと思っているのですか」


私は深いため息をついた。

学習能力ゼロだ。


「殿下。それは呪いではありません。『業務遂行能力の欠如』です。ご自身の無能さを棚に上げて、オカルトに逃げないでください」


「うぐっ……! い、言い方がキツイぞミリュー!」


「事実です。でお帰りを。私は現在、こちらのラシード様と極めて生産的な日々を送っておりますので」


私は隣に立つラシード様を示した。

ラシード様は腕組みをし、仁王立ちで殿下を見下ろしている。


「……聞こえなかったか、殿下。帰れと言ったんだ」


「うるさいぞラシード! お前は黙っていろ!」


ジェラルド殿下は逆ギレした。


「だいたいな、ミリューは私の婚約者だったんだ! 十年間もだぞ! それをポッと出のお前が横取りしやがって! 返せ! 私の便利な道具(ミリュー)を返せ!」


ピキッ。


空気が凍りついた。

『便利な道具』。

その言葉が出た瞬間、ラシード様から殺気が溢れ出したが、それよりも早く、私が口を開いた。


「……道具、ですか」


私は静かに笑った。


「なるほど。殿下にとって私は、自動で書類を片付け、都合よく振る舞うだけの『道具』だったと」


「そ、そうだ! 道具なら道具らしく、持ち主の元へ戻れ! 今なら許してやる! リリナの下働きとしてなら、また城に置いてやってもいいぞ!」


殿下はそれが最大限の譲歩だと信じて疑わない顔で言った。


あまりの愚かさに、怒りを通り越して笑いがこみ上げてくる。


「……お断りします」


私はキッパリと拒絶した。


「は……? 断る、だと? 王太子の命令だぞ!?」


「私はもう貴方の部下でも婚約者でもありません。ただの民間人です。職業選択の自由があります」


私は一歩前に出た。


「それに殿下。貴方は大きな勘違いをされています」


「な、なんだ?」


「道具には、メンテナンスが必要です。手入れもせず、感謝もせず、雑に扱えば……道具だって壊れるし、逃げ出しもします」


私は冷たい目で見下ろした。


「私は、私を『最高傑作(パートナー)』として扱ってくれる場所を選びました。貴方のような、道具の使い方も知らない素人(ユーザー)はお断りです」


「き、きさま……っ!」


ジェラルド殿下の顔が怒りで歪む。


「ここまで言っても分からんのか! いい加減にしろ! これは強制連行だ!」


殿下は理性を失い、強硬手段に出た。

私の腕を掴もうと、乱暴に手を伸ばしてくる。


「来いッ!」


その手が私の腕に触れる――直前。


ガシィッ!!


殿下の手首が、空中で止められた。


万力のような力で締め上げられ、殿下が悲鳴を上げる。


「いっ……!?」


そこには、鬼の形相をしたラシード様が立っていた。


「……おい」


地獄の底から響くような声。


「私の妻に、その汚い手で触れようとするな」


ラシード様の青い瞳は、もはや人間のそれではない。

絶対零度の怒りが、物理的な冷気となってホールを包み込む。


「ひ、ひぃっ……!」


ジェラルド殿下が恐怖で顔を引きつらせる。


「ラ、ラシード……貴様、王族に剣を向ける気か……!?」


「剣など不要だ。……このまま手首をへし折って、二度とペンを持てなくしてやろうか?」


ボキボキ、と骨が軋む音がする。


(あ、ラシード様、マジですわ。止めないと外交問題になります)


私は冷静に計算し、ラシード様の肩に手を置いた。


「ラシード様、ステイ。ステイです」


「……しかし、ミリュー」


「ここで暴力を振るえば、こちらの不利になります。……もっと『効率的』かつ『精神的』に追い詰めましょう」


私はニッコリと笑い、痛みで涙目になっている殿下に向き直った。


「殿下。どうしても私に戻ってきてほしいのですね?」


「あ、ああ! 痛い! 離せ!」


「では、ビジネスの話をしましょう」


私は懐から、あらかじめ用意しておいた(いつか使うだろうと予測していた)書類を取り出した。


「これが、私が王宮に戻るための『条件提示書』です。この金額を支払えるなら、コンサルタントとして一時的に手を貸しても構いませんよ?」


「か、金か? いくらでも払ってやる!」


ジェラルド殿下は解放された手首をさすりながら、私の提示した書類をひったくった。


そして、そこに書かれた数字を見た瞬間。


「…………は?」


彼の目が点になり、時が止まった。


そこに書かれていたのは、王国の国家予算の三年分に相当する、天文学的な数字だったからだ。
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