悪役令嬢は婚約破棄に歓喜!

夏乃みのり

文字の大きさ
22 / 28

22

しおりを挟む
「ラシード様! しっかりしてください! 聞こえますか!?」


私の叫び声が、深夜の執務室に響き渡った。


膝から崩れ落ちたラシード様を、私は必死に抱きかかえていた。

重い。

鍛え上げられた成人男性の体躯は、私の腕力では支えきれない。

だが、そんな物理的な重さよりも、彼から伝わってくる異常な熱さが、私を恐怖させた。


「熱い……! 体温四十度超え!? これではタンパク質の変性が始まってしまいます!」


私はパニックになりかけながらも、職業的反射でトマスに指示を飛ばした。


「トマス! 至急、救護班を! それと氷嚢を五つ、着替え、水分補給用のスポーツドリンク(特製塩水)を用意して! 移動ルート確保、寝室へ運びます!」


「は、はいっ!」


トマスが走り出す。

私はラシード様の頬を軽く叩いた。


「ラシード様、応答してください! 意識レベルの確認です! 私の名前が言えますか!?」


「……み、みりゅ……」


彼はうわごとのように私の名前を呼び、そのままガクッと意識を途切れさせた。


「――ッ!!」


心臓が、早鐘を打つどころか、爆発しそうだった。

怖い。

ジェラルド殿下に怒鳴られた時も、国の経済が止まった時も、私は冷静だった。

計算と論理で解決できる問題だったからだ。


けれど、目の前でこの人が倒れているという事実は、どんな計算式にも当てはまらない「致命的なエラー」として、私の思考を停止させた。





公爵邸の主寝室。

天蓋付きの広大なベッドに、ラシード様は横たわっていた。


駆けつけた医師団の診察が終わり、医師長が私の前に進み出る。


「……過労ですな」


「過労?」


「はい。極度の疲労の蓄積に加え、心労、睡眠不足、そして……魔力欠乏症(マナ・ドレイン)の一歩手前です」


医師は眼鏡を押し上げた。


「公爵閣下は、ここ数日、常人離れした魔力を使用された形跡があります。おそらく、屋敷全体を覆う結界の維持や、大規模な通信魔法の行使など……ご自身の許容量(キャパシティ)を超えて魔力を酷使されたのでしょう」


「……!」


私は息を呑んだ。

心当たりしかない。

ジェラルド殿下から私を守るための「対人結界」。

経済制裁のための通信網の維持。

そして、私の指揮下で行われた徹夜の業務。


「すべて……私のせい……?」


「ミリュー様?」


「私が……私が彼のエネルギー管理(リソース・マネジメント)を怠ったせいです。彼が無茶をしているのを知りながら、私はそれを止めず、むしろ焚きつけて……」


血の気が引いていく。

私は「効率化」を謳っておきながら、最も大切な「最高責任者(パートナー)」の健康管理に失敗したのだ。

失格だ。

秘書としても、妻(仮)としても。


「ご自分を責めないでください。命に別状はありません。ただ、今は絶対安静が必要です。高熱が数日は続くでしょう」


医師は薬を処方し、使用人たちに看病の指示を出して去っていった。


部屋には、静寂と、ラシード様の荒い呼吸音だけが残された。


「……皆さん、下がって結構です」


私は使用人たちに告げた。


「で、ですが奥様、看病は私たちが……」


「いいえ。私がやります」


私はラシード様のベッドサイドに椅子を引き寄せ、座り込んだ。


「これは私の『業務上の過失』です。私が責任を持って、彼のコンディションを正常値に戻します。……誰にも触らせません」


私の気迫に押され、使用人たちは一礼して部屋を出て行った。


扉が閉まる。

広い寝室に、二人きり。


私は氷水に浸したタオルを絞り、ラシード様の額に乗せた。


「……冷たいですか?」


返事はない。

彼は苦しげに眉を寄せ、浅い呼吸を繰り返している。

いつもは冷静で、鉄壁のように強かった「氷の公爵」が、今はこんなにも無防備で、脆く見える。


「……馬鹿な人」


私は彼の熱い手を、両手で包み込んだ。


「どうしてここまで……。ただの契約でしょう? 私はただの、便利な事務員でしょう?」


国の経済を人質に取ってまで私を守り、倒れるまで魔力を使って私を安心させようとした。

非効率だ。

あまりにもコストパフォーマンスが悪い。


「割に合いませんよ、こんなの……」


視界が滲む。

涙?

私が泣いている?

嘘でしょう。計算高い悪役令嬢が、男のために泣くなんて。


私は手の甲で乱暴に目元を拭った。


「……計測不能(エラー)です」


ポタリ、と雫がラシード様の手の甲に落ちた。


「貴方が倒れたら、私は……私は、誰に『効率化』を褒めてもらえばいいのですか。誰と一緒に、悪巧みをすればいいのですか」


私の声は震えていた。


自由なスローライフ?

莫大な慰謝料?

そんなもの、今の私には何の価値もない。


ただ、彼に目覚めてほしい。

あの呆れたような顔で、「君はたくましいな」と笑ってほしい。

それだけが、今の私の唯一の「願望(タスク)」だった。


「……ん、ぅ……」


ラシード様が身じろぎした。

氷嚢がずり落ちる。


「あ、いけない」


私は慌ててタオルを替えようとした。


その時。


ガシッ。


熱い手が、私の手首を掴んだ。


「……いかないで」


かすれた、子供のような声だった。


「ラシード様? ここにいますよ。どこにも行きません」


「……ミリュー……」


彼はうっすらと目を開けた。

焦点が合っていない。

熱に浮かされているようだ。


「……俺の……だ」


「はい?」


「ミリューは……俺の……光だ……」


彼は私の手を自分の頬に押し当て、愛おしそうに擦り寄せた。


「……契約なんかじゃない……」


「えっ……」


「最初から……ずっと……君だけを……」


そこで言葉は途切れ、彼は再び深い眠りに落ちていった。


私は石のように固まっていた。


今の言葉。

『契約じゃない』。

『最初から』。


それはつまり――。


私の脳内コンピューターが、過去のデータを高速で再検証し始めた。


・王城でのすれ違いざまの視線。

・突然のマロングラッセの差し入れ。

・「一目惚れした」という発言(私は能力への評価だと思っていた)。

・不器用すぎるアプローチの数々。


すべての点と点が繋がり、一つの「答え」を導き出した。


『結論:彼は、私の能力(スペック)ではなく、私自身(ミリュー)を愛していた』


カァァァァァッ!!


今度こそ、私は沸騰した。

ラシード様の熱が感染ったわけではない。

自分の内側から、止めようのない熱量が溢れ出しているのだ。


(うそ……嘘でしょ……!?)


私は真っ赤な顔を手で覆った。


(気づかなかった……! 私、なんて鈍感なの! 『効率厨』同士のビジネスパートナーだと思っていたのに、まさか純愛だったなんて!)


心拍数が計測限界を突破する。


ベッドの上の彼を見る目が、変わってしまう。

ただの「ボス」ではない。

私を、一人の女性として愛してくれている「男性」。


「……反則です」


私は眠る彼の耳元で囁いた。


「寝言で告白するなんて……非効率にも程があります」


私は彼の手を握り直した。

今度は、看護者としてではなく、恋する女性として。


「……覚悟してくださいね、ラシード様」


私は決意を込めて言った。


「回復したら、きっちり『責任』を取っていただきます。……言質は取りましたから」


長い夜が始まった。

私は一睡もせず、彼の手を握り続け、数分おきに熱を測り、水分を与え続けた。


それは私の人生で最も非効率で、最も生産性がなく、そして最も幸福な「残業」だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

「美しい女性(ヒト)、貴女は一体、誰なのですか?」・・・って、オメエの嫁だよ

猫枕
恋愛
家の事情で12才でウェスペル家に嫁いだイリス。 当時20才だった旦那ラドヤードは子供のイリスをまったく相手にせず、田舎の領地に閉じ込めてしまった。 それから4年、イリスの実家ルーチェンス家はウェスペル家への借金を返済し、負い目のなくなったイリスは婚姻の無効を訴える準備を着々と整えていた。 そんなある日、領地に視察にやってきた形だけの夫ラドヤードとばったり出くわしてしまう。 美しく成長した妻を目にしたラドヤードは一目でイリスに恋をする。 「美しいひとよ、貴女は一体誰なのですか?」 『・・・・オメエの嫁だよ』 執着されたらかなわんと、逃げるイリスの運命は?

前世の記憶しかない元侯爵令嬢は、訳あり大公殿下のお気に入り。(注:期間限定)

miy
恋愛
(※長編なため、少しネタバレを含みます) ある日目覚めたら、そこは見たことも聞いたこともない…異国でした。 ここは、どうやら転生後の人生。 私は大貴族の令嬢レティシア17歳…らしいのですが…全く記憶にございません。 有り難いことに言葉は理解できるし、読み書きも問題なし。 でも、見知らぬ世界で貴族生活?いやいや…私は平凡な日本人のようですよ?…無理です。 “前世の記憶”として目覚めた私は、現世の“レティシアの身体”で…静かな庶民生活を始める。 そんな私の前に、一人の貴族男性が現れた。 ちょっと?訳ありな彼が、私を…自分の『唯一の女性』であると誤解してしまったことから、庶民生活が一変してしまう。 高い身分の彼に関わってしまった私は、元いた国を飛び出して魔法の国で暮らすことになるのです。 大公殿下、大魔術師、聖女や神獣…等など…いろんな人との出会いを経て『レティシア』が自分らしく生きていく。 という、少々…長いお話です。 鈍感なレティシアが、大公殿下からの熱い眼差しに気付くのはいつなのでしょうか…? ※安定のご都合主義、独自の世界観です。お許し下さい。 ※ストーリーの進度は遅めかと思われます。 ※現在、不定期にて公開中です。よろしくお願い致します。 公開予定日を最新話に記載しておりますが、長期休載の場合はこちらでもお知らせをさせて頂きます。 ※ド素人の書いた3作目です。まだまだ優しい目で見て頂けると嬉しいです。よろしくお願いします。 ※初公開から2年が過ぎました。少しでも良い作品に、読みやすく…と、時間があれば順次手直し(改稿)をしていく予定でおります。(現在、146話辺りまで手直し作業中) ※章の区切りを変更致しました。(9/22更新)

十年間虐げられたお針子令嬢、冷徹侯爵に狂おしいほど愛される。

er
恋愛
十年前に両親を亡くしたセレスティーナは、後見人の叔父に財産を奪われ、物置部屋で使用人同然の扱いを受けていた。義妹ミレイユのために毎日ドレスを縫わされる日々——でも彼女には『星霜の記憶』という、物の過去と未来を視る特別な力があった。隠されていた舞踏会の招待状を見つけて決死の潜入を果たすと、冷徹で美しいヴィルフォール侯爵と運命の再会! 義妹のドレスが破れて大恥、叔父も悪事を暴かれて追放されるはめに。失われた伝説の刺繍技術を復活させたセレスティーナは宮廷筆頭職人に抜擢され、「ずっと君を探していた」と侯爵に溺愛される——

投資の天才”を名乗る臣民たちよ。 その全財産、確かに受け取った。 我が民のために活かそう』 〜虚飾を砕く女王の経済鉄槌〜

しおしお
恋愛
バブルに沸くアルビオン王国。 「エルドラド株」を持たぬ者は時代遅れ―― そう嘲笑いながら、実体のない海外権益へ全財産を注ぎ込む貴族たち。 自らを“投資の天才”と称し、増税に苦しむ民を見下す日々。 若き女王リリアーナは、その狂騒を静かに見つめていた。 やがて始まる王室監査。 暴かれる虚偽契約。 崩れ落ちる担保。 連鎖する破綻。 昨日まで「時代の勝者」を気取っていた特権階級は、一夜にして無一文へ。 泣きつく彼らに、女王はただ微笑む。 ――“皆様の尊いご投資、確かに受け取りましたわ” 没収された富は国庫へ。 再配分された資源は民へ。 虚飾を砕き、制度を再設計し、王国を立て直す。 これは復讐譚ではない。 清算と再建の物語。 泡沫の王国に、女王の鉄槌が下される。

大根令嬢の雑学無双、王弟殿下を添えて。~ 前世を思い出したので、許婚をほったらかして人助けしまくります!!

古森真朝
恋愛
気弱な伯爵令嬢のカレンは、自分勝手な婚約者レナートに振り回されていた。耐え続けていたある日、舞踏会で何者かに突き飛ばされ、階段から落ちてしまう。 その傷が元で儚く……なるかと思いきや。衝撃で前世を思い出したカレンは一転、かの『ド根性大根』みたいな超・ポジティブ人間になっていた。 『モラハラ婚約者の思惑なんぞ知るか!! 今度こそ好きなことやって、目いっぱい幸せに長生きするんだから!!!』 昔ひたすら読書に耽って身に着けた『雑学』を武器に、うっかり採れ過ぎた作物や、開墾しようとすると不幸に見舞われる土地、不治の病にかかった王族、等々の問題をどんどん解決。 領地の内外で心強い友人が出来たり、いつの間にかものすごく有名になっていたり、何かと協力してくれる王弟ヴィクトルから好意を寄せられたり(注:気付いてない)する中、温かい家族と共に仕事に励んでいく。 一方、前世から因縁のある人々もまた、こちらに転生していて――

処理中です...