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小鳥のさえずりが、朝の訪れを告げていた。
カーテンの隙間から差し込む白い光が、ベッドに横たわるラシード様の顔を照らす。
私はその横で、椅子に座ったまま、彼の寝顔をじっと見つめていた。
「……ン、ぅ……」
ラシード様の睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれた。
美しい青色の瞳が、ぼんやりと天井を彷徨い、やがて私の顔で止まる。
「……ミリュー?」
かすれた声。
まだ熱が残っているのか、瞳は潤んでいる。
「おはようございます、ラシード様。現在時刻は午前七時。……生還、おめでとうございます」
私は努めて冷静に、いつもの調子で声をかけた。
だが、声が少し震えてしまったのは、徹夜明けのせいだけではない。
「私は……倒れたのか?」
「はい。診断名は『極度の過労および魔力欠乏症』。全治三日の絶対安静です」
私は濡れたタオルを彼の額から取り除いた。
「無茶をしすぎです。貴方は公爵家のトップであり、国の宰相です。その貴方がダウンしたら、リスクマネジメントも何もあったものではありません」
私は小言を言いながら、サイドテーブルの水差しを取った。
「さあ、水分補給を。……飲めますか?」
ラシード様は上半身を起こそうとしたが、ふらついて枕に沈んだ。
「くっ……体が、鉛のように重い」
「無理です。筋力が低下しています。……失礼しますね」
私はグラスを自分の口に運び、一口含んだ。
そして、ラシード様の唇に自分の唇を重ねた。
「……んっ!?」
ラシード様の目がカッと見開かれる。
私は構わず、口移しで水を流し込んだ。
これが一番「効率的」だからだ(という建前がないと、今の私には恥ずかしくてできなかった)。
ゴクッ、と喉が鳴る。
唇を離すと、ラシード様は茹でダコのように真っ赤になっていた。
「な、な、なにするんだミリュー!?」
「水分補給です。嚥下能力が低下した患者への介護として、マニュアルにはありませんが、緊急措置として採用しました」
私は顔を背け、赤くなった頬を隠した。
「……嫌でしたか?」
「嫌なわけ……ないだろう……!」
ラシード様は口元を手で覆い、身悶えるように呟いた。
「むしろ、心臓が止まるかと思った……。熱が上がりそうだ」
「それは困ります。これ以上体温が上がると、脳細胞にダメージが……」
「ミリュー」
不意に、真剣な声で名前を呼ばれた。
彼の手が伸びてきて、私の頬に触れる。
「……ずっと、傍にいてくれたのか?」
「……はい。貴方の管理責任者ですので」
「目の下にクマができている。……君こそ、倒れてしまうぞ」
「私は丈夫です。それに……」
私は彼の手に自分の手を重ねた。
「貴方がうなされている間、ずっと手を握っていてほしいと懇願されたので。離すに離せませんでした(嘘です。私が離したくなかっただけです)」
ラシード様はハッとした顔をした。
「私は……何か言ったか? うなされている間に」
「……ええ。色々と」
私は意地悪く笑った。
「『仕事に行きたくない』とか、『マロングラッセが食べたい』とか」
「そんな子供じみたことは言わん!」
「あとは……」
私は少し間を置いて、彼を見つめた。
「『契約なんかじゃない』……とも」
ピタリ。
ラシード様の動きが止まった。
時が止まったような静寂。
彼の顔から血の気が引き、そして次の瞬間に爆発的な赤色が戻ってきた。
「き、聞かれて……いたのか……」
「はい。バッチリ録音したいくらい鮮明に」
「あ、ああっ……!」
ラシード様は枕に顔を埋め、足をバタバタさせた。
氷の公爵の威厳はゼロだ。
ただの「恥ずかしすぎて死にそうな青年」である。
「忘れてくれ! あれは熱のせいだ! 脳がバグっていたんだ!」
「いいえ、忘れられません」
私は彼の手首を掴み、強引に顔を上げさせた。
「ラシード様。私は合理主義者です。曖昧なデータは好みません」
私は彼を逃さないよう、ベッドに身を乗り出した。
「あの言葉は、『バグ(誤作動)』ですか? それとも『仕様(本心)』ですか? ……ハッキリさせてください」
私の心臓もうるさいくらい鳴っている。
でも、ここで引くわけにはいかない。
曖昧なままの関係は、非効率的で、何より私の精神衛生上よろしくない。
ラシード様は観念したように息を吐き、そして覚悟を決めたように私を見つめ返した。
その瞳は、熱のせいで潤んではいたが、吸い込まれそうなほど深い青色を湛えていた。
「……仕様だ」
「え?」
「バグではない。……私の、本心だ」
彼は私の手を強く握り返した。
「ミリュー。私は君を、ただの便利なパートナーとして見ているわけではない」
「……はい」
「最初はそうだったかもしれない。君の有能さに惹かれ、君の作る書類の美しさに惚れ込んだ。……だが、共に過ごすうちに、君という人間に、どうしようもなく惹かれてしまったんだ」
彼は一言一言、噛み締めるように紡いだ。
「君が笑うと、胸が苦しくなる。君が怒ると、愛おしくてたまらない。君がいないと、世界の色が褪せて見える。……君を守るためなら、国なんてどうなってもいいとさえ思った」
それは、あまりにも不器用で、でもあまりにも真摯な愛の告白だった。
「ミリュー・アークライト。……私は君を愛している。契約結婚ではなく、本当の夫婦になりたい」
ドクン。
私のシステム(理性)が、完全にダウンした。
想定していた回答だ。
予測していたセリフだ。
なのに、実際に彼の口から聞くと、どんな衝撃にも耐えられるはずの私の防壁が、紙切れのように吹き飛んでしまった。
「あ……う……」
私は口をパクパクさせた。
何か気の利いた返しをしなければ。
『了解しました』とか、『承認します』とか。
でも、出てきた言葉は、あまりにもポンコツだった。
「……へ、弊社としても……前向きに検討……いえ、即時採用で……」
「ふっ……」
ラシード様が噴き出した。
「なんだその返事は。……そこは『私も愛しています』だろう?」
「い、言えません! 恥ずかしすぎて舌が回りますん……噛みました!」
私が真っ赤になって口を押さえると、彼は優しく微笑み、私の頭を引き寄せた。
「いいよ。君らしくて」
チュッ。
彼はおでこではなく、私の唇に、そっとキスをした。
水のような、でも熱い、ファーストキス。
「んっ……」
思考停止。
フリーズ。
再起動不能。
「……これで、契約更新だな?」
彼が悪戯っぽく笑う。
私は湯気を出しながら、コクコクと首を縦に振ることしかできなかった。
「あ、あの……ラシード様」
「なんだ?」
「心拍数が……異常値です。救急車を……」
「必要ない。私の心臓も同じくらい暴れているからな」
彼は私を抱きしめたまま、幸せそうに目を閉じた。
「もう少し、こうしていてくれ。……これが一番の特効薬だ」
「……はい。了解です、ボス」
私は彼の胸に顔を埋め、その温もりと、鼓動のリズムに身を委ねた。
窓の外では、新しい朝の光が、世界を祝福するように輝いていた。
こうして、私たちの関係は、「契約上のパートナー」から「相思相愛の恋人(バカップル)」へと、劇的なバージョンアップを果たしたのである。
ただし。
この甘い時間をぶち壊す「招かれざる客」が、再び現れるまでは――。
カーテンの隙間から差し込む白い光が、ベッドに横たわるラシード様の顔を照らす。
私はその横で、椅子に座ったまま、彼の寝顔をじっと見つめていた。
「……ン、ぅ……」
ラシード様の睫毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれた。
美しい青色の瞳が、ぼんやりと天井を彷徨い、やがて私の顔で止まる。
「……ミリュー?」
かすれた声。
まだ熱が残っているのか、瞳は潤んでいる。
「おはようございます、ラシード様。現在時刻は午前七時。……生還、おめでとうございます」
私は努めて冷静に、いつもの調子で声をかけた。
だが、声が少し震えてしまったのは、徹夜明けのせいだけではない。
「私は……倒れたのか?」
「はい。診断名は『極度の過労および魔力欠乏症』。全治三日の絶対安静です」
私は濡れたタオルを彼の額から取り除いた。
「無茶をしすぎです。貴方は公爵家のトップであり、国の宰相です。その貴方がダウンしたら、リスクマネジメントも何もあったものではありません」
私は小言を言いながら、サイドテーブルの水差しを取った。
「さあ、水分補給を。……飲めますか?」
ラシード様は上半身を起こそうとしたが、ふらついて枕に沈んだ。
「くっ……体が、鉛のように重い」
「無理です。筋力が低下しています。……失礼しますね」
私はグラスを自分の口に運び、一口含んだ。
そして、ラシード様の唇に自分の唇を重ねた。
「……んっ!?」
ラシード様の目がカッと見開かれる。
私は構わず、口移しで水を流し込んだ。
これが一番「効率的」だからだ(という建前がないと、今の私には恥ずかしくてできなかった)。
ゴクッ、と喉が鳴る。
唇を離すと、ラシード様は茹でダコのように真っ赤になっていた。
「な、な、なにするんだミリュー!?」
「水分補給です。嚥下能力が低下した患者への介護として、マニュアルにはありませんが、緊急措置として採用しました」
私は顔を背け、赤くなった頬を隠した。
「……嫌でしたか?」
「嫌なわけ……ないだろう……!」
ラシード様は口元を手で覆い、身悶えるように呟いた。
「むしろ、心臓が止まるかと思った……。熱が上がりそうだ」
「それは困ります。これ以上体温が上がると、脳細胞にダメージが……」
「ミリュー」
不意に、真剣な声で名前を呼ばれた。
彼の手が伸びてきて、私の頬に触れる。
「……ずっと、傍にいてくれたのか?」
「……はい。貴方の管理責任者ですので」
「目の下にクマができている。……君こそ、倒れてしまうぞ」
「私は丈夫です。それに……」
私は彼の手に自分の手を重ねた。
「貴方がうなされている間、ずっと手を握っていてほしいと懇願されたので。離すに離せませんでした(嘘です。私が離したくなかっただけです)」
ラシード様はハッとした顔をした。
「私は……何か言ったか? うなされている間に」
「……ええ。色々と」
私は意地悪く笑った。
「『仕事に行きたくない』とか、『マロングラッセが食べたい』とか」
「そんな子供じみたことは言わん!」
「あとは……」
私は少し間を置いて、彼を見つめた。
「『契約なんかじゃない』……とも」
ピタリ。
ラシード様の動きが止まった。
時が止まったような静寂。
彼の顔から血の気が引き、そして次の瞬間に爆発的な赤色が戻ってきた。
「き、聞かれて……いたのか……」
「はい。バッチリ録音したいくらい鮮明に」
「あ、ああっ……!」
ラシード様は枕に顔を埋め、足をバタバタさせた。
氷の公爵の威厳はゼロだ。
ただの「恥ずかしすぎて死にそうな青年」である。
「忘れてくれ! あれは熱のせいだ! 脳がバグっていたんだ!」
「いいえ、忘れられません」
私は彼の手首を掴み、強引に顔を上げさせた。
「ラシード様。私は合理主義者です。曖昧なデータは好みません」
私は彼を逃さないよう、ベッドに身を乗り出した。
「あの言葉は、『バグ(誤作動)』ですか? それとも『仕様(本心)』ですか? ……ハッキリさせてください」
私の心臓もうるさいくらい鳴っている。
でも、ここで引くわけにはいかない。
曖昧なままの関係は、非効率的で、何より私の精神衛生上よろしくない。
ラシード様は観念したように息を吐き、そして覚悟を決めたように私を見つめ返した。
その瞳は、熱のせいで潤んではいたが、吸い込まれそうなほど深い青色を湛えていた。
「……仕様だ」
「え?」
「バグではない。……私の、本心だ」
彼は私の手を強く握り返した。
「ミリュー。私は君を、ただの便利なパートナーとして見ているわけではない」
「……はい」
「最初はそうだったかもしれない。君の有能さに惹かれ、君の作る書類の美しさに惚れ込んだ。……だが、共に過ごすうちに、君という人間に、どうしようもなく惹かれてしまったんだ」
彼は一言一言、噛み締めるように紡いだ。
「君が笑うと、胸が苦しくなる。君が怒ると、愛おしくてたまらない。君がいないと、世界の色が褪せて見える。……君を守るためなら、国なんてどうなってもいいとさえ思った」
それは、あまりにも不器用で、でもあまりにも真摯な愛の告白だった。
「ミリュー・アークライト。……私は君を愛している。契約結婚ではなく、本当の夫婦になりたい」
ドクン。
私のシステム(理性)が、完全にダウンした。
想定していた回答だ。
予測していたセリフだ。
なのに、実際に彼の口から聞くと、どんな衝撃にも耐えられるはずの私の防壁が、紙切れのように吹き飛んでしまった。
「あ……う……」
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チュッ。
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思考停止。
フリーズ。
再起動不能。
「……これで、契約更新だな?」
彼が悪戯っぽく笑う。
私は湯気を出しながら、コクコクと首を縦に振ることしかできなかった。
「あ、あの……ラシード様」
「なんだ?」
「心拍数が……異常値です。救急車を……」
「必要ない。私の心臓も同じくらい暴れているからな」
彼は私を抱きしめたまま、幸せそうに目を閉じた。
「もう少し、こうしていてくれ。……これが一番の特効薬だ」
「……はい。了解です、ボス」
私は彼の胸に顔を埋め、その温もりと、鼓動のリズムに身を委ねた。
窓の外では、新しい朝の光が、世界を祝福するように輝いていた。
こうして、私たちの関係は、「契約上のパートナー」から「相思相愛の恋人(バカップル)」へと、劇的なバージョンアップを果たしたのである。
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