悪役令嬢は婚約破棄に歓喜!

夏乃みのり

文字の大きさ
25 / 28

25

しおりを挟む
「……婚姻……届……?」


ラシード様は、私が差し出したピンク色の用紙を、まるで未知の古代魔法のスクロールでも解読するかのように凝視していた。


手が震えている。

小刻みに、プルプルと。

あの「氷の公爵」が、紙一枚の重さに耐えかねているようだ。


「ミリュー……これは、本気か?」


彼が恐る恐る顔を上げる。

その表情は、期待と不安、そして爆発寸前の歓喜が入り混じった、非常に人間臭いものだった。


「本気です。偽造文書ではありません」


私は努めて事務的に答えた。

そうしないと、私の方こそ心臓がオーバーヒートして倒れてしまいそうだったからだ。


「先ほど申し上げた通り、現在の契約は破棄します。その代わり……」


私は深呼吸をして、彼の目を真っ直ぐに見つめた。


「この『終身雇用契約(結婚)』への切り替えを提案します。……これなら、貴方が心配していた『別れ』のリスクもゼロになりますし、私も貴方の傍で、堂々と領地経営(家計管理)に口出しできます」


「……リスクゼロ」


「はい。さらに、夫婦共有財産となることで、貴方の資産運用効率も上がりますし、精神的安定による生産性向上も見込めます。メリットしかありません」


私は必死にメリットを羅列した。

好きだから結婚したい、というシンプルな感情を、ロジックで武装しないと伝えられない。

それが私の、精一杯の不器用な愛の伝え方だった。


ラシード様は、しばらく呆然としていたが、やがて――。


「……ははっ」


乾いた笑い声を漏らし、そして片手で顔を覆った。


「……敵わないな」


「え?」


「君には敵わない。……まさか、こんなに論理的で、こんなに色気のない、そして……こんなに嬉しいプロポーズを受けるなんて」


彼は顔を覆った指の隙間から、私を見ていた。

その瞳は、熱い涙で潤んでいた。


「ミリュー。……君は本当に、私でいいのか?」


「今さら何を仰るのですか」


「私は仕事中毒で、不器用で、君に『道具』だと言い放った男(ジェラルド)の親族だぞ? 君をもっと、普通の幸せで包んでやれる男がいるんじゃないか?」


ネガティブ思考が発動している。

私は溜め息をつき、テーブルを回り込んで彼の前に立った。


そして、彼の頬を両手で挟み、上を向かせた。


「ラシード様。私の『普通の幸せ』の定義を修正してください」


「修正?」


「はい。私の幸せは、ただ着飾ってお茶を飲むことではありません。……貴方と一緒に、難解な書類と格闘し、無茶なスケジュールをこなし、そして……一日の終わりに『お疲れ様』と言って、同じベッドで眠ることです」


私は顔を近づけた。


「貴方以上の『優良物件』なんて、この世に存在しません。……私が計算済みです」


その言葉が、決定打(トリガー)となった。


「……ミリューッ!!」


ラシード様は私を抱き寄せ、椅子ごと回転するかのような勢いで立ち上がった。


「採用だ! 即時採用だ! 試用期間もなし! 一生、いや来世まで私のものだ!」


「き、苦しいですラシード様! 圧力が強すぎます!」


「離さない! もう二度と、契約解除なんて言わせないぞ!」


彼は子供のように私を抱きしめ、私の首筋に顔を埋めた。


「愛してる……。愛してるよ、ミリュー。私の最高のパートナー。私の可愛い奥さん」


「……はい。私もです、旦那様」


私は彼の背中に手を回し、そっと囁いた。


「永久就職、させていただきますね」





その後の執務室は、甘い空気に包まれて……いる暇はなかった。


「さて、ラシード様。感傷に浸る時間は終了です」


私はラシード様の腕から抜け出し、パンパンと手を叩いた。


「えっ? もう終わり? もう少し余韻を……」


「書類(これ)を提出しないと、契約は発効しません」


私はペンを彼に握らせた。


「さあ、サインを。署名捺印、漏れなくお願いします」


「き、君は本当にムードがないな……」


ラシード様は苦笑しながらも、幸せそうにペンを走らせた。


『ラシード・ヴァン・クライシス』


力強い文字が、夫の欄に刻まれる。

続いて、私が妻の欄にサインをする。


『ミリュー・ヴァン・クライシス(旧姓:アークライト)』


書き終えた瞬間、紙が淡い光を放った。

受理の魔法だ。

これで、私たちは法的にも、魔術的にも、正式な夫婦となった。


「……これで、本当にミリュー・ヴァン・クライシスか」


ラシード様が私の名前を指でなぞる。


「なんか、強そうだな」


「ええ。最強の響きですわ」


私は満足げに頷いた。


「さて、身辺整理も済んだことですし……次はいよいよ、残っている『負債(ゴミ)』の最終処分を行いましょうか」


私の目が、キラーンと光った。


「負債?」


「ジェラルド元殿下と、リリナ元嬢です」


私はホワイトボードの裏側をひっくり返した。

そこには、『ザマァ計画・最終章~完膚なきまでの社会的制裁~』という、恐ろしいフローチャートが描かれていた。


「彼らを野放しにしておいては、私たちの新婚生活(ハネムーン)に支障が出ます。……徹底的に、掃除しましょう」


ラシード様は、そんな私を見て、深く、深く頷いた。


「ああ。やろう。……私の妻を傷つけた代償、たっぷりと払わせよう」


彼は私の肩を抱き、悪魔的な笑みを浮かべた。


「私たちがタッグを組めば、神でも殺せる気がするな」


「神殺しは非効率なのでパスですが、バカ王子と悪女くらいなら、朝飯前です」


私たちは顔を見合わせて笑った。


愛の誓いを立てた直後に、復讐の相談をする。

なんてロマンチックで、なんて効率的な新婚夫婦だろうか。


「では、参りましょうか。……断罪のステージへ」


私たちは手を取り合い、執務室を出た。

その足取りは、バージンロードを歩くときのように軽やかで、そして処刑台に向かう死神のように冷徹だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

白い結婚を捨てた王妃は、もう二度と振り向かない ――愛さぬと言った王子が全てを失うまで』

鍛高譚
恋愛
「私は王妃を愛さない。彼女とは白い結婚を誓う」 華やかな王宮の大聖堂で交わされたのは、愛の誓いではなく、冷たい拒絶の言葉だった。 王子アルフォンスの婚姻相手として選ばれたレイチェル・ウィンザー。しかし彼女は、王妃としての立場を与えられながらも、夫からも宮廷からも冷遇され、孤独な日々を強いられる。王の寵愛はすべて聖女ミレイユに注がれ、王宮の権力は彼女の手に落ちていった。侮蔑と屈辱に耐える中、レイチェルは誇りを失わず、密かに反撃の機会をうかがう。 そんな折、隣国の公爵アレクサンダーが彼女の前に現れる。「君の目はまだ死んでいないな」――その言葉に、彼女の中で何かが目覚める。彼はレイチェルに自由と新たな未来を提示し、密かに王宮からの脱出を計画する。 レイチェルが去ったことで、王宮は急速に崩壊していく。聖女ミレイユの策略が暴かれ、アルフォンスは自らの過ちに気づくも、時すでに遅し。彼が頼るべき王妃は、もはや遠く、隣国で新たな人生を歩んでいた。 「お願いだ……戻ってきてくれ……」 王国を失い、誇りを失い、全てを失った王子の懇願に、レイチェルはただ冷たく微笑む。 「もう遅いわ」 愛のない結婚を捨て、誇り高き未来へと進む王妃のざまぁ劇。 裏切りと策略が渦巻く宮廷で、彼女は己の運命を切り開く。 これは、偽りの婚姻から真の誓いへと至る、誇り高き王妃の物語。

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

婚約者が最凶すぎて困っています

白雲八鈴
恋愛
今日は婚約者のところに連行されていました。そう、二か月は不在だと言っていましたのに、一ヶ月しか無かった私の平穏。 そして現在進行系で私は誘拐されています。嫌な予感しかしませんわ。 最凶すぎる第一皇子の婚約者と、その婚約者に振り回される子爵令嬢の私の話。 *幼少期の主人公の言葉はキツイところがあります。 *不快におもわれましたら、そのまま閉じてください。 *作者の目は節穴ですので、誤字脱字があります。 *カクヨム。小説家になろうにも投稿。

【完結】メルティは諦めない~立派なレディになったなら

すみ 小桜(sumitan)
恋愛
 レドゼンツ伯爵家の次女メルティは、水面に映る未来を見る(予言)事ができた。ある日、父親が事故に遭う事を知りそれを止めた事によって、聖女となり第二王子と婚約する事になるが、なぜか姉であるクラリサがそれらを手にする事に――。51話で完結です。

婚約破棄された令嬢は、ざまぁの先で国を動かす ――元王太子の後悔が届かないほど、私は前へ進みます』

ふわふわ
恋愛
名門アーデン公爵家の令嬢ロザリーは、 王太子エドワードの婚約者として完璧に役目を果たしてきた――はずだった。 しかし彼女に返ってきたのは、 「聖女」と名乗る平民の少女に心酔した王太子からの一方的な婚約破棄。 感情論と神託に振り回され、 これまでロザリーが支えてきた国政はたちまち混乱していく。 けれど、ロザリーは泣かない。縋らない。復讐に溺れもしない。 「では、私は“必要な場所”へ行きますわ」 冷静に、淡々と、 彼女は“正しい判断”と“責任の取り方”だけで評価を積み上げ、 やがて王太子すら手を出せない国政の中枢へ――。 感情で選んだ王太子は静かに失墜し、 理性で積み上げた令嬢は、誰にも代替できない存在になる。 これは、 怒鳴らない、晒さない、断罪しない。 それでも確実に差がついていく、**強くて静かな「ざまぁ」**の物語。 婚約破棄の先に待っていたのは、 恋愛の勝利ではなく、 「私がいなくても国が回る」ほどの完成された未来だった。 ――ざまぁの、そのさらに先へ進む令嬢の物語。

だってわたくし、悪女ですもの

さくたろう
恋愛
 妹に毒を盛ったとして王子との婚約を破棄された令嬢メイベルは、あっさりとその罪を認め、罰として城を追放、おまけにこれ以上罪を犯さないように叔父の使用人である平民ウィリアムと結婚させられてしまった。  しかしメイベルは少しも落ち込んでいなかった。敵対視してくる妹も、婚約破棄後の傷心に言い寄ってくる男も華麗に躱しながら、のびやかに幸せを掴み取っていく。 小説家になろう様にも投稿しています。

転生皇女セラフィナ

秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。 目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。 赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。 皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。 前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。 しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。 一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。 「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」 そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。 言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。 それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。 転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。 ※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

処理中です...