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「お父様、ただいま戻りました。予定通り婚約破棄されてきましたので、ご報告いたします」
夜も更けたローウェル公爵邸の書斎。
私は、深夜にもかかわらずブランデーを煽っていた父、ローウェル公爵に向かって、爽やかに言い放ちました。
父は持っていたグラスを床に落とし、ガシャーンと派手な音を立てました。
「……予定通りだと? 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「はい。第一王子カイル様より、大勢の面前で『冷酷非道な蛇のような女』との身に余る評価をいただき、無事に婚約解消の合意を取り付けてまいりました」
「この、馬鹿娘が! 公爵家の泥を塗りおって! 王家との繋がりを失うことがどれほどの損失か分からんのか!」
父の怒号が書斎に響き渡りますが、私は動じません。
むしろ、父が「損失」という言葉を使ったことに、内心でニヤリと笑いました。
「お言葉ですがお父様。あの無能な王子にこれ以上投資を続けることこそ、我が家にとって最大の損失でございます。彼の尻拭いのために私が費やした人件費と精神的苦痛を換算すれば、今回の破棄はむしろ『損切り』として極めて妥当な判断です」
「損切り……だと?」
「左様です。つきましては、お父様も私を勘当なさるおつもりでしょう? 話が早くて助かります」
私は手元のバインダーから、一枚の書類を差し出しました。
「これは何だ?」
「『親族関係終了および資産分与に関する合意書』です。お父様が私を追い出す際の手間を省くため、あらかじめ作成しておきました」
父は書類を奪い取るようにして眺め、その顔をみるみるうちに引きつらせていきました。
「な、何だこの金額は……。慰謝料に加え、幼少期からの教育費の返還……? いや、お前が我が家に請求しているのか!?」
「当然です。私は十歳から公爵家の帳簿管理を行い、不透明な接待費を三割削減し、さらに領地の特産品を王宮へ高値で売り込むルートを開拓いたしました。これらの労働報酬が未払いとなっております」
「……ぐ、ぐぬぬ」
「お父様、今ここで私を追い出せば、不当解雇および労働基準違反で社交界の監査委員会に訴え出る準備もございます。それとも、ここにサインをして、円満に私を放逐なさいますか?」
父は震える手でペンを握りました。
彼は見栄っ張りですから、娘に訴えられて家の恥をさらすことだけは絶対に避けたいはずです。
「分かった、分かったから出て行け! 二度とその面を見せるな!」
殴り書きのようなサインをいただいた瞬間、私は書類を回収し、恭しく一礼しました。
「ありがとうございます。では、失礼いたします。あ、荷まとめは既に終わっておりますので、五分以内に退去いたしますわ」
「五分!? いつの間に準備を……」
私は父の驚愕を背中に受けながら、自分の部屋へと疾走しました。
部屋では、すでに執事のゼクスが待機していました。
……いえ、彼は王宮の宰相補佐ですが、なぜか我が家の私室に平然と立っています。
「ヒーナ様、お帰りなさいませ。非常に迅速な『損切り』でしたね」
「あらゼクス。人の部屋に勝手に入らないでくださる? 不法侵入料を請求しますわよ」
「それは後ほど、私の給料から差し引いておいてください。それよりも、荷物の運び出しは終わっています」
ゼクスが指さした先には、私の私物である高価なドレスや宝石……ではなく、換金性の高い金貨の袋と、重要書類の束が詰められた小さなカバンが二つ。
「さすがゼクス。分かっていますわね。ドレスなんて重いだけで、維持費がかさむゴミですもの」
「ええ。装飾品はすべて先ほど、信頼できる質屋に流しておきました。鑑定額は相場の二割増しで手を打たせています」
「素晴らしいわ。あなた、私の秘書として雇いたいけれど、今の私にはまだ給与を支払う余裕がなくて残念です」
「出世払いで構いませんよ。ところで、これからどこへ?」
私はニヤリと口角を上げました。
「王都の端にある、あの『幽霊屋敷』よ」
「……あそこですか。確かに土地代はタダ同然ですが、あばら家ですよ?」
「いいえ。あそこは将来、新設される魔導列車の停車駅の目の前になる場所です。今のうちに占有権を確保しておけば、数年後には土地の価値が百倍になりますわ」
私はカバンを手に取り、窓から庭へと続く非常階段へと向かいました。
正面玄関から出ると、父の気が変わって捕まる可能性がありますからね。
「さようなら、豪華な檻。こんにちは、自由という名の資本主義!」
夜風に髪をなびかせながら、私は屋敷を飛び出しました。
手元には、父から毟り取った当面の運営資金と、ゼクスが用意してくれた軍資金。
そして、王子の婚約者という肩書きを捨てたことで得られた、無限の可能性。
「まずは屋敷の補修費をどう削るか……。ゼクス、あなた、大工仕事はできるかしら?」
「宰相補佐の仕事内容には含まれていませんが、ヒーナ様のご依頼とあれば、金槌くらいは握りましょう」
「頼もしいわね。報酬は私の手料理一食(原価十ルク以下)で手を打ちましょう」
「……それは、非常に高くつきそうな食事になりそうですね」
私たちは夜の闇に紛れ、新しい拠点へと向かって歩き出しました。
翌朝、王都中が「悪役令嬢ヒーナ、公爵家を追放される!」というニュースで持ちきりになることを、私は確信していました。
それが最高の宣伝活動(マーケティング)になるとも知らずに。
夜も更けたローウェル公爵邸の書斎。
私は、深夜にもかかわらずブランデーを煽っていた父、ローウェル公爵に向かって、爽やかに言い放ちました。
父は持っていたグラスを床に落とし、ガシャーンと派手な音を立てました。
「……予定通りだと? 貴様、自分が何を言っているのか分かっているのか!」
「はい。第一王子カイル様より、大勢の面前で『冷酷非道な蛇のような女』との身に余る評価をいただき、無事に婚約解消の合意を取り付けてまいりました」
「この、馬鹿娘が! 公爵家の泥を塗りおって! 王家との繋がりを失うことがどれほどの損失か分からんのか!」
父の怒号が書斎に響き渡りますが、私は動じません。
むしろ、父が「損失」という言葉を使ったことに、内心でニヤリと笑いました。
「お言葉ですがお父様。あの無能な王子にこれ以上投資を続けることこそ、我が家にとって最大の損失でございます。彼の尻拭いのために私が費やした人件費と精神的苦痛を換算すれば、今回の破棄はむしろ『損切り』として極めて妥当な判断です」
「損切り……だと?」
「左様です。つきましては、お父様も私を勘当なさるおつもりでしょう? 話が早くて助かります」
私は手元のバインダーから、一枚の書類を差し出しました。
「これは何だ?」
「『親族関係終了および資産分与に関する合意書』です。お父様が私を追い出す際の手間を省くため、あらかじめ作成しておきました」
父は書類を奪い取るようにして眺め、その顔をみるみるうちに引きつらせていきました。
「な、何だこの金額は……。慰謝料に加え、幼少期からの教育費の返還……? いや、お前が我が家に請求しているのか!?」
「当然です。私は十歳から公爵家の帳簿管理を行い、不透明な接待費を三割削減し、さらに領地の特産品を王宮へ高値で売り込むルートを開拓いたしました。これらの労働報酬が未払いとなっております」
「……ぐ、ぐぬぬ」
「お父様、今ここで私を追い出せば、不当解雇および労働基準違反で社交界の監査委員会に訴え出る準備もございます。それとも、ここにサインをして、円満に私を放逐なさいますか?」
父は震える手でペンを握りました。
彼は見栄っ張りですから、娘に訴えられて家の恥をさらすことだけは絶対に避けたいはずです。
「分かった、分かったから出て行け! 二度とその面を見せるな!」
殴り書きのようなサインをいただいた瞬間、私は書類を回収し、恭しく一礼しました。
「ありがとうございます。では、失礼いたします。あ、荷まとめは既に終わっておりますので、五分以内に退去いたしますわ」
「五分!? いつの間に準備を……」
私は父の驚愕を背中に受けながら、自分の部屋へと疾走しました。
部屋では、すでに執事のゼクスが待機していました。
……いえ、彼は王宮の宰相補佐ですが、なぜか我が家の私室に平然と立っています。
「ヒーナ様、お帰りなさいませ。非常に迅速な『損切り』でしたね」
「あらゼクス。人の部屋に勝手に入らないでくださる? 不法侵入料を請求しますわよ」
「それは後ほど、私の給料から差し引いておいてください。それよりも、荷物の運び出しは終わっています」
ゼクスが指さした先には、私の私物である高価なドレスや宝石……ではなく、換金性の高い金貨の袋と、重要書類の束が詰められた小さなカバンが二つ。
「さすがゼクス。分かっていますわね。ドレスなんて重いだけで、維持費がかさむゴミですもの」
「ええ。装飾品はすべて先ほど、信頼できる質屋に流しておきました。鑑定額は相場の二割増しで手を打たせています」
「素晴らしいわ。あなた、私の秘書として雇いたいけれど、今の私にはまだ給与を支払う余裕がなくて残念です」
「出世払いで構いませんよ。ところで、これからどこへ?」
私はニヤリと口角を上げました。
「王都の端にある、あの『幽霊屋敷』よ」
「……あそこですか。確かに土地代はタダ同然ですが、あばら家ですよ?」
「いいえ。あそこは将来、新設される魔導列車の停車駅の目の前になる場所です。今のうちに占有権を確保しておけば、数年後には土地の価値が百倍になりますわ」
私はカバンを手に取り、窓から庭へと続く非常階段へと向かいました。
正面玄関から出ると、父の気が変わって捕まる可能性がありますからね。
「さようなら、豪華な檻。こんにちは、自由という名の資本主義!」
夜風に髪をなびかせながら、私は屋敷を飛び出しました。
手元には、父から毟り取った当面の運営資金と、ゼクスが用意してくれた軍資金。
そして、王子の婚約者という肩書きを捨てたことで得られた、無限の可能性。
「まずは屋敷の補修費をどう削るか……。ゼクス、あなた、大工仕事はできるかしら?」
「宰相補佐の仕事内容には含まれていませんが、ヒーナ様のご依頼とあれば、金槌くらいは握りましょう」
「頼もしいわね。報酬は私の手料理一食(原価十ルク以下)で手を打ちましょう」
「……それは、非常に高くつきそうな食事になりそうですね」
私たちは夜の闇に紛れ、新しい拠点へと向かって歩き出しました。
翌朝、王都中が「悪役令嬢ヒーナ、公爵家を追放される!」というニュースで持ちきりになることを、私は確信していました。
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