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互いの認識に相違がありますね
しおりを挟む仕事のできる男だというのは噂だけではない。
副社長秘書という立場の文は、実際にいくつもの訴訟を解決してきたのを幾度となく見てきていた。
教養が良いだけではなく美目も良いものだから、多方面から好意を寄せられている男という認識はあった。
愛想が悪いわけではないが、張り付いたような笑みに抑揚のない喋り方。常に彼の目は冷めていた。
なんでも見抜いているような雰囲気が苦手で、関わり合いは最小限になるように避けていた。
「ま、みや、さん……?」
こんなにやさしい笑顔を向けられるような間柄ではなかったと記憶している。
「文? どうしたんだ?」
七生の眉が下がる。
労わるように肩を撫でると腕を辿る。下がってきた手が文の手を握った。
存在を確かめるように、何度も指を絡め直す。
自分の手よりひとまわり大きい、節ばった手にドキリとする。
どうしたんだなんて、こっちが聞きたい。
ハグも呼び捨ても、いったい何が起こっているのか。
「七生、患者さんはまだ目覚めたばかりで混乱中だよ。診察するからちょっとどいて」
先ほどまでふたりで話していたであろう医師が、七生を押しのけて前へでた。
医師の白衣には、Doctor宝城逞と書かれた名札がクリップで留めてあった。
七生は不満げに場所を譲る。
しかし指は絡まったまま離れなく、意味わからなくてドキドキとした。苦手な男の筈なのに。なまじ顔がいいものだから現金にも平常心を保てない。
胸に充てた聴診器を、宝城は苦い顔をして離した。
「七生。心音が乱れるからちょっと離れて」
宝城が怒った。
七生はしぶしぶ手を離し距離を取る。
うっかり跳ねてしまった心臓の音を聴かれたことに、文は顔を真っ赤にした。
ひと通りの診察が終わる。
どうやらここは、運び込まれた病院の個室らしい。
ひとり部屋で、明らかに通常の病室とは格が違った。
こんな豪勢な部屋に入院だなんて、支払いが心配でたまらない。
呼ばれた看護師に点滴を変えてもらっている間に、宝城がカルテを書きながら質問をした。
「名前言える?」
「……あ、旭川……文、です」
診察が終わった途端に、七生はまた手を繋いでくる。
動揺した文は、簡単な問いかけにもしどろもどろの返答になった。
「生年月日と年齢を」
「え、ええと、十一月十一日、二十七歳、です」
質問の間、真横からの鋭い視線に冷や汗しかでない。
「何があったか覚えてる?」
そんなの、忘れたくても忘れられない。
階段を踏み外して落っこちただなんて恥さらしもいいところ。
パーティーを台無しにし、社長に恥をかかせた。
秘書課の歴史に泥をぬったのは間違いない。きっと会社中から非難される。文にとっても黒歴史だ。
「……ホテルの階段から、落ちて……」
もごもごと答えた。
恐る恐る七生を確認すると、眉間の皺が深まっている。
返答に問題があっただろうか。
この人はなんでここにいるんだろう。
やはりやり手の弁護士は、損害賠償の請求でも考えているのかもしれない。
責任逃れなどしないように見張っているのだ。
もしかして、落ちた時に七生の他に巻き添えにしてしまった人がいるのかも。
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