六華 snow crystal 4

なごみ

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花蓮と航太の死

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*潤一*


彩矢は離婚したいわけではなかったんだな。


佐野のところへ行きたいのだとばかり思ってたけど、俺の勘ぐりすぎか。


佐野にしたって、簡単に離婚ができるわけではないだろうからな。


結局、彩矢は離婚をするのか、しないのか。


とにかく離婚届用紙をもらってサインだけはしておこう。役所に提出するかしないかは彩矢が決めればいい。


もし、離婚になった場合、彩矢は雪花に面会させてくれるだろうか。そんなことを考えると、離婚はやっぱりやめておいた方がいいような気もする。


彩矢にまかせる、どっちでもいい、などと言わずに、別れたくないというべきか。


今朝早く、彩矢は子供を連れて仕事へ行った。車で送ると言っても目も合わせず、返事もしないで出ていった。


俺にしても、平川家の両親には合わせる顔もないから、助かったと言える。


白石に住む母親のところへ行ってみようかとも思ったが、帰ってきた理由をきかれてネチネチと説教をされるのも疲れる。


適当な嘘をつかなければいけないと思うと、気が向かない。







山口家代々の墓。


ここに花蓮と航太が眠っている。


花蓮の実家に近い真駒内の霊園。


来る途中で買ってきた花をたむけ、線香に火を灯す。黙々と白檀の香りがただよう中、膝を屈めて手を合わせた。


死にたくなるほど俺との結婚生活は耐えがたいものだったのか。



 ” お願い、もっと早く帰って来て ”


” 週に一度も休みがとれないなんておかしすぎるわ ”


” 忙しい、忙しいって、浮気をするヒマならたくさんあるのね ”


” 航太また熱を出したの。呼吸が早くて心配だわ……お願いだから、今日は家にいて ”




ーー寂しがり屋の心配性。


そんな花蓮のお守りなど、俺につとまるはずもない。いつも、適当な返事をしては誤魔化していた。


まさか自殺したくなるほど悩んでいたなんて。悲観的な花蓮の考えなど、楽観的な俺の想像力がついていけるはずもない。


そんな俺との生活に嫌気がさしたと言うことか。夢も希望もみいだせないほど、ひどい生活だったとでも言うのか。


駆け落ちのように俺と結婚した花蓮は、実家に頼るということもあまり出来なかった。


だけど、だからって、、


あんなに可愛い航太をみちづれにして。






航太……。


衝撃の連絡を受け、小児センターの救急部へ駆けつけたときには、すでにこと切れていた。


俺のような父親に航太をひとり残して死ぬのは、花蓮にとってやりきれない事だったのかも知れない。


ーー航太。


初めての子ども。


生まれて来るまで子どもなど、なんの興味も湧かなかった。


だけど航太は俺によく似ていた。


花蓮に似たほうがイケメンにはなれただろうが、俺は自分に似ている航太が可愛くてたまらなかった。


だけど、いくら可愛いからといっても、自分の生活まで変えられるものではない。


25歳で結婚した研修医の俺の生活は多忙を極めた。収入もそれほど多くはなく、花蓮は子育てとやりくりで大変だったと思う。


とにかく覚えなければならないことが山ほどあって、その頃は浮気などしている余裕もなかった。早く一人前になりたくて、がむしゃらに勉強して働いた。


航太が生まれてからだいぶ仕事に慣れ、生活にも余裕が出て来た。そのあたりから少し浮気をするようになった。


当直が頻繁にあったにもかかわらず、俺の浮気はなぜかすぐ花蓮にバレた。取り立ててうまく誤魔化そうなどと、工夫をしたわけでもなかったが、なぜバレるのかいつも不思議だった。


女の第六感というヤツかも知れない。


花蓮は浮気に対してはさほど気にしてはいないように感じられた。鈍感な俺がそう思い込んでいただけかも知れないが。


ひとりぼっちの子育てが、花蓮を追い詰めたのだろうと思う。






航太はいつも機嫌のいいお調子者だったから、花蓮が子育てをそれほど苦痛に感じているとは思ってもみなかった。


航太が生まれて間もなく、親父が心筋梗塞で呆気なくこの世を去った。


生命保険会社の支店長をしていた親父は、あと2年で定年退職するはずだった。


退職後はおふくろと、世界一周のクルーズなどをして楽しもうと話し合っていたというが、どこまでもついてない男だ。


ーー働きづめの人生。


俺の人生も、そんなものかも知れない。それでも俺はこの仕事がそれほど苦痛ではない。いつも緊迫した医療の現場には、やりがいと面白さを感じる。


世界一周のクルーズなど、そんなことの方がつまらなく、退屈に思えて仕方がない。


そんな俺と結婚した花蓮は、期待はずれもいいとこだっただろう。


突然亭主に死なれ、気持ちがふさいで暇になったおふくろは、孫の航太だけが楽しみとなった。


頻繁にマンションを訪れては、何日も泊まっていった。そんなことも花蓮のストレスになっていたのかも知れない。






航太が生まれてから何度か、花蓮の実家へ行ったこともある。


俺が行ったのは盆と正月の時くらいだ。


陰険きわまりない義兄の健人は、俺に対してはけんもほろろな扱いだったが、航太は初めての甥っ子ということもあってか可愛がっていた。


意外といい奴なのかもしれないと、その時はそう思った。


友人のあまりいない花蓮は、兄の健人に結婚後もなにかと相談はしていたらしい。


あれは確か航太の一歳の誕生日だった。


今にも雪が降りそうな、11月中旬の寒い日。


義父母がお祝いをしてくれるというので、忙しい俺も時間を作って山口家を訪問した。


夜の8時を過ぎていたから、誕生会はすでに俺ぬきで終わっていた。


花蓮が俺にテーブルのご馳走をよそって、ビールを注いでくれた。


航太はつかまり立ちは出来ていたが、まだ歩けてはいなかった。


誕生日でプレゼントされた子供用のシロホンを、おすわりしながら無邪気にポンポンと叩いては、皆を笑わせていた。


俺にそっくりな航太を、山口家のみんなが目を細めて見ていた。


オードブルの揚げ物をつまみながら、血の繋がりとは不思議なものだと感じた。


航太は飽きたのか、椅子のアームをつかんで立ちあがると、そのままヨタヨタと歩きだした。


「わーっ、航ちゃんが歩いたわ!! 」


花蓮が歓声をあげ、家族みんなが航太の成長を喜んでいた。


そんなほのぼのとした時間を楽しんでいたときに、俺のスマホが鳴った。





急患か?  と思って見ると、相手は最近仲良くなった勤務先のナース、莉子だった。


山口家のみんなが、一斉に俺に目を向けた。


何食わぬ顔をして、適当に相槌をうった。


「うん、、そうか、わかった。じゃあ、酸素3リッターに上げておけ。あとで診に行く」


時計を見ると、もうすぐ9時になろうとしていた。


「患者が急変したみたいなんで、ちょっと診に行ってきます」


何食わぬ顔をして、ソファから立ちあがった。


「えっ、来たばかりだっていうのに……」


花蓮がひどく失望したように俺を見た。



「仕方ないだろう。俺だって本当はもっと休んでいたいよ。でも、これが仕事だからな」


航太を可愛がってはくれても、俺にとっての山口家は依然として敷居の高い、居心地の悪い家だった。


存在感のない無口な義母と、渋々俺を受け入れた義父と義兄とで話がはずむ訳もなかった。


花蓮のためを思えばこそ、こんな家にもわざわざ来てやっているのだ。顔を出してやっただけでも感謝しろよ、と言いたかった。





「僕には医師をやってる友人が何人かいるけどね。君のように家にも帰らずに忙しく働いている医者はあまりいないな」


大手都市銀行に勤めている義兄が、さも疑わしいと言わんばかりに居丈高に言った。


「俺は脳外科医ですからね。内科医やなんかと一緒に考えてもらっては困るな」


「君の家の固定電話は、急患の知らせ以上に無言電話が多いそうだな。それも脳外科医だからなのか?」


義兄は嫌味ったらしく、フフンと片側の口角をあげて冷たく笑った。


こいつはどこまで陰険なんだ。花蓮は義兄に一体なにを相談しているのか。


「意味がわからないな。なにが言いたいんだ、はっきり言え!」


義兄と言っても、年は同じだ。敬語なんぞ使ってられるか。


「だから、僕には医師をやってる友人が多いと言っただろう。君の噂は聞きたくなくても逐一報告されてくると言う訳だ」


「…………俺を妬んでる奴は広岡の他にも沢山いてね。足を引っ張ろうとする奴らばかりで苦労してるんですよ、俺も。
義兄さんもそんな陰険な奴らとばかり付き合ってないで、早く嫁さんでももらったらどうです」


たっぷりと皮肉を込めて言ってやった。


「妹の家庭が心配で自分の結婚どころではないな。まぁ、君なんかを選んだ花蓮にも責任はある。自業自得だ。君は僕の想像していた通りの人間だったからね。とても残念だよ」


義兄は冷徹にそう言って、哀しげに俺を見つめた。激しい怒りの感情が沸き起こったものの、返す言葉が見つけられなかった。


シーンと不穏な空気に包まれた山口家を飛び出して、莉子のアパートへと車を走らせた。








莉子は俺と似たような性格をした女だった。


激しい気性の持ち主ではあったが、似た者同士のわりに相性がよかった。頭の回転が速く、テンポのいい莉子の話は楽しかった。


情報網が広く、誰と誰がどうしただの、あの研修医は院長に嫌われて、今はどこぞの僻地の病院に飛ばされてしまっただの、先週大学病院から来た器械だしのオペ看は、めちゃくちゃに怖い女で、睨まれたら最後、オペ中に何が起こるかわからないだのと、俺の耳にさえ入って来ない色々なことをたくさん知っていた。


莉子の話はユニークで聞いていて飽きない。そんな便利で楽しい反面、真夜中に電話をして来て困らせたりすることも多かった。


無言電話などかけているのも、莉子なのだろう。そのことで何度かケンカにもなった。


だけど、2、3ヶ月もすると又、どちらともなく寄りを戻すという関係が続いた。


割り切っているようで、割り切れていない莉子の気持ちに応えられない自分が悲しかったが、花蓮と離婚など考えたこともなかった。


花蓮、航太、おまえたちは俺のことを怒っているのだろうな。


まだ、これからもずっと許してはくれないのだろう。


そんなことを思い出しながら墓前の前に立っていたら、いつの間にか線香が燃えつきていた。






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