25 / 48
潤一の朝帰り
しおりを挟む
**彩矢**
隣の寝室から潤一の呑気ないびきが聞こえてくる。
……離婚するなら、俺はジェニファーと結婚する。
こんなにひどい打ち明け話しのあとで、ぐーすか寝ていられる潤一の無神経さに腹が立って仕方がなかった。
午前2時を過ぎても目が冴えて、少しも眠ることができない。週明けの月曜日、また忙しい一週間の始まりだ。少しは寝ておきたいけれど……。
ーー離婚。
結局、そうなってしまうのね。
去年の夏はそれでいいと思っていたのに、今になって何故こんなに悩んでいるのだろう。
こういう人なんだと、ずっとわかりきっていたはずなのに。
思いがけず悠李に優しいマイホームパパの姿を見せられて、すっかり浮かれてしまったということか?
浮気性の夫と結婚生活など続けていても、一生こんな失望ばかり味わうハメになるだろう。
また悔しさと深い哀しみに襲われて涙があふれた。
何度こんな目にあわされても、やっぱり潤一のことが好きなのだった。
そのことに気づかされてしまったから……。
明け方になって、ウトウトと1時間ほど眠れたけれど、頭が重い。
フラフラしながら起きてリビングへ入ると、潤一はスッキリとした顔をして新聞を読んでいた。
ぐっすり眠れたのであろう。
言いにくいことをすべて打ち明けたことで、自分の問題はもう解決したかのようだ。
” おはよう ” も言わずに洗面台に直行し、顔を洗った。歯も磨いて身支度をし、子供たちを起こした。
目を覚ました悠李は、ご機嫌なようすでリビングへかけて行った。
「パパ、おはよう!」
「悠李、早いな、おはよう」
「パパ、今日もお仕事休み?」
「そうだ。明後日はもう、アメリカへ戻るけどな」
「なんだぁ、そうなの……」
がっかりしている悠李をみて胸が痛む。
離婚してしまったら、悠李は悲しむのだろう。
雪花はパパのことなど忘れてしまうだろうけど、悠李の記憶には少なからず残るに違いない。
食事の準備もせずに子供たちの身支度をすませ、保育園のバッグを肩にさげた。
「ママ、朝ごはんは?」
悠李が不満げな顔をした。
「ママ、今日は急いでるの。バァバのところで食べてから保育園に行ってね」
「ゆきか、パンたべる、パン、パン!」
可愛らしいヘアゴムで髪を結んだ雪花が騒いだ。
雪花は言い出したら聞かないので、冷凍庫からロールパンを取り出し、レンジでチンして手に持たせた。
「病院まで送ってやるよ」と機嫌をとる潤一を無視して、雪花と手をつなぎ、家を出た。
悠李が振りかえって元気よく、「行って来まーす!」と潤一に手を振った。
「じゃあな、しっかり遊んで来い」
少しも悪びれたところのない潤一に腹を立てながら、地下鉄駅へと急いだ。
実家で子供たちに朝ご飯を食べさせてもらい、ついでに保育園への送りもたのんで、病院へむかった。
昼休み、一階の売店にお弁当を買いに行ったら、レジの前に佐野さんが立っていた。
ジッと切なげに見つめる佐野さんに、軽く会釈をして目をそらせた。
佐野さん、、もう待っていてはくれないんだ。
そんなこと、当たり前なのに。
いつまでも決めることの出来ない、優柔不断な私なんかを。
あんな目にあわされても、まだ潤一に未練があるなんて、どこまでバカなのだろうと思う。
そんな気持ちでいるというのに、佐野さんにいつまでも持っていてもらおうとしていた。
あまりに虫がよすぎる。
それに今は悠李だけではなく、雪花だっている。
佐野さんなら分け隔てなく可愛がってくれそうな気もするけれど、それでもやはり自分の子が可愛いに決まっている。
たとえ無意識であったとしても、佐野さんの可愛がり方に偏りを感じたりしたら、私はとても傷つくだろう。
潤一のように単純で分かりやすい差別の方が、まだ我慢ができそう。
そんなことも佐野さんへの甘えによるものなのだろうか。
潤一のわがままなら我慢ができても、佐野さんにはいつも私の方が守ってもらいたかった。
私のわがままをどこまでも許して欲しいのだった。
仕事を終え、実家に子供達を迎えにいった。
悠李と雪花は仲良くNHKの子ども番組をみていた。
「ただいま~」
「あ、ママーっ!」
雪花が私をみてヨタヨタと駆けてきた。
「雪花ちゃん、今日は保育園どうだった? 楽しかった?」
抱きあげてほっぺにキスをする。
「ゆうり、いじわるした。ゆうり、わるいこ」
雪花が悠李を指さして訴えた。
大体いつも悪いことをするのは雪花の方なのだが、自覚がないので腹を立てる悠李が意地悪に見えるのだろう。
「そうなの? それは悲しかったね」
母がキッチンからトートバッグをぶらさげてきた。
「潤一さんが帰って来ているそうね。なにか用があったの? おかずタッパーに詰めておいたわよ」
タッパーの入った重そうなトートバッグを持ち上げながらそう言った。
また、悠李ったら余計なことを……。
「あ、ありがとう。大学に用があって戻ってきたみたいなの。明後日すぐに帰っちゃうんだけど」
「そう、久しぶりなんだもの家族そろって食べた方がいいでしょう。車で送ってあげるわよ」
ご飯はここで食べてから帰ろうと思っていたのに。
「ママ、早く帰ろう。パパ待ってるよ」
悠李が私の袖を引っ張った。明後日にはロスに戻るというのだから、いくら険悪でもマンションに帰らないわけにもいかない。
だけど、今の状況で一家団欒、食卓を囲むなんて……。
暗い気持ちで、帰りを急ぐ悠李のあとを追った。
母にマンションまで送ってもらうと、もう7時になろうとしていた。
潤一はどこに行っているのか、まだ帰って来てなかった。
知り合いと飲みにでも行っているのだろうか?
……もしかして女かな?
久しぶりにロスから帰って来ても、こんな心配と苛立ちばかりが募る。
別れるなら早い方がいいのかも知れない。
子供は大きくなるほど、傷つきそうな気もする。今なら研修で別居中だから、パパを覚えている悠李にしても、それほど抵抗も感じないのではないだろうか。
だけど、小学校へ行くようになったら、自分には父親がいないということに、寂しさを感じるに違いない。
子供にとっては、あまり家に帰ってこない父親だって、いないよりはマシだ。経済的なことを考えても。
もう、割り切って考えようか。
夫をATMのように思っている妻はたくさんいる。
利用してやればいいんだ。
潤一なんて……。
だけど、そんな人生を送るくらいなら、佐野さんと一緒の人生のほうがずっといいような気もしてくる。
いくら潤一に未練があったとしても……。
佐野さんはもう待つのを止めると言っていたけれど。
今なら、今なら、まだ間に合う。
母が作ってくれた春雨サラダや、大根と手羽先の煮物、紙に包んだ天ぷらの盛り合わせを器に移す。
つまみ食いしたかき揚げには海老やホタテが入っていた。母が作る天ぷらはサクッとしてとても美味しい。
アスパラガスの天ぷらは新鮮でとても甘かった。
「パパ遅いね」
悠李がキッチンに来て、不安げに私を見上げた。
「悠李おなかがすいたでしょう。先に食べてようね。そのうち帰ってくるから」
「……うん」
小さな丼にかき揚げをのせて、甘辛いタレをかけてあげた。
エプロンをした雪花は、手づかみでかき揚げをムシャムシャと食べ始めた。
「雪花ちゃん、バァバの作った天ぷら美味しい?」
「おいしい!」
悠李は箸を使って食べていたが、つまらなそうに突いてばかりいて食欲がなさそうだった。
「悠李どうしたの? 食べたくないの?」
「バァバのとこでお菓子食べたから、もういらない!」
さっと椅子から降りると、おもちゃのほうへ行ってしまった。
「悠李、ちゃんと食べないと大きくなれないよ!」
「いいもん、大きくなれなくても……」
いじけたようにそう言って睨むと、機関銃を手にした。
私に狙いを定めてかまえる。
「ババババッ、バババ、バァーン!」
いくらオモチャの銃でもいい気持がしなかった。
「やめなさい! そんなもの人に向けないで」
「じゃあ、なにに向けるの?」
「…………誰にも向けちゃダメよ。それは人を傷つけるオモチャなんだから。そんなものを買ってきたパパが悪かったね」
「パパ悪くないもん。悠李これ好きだもん」
悠李はムッとしてそう言うと、今度は雪花に銃を向けた。
「バババババッ、バババ」
「やめなさい!!」
思わず立ち上がり、ヒステリックに叫んだ。
悠李が顔を歪ませて目に涙をためた。
「うわぁーーーん!! 」
悠李を叱ることなどあまりなかったけれど、今の言い方は少しキツすぎたと反省する。
「悠李、ごめんね。ママの言い方が悪かったね。悠李は悪くないから」
「パパだって悪くないもん。わーーん、パパー、パパーッ!!」
ラグに突っ伏して泣く悠李に、父親の愛情不足を感じた。
保育園にはお父さんが送り迎えをする家庭だってある。両親と連れ立って帰るお友だちを見ることも。
そんな家族が羨ましかったのだろうか。
悠李は雪花のように自己主張をあまりしないから、その寂しさに気づいてあげられなかったのかも知らない。
今年は4歳になるのだから、感じ方も今までとは違って当然だ。父親不在という環境に、小さな胸を痛めていたのだろうか。
大人の私でさえ寂しいのだから、悠李がそんな気持ちを感じていたとしても、少しも不思議ではない。
「うわぁーん、、わぁーん!」
泣いているのは私に叱られたことだけではないのだろう。
多分、ずっと寂しかったんだ悠李は……。
泣きじゃくる悠李が可哀想で泣けてくる。
「悠李、ごめんね、、ごめんね」
昨夜は10時を過ぎても潤一は帰って来なかった。
今朝起きて寝室へ行ってみると、何時に帰ってきたのか、着替えもせずに寝ていた。
部屋にはまだ、アルコールの匂いが漂っていた。
明日にはロスへ行ってしまうというのに。
「ママ、おはよう。パパは?」
悠李は昨夜遅くまで寝ないで待っていたというのに、目をこすりながらもう起きてきた。
「おはよう、悠李、早いね、まだ6時よ。パパはちゃんと帰って来て寝てるよ。きっと病院の人たちとお酒飲んでたのね」
悠李はウソだと思っているのか、寝室のドアをそっとあけた。
「あ、ほんとだ。パパいた!」
そう言ってベッドに近づくと、眠っている潤一を揺さぶった。
「パパ、おはよう! 朝だよ、パパ起きて」
「なんだよ、うるさいな。さっき帰って来たばかりなんだぞぉ。あっちに行ってろ!」
潤一が不機嫌にそう言って、悠李に背をむけた。
昨日のかわいそうな悠李を思い出し、怒りが爆発した。
「もういいわよ、あなたなんか。さっさと外人女と結婚でもなんでもしたらいいわ! 悠李にも雪花にだって二度と会わせないから。今日は実家に泊まるから帰りません。勝手に明日アメリカへ帰って!」
私のひどい剣幕に悠李が怯えたような顔をした。
潤一がため息を吐きながらムックリと起き上がった。
「なんだよ、なに怒ってるんだよ? 久しぶりに会った医局の連中と飲んでたんだよ。そんなに悪いことなのか?」
週明けの月曜だというのに、明け方まで飲んでいる医者などいるわけがない。
女に決まってる。
いつまでたっても嘘が下手なのだ。
「とにかく、あなたは家庭なんかどうでもいい人なんだわ。だからもういいわよ。ジェニファーさんに差し上げます!」
そう言って悠李と寝室を出ると、ドアをバシン!と閉めた。
「ママ、……パパがかわいそうだよ」
悠李が私の機嫌を窺うように遠慮がちに言った。
「ちっとも可哀想なんかじゃないわ、あんな人! 悠李、顔を洗っておいで。朝ごはんはバァバのところで食べるから」
うなだれて悠李は洗面所へ向かった。
悠李のために怒ったのに……。
私はいつも感情的だ。
自身のストレスを発散し、自己満足するばかりで、少しも悠李の幸せのためにはなっていないのだった。
寝ぼけた顔をした潤一が欠伸をしながら、寝室から出てきた。
「なんだよ、一体なにがして欲しいんだよ。遊園地にだって行っただろ。せっかく久しぶりに帰って来たってのに、そんな話ばかりなんだからな」
「そんな話って、、そんな話をさせてるのはあなたじゃないの!」
潤一は、おさまりかけた怒りにまた油を注いだ。
「だから、謝っただろ。そんなに怒るなよ。あー、頭痛て」
「謝ってもまた同じことの繰り返しじゃない。あなたには反省する気持ちなんか、これっぽっちもありはしないんだわ!」
「ああ、そうか、わかったよっ! じゃあ離婚だな。今日離婚届をもらってくればいいんだろ!」
短気な潤一もとうとうキレて、本格的なケンカになった。
「好きにすればいいわ。これからもどんどん隠し子を作って、離婚を繰り返す人生を楽しみなさいよ!」
「子供の前でよくそんなことが言えるな。おまえみたいな母親が偉そうな口をきくなっ!」
「うわぁーん!」
潤一の怒鳴り声に、怯えて立ちすくんでいた悠李がとうとう泣き出した。
悠李の泣き声で雪花も目を覚まし、「えーん!」と泣きながらリビングへ入ってきた。
「雪花ちゃん、悠李、ごめんね。大丈夫だから、泣かないで、、」
ギャンギャンと泣いている子供たちを抱きしめ、慰めた自分の目にも涙が浮かんだ。
隣の寝室から潤一の呑気ないびきが聞こえてくる。
……離婚するなら、俺はジェニファーと結婚する。
こんなにひどい打ち明け話しのあとで、ぐーすか寝ていられる潤一の無神経さに腹が立って仕方がなかった。
午前2時を過ぎても目が冴えて、少しも眠ることができない。週明けの月曜日、また忙しい一週間の始まりだ。少しは寝ておきたいけれど……。
ーー離婚。
結局、そうなってしまうのね。
去年の夏はそれでいいと思っていたのに、今になって何故こんなに悩んでいるのだろう。
こういう人なんだと、ずっとわかりきっていたはずなのに。
思いがけず悠李に優しいマイホームパパの姿を見せられて、すっかり浮かれてしまったということか?
浮気性の夫と結婚生活など続けていても、一生こんな失望ばかり味わうハメになるだろう。
また悔しさと深い哀しみに襲われて涙があふれた。
何度こんな目にあわされても、やっぱり潤一のことが好きなのだった。
そのことに気づかされてしまったから……。
明け方になって、ウトウトと1時間ほど眠れたけれど、頭が重い。
フラフラしながら起きてリビングへ入ると、潤一はスッキリとした顔をして新聞を読んでいた。
ぐっすり眠れたのであろう。
言いにくいことをすべて打ち明けたことで、自分の問題はもう解決したかのようだ。
” おはよう ” も言わずに洗面台に直行し、顔を洗った。歯も磨いて身支度をし、子供たちを起こした。
目を覚ました悠李は、ご機嫌なようすでリビングへかけて行った。
「パパ、おはよう!」
「悠李、早いな、おはよう」
「パパ、今日もお仕事休み?」
「そうだ。明後日はもう、アメリカへ戻るけどな」
「なんだぁ、そうなの……」
がっかりしている悠李をみて胸が痛む。
離婚してしまったら、悠李は悲しむのだろう。
雪花はパパのことなど忘れてしまうだろうけど、悠李の記憶には少なからず残るに違いない。
食事の準備もせずに子供たちの身支度をすませ、保育園のバッグを肩にさげた。
「ママ、朝ごはんは?」
悠李が不満げな顔をした。
「ママ、今日は急いでるの。バァバのところで食べてから保育園に行ってね」
「ゆきか、パンたべる、パン、パン!」
可愛らしいヘアゴムで髪を結んだ雪花が騒いだ。
雪花は言い出したら聞かないので、冷凍庫からロールパンを取り出し、レンジでチンして手に持たせた。
「病院まで送ってやるよ」と機嫌をとる潤一を無視して、雪花と手をつなぎ、家を出た。
悠李が振りかえって元気よく、「行って来まーす!」と潤一に手を振った。
「じゃあな、しっかり遊んで来い」
少しも悪びれたところのない潤一に腹を立てながら、地下鉄駅へと急いだ。
実家で子供たちに朝ご飯を食べさせてもらい、ついでに保育園への送りもたのんで、病院へむかった。
昼休み、一階の売店にお弁当を買いに行ったら、レジの前に佐野さんが立っていた。
ジッと切なげに見つめる佐野さんに、軽く会釈をして目をそらせた。
佐野さん、、もう待っていてはくれないんだ。
そんなこと、当たり前なのに。
いつまでも決めることの出来ない、優柔不断な私なんかを。
あんな目にあわされても、まだ潤一に未練があるなんて、どこまでバカなのだろうと思う。
そんな気持ちでいるというのに、佐野さんにいつまでも持っていてもらおうとしていた。
あまりに虫がよすぎる。
それに今は悠李だけではなく、雪花だっている。
佐野さんなら分け隔てなく可愛がってくれそうな気もするけれど、それでもやはり自分の子が可愛いに決まっている。
たとえ無意識であったとしても、佐野さんの可愛がり方に偏りを感じたりしたら、私はとても傷つくだろう。
潤一のように単純で分かりやすい差別の方が、まだ我慢ができそう。
そんなことも佐野さんへの甘えによるものなのだろうか。
潤一のわがままなら我慢ができても、佐野さんにはいつも私の方が守ってもらいたかった。
私のわがままをどこまでも許して欲しいのだった。
仕事を終え、実家に子供達を迎えにいった。
悠李と雪花は仲良くNHKの子ども番組をみていた。
「ただいま~」
「あ、ママーっ!」
雪花が私をみてヨタヨタと駆けてきた。
「雪花ちゃん、今日は保育園どうだった? 楽しかった?」
抱きあげてほっぺにキスをする。
「ゆうり、いじわるした。ゆうり、わるいこ」
雪花が悠李を指さして訴えた。
大体いつも悪いことをするのは雪花の方なのだが、自覚がないので腹を立てる悠李が意地悪に見えるのだろう。
「そうなの? それは悲しかったね」
母がキッチンからトートバッグをぶらさげてきた。
「潤一さんが帰って来ているそうね。なにか用があったの? おかずタッパーに詰めておいたわよ」
タッパーの入った重そうなトートバッグを持ち上げながらそう言った。
また、悠李ったら余計なことを……。
「あ、ありがとう。大学に用があって戻ってきたみたいなの。明後日すぐに帰っちゃうんだけど」
「そう、久しぶりなんだもの家族そろって食べた方がいいでしょう。車で送ってあげるわよ」
ご飯はここで食べてから帰ろうと思っていたのに。
「ママ、早く帰ろう。パパ待ってるよ」
悠李が私の袖を引っ張った。明後日にはロスに戻るというのだから、いくら険悪でもマンションに帰らないわけにもいかない。
だけど、今の状況で一家団欒、食卓を囲むなんて……。
暗い気持ちで、帰りを急ぐ悠李のあとを追った。
母にマンションまで送ってもらうと、もう7時になろうとしていた。
潤一はどこに行っているのか、まだ帰って来てなかった。
知り合いと飲みにでも行っているのだろうか?
……もしかして女かな?
久しぶりにロスから帰って来ても、こんな心配と苛立ちばかりが募る。
別れるなら早い方がいいのかも知れない。
子供は大きくなるほど、傷つきそうな気もする。今なら研修で別居中だから、パパを覚えている悠李にしても、それほど抵抗も感じないのではないだろうか。
だけど、小学校へ行くようになったら、自分には父親がいないということに、寂しさを感じるに違いない。
子供にとっては、あまり家に帰ってこない父親だって、いないよりはマシだ。経済的なことを考えても。
もう、割り切って考えようか。
夫をATMのように思っている妻はたくさんいる。
利用してやればいいんだ。
潤一なんて……。
だけど、そんな人生を送るくらいなら、佐野さんと一緒の人生のほうがずっといいような気もしてくる。
いくら潤一に未練があったとしても……。
佐野さんはもう待つのを止めると言っていたけれど。
今なら、今なら、まだ間に合う。
母が作ってくれた春雨サラダや、大根と手羽先の煮物、紙に包んだ天ぷらの盛り合わせを器に移す。
つまみ食いしたかき揚げには海老やホタテが入っていた。母が作る天ぷらはサクッとしてとても美味しい。
アスパラガスの天ぷらは新鮮でとても甘かった。
「パパ遅いね」
悠李がキッチンに来て、不安げに私を見上げた。
「悠李おなかがすいたでしょう。先に食べてようね。そのうち帰ってくるから」
「……うん」
小さな丼にかき揚げをのせて、甘辛いタレをかけてあげた。
エプロンをした雪花は、手づかみでかき揚げをムシャムシャと食べ始めた。
「雪花ちゃん、バァバの作った天ぷら美味しい?」
「おいしい!」
悠李は箸を使って食べていたが、つまらなそうに突いてばかりいて食欲がなさそうだった。
「悠李どうしたの? 食べたくないの?」
「バァバのとこでお菓子食べたから、もういらない!」
さっと椅子から降りると、おもちゃのほうへ行ってしまった。
「悠李、ちゃんと食べないと大きくなれないよ!」
「いいもん、大きくなれなくても……」
いじけたようにそう言って睨むと、機関銃を手にした。
私に狙いを定めてかまえる。
「ババババッ、バババ、バァーン!」
いくらオモチャの銃でもいい気持がしなかった。
「やめなさい! そんなもの人に向けないで」
「じゃあ、なにに向けるの?」
「…………誰にも向けちゃダメよ。それは人を傷つけるオモチャなんだから。そんなものを買ってきたパパが悪かったね」
「パパ悪くないもん。悠李これ好きだもん」
悠李はムッとしてそう言うと、今度は雪花に銃を向けた。
「バババババッ、バババ」
「やめなさい!!」
思わず立ち上がり、ヒステリックに叫んだ。
悠李が顔を歪ませて目に涙をためた。
「うわぁーーーん!! 」
悠李を叱ることなどあまりなかったけれど、今の言い方は少しキツすぎたと反省する。
「悠李、ごめんね。ママの言い方が悪かったね。悠李は悪くないから」
「パパだって悪くないもん。わーーん、パパー、パパーッ!!」
ラグに突っ伏して泣く悠李に、父親の愛情不足を感じた。
保育園にはお父さんが送り迎えをする家庭だってある。両親と連れ立って帰るお友だちを見ることも。
そんな家族が羨ましかったのだろうか。
悠李は雪花のように自己主張をあまりしないから、その寂しさに気づいてあげられなかったのかも知らない。
今年は4歳になるのだから、感じ方も今までとは違って当然だ。父親不在という環境に、小さな胸を痛めていたのだろうか。
大人の私でさえ寂しいのだから、悠李がそんな気持ちを感じていたとしても、少しも不思議ではない。
「うわぁーん、、わぁーん!」
泣いているのは私に叱られたことだけではないのだろう。
多分、ずっと寂しかったんだ悠李は……。
泣きじゃくる悠李が可哀想で泣けてくる。
「悠李、ごめんね、、ごめんね」
昨夜は10時を過ぎても潤一は帰って来なかった。
今朝起きて寝室へ行ってみると、何時に帰ってきたのか、着替えもせずに寝ていた。
部屋にはまだ、アルコールの匂いが漂っていた。
明日にはロスへ行ってしまうというのに。
「ママ、おはよう。パパは?」
悠李は昨夜遅くまで寝ないで待っていたというのに、目をこすりながらもう起きてきた。
「おはよう、悠李、早いね、まだ6時よ。パパはちゃんと帰って来て寝てるよ。きっと病院の人たちとお酒飲んでたのね」
悠李はウソだと思っているのか、寝室のドアをそっとあけた。
「あ、ほんとだ。パパいた!」
そう言ってベッドに近づくと、眠っている潤一を揺さぶった。
「パパ、おはよう! 朝だよ、パパ起きて」
「なんだよ、うるさいな。さっき帰って来たばかりなんだぞぉ。あっちに行ってろ!」
潤一が不機嫌にそう言って、悠李に背をむけた。
昨日のかわいそうな悠李を思い出し、怒りが爆発した。
「もういいわよ、あなたなんか。さっさと外人女と結婚でもなんでもしたらいいわ! 悠李にも雪花にだって二度と会わせないから。今日は実家に泊まるから帰りません。勝手に明日アメリカへ帰って!」
私のひどい剣幕に悠李が怯えたような顔をした。
潤一がため息を吐きながらムックリと起き上がった。
「なんだよ、なに怒ってるんだよ? 久しぶりに会った医局の連中と飲んでたんだよ。そんなに悪いことなのか?」
週明けの月曜だというのに、明け方まで飲んでいる医者などいるわけがない。
女に決まってる。
いつまでたっても嘘が下手なのだ。
「とにかく、あなたは家庭なんかどうでもいい人なんだわ。だからもういいわよ。ジェニファーさんに差し上げます!」
そう言って悠李と寝室を出ると、ドアをバシン!と閉めた。
「ママ、……パパがかわいそうだよ」
悠李が私の機嫌を窺うように遠慮がちに言った。
「ちっとも可哀想なんかじゃないわ、あんな人! 悠李、顔を洗っておいで。朝ごはんはバァバのところで食べるから」
うなだれて悠李は洗面所へ向かった。
悠李のために怒ったのに……。
私はいつも感情的だ。
自身のストレスを発散し、自己満足するばかりで、少しも悠李の幸せのためにはなっていないのだった。
寝ぼけた顔をした潤一が欠伸をしながら、寝室から出てきた。
「なんだよ、一体なにがして欲しいんだよ。遊園地にだって行っただろ。せっかく久しぶりに帰って来たってのに、そんな話ばかりなんだからな」
「そんな話って、、そんな話をさせてるのはあなたじゃないの!」
潤一は、おさまりかけた怒りにまた油を注いだ。
「だから、謝っただろ。そんなに怒るなよ。あー、頭痛て」
「謝ってもまた同じことの繰り返しじゃない。あなたには反省する気持ちなんか、これっぽっちもありはしないんだわ!」
「ああ、そうか、わかったよっ! じゃあ離婚だな。今日離婚届をもらってくればいいんだろ!」
短気な潤一もとうとうキレて、本格的なケンカになった。
「好きにすればいいわ。これからもどんどん隠し子を作って、離婚を繰り返す人生を楽しみなさいよ!」
「子供の前でよくそんなことが言えるな。おまえみたいな母親が偉そうな口をきくなっ!」
「うわぁーん!」
潤一の怒鳴り声に、怯えて立ちすくんでいた悠李がとうとう泣き出した。
悠李の泣き声で雪花も目を覚まし、「えーん!」と泣きながらリビングへ入ってきた。
「雪花ちゃん、悠李、ごめんね。大丈夫だから、泣かないで、、」
ギャンギャンと泣いている子供たちを抱きしめ、慰めた自分の目にも涙が浮かんだ。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる