六華 snow crystal 5

なごみ

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第2章

慰謝料を請求されて

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**慎也**


先週、引っ越しと入籍を無事に済ませることができてホッとする。


今思えば、綱渡りのような危険な賭けだった。


もし沙織さんが結婚してくれなかったら、車と指輪のローンで、生活は間違いなく破綻していた。


沙織さんにはまだ言えてないけれど、カードでキャッシングしたローンも、利息で膨れ上がり、100万円以上になっている。


沙織さんが好きだったから、大盤振る舞いをしすぎたのだ。


バレないうちに沙織さんに言わないとな、と思うけれど……。




ちょっと沈んだ気持ちでレントゲン操作室に入った。


「あ、おはようございます。佐野さん、早いですね」


いつもなら僕より10分ほど遅れてやって来る佐野さんが、すでに検査の伝票を確認していた。



「おはよう。あ、結婚おめでとう! いきなりのスピード結婚でびっくりしたよ。いずれはするんだろうとは思ってたけどな」


佐野さんには一昨日の土曜日に、LINEで知らせておいた。


「なんか、アパートを二つ借りたままだと、もったいない気がして、、」


「沙織の考えそうなことだな。無駄なことは嫌いだからな。しっかり者だから安心じゃないか。料理も上手だし、いい嫁さんもらえて良かったな。これ、少しだけど」


佐野さんが水引のついたご祝儀袋を差しだした。


「ありがとうございます。あ、あの、、佐野さんと松田さんは……まだ?」


「う、うん、俺たちはちょっと、暗礁に乗り上げてしまって、、当分は無理だろうな」



しんみりとした哀しげな空気が流れた。


「あ、、じゃあ、遠慮なく、沙織さんと相談して使わせてもらいます」


頂いたご祝儀袋を、白衣のポケットにねじ込んだ。







昼休み、佐野さんと食堂で昼食をすませたあと、階段を降りていたら、



「橋本くん!!」


呼び止められて振り返ると事務の渡辺美波さんだった。


無表情に僕を見つめた美波さんに、なにか恐ろしいものを感じて、背筋に冷たい汗が流れた。



「ちょっと、話があるの」


美波さんは居丈高にそう言うと、しっかりと僕の腕をつかんだ。


一緒に階段を降りていた佐野さんが、ただならぬものを感じたように気をきかせて、


「お、おれ、先に行ってるな」


と言って、慌てて階段を降りていった。







階段の踊り場で顔を引きつらせながら、憮然としたようすの美波さんと向き合った。


10歳年上の美波さんは、面倒見のいい姉御肌の女性で、仕事帰りによく飲みに行った。


男のような太い声で豪快に笑う酒豪で、一緒にお酒を飲むぶんには楽しい人であったけれど……。



「は、話って、、なんですか?」


恨みがましい目で僕を睨みつける美波さんが恐ろしかった。


「ずいぶん冷たいご挨拶ね。私と慎也くんってその程度の関係だった?」


酒乱のような据わった上目遣いで、美波さんは僕を見つめた。



「あ、もしかして結婚の報告をしてなかったこと?  誰にも言ってなかったんだよ、美波さんだけをのけ者にしたわけじゃないから」



「そんなことじゃないわよっ!  こんな裏切られ方をするなんて思わなかったわ。私はいったい慎也くんの何だったのっ ‼︎ 」


噴火した活火山のように怒りを爆発させた。


「な、何って?  飲み友達じゃなかったのかい?」


確かに一時期、美波さんのアパートへ転がり込んで、面倒をみてもらっていたことがあったけれど。


十歳も離れている僕を、結婚の対象としてみていたというのか。







「ただの飲み友達ですって? バカにしないでよね! 私たち一時期は同棲だってしていたのよ。そのあとだってずっと続いていたじゃないの!」


「ぼ、僕はずっと気の合う友達だと思ってて、、じゃあ、どうして欲しいんだい? 」


「今まで貢いだ分を返しなさいっ、精神的苦痛代もね。300万円返しなさいよっ!」


ドスの利いた低い声で美波さんは怒鳴った。


「300万 ‼︎  そんなに貢いでもらってないだろう。それに結婚の約束をしたわけでもないのに、精神的苦痛代っておかしいよ」


「おかしくなんかないわよっ、あなたを信じて貢いだりしていたから、私は婚期を逃してしまったんだわ。責任を取りなさいよ!」


上から人が降りてくる足音が聞こえたので、それ以上のことは話せず、美波さんはプイと顔を背けると、急ぎ足で階段を降りていった。


ーーー300万


そんなの絶対に無理だ。


だけど、沙織さんには知られたくない。


どうすればいいのか………。






仕事帰り、沙織さんとスーパーに寄り、食材を買って帰った。


沙織さんが慣れた手つきで、ネギ塩豚丼なるものと、ブロッコリーとおかかのあえもの、ナスの味噌チーズ焼きを作ってくれた。


「すごく美味しい!」


誰にでも簡単に作れそうなものばかりだけれど、待たせることなくササッと出してくれるところがいい。


早くて美味しいのが一番だ。シンプルだから失敗もなくて、美味しいのかもしれない。


「よかった、慎ちゃんが気に入ってくれて。好き嫌いが多いから、心配してたのよ、フフフッ」


美人の沙織さんはツンケンしていても素敵に見えるけれど、やっぱり笑顔のほうがとっても可愛い。


「これも美味しいよ。ナスはあんまり好きじゃなかったけど」


料理があまり得意ではない母が作るものよりも美味しい。


もしかしたら僕の野菜嫌いも治るかもしれない。



おしゃれなデザイナーズマンションに、とびきり美人の妻。


そして、美味しい夕食。


お金の心配さえなかったら、どんなに幸せなのかと思った。





「あ、慎ちゃん、佐野さんに休暇のことお願いした?」


なにも知らない沙織さんは、屈託のない笑顔をむけた。


「あ、ご、ごめん、忘れた」


「やっぱり忘れると思った。ねぇ、早いほうがいいよ。今、LINEで頼んじゃいなさいよ」


「う、うん、食事が終わったらするよ」


とても新婚旅行という気分にはなれない。


「私、主任にたっぷり嫌味を言われちゃった。急に一週間も休みくれって言われても困るって」



「だろうね。病棟はギリギリの人数だから」


「だけど結婚おめでとうくらい言ってくれても良さそうなものだわ。もしかして妬んでいるのかしら?  ねえ、やっぱりモルディブじゃなくてオーストラリアにしたの。南半球は冬でしょう。暑いより涼しい所がいいわ」


「沙織さん、、新婚旅行だけど、やっぱりもう少し後にしないかい? 」


「あら、慎ちゃんはオーストラリアに行きたくないの?  じゃあ、暑いけどハワイにする?」


「いや、行き先の問題じゃなくてさ、、沙織さんの貯金をそんなに使いたくないんだ。僕、なんだか肩身がせまいから」


「これからは慎ちゃんにたくさん働いてもらうんだから、そんなこと気にしないで」


沙織さんは上機嫌で鼻歌を歌い、食べ終えた食器をキッチンへ下げた。






美波さんに慰謝料を請求される覚えはないけれど、世話になったことは事実だ。


一緒に飲みに行っても、支払いはいつも美波さんがしてくれた。年上の美波さんに甘え過ぎていたことは確かだけれど……。


ソファに腰掛け、テレビを見る気分にもなれずに落ち込む。


タダより高いものはないとはこういうことか。


それにしても300万はあまりに無謀な要求だと思う。


結婚の話などしたこともないのに。


だけど要求を無視して新婚旅行になど行こうものなら、さらにひどい報復を受けそうだ。



「ねえ、早く佐野さんに休暇のこと頼んでよ」


後片づけを終えた沙織さんが、物思いに沈んでうつむいていた僕の隣に座った。


「あ、あのさ、僕、沙織さんに言えてないことがあって、、」


「あら、どうしたの?  元気がないのね? 言えてないことってなぁに?」


上機嫌の沙織さんを悲しませたくはないけれど……。







「ごめん、実は車と指輪のほかにもカードのローンがあるんだ、本当にごめん。だ、だから、新婚旅行はもう少しあとに出来ないかな」


「カードのローンっていくらよ?」


さすがに沙織さんの笑顔も消えて、不機嫌に僕を見つめた。


「えっと、、最初は50万借りただけだったんだけど、返済するのにあちこちから借りているうちに、いつのまにか100万になっちゃって……」


「100万円! 一体なにを買ったのよっ!」


「そんなに大きな買い物をした覚えはないんだ。外食とか交遊費だな、たぶん。本当にごめん、これからは気をつけるよ。そ、そうだ、夜アルバイトでもしようかな」


「ダメよ、副業なんて。救急の呼び出しだってあるじゃないの」


沙織さんは暗い顔をして静かに呟いた。


「佐野さんがやってくれるよ。とにかく申し訳ないんだけど、そういうわけなんだ。飲食店かどこかのバイトを探してみるよ」



仏頂面で黙り込んでいる沙織さんを見て悲しくなる。


この上、事務の渡辺美波さんに慰謝料を請求されているなど、言えるわけもない。
   


「私も悪かったわ。いつも慎ちゃんに奢らせてばかりいたものね。高いお店に行ってたし……」


結婚前の豪遊を思い出したのか、意外にも沙織さんの表情は少し穏やかになった。


そしてソファから立ち上がると寝室へ行き、クローゼットから何かをつかんでまた戻ってきた。


「慎ちゃん、これ見て」


それは預金通帳だった。


開けられたページに印字された数字の桁に驚く。


「えっ、1000万!!」



「ねぇ、すごいでしょう。パパが私に残してくれたの。引っ越しやなんかで20万くらい使っちゃったけど、まだ1000万もあるのよ。だからそんなに心配しないで」


うかれたように機嫌を取り戻して、沙織さんは僕を励ました。




……これだけあれば、美波さんとうまく和解できるかもしれない。300万も支払う必要はないと思うけれど。



とりあえず借金地獄から解放されてホッとする。沙織さんもそれほど怒っていないようで安心した。


「ほら、早く佐野さんに休暇の連絡して」


「う、うん、わかった」


言われた通り、佐野さんに一週間の休暇をたのんだ。






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