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本編 雌花の章

第三話 秘密のやりとり

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 思いやりに満ちた手つきだ。あらゆるところに触れ、椎奈がどう反応するのか微細に確認しているようだ。
 申し訳ない気持ちでいっぱいになる。情事に全く集中できない。触れられることが全くいやでないことが、さらに辛かった。
「また緊張してるな」
 こんな状況下で、相手の声は冷静なように聞こえた。反応が薄い女に、興奮もできないだろうが。
「……また?」
「最初も、抱き合っていたとき、あなたは緊張していただろう」
 気取られていたとは思わなかった。
「かもしれません。そこに、ローションがあるから」
 椎奈は枕元に置いていたそれを取ろうと、からだをひねった。手を伸ばす前に、彼が先にそのチューブを手に取った。椎奈の見ている前で、男は手を濡らし、再び椎奈の足のあいだに手を伸ばしてきた。
「……ん」
 芽芯を、軽く転がすように押され、椎奈のからだが反応した。男は唇と舌で椎奈の胸元を攻めながら、器用に手も動かした。
「あ……いい」
 腰が、特に下腹部が疼きはじめた。踵が自然に動いてしまい、シーツに波を作っている。
 これで進めそうだ。そう安堵したのもつかの間、膣口に侵入された痛みに、椎奈は全身を硬直させた。
「いっ……」
 男も、指先を挿したあと、椎奈のこわばりに気付いたようだ。指を動かさず、顔を椎奈に寄せてきた。
「あなたは処女か?」
 椎奈は眉根を寄せたまま首を左右に振った。
「経験してます」
「教えてくれ。ここに、男根なり道具なり、最後に挿れたのはいつだ?」
「七年前です」
「それから自慰すらしてないのか?」
 じい?
「じいって、な……あ、ああ。……していないわけでは」
「挿れずに済ませているということか?」
「はい……まあ、ええ。そういうことです」
 男は動かず、指を入れたまま、椎奈の顔を覗き込んでいる。
「何があった?」
「なにが?」
「最後に経験したときに、相手の男に酷いことをされたのか?」
 椎奈は目を見開き、首をぶんぶんと左右に振った。
「えええ? 違います」
 椎奈には、彼の発想が意外で慌ててしまった。よくよく考えれば、この状況で考えがそちらに向かうのも当然だった。
「なら、その後か。何があった? 誰かに襲われたのか? もしくは親しい知人に何かあったか?」
 椎奈はからだを強ばらせた。
「何かあったんだな。ここがさらに堅くなった」
「あっ」
 椎奈のなかに入ったままの、彼の指が動いた。ほんのわずかな動作だったが、否が応でも反応してしまう。
「やめて、そんなところで確認しないで」
「……っと、悪い」
 彼は首を仰け反らせ、椎奈から指を抜いた。椎奈も、肩の力を抜くことができた。
「何があった」
 彼は食い下がってきた。椎奈には触れていないが、彼がついた手のあいだに椎奈は横になっている。逃げられる体勢ではない。
「個人の、身元に関することを根掘り葉掘り聞かないのが規則ですよ?」
 椎奈の警告に男は眉をひそめた。
「理由を聞くと身元が知られてしまう次元で何か起きたのか……?」
 やぶ蛇だった。椎奈は次の反論ができなかった。目を逸らせ、彼があきらめるのを待った。
「ならこれだけは教えてくれ。そのことは、法的には決着がついているのか?」
 しぶしぶ、椎奈は彼に視線を合わせ、肯定した。
「ええ。……その、七年前に大きな転機があったので……。それから、そんな関係を持てる男の人と会えなかっただけです。性行為で酷いことをされたことは、一度もないです」
 彼はそうかと返事をしたあと、椎奈から離れ身を上げた。椎奈の横であぐらをかき、椎奈を覗っている。
「悪かった。詮索するつもりはな……いやかなりある。でも、あなたを苦しめたいわけじゃない」
「ううん……私こそ、ごめんなさい」
「今日は、やめておいたほうがいいな」
 自身にも、椎奈にも、言い聞かせているような物言いだ。ふがいなくて、椎奈は自分をそしりたくなった。
 彼に対し不快なところはなかった。むしろ、続けられるならそうしてほしかったのに。これで終えた。縁は切れてしまったのだ。
 椎奈も上半身を起こし、裸のまま、正座して彼に頭を下げた。
「ごめんなさい」
 椎奈は男の下帯に視線を送った。さっきまで、二人が褥に入ったときにはあった、彼の男の象徴の興奮が、今は分からなくなっている。
「謝らないでくれ。こういうことだって、そりゃあ、あるだろう」
「お見合いではあってはならないことです」
 彼は膝立ちになって椎奈のそばにやってきた。何をするのかと思ったら、椎奈がさきほどまで身に着けていた浴衣を手に取り、椎奈の肩にかけてくれた。
 優しいひとだ。いっそう、離れがたい。
「やめなくていいんです。続けてください」
「無理だ」
 痛がる女に萎えるのは当たり前だ。
「ごめんなさい」
「謝るなと言ってるだろう。俺にとってはな、その気がない女性のからだに異物を挿すのは、女性にナイフを刺す行為と同義なんだ。できない」
「それが、決まり事でも?」
「それが決まり事だというのなら、それが間違ってる」
 声のトーンが下がった。彼から僅かな憤怒の波動が見えた気がした。椎奈の背筋が伸びたとき、彼は肩をすくめた。
「なんてな。俺のことは気にしないでくれ」
 空気が急に軽くなった。わざとおどけてくれたのだ。彼は、場の雰囲気を自在に操ることもできるのか。
 不思議な人だ。
 ますます、縁を離したくない。この人の中にあるものを、一生かけて知っていきたいのに、どうしたらいい?
 椎奈は、相手を帰したくなくてやっきになっている。どうしてここまで執着しているのか分からないが、とりあえず彼をここに引き留めたかった。彼はすぐにでも着物を着て、出て行ってしまいそうだ。
 何か言わねば。椎奈は手を挙げた。
「私がしてもいい?」
 拙い経験で、とっさに出た案がこれか。言ってしまってから、椎奈の耳は熱くなってきた。顔も赤いに違いない。
 暗闇でよかった。

 椎奈の提案は小さな部屋内で、身の置き所がなくなったように漂った。
 彼は動かなくなった。固まっているのだ。
 椎奈は黙って待った。自分が発言したことが彼にとって不愉快であったなら、それはもう仕方がない。
 自分たちは縁がなかったということで、頑張って諦めよう。

 男は首を動かしている。当惑しつつ、言葉を探している。
「ええとだな、あなたが」
「はい」
「俺を受け入れられなかった罪悪感で、そう提案してくれているなら、それは過ぎたお節介だ」
 椎奈は否定も肯定もしなかった。そんなつもりはない。どう説明すれば伝わるのだろう。
「だが、あなたが純粋に、俺のイチモツに興味があるなら」
「興味あります」
 食い気味で肯定してしまった。さすがにこれには椎奈自身が自分に引いた。恥ずかしい以前に人としてどうか。椎奈はぎゅっと目を閉じた。
 彼はふっと息を吐いた。笑ったのか、何かを吹っ切ったのか、どちらともとれる音だ。
「そういうことなら、大歓迎だ」
 彼は心なしか、背筋を伸ばしたように見えた。椎奈は膝で寄っていって、男のごく近くまで寄った。
「あなたの……下帯、私が解いていいですか?」
「ああ」
 掠れた声。冷静さがなくなったそれは、椎奈の背筋に響いた。
 下帯の紐を解き、そっと前を下ろす。椎奈の提案は、彼に期待を持たせることができたのだろうか。現れた象徴は、完全に堅くなっていないが、確かに興奮していた。
 多分、大きい。
 指を入れられただけであんなに痛かったのに、これは、さっきの自分では決して受け入れられなかった。彼の忍耐と優しさに、椎奈の胸が疼いた。
 今日で終えてしまうのが、辛い。
「あの」
「……ああ」
 椎奈は男と目を合わせたが、また伏せた。
「このあと……どうしたら、いいのか、分からなくて……教えてください」
 一秒後、男は爆笑した。
「知らないのか!」

 ローションに濡れた手を、上下させると、男の喉から隠った声が聞こえた。快感に彩られた声が、こんなにもそそられるものだと思わなかった。
 艶本でよく見られる「声を抑えるな」という攻めの心理が、よくわかる。
 はじめは、こうしてほしいと教えられた通りに、雄に触れた。彼からの指示や助言はだんだんと少なくなり、とうとう彼は、不規則な呼吸音と、意味をなさない声しか出さなくなった。
 完全に屹立した彼の分身を、握る手の径を狭めると、彼は大仰に首を仰け反らせた。
「痛い?」
 彼は首を左右に振った。視線を送ってくる。続けてほしいという懇願が、狂熱として彼から溢れ、椎奈の体の芯にも届いてくる。
 椎奈もまた、男と同じ種の吐息を漏らした。
 嬉しい。
 彼の間近に寄っても、呼吸音も聞き取れなかった。さっきまでは。
 彼は今、椎奈の慰めを受け、喘いでいる。
 睾丸に手を伸ばし、受け取るように撫でた。
「……っう」
 彼は喉仏を動かして、椎奈に視線を合わせ、続けろというメッセージを送ってくる。
 迎えたい──このひとを。
 触れたい。
 椎奈は彼を握ったまま、顔を寄せ、彼の唇に口付けた。彼は椎奈の頬を手で抱え、顔を傾け、深く口付けようとしてくる。男の舌に自分の舌を合わせると、彼は椎奈の口腔内で奔放に動いた。
 気持ちよさに、手が止まってしまう。
「やめないでくれ」
 彼は色欲に乗っ取られた、重い声を漏らした。腰から下が快感でぞくぞくする。
「じゃあ、そんな……気持ちよくなる口付けをしないで……」
 完全に硬くなっている、彼自身を改めて見た。
 触れたい。唇で感じたい。舐めてみたい。
「舐めてもいい?」
「……あ?」
 椎奈の声も掠れていた。彼の耳に全ては届かなかったようだ。椎奈は構わず背を屈めた。
 男のからだの一部、しかも性器が愛おしくて、口で触れたくなるなんて。そんなことは、自分には、一生あり得ないと思っていたのに。
 怒張を握り、固定して、椎奈は僅かに口を開いた。
 唇が、彼の先端に触れる手前──もうすぐ、というところで、大きな手に肩を掴まれた。
「待っ……」
 彼から勢いよく発されたものが、椎奈の顔を直撃した。
 椎奈は脊髄反射で目を閉じた。

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