届かない声のそばで ― 元自衛官カウンセラー・篠原梓の傾聴録

藤原遊

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間章:進まないことを「後退」と呼ばないために(スーパービジョン)

「“昇進しないと価値がない人間”みたいな圧って、
 言葉には出されなくても、どこかに空気としてある気がします」

梓の言葉に、スーパーバイザーの河合は目を伏せたまま、
ふとひとつ、小さく頷いた。

「ありますね。組織の中では、特に顕著です。
 “向上心”という言葉は、時に“階段をのぼる意志”だけを正解にしてしまう」

「塚田さんは、それを選ばなかった自分に、
 “逃げた”という言葉を貼っていたように思います。
 でも私には、むしろ“背伸びをしない勇気”に見えました」

河合は、そっと視線を移して言った。

「“引き受けないこと”は、消極的選択ではありません。
 “自分の在りたい形を守る”という立派な姿勢です。
 ただ、それを許してくれる周囲の空気がないと、
 人はいつしか、自分を責めるほうに逃げてしまう」

「……私自身、“指揮官に向いている”と言われ続けて、
 それが“演じること”になっていた部分もありました。
 塚田さんの姿を見て、
 “ならない選択肢”が与えられていたら、私はどうしていただろうって、考えました」

「梓さんにとって“演じる指揮官”は、
 背負うことと同義だったのかもしれませんね。
 “人の上に立つ”ことが、自分らしさと切り離されたまま進んでいくことに、
 痛みがなかったはずはない」

梓はしばらく黙って、それから口を開く。

「“進まない選択”が“停滞”だと誤解されてしまうのは、
 多分、世の中が“動き続けること”を善としすぎているからなんでしょうね」

河合は、にっこりと微笑んだ。

「“留まることで育つもの”がある――
 その視点を持っている人こそ、周囲を静かに支えることができる。
 あなたがそれに気づけたのは、今の梓さんだから、ですね」

“キャリア”という言葉の定義が、誰かに決められた線路ではなく、
自分の歩幅で引いていくものなのだと、梓は少しずつ実感しはじめていた。
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