届かない声のそばで ― 元自衛官カウンセラー・篠原梓の傾聴録

藤原遊

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間章:さよならじゃなくて、折り返し

「……え?」

最初に声を上げたのは、高梨だった。
会議室の隅、いつものようにランチを広げながらの雑談タイム。
梓は、ごく自然な調子で言った。

「この春で、地元に戻ることにしました。
 カウンセリングルームも、今月いっぱいで退職します」


「突然すぎませんか……!」

高梨が、半ば叫ぶように言ったあと、思わず手で口を覆った。
その隣で、事務スタッフの白石が、ふっと目を伏せながら言った。

「……でも、篠原さんらしいなぁ。
 ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、ちゃんと伝えてくれる」

「どこか、あたたかい場所に戻るんでしょう?」

「ええ。坂井がいる場所に」


場が静かになる。

高梨が、わずかに顔をしかめて言った。

「なんだかんだ、最後はちゃんと“人”を選ぶんですね、あなた……」

「意外だった?」

「意外ですよ。てっきりこのまま一人で一生走ってくのかと思ってました」

「……自分でも、そう思ってた。
 でも、“誰かと暮らしたい”って思う日が来るなんて、
 ……なんだか、人生って不思議」


誰もすぐに言葉を返さなかった。
代わりに、静かな肯定が部屋に広がっていく。

「ほんとに、戻っちゃうんですね」
ぽつりと、高梨が言う。

「うん。でも、誰かの話を聞くことは、やめない。
 こっちで得たものを持って、あっちでもちゃんと続けるつもり」


白石が、湯呑みを指先でくるくる回しながら言った。

「……篠原さんは、“去る人”って感じがしませんね」

「去るんじゃなくて、“折り返す”だけだからかもしれません」

そう言った自分の声が、思った以上に落ち着いていて、
梓は内心で少しだけ驚いていた。

“帰る”というのは、“始めなおす”ということなのかもしれない。


「ちゃんと送別会、しますからね」

「うん、任せるよ。……でも、気を使わせないで。
 “ふつうに送り出してもらえる人間”でありたいから」

高梨はわずかに笑った。

「それはそれで、ちょっと寂しいんですけど」


この場所で過ごした日々は、
きっとどこかで、自分を支え続ける土台になる。

梓はそう思いながら、
「ありがとうございました」と、ごく自然に口にしていた。
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