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第1章 裏切り
第2話 選ばなかった言葉
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街側へ向かう道は、森側よりもひらけている。
それでも、空気が軽いわけではなかった。
人の気配が薄れ、足音が土に吸われる。
ユリアの歩幅が、わずかに乱れる。
私は気づいていないふりをした。
気づいたと伝えること自体が、彼女の緊張を強めると知っているからだ。
――これでいい。
確認だけ。
もし何か出ても、すぐ引く。
ベルの判断は、そういうことだ。
……本当に?
胸の奥で、小さく問いが生まれる。
すぐに押し潰す。今は、考える時間じゃない。
そのときだった。
視界の端で、空気が歪んだ。
音はない。けれど、魔力だけが先に触れてくる。
高位。
そう理解した瞬間、私は足を止めた。
「……リュシエル先輩?」
ユリアの声が届く。
返事をしない。する必要がない。
頭を押さえ、小さく息を詰める。
“苦しそうに見える”ように、ほんの少しだけ演技を混ぜる。
次の瞬間、圧倒的な魔力が空間を満たした。
――来た。
私の前に、姿を現した存在。
人の形をしていながら、人ではない。翼も角も見えないが、在り方が違う。
〈魔王様と、セラフィエル様の命により。
お迎えに上がりました〉
古語。
かつて、天使と悪魔の国で使われていた公用語。
人の国では、もう使われていない言葉。
だから――ユリアには、意味が分からない。
〈……姉様も、心配症だね〉
そう返すと、悪魔はわずかに首を傾げた。
〈そこの人間は〉
視線が、ユリアに向く。
私は一拍も置かずに答えた。
〈置いていく〉
それだけだ。
殺すか、と問われる前に言っておく必要があった。
この程度の“ヒヨっ子”をどうこうする必要はない。
ベルの仲間を、ここで減らす理由もない。
悪魔は一歩、下がる。
道を空ける仕草。
――ここからが、本当の分岐だ。
ユリアの視界には、意味の分からないやり取りが続いているように見えるだろう。
人の言葉ではない。音の区切りも、抑揚も違う。
だからこそ。
彼女が理解してしまう前に、終わらせる。
私は一歩、前に出た。
前線で、何度もやってきた距離感。
距離を詰めすぎず、それでも離れない。
背中で、剣が抜かれる気配がした。
――ああ。
その反応が、胸に刺さる。
勝てないと分かっていても、剣を抜く。
私を逃がすために、前に出ようとする。
……ベルなら。
きっと、ここで私を庇う。
私の事情を聞き、国と交渉しようとする。
姉の話を聞いてもなお、「一緒に考えよう」と言う。
だからこそ。
それを、させない。
私は振り返らないまま、魔力を練った。
眠りの魔法。
戦場で何度も使ってきた。
敵対行為ではない。傷も残らない。
それでも――
信頼を、踏みにじる魔法だ。
説明すれば、止められる。
言葉を選べば、手を伸ばされる。
だから、言わない。
詠唱は、短く。
声に出さない。
次の瞬間、空気が揺れた。
ユリアの気配が、崩れる。
「――なぜ……」
かすれた声が聞こえた気がした。
剣を握る指に力が入るのが、分かる。
それでも、意識は沈んでいく。
私は、そこで初めて振り返った。
前線で、何度も見せてきた顔。
落ち着いた、迷いのない表情。
「ベルを頼んだよ」
それだけ。
謝らない。
説明しない。
――これをしたら、もう戻れない。
分かっている。
それでも、選んだ。
悪魔の示す方へ歩き出す。
振り返らない。迷わない。
金色の髪が揺れ、歪む空間の向こうへ消える。
……ベルがきたら、何を言うだろう。
怒るだろうか。
責めるだろうか。
それとも――黙って、背中を探すだろうか。
想像してしまい、切り捨てる。
もう、届かない未来だ。
私は選んだ。
話し合いを放棄するという、取り返しのつかない選択を。
だから。
その日、私は人間側を裏切った。
勇者を。
相棒を。
そして――自分が、言葉にしなかった想いを。
それでも、空気が軽いわけではなかった。
人の気配が薄れ、足音が土に吸われる。
ユリアの歩幅が、わずかに乱れる。
私は気づいていないふりをした。
気づいたと伝えること自体が、彼女の緊張を強めると知っているからだ。
――これでいい。
確認だけ。
もし何か出ても、すぐ引く。
ベルの判断は、そういうことだ。
……本当に?
胸の奥で、小さく問いが生まれる。
すぐに押し潰す。今は、考える時間じゃない。
そのときだった。
視界の端で、空気が歪んだ。
音はない。けれど、魔力だけが先に触れてくる。
高位。
そう理解した瞬間、私は足を止めた。
「……リュシエル先輩?」
ユリアの声が届く。
返事をしない。する必要がない。
頭を押さえ、小さく息を詰める。
“苦しそうに見える”ように、ほんの少しだけ演技を混ぜる。
次の瞬間、圧倒的な魔力が空間を満たした。
――来た。
私の前に、姿を現した存在。
人の形をしていながら、人ではない。翼も角も見えないが、在り方が違う。
〈魔王様と、セラフィエル様の命により。
お迎えに上がりました〉
古語。
かつて、天使と悪魔の国で使われていた公用語。
人の国では、もう使われていない言葉。
だから――ユリアには、意味が分からない。
〈……姉様も、心配症だね〉
そう返すと、悪魔はわずかに首を傾げた。
〈そこの人間は〉
視線が、ユリアに向く。
私は一拍も置かずに答えた。
〈置いていく〉
それだけだ。
殺すか、と問われる前に言っておく必要があった。
この程度の“ヒヨっ子”をどうこうする必要はない。
ベルの仲間を、ここで減らす理由もない。
悪魔は一歩、下がる。
道を空ける仕草。
――ここからが、本当の分岐だ。
ユリアの視界には、意味の分からないやり取りが続いているように見えるだろう。
人の言葉ではない。音の区切りも、抑揚も違う。
だからこそ。
彼女が理解してしまう前に、終わらせる。
私は一歩、前に出た。
前線で、何度もやってきた距離感。
距離を詰めすぎず、それでも離れない。
背中で、剣が抜かれる気配がした。
――ああ。
その反応が、胸に刺さる。
勝てないと分かっていても、剣を抜く。
私を逃がすために、前に出ようとする。
……ベルなら。
きっと、ここで私を庇う。
私の事情を聞き、国と交渉しようとする。
姉の話を聞いてもなお、「一緒に考えよう」と言う。
だからこそ。
それを、させない。
私は振り返らないまま、魔力を練った。
眠りの魔法。
戦場で何度も使ってきた。
敵対行為ではない。傷も残らない。
それでも――
信頼を、踏みにじる魔法だ。
説明すれば、止められる。
言葉を選べば、手を伸ばされる。
だから、言わない。
詠唱は、短く。
声に出さない。
次の瞬間、空気が揺れた。
ユリアの気配が、崩れる。
「――なぜ……」
かすれた声が聞こえた気がした。
剣を握る指に力が入るのが、分かる。
それでも、意識は沈んでいく。
私は、そこで初めて振り返った。
前線で、何度も見せてきた顔。
落ち着いた、迷いのない表情。
「ベルを頼んだよ」
それだけ。
謝らない。
説明しない。
――これをしたら、もう戻れない。
分かっている。
それでも、選んだ。
悪魔の示す方へ歩き出す。
振り返らない。迷わない。
金色の髪が揺れ、歪む空間の向こうへ消える。
……ベルがきたら、何を言うだろう。
怒るだろうか。
責めるだろうか。
それとも――黙って、背中を探すだろうか。
想像してしまい、切り捨てる。
もう、届かない未来だ。
私は選んだ。
話し合いを放棄するという、取り返しのつかない選択を。
だから。
その日、私は人間側を裏切った。
勇者を。
相棒を。
そして――自分が、言葉にしなかった想いを。
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