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第2章:誰かの娘として
玄関の扉を開けた瞬間、ふわっと煮物の匂いが鼻をくすぐった。
「おかえり! 寒かったべ? はい、早ぐ上がれ」
エプロン姿の母が、ストーブの前で笑っている。
ストーブの上にはヤカンと大きな鍋。
湯気がゆらゆらと立ち上り、あっという間に指先の冷えが溶けていく。
母は私の荷物をさっさと取り上げ、コートを脱がせる。
まるで子どもに戻ったようだった。
「お父さん、帰ってきたよー!」
居間から父が「おお」と声を上げ、新聞をたたんで立ち上がる。
「あったかくしてるか? 東京寒いべ」
「いや、寒いけど…こっちのほうがずっと冷えるよ」
味噌汁に手をつけたとき、母がふと目を細めた。
「なんか、また痩せだんでない? 食べてんのか?」
「食べてるよ、ちゃんと。お昼は外食だけど」
「そろそろ東京飽きた頃でしょ。こっち戻ってきたらいいのに。お父さんの知り合いにね、市役所の人がいてさ…」
母の口ぶりは自然で、悪意なんてない。
でも私は、味噌汁の豆腐を箸でつつきながら、うまく笑えなかった。
まるで、東京での日々は“遠回り”で、
いずれ戻ってくることが“本筋”みたいな言い方。
「東京は大変だろうけどさ、やっぱり女の子は近くにいたほうが安心だし」
「嫁に行くなら近くの人がいいよ。冬場、雪かきだってあるし」
私は、父と母が交わす会話の中で、
“誰かの奥さん”とか“お嫁さん”とか、
そんな言葉に包まれていく自分を感じた。
久しぶりの実家は、あたたかくて、優しくて、
でもその優しさは、私が“娘”という枠の中にいることを前提としている気がした。
東京では、誰も私の家を知らない。
誰かの娘でもなく、誰かの期待に沿うための存在でもない。
名刺に印字された名前と、やってきた仕事だけが、私の価値だった。
それが、少しだけ、誇らしかった。
「明日、おばあちゃんのところにも顔出すよ。あんた来たら喜ぶべなぁ」
「うん、行くよ」
私はうなずいて、笑ってみせた。
家族を大事に思う気持ちは、変わらない。
けれど、その笑顔の奥で、
私はまた“誰かの娘”として呼ばれていることに、小さな息苦しさを覚えていた。
玄関の扉を開けた瞬間、ふわっと煮物の匂いが鼻をくすぐった。
「おかえり! 寒かったべ? はい、早ぐ上がれ」
エプロン姿の母が、ストーブの前で笑っている。
ストーブの上にはヤカンと大きな鍋。
湯気がゆらゆらと立ち上り、あっという間に指先の冷えが溶けていく。
母は私の荷物をさっさと取り上げ、コートを脱がせる。
まるで子どもに戻ったようだった。
「お父さん、帰ってきたよー!」
居間から父が「おお」と声を上げ、新聞をたたんで立ち上がる。
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「いや、寒いけど…こっちのほうがずっと冷えるよ」
味噌汁に手をつけたとき、母がふと目を細めた。
「なんか、また痩せだんでない? 食べてんのか?」
「食べてるよ、ちゃんと。お昼は外食だけど」
「そろそろ東京飽きた頃でしょ。こっち戻ってきたらいいのに。お父さんの知り合いにね、市役所の人がいてさ…」
母の口ぶりは自然で、悪意なんてない。
でも私は、味噌汁の豆腐を箸でつつきながら、うまく笑えなかった。
まるで、東京での日々は“遠回り”で、
いずれ戻ってくることが“本筋”みたいな言い方。
「東京は大変だろうけどさ、やっぱり女の子は近くにいたほうが安心だし」
「嫁に行くなら近くの人がいいよ。冬場、雪かきだってあるし」
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「うん、行くよ」
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