雪に名を呼ばれず

藤原遊

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第5章:左に曲がって

 

駅のホームには、旅立ちを見送る人たちの姿があった。
花束を持った親子、スーツケースを転がす若者、そして、ただ黙って佇む中年夫婦。
春は、別れの季節でもある。

 

私もまた、あの中に混ざるはずだったのかもしれない――
ほんの少し前まで、そう思っていた。

 

でも今は違う。
私は“見送られる側”ではなく、“自分で進む側”でいたいと思った。

 

実家には、メールで返事を送った。
「もう少し、こっちで頑張ってみるね」
母からの返信はなかった。
でも、それでいい。
時間が経てば、きっとわかってくれると思う。
私がここで、自分の足で立って生きようとしていることを。

 

いつものように、〈サクラ通り〉の喫茶店に立ち寄る。
マスターは「今日は、春らしいブレンドにしてみた」と言って、少し明るい色のカップを置いてくれた。
味はいつもよりまろやかで、どこか、花の香りがした。

 

「咲きましたね」
編み物の彼女が、窓の外を見ながらつぶやいた。

 

見れば、通り沿いの桜の木々に、ほころびかけた花がいくつも揺れている。
まだ満開には遠いけれど、確かな春の気配が、そこにあった。

 

私はコートを羽織り、外に出る。
通りの名前を記した古びたプレートに目をやる。

「サクラ通り」
その看板の前で、一度立ち止まった。

 

通りをまっすぐ進めば、駅に続く。
けれど私は、左に曲がった。

 

その先に何があるのかは、まだ知らない。
でも、誰かの期待に応える道ではなく、
自分の意思で選ぶ道を、私は歩いていきたかった。

 

風が、やさしく髪を揺らした。
枝の先、咲きかけた花が、一枚だけふわりと舞い落ちる。

 

私はそれを見上げて、ゆっくりと歩き出した。
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