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学園の一日は何事もなく過ぎていく。周囲の冷たい視線にはもう慣れてしまったが、レティシアの心に薄い棘のようなものが刺さり続けていることに変わりはない。
昼休み、彼女は久しぶりに学園の図書室を訪れた。古い本の匂いが漂う中、誰も座っていない隅の席に腰を下ろす。開いた本に目を落とすが、内容が頭に入ってこない。
(どうして……こんなに根強く“悪役令嬢”だなんて呼ばれるのかしら)
ふと、遠くで生徒たちの笑い声が耳に入る。話題は、今市井で流行している演劇のことだ。
「ねえ、あの『誇り高きヒロイン』、もう見た?」
「もちろんよ! あの展開、胸がすっとしたわ!」
「わかる! あの高慢ちきな悪役令嬢の顔が最後にゆがむ場面、最高よね」
レティシアの指がぴたりと本のページを止める。話している内容は、明らかに自分を揶揄するかのような演劇の一場面だ。
(これが、私が“悪役令嬢”と呼ばれる理由……)
今、平民たちの間では「誇り高きヒロイン」という演劇が爆発的な人気を誇っているという。それは、平民生まれの少女が学園や貴族社会での理不尽に立ち向かい、逆境を乗り越えて勝利する物語だった。
中でも、そのヒロインをいじめる貴族令嬢が「悪役令嬢」として舞台の目玉となっている。金髪に碧眼、華やかなドレスに身を包むその悪役令嬢は、何の因果かレティシアの姿そのものだった。
「……滑稽だわ」
レティシアは本を閉じて、そっとため息をつく。
(どうして私が“悪役令嬢”の代名詞みたいに扱われなくちゃいけないのかしら。確かに金髪碧眼で貴族の令嬢という共通点はあるけれど……)
心の中で毒づきながらも、これが今の自分の置かれた立場を象徴していることに気づかざるを得なかった。
平民たちの間で広まったこの演劇は、貴族社会にまで噂が伝わり、ついには学園の生徒たちの間でも「悪役令嬢」という言葉が独り歩きするようになった。
「お嬢様、ご覧ください。新しい演劇の絵本が出たみたいです」
その日の夕方、邸宅に戻ったレティシアを出迎えたのは、使用人のクララだった。彼女は書店で購入したらしい薄い本を大事そうに抱えている。
「演劇の絵本?」
レティシアが首をかしげると、クララは微笑みながらその本を手渡してきた。
「はい。『誇り高きヒロイン』の物語を子供向けに再編したものだそうです。最近は大人だけでなく、子供たちの間でも評判が良くて……」
レティシアは手に取った本の表紙を見て、息を呑んだ。華やかに描かれた悪役令嬢の姿は、どう見ても自分そっくりだった。美しくも冷酷そうな微笑みを浮かべるその令嬢が、平民のヒロインをいじめる場面が鮮やかに描かれている。
「……なるほど。だから皆が私を“悪役令嬢”だなんて呼ぶのね」
「お嬢様?」
「何でもないわ。それより、その本は部屋に置いておいて」
レティシアは笑顔を作りながらそう告げたが、心の中ではじっとりと汗が滲むような感覚を覚えていた。
(このままじゃ、本当に“悪役令嬢”のままで終わってしまう。でも、それだけは絶対に許さない)
その夜、レティシアは屋敷の庭に出た。月明かりが淡く差し込む中で、彼女は改めて覚悟を固める。
(私にはやるべきことがある。破滅フラグを回避して、ただ生き延びるだけじゃない)
自分の中に根付いた不安と闘いながら、彼女は小さく拳を握った。
(この状況を逆手に取るしかないわ)
まるでその決意を見透かすように、闇の中から声が響く。
「月明かりの下でたたずむなんて、君も絵になるね」
驚いて振り返ると、そこには黒いコートに身を包んだリシャールが立っていた。
「……どうしてあなたがここに?」
「どうしてだろうね」
彼は意味ありげに笑うと、夜の闇を背景にして、静かに歩み寄る。その目には、冷たいようで温かさも滲む不思議な光が宿っていた。
「君が“悪役令嬢”と呼ばれる理由を、少しは理解できたかい?」
「……知っていて話しかけていたのね」
レティシアは眉をひそめながら、彼を睨みつけた。
「知っていたよ。でも、それを本当に“悪”と呼べるのかどうか――それが気になってね」
リシャールの声には、どこか本気とも冗談ともつかない響きがあった。その言葉に、レティシアは自分でも驚くほど冷静に答える。
「それを判断するのは、あなたじゃない」
「いや、僕じゃないかもしれないけど……君自身でもないだろう?」
その一言に、レティシアは言葉を失った。
リシャールの微笑みは、月明かりの下でどこか影のように揺れて見えた。
「でも、僕にはわかるよ。君はただの“悪役”なんかじゃない」
彼の言葉が心に響いたのか、それともただの気まぐれだったのか。レティシアは思わず夜空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「だったら、証明してみせるしかないわね」
「君らしい」
リシャールは満足げに笑い、そのまま庭の闇へと姿を消した。
彼との再会は、またひとつ、彼女の運命を揺るがすきっかけになるのだった。
昼休み、彼女は久しぶりに学園の図書室を訪れた。古い本の匂いが漂う中、誰も座っていない隅の席に腰を下ろす。開いた本に目を落とすが、内容が頭に入ってこない。
(どうして……こんなに根強く“悪役令嬢”だなんて呼ばれるのかしら)
ふと、遠くで生徒たちの笑い声が耳に入る。話題は、今市井で流行している演劇のことだ。
「ねえ、あの『誇り高きヒロイン』、もう見た?」
「もちろんよ! あの展開、胸がすっとしたわ!」
「わかる! あの高慢ちきな悪役令嬢の顔が最後にゆがむ場面、最高よね」
レティシアの指がぴたりと本のページを止める。話している内容は、明らかに自分を揶揄するかのような演劇の一場面だ。
(これが、私が“悪役令嬢”と呼ばれる理由……)
今、平民たちの間では「誇り高きヒロイン」という演劇が爆発的な人気を誇っているという。それは、平民生まれの少女が学園や貴族社会での理不尽に立ち向かい、逆境を乗り越えて勝利する物語だった。
中でも、そのヒロインをいじめる貴族令嬢が「悪役令嬢」として舞台の目玉となっている。金髪に碧眼、華やかなドレスに身を包むその悪役令嬢は、何の因果かレティシアの姿そのものだった。
「……滑稽だわ」
レティシアは本を閉じて、そっとため息をつく。
(どうして私が“悪役令嬢”の代名詞みたいに扱われなくちゃいけないのかしら。確かに金髪碧眼で貴族の令嬢という共通点はあるけれど……)
心の中で毒づきながらも、これが今の自分の置かれた立場を象徴していることに気づかざるを得なかった。
平民たちの間で広まったこの演劇は、貴族社会にまで噂が伝わり、ついには学園の生徒たちの間でも「悪役令嬢」という言葉が独り歩きするようになった。
「お嬢様、ご覧ください。新しい演劇の絵本が出たみたいです」
その日の夕方、邸宅に戻ったレティシアを出迎えたのは、使用人のクララだった。彼女は書店で購入したらしい薄い本を大事そうに抱えている。
「演劇の絵本?」
レティシアが首をかしげると、クララは微笑みながらその本を手渡してきた。
「はい。『誇り高きヒロイン』の物語を子供向けに再編したものだそうです。最近は大人だけでなく、子供たちの間でも評判が良くて……」
レティシアは手に取った本の表紙を見て、息を呑んだ。華やかに描かれた悪役令嬢の姿は、どう見ても自分そっくりだった。美しくも冷酷そうな微笑みを浮かべるその令嬢が、平民のヒロインをいじめる場面が鮮やかに描かれている。
「……なるほど。だから皆が私を“悪役令嬢”だなんて呼ぶのね」
「お嬢様?」
「何でもないわ。それより、その本は部屋に置いておいて」
レティシアは笑顔を作りながらそう告げたが、心の中ではじっとりと汗が滲むような感覚を覚えていた。
(このままじゃ、本当に“悪役令嬢”のままで終わってしまう。でも、それだけは絶対に許さない)
その夜、レティシアは屋敷の庭に出た。月明かりが淡く差し込む中で、彼女は改めて覚悟を固める。
(私にはやるべきことがある。破滅フラグを回避して、ただ生き延びるだけじゃない)
自分の中に根付いた不安と闘いながら、彼女は小さく拳を握った。
(この状況を逆手に取るしかないわ)
まるでその決意を見透かすように、闇の中から声が響く。
「月明かりの下でたたずむなんて、君も絵になるね」
驚いて振り返ると、そこには黒いコートに身を包んだリシャールが立っていた。
「……どうしてあなたがここに?」
「どうしてだろうね」
彼は意味ありげに笑うと、夜の闇を背景にして、静かに歩み寄る。その目には、冷たいようで温かさも滲む不思議な光が宿っていた。
「君が“悪役令嬢”と呼ばれる理由を、少しは理解できたかい?」
「……知っていて話しかけていたのね」
レティシアは眉をひそめながら、彼を睨みつけた。
「知っていたよ。でも、それを本当に“悪”と呼べるのかどうか――それが気になってね」
リシャールの声には、どこか本気とも冗談ともつかない響きがあった。その言葉に、レティシアは自分でも驚くほど冷静に答える。
「それを判断するのは、あなたじゃない」
「いや、僕じゃないかもしれないけど……君自身でもないだろう?」
その一言に、レティシアは言葉を失った。
リシャールの微笑みは、月明かりの下でどこか影のように揺れて見えた。
「でも、僕にはわかるよ。君はただの“悪役”なんかじゃない」
彼の言葉が心に響いたのか、それともただの気まぐれだったのか。レティシアは思わず夜空を見上げ、深く息を吸い込んだ。
「だったら、証明してみせるしかないわね」
「君らしい」
リシャールは満足げに笑い、そのまま庭の闇へと姿を消した。
彼との再会は、またひとつ、彼女の運命を揺るがすきっかけになるのだった。
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