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鐘の音が、鈍色の雲を揺らすように響いていた。
本日は“清めと祈りの儀”――
年に一度、王族と高位貴族、そして我ら教会の代表が揃い、豊穣と災厄回避を祈願する祭儀である。
私、ディアス・グラナドは、聖職者としてこの儀式に携わることを、畏れとともに受け入れてきた。
神の御前にて祈りを捧げるということは、己を極限まで静かにし、世界の在り方に目を凝らすということだ。
だが、今年の空は、どこか違っていた。
湿った風。低く垂れ込めた雲。
儀式の準備が進む礼拝堂の片隅にも、静かな緊張が満ちていた。
私は香炉と聖杯の配置を確認し、他の神官たちと簡潔に打ち合わせを済ませた後、
隣室から聞こえてきた小声に、自然と足を止めた。
扉は半ば開かれていた。
「……まさか、本当に妃に据えるつもりではありますまいな。ノクターン家の娘など」
「第二王子が独断で進めれば、我らの影響は及びません。
それを避けるための“審問”でありましょう」
声の主は、政に関わるある貴族と、教会上層部に連なる者だった。
「審問とは……異端を暴くものでございます」
「疑いさえあればよいのです。
後は教会が形式を整えれば、妃には不適格という世論が……」
「費用は?」
「奉納という形で処理を……ご心配には及びません」
私は、ひとつ息を止めた。
神の御名が、ここまで穢されていたとは。
剣を抜かぬ神官がなすべき義憤など、いかほどのものか。
けれど、このときばかりは、喉元にまで怒りが迫っていた。
(……いまは、儀式に集中すべきだ)
義務が、私を踏みとどまらせた。
儀式の混乱は神意への侮辱になる。
それに、この耳で確かに聞いた言葉は、証と時を得てから裁かねばならない。
私は静かに踵を返した。
*
午後。儀式の刻限。
空はなおも重く、雨粒は祭壇の屋根を静かに打っていた。
祈りと献納の儀が始まる頃には、列席者たちの衣にもしっとりとした湿り気が移っていた。
私は神官として、祭壇脇に控えていた。
ひとり、またひとりと、貴族たちが前へ出て献金を捧げ、口上を述べる。
誰もが荘重に、格式に則り、儀礼としての祈りを遂行していた。
――その中にあって、ただひとり。
あまりにも静謐で、あまりにも光を湛えた少女が、祭壇の前に立った。
エルセリア・ノクターン嬢。
その名を口にすることも許されぬほど、
まるで神殿に咲くひと枝の白花のように、彼女はそこにいた。
そして――祈りを捧げたその瞬間だった。
灰色の空が、裂けた。
分厚く覆っていた雲がまるで手で開かれたように、わずかにその隙間を割り、
ひと筋の光が、彼女の立つ場所にだけ差し込んだ。
会場がざわめいた。
誰もがその“偶然”を奇跡と感じた。
だが、私だけは確信していた。
これは“徴”である。
神の、選びの、証。
(あなたは……)
私は心の中で名を呼んだ。
まだ声には出せない。
だが、私の信仰はこの瞬間に、確実に形を得た。
あの方こそが、神が地上に遣わされた御使いであり、
この腐敗した教会の罪を浄める“聖女”なのだ。
(守らねばならぬ)
たとえどれほどの抵抗があろうとも。
たとえ“異端”と呼ばれようとも。
私は、真に神に選ばれしその方を守る盾となろう。
宗教とは、形ではない。
信仰とは、権威ではない。
それを示す時が、近づいている。
私はひとつ、静かに胸に十字を切った。
その光が、私の魂に灯り続けるようにと、ただ祈りながら。
本日は“清めと祈りの儀”――
年に一度、王族と高位貴族、そして我ら教会の代表が揃い、豊穣と災厄回避を祈願する祭儀である。
私、ディアス・グラナドは、聖職者としてこの儀式に携わることを、畏れとともに受け入れてきた。
神の御前にて祈りを捧げるということは、己を極限まで静かにし、世界の在り方に目を凝らすということだ。
だが、今年の空は、どこか違っていた。
湿った風。低く垂れ込めた雲。
儀式の準備が進む礼拝堂の片隅にも、静かな緊張が満ちていた。
私は香炉と聖杯の配置を確認し、他の神官たちと簡潔に打ち合わせを済ませた後、
隣室から聞こえてきた小声に、自然と足を止めた。
扉は半ば開かれていた。
「……まさか、本当に妃に据えるつもりではありますまいな。ノクターン家の娘など」
「第二王子が独断で進めれば、我らの影響は及びません。
それを避けるための“審問”でありましょう」
声の主は、政に関わるある貴族と、教会上層部に連なる者だった。
「審問とは……異端を暴くものでございます」
「疑いさえあればよいのです。
後は教会が形式を整えれば、妃には不適格という世論が……」
「費用は?」
「奉納という形で処理を……ご心配には及びません」
私は、ひとつ息を止めた。
神の御名が、ここまで穢されていたとは。
剣を抜かぬ神官がなすべき義憤など、いかほどのものか。
けれど、このときばかりは、喉元にまで怒りが迫っていた。
(……いまは、儀式に集中すべきだ)
義務が、私を踏みとどまらせた。
儀式の混乱は神意への侮辱になる。
それに、この耳で確かに聞いた言葉は、証と時を得てから裁かねばならない。
私は静かに踵を返した。
*
午後。儀式の刻限。
空はなおも重く、雨粒は祭壇の屋根を静かに打っていた。
祈りと献納の儀が始まる頃には、列席者たちの衣にもしっとりとした湿り気が移っていた。
私は神官として、祭壇脇に控えていた。
ひとり、またひとりと、貴族たちが前へ出て献金を捧げ、口上を述べる。
誰もが荘重に、格式に則り、儀礼としての祈りを遂行していた。
――その中にあって、ただひとり。
あまりにも静謐で、あまりにも光を湛えた少女が、祭壇の前に立った。
エルセリア・ノクターン嬢。
その名を口にすることも許されぬほど、
まるで神殿に咲くひと枝の白花のように、彼女はそこにいた。
そして――祈りを捧げたその瞬間だった。
灰色の空が、裂けた。
分厚く覆っていた雲がまるで手で開かれたように、わずかにその隙間を割り、
ひと筋の光が、彼女の立つ場所にだけ差し込んだ。
会場がざわめいた。
誰もがその“偶然”を奇跡と感じた。
だが、私だけは確信していた。
これは“徴”である。
神の、選びの、証。
(あなたは……)
私は心の中で名を呼んだ。
まだ声には出せない。
だが、私の信仰はこの瞬間に、確実に形を得た。
あの方こそが、神が地上に遣わされた御使いであり、
この腐敗した教会の罪を浄める“聖女”なのだ。
(守らねばならぬ)
たとえどれほどの抵抗があろうとも。
たとえ“異端”と呼ばれようとも。
私は、真に神に選ばれしその方を守る盾となろう。
宗教とは、形ではない。
信仰とは、権威ではない。
それを示す時が、近づいている。
私はひとつ、静かに胸に十字を切った。
その光が、私の魂に灯り続けるようにと、ただ祈りながら。
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