戦乙女の選ぶ道

3章 紅蓮の将との邂逅

④

フィオラは霧が漂う戦場を見渡した。
ライナーとの直接的な衝突は一旦収束したが、周囲にはまだ彼の軍勢が整然と展開している。単純な力押しで攻めてくるわけではない。彼の指揮が緻密であることは、この陣形一つ取っても明らかだった。

「……彼、ただの戦略魔法使いじゃないわね。」

フィオラは小さく呟き、地図を思い浮かべた。このあたりの地形は川が入り組んでおり、丘陵も点在している。そのどれもが戦術的に活用できる要素を持っていた。

ライナーはその地形を活かしつつ、自軍を最大限に動かせる位置に布陣している。敵の進路を誘導し、追い詰める意図が透けて見えた。

「この霧……利用できるわね。」

フィオラは小さく息を吸い込み、後方にいる兵士に指示を送った。

「伝令！ 部隊を川沿いの林まで下げて。敵が追ってくるように見せかけるの。」

「かしこまりました！」

兵士が走り去る中、ロイドが訝しげな顔を向けた。

「引くのか？ 今ここで敵を抑えないと、次の村まで進軍されるぞ。」

「だからこそよ。川沿いの地形を使えば、敵の陣形を崩せるわ。」

フィオラの目は鋭かった。
「彼らの先鋒は紅炎の術師団だけど、全軍の中では動きが速い方じゃない。川を渡らせる隙に、後方から挟撃を仕掛けるわ。」

ロイドは短く息をつき、彼女の目を見た。

「わかった。俺たちも準備する。」

一方、敵陣ではライナーが静かに状況を見つめていた。
霧の中から伝わる波動で、フィオラが指示を出しているのを感じ取る。

「退く……か。」

彼は口元を歪める。無秩序な撤退ではない。あの動きには明確な意図がある。ライナーは地図を広げ、川の位置と地形を確認した。

「……こちらを誘い込むつもりか。だが、その策を潰せばいいだけだ。」

彼は部下に指示を送る。

「前方の隊を一旦止めろ。そして、左翼の予備兵を川沿いに展開させる。彼らを追わせる形で進軍を続けるが、必要なら追撃は抑制しろ。」

「追撃を抑制ですか？」

「そうだ。彼女の動きには意味がある。下手に動けばこちらの布陣が崩れる。こちらが先に動きを封じる。」

部下は敬礼をして去り、ライナーは再び目を閉じた。
「なかなかやるな、フィオラ・カイゼルン……。」

霧の中、川沿いに展開したフィオラの部隊が静かに敵を待ち構えていた。
その緊張感の中、彼女は遠くから近づく馬蹄の音を聞いた。

「……来たわね。」

敵の先鋒が川に差し掛かる。その陣形はしっかりと整えられ、油断を見せる素振りはない。フィオラはその様子を見てわずかに眉をひそめた。

「やっぱり簡単には引っかからないか……。」

ロイドが隣で剣を構えながら低く言った。

「相手は準備万端だ。このまま突っ込むのは危険だぞ。」

「ええ、だから準備を進めてるのよ。」

フィオラは静かに手を掲げた。
冷たい水の波が再び湧き上がり、川の流れに溶け込むように広がっていく。

敵兵が川を渡り始めた瞬間、フィオラの手のひらから一気に魔力が放出された。
川が激しくうねり、流れが逆流する。敵兵の隊列が崩れ、混乱が広がる。

「……今よ！ 挟撃を仕掛けて！」

フィオラの指示で左右から伏兵が現れ、敵の隊列を切り裂くように攻撃を仕掛けた。
ライナーの思惑を上回る動きに、敵軍は一時的に後退を余儀なくされる。

敵軍が一旦退いたことで、フィオラたちは大きな呼吸をついた。
しかし、彼女の胸にはまだ妙な不安が残っていた。

「……彼がこの程度で諦めるとは思えない。」

その不安が、これからの戦いをさらに厳しいものにする――その予感を胸に、フィオラは霧の向こうを見つめ続けていた。