【完結】悪役令嬢アナスタシアは破滅を嗤う

藤原遊

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第一部 聖女セラフィーナと幸福の罠

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 「アナスタシア様、聖女セラフィーナ様が本日もお越しです」

 侍女の報告に、私はそっとカップを置いた。カチャリ、と澄んだ音が響く。
 ああ、来たわね。ついに。

 この世界における“聖女”は、神の加護と純潔の象徴。
 平民出身でも、一度「神に選ばれた」とされれば、誰よりも高貴な存在として持ち上げられる。
 彼女こそが、この物語の中心。みんなが大好きなヒロイン。
 貴族社会の誰もが、彼女を称賛し、崇拝し、彼女の前では従順になる。

 そして、私は――まあ、その反対側の立ち位置にいるわけだ。

 私はわざわざ声に出すほど愚かではないけれど、世間的にはこう呼ばれていることだろう。
 高慢で、冷たく、出しゃばりで、嫌われ者の娘。
 “悪役”、なんて言葉が好きな人もいる。まったく、都合のいいラベルを貼るのが皆、上手だこと。

「では、支度を整えて行きましょう」

 侍女がわずかに息を飲むのがわかった。
 別に今日に限ったことじゃない。私はもう慣れている。
 口では取り繕うが、心の中では皆、私がまた何か問題を起こすのではと警戒しているのだ。

 鏡の前に立ち、自分を映す。
 濃紺のドレスに深紅のルビー。
 髪型は乱れなく整え、唇にだけわずかな血色を足した。
 誰がどう見ても、「完璧に躾けられた公爵令嬢」の姿。

 さあ、今日も配役通りに役目を果たしましょう。

 原作では、ここから破滅が始まる。
 セラフィーナが登場し、私は彼女に嫌味を言い、攻略対象たちの怒りを買い、断罪され、婚約破棄される。
 全部知っている筋書き。
 でも、それでいい。結末が決まっているなら、そこに向けて静かに歩いていくだけ。

 だから私は、何の疑いもなく扉を開けた。

 ――けれど。

 部屋の中に漂う空気に、私は立ち止まりそうになった。

 王太子ユリウスが中央に座り、その隣にセラフィーナ。
 他の貴族たちも並んでいる。
 並び方も、顔ぶれも、見慣れたもの。

 なのに。

「やあ、アナスタシア。来てくれて嬉しいよ」

 王太子が、柔らかく私に微笑んだ。
 ……は?

 それ、違うわよ。
 本来ここで私は無視されるか、冷たい目を向けられるはずなのに。
 原作通りなら、王太子は今ごろ隣のヒロインに夢中なはずじゃなかった?

「お招きいただき光栄ですわ、殿下」

 私は微笑を保ったまま、ゆっくりとお辞儀をした。
 表情筋は完璧。動揺は表に出さない。
 けれど心の中では、静かに叫んでいた。

 ――何これ?
 筋書き、違うじゃないの。

 私は今、確実に知っている。
 破滅に向かうはずだった私の舞台が、妙な歯車音を立て始めているのを。
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