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リゼ3
5.会いたくないひと
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グレイス・ハイモンド──ハイモンドといえばあの調査官だ。
妹がギルベルトと見合いをすると言ったのを思い出し、リゼはハッとする。
この方がギルベルト様のお相手の……?
リゼの胸はまた痛みに締め付けられる。
彼が将来を共にする女性の顔など知りたくはなかった。
名前も顔も知らない誰かが相手だったからこそ、リゼは彼の幸せを願えたというのに。
グレイスと名乗った女性を見る。
リゼとは全く違う、透き通るような肌に手入れの行き届いた艶めく髪。物腰はまさしく優雅で、例えもし平民の服装を着ていたとしても、一目で貴族とわかりそうな深窓のご令嬢だ。
会いたくはなかったしリゼには話すこともない。
けれどギルベルトの名を出しわざわざ名指しで会いに来られては、このまま返すわけにもいかない。
リゼは他の侍女に詫び、一時職務を抜けさせてもらった。
空き部屋に移動しリゼが向き直ると、グレイスはおもむろに頭を下げた。
「リゼ様。この度のヴィンロード様との婚約のこと、私のせいで誠に申し訳ございません。
どうかあの方を許してくださいませんか」
グレイスは沈痛な面持ちをしている。心の底からギルベルトを案じているようだ。
ギルベルトを許すとは、二人の政略結婚を認め、邪魔をしないでほしいということだろうか。
「許すも何も、ヴィンロード侯爵子息様が決められたことに私は何も言える立場ではありません」
「そんな他人事のような仰りようはお止めになって。ヴィンロード様は私の無理を聞いてくださっただけなのです。
あなたのお叱りは私が受けるべきものですわ。どうか彼へのお怒りは収めていただきたいのです」
グレイスはリゼが怒っていると思い込んでいるようだ。
なぜそのような思い込みに至ったのか。そしてそもそもなぜ彼女がギルベルトとリゼの関係を知っているのか。
徐々に悲しみよりも不信感が増す。
「グレイス様は、私とヴィンロード様とのことをどのようにお知りになったのでしょうか」
「あら、それはあの方が『大切な人がいる』と仰っていましたもの。
それにご存知かしら、ヴィンロード家の方々は皆さん浮いたお話を寄せ付けないことで有名なのですわ。それが最近は女性とよく一緒にいらっしゃるとなれば、ねえ?」
そう言ってグレイスは目を細める。
リゼは顔に熱が集まるのを感じた。
良かれと思い密室を避けたつもりが、かえってギルベルトを好奇の目に晒してしまった自らの浅慮を恥じる。
グレイスから見れば、リゼは『人目を憚らず逢瀬を重ねる非常識な女性』だ。
そのような性格の元恋人なら、別れたことを恨んで問題を起こすとでも思われているのかもしれない。
「それは……ヴィンロード様には申し訳ないことをしました。ですが私は本当に怒ってなどいません。
彼が決めたことに従ったのは私の意思です。同意の上ですから、今後も怒るなどありえません」
「本当ですか? では、是非ヴィンロード様にそう伝えていただけませんか?
あの方、もうずっと覇気がありませんの。あなたの言葉があればきっと元気になりますわ」
「ですが私はヴィンロード様とお会いするわけには──」
「それは私のせいですわね。そう思いましたので、便箋を用意しておりますの。これで一筆したためていただけませんか。私からお渡ししておきます。
もちろん中身を見るなどという野暮なことはしませんわ」
あまりにも強引で唐突な要求に、リゼの不信感はさらにいや増す。
しかし書かなければ帰らない様子のグレイスに諦めたリゼは、当たり障りのない言葉を二、三書きつけ、彼女に手渡した。
「ありがとうございます。重ねてのお願いなのですが、リゼ様が愛用なさっている物を一緒にお渡しできたらなお喜ばれると思うのです。
ブローチ…などは着けていらっしゃらないのね。ではハンカチはお持ちですか?」
今度こそリゼは呆れた。
早く用件を済ませてしまいたい一心で、無地のありふれたハンカチを取り出した。
「あら? 何か落ちましてよ」
その時、リゼの手元から落ちたものを拾い上げ、グレイスがにわかに目を輝かせる。
「まあ! 良い物がありましたわ! リゼ様、これいただきますわね! いえ、お借りするだけですわ。
きちんとお返ししますからご安心くださいませ」
そう言ってハンカチも受け取らず、令嬢らしからぬ速さでグレイスは去ってしまった。
残されたリゼは、勢いに圧倒されハンカチを差し出した手もそのままに、グレイスが開け放った扉をしばらくの間眺めていた。
「あ…根付けが…」
我に返ったリゼがハンカチを仕舞おうとして、ようやくグレイスが手にしたものに気づく。
彼女はリゼの色の根付けを持ち去ってしまったのだった。
妹がギルベルトと見合いをすると言ったのを思い出し、リゼはハッとする。
この方がギルベルト様のお相手の……?
リゼの胸はまた痛みに締め付けられる。
彼が将来を共にする女性の顔など知りたくはなかった。
名前も顔も知らない誰かが相手だったからこそ、リゼは彼の幸せを願えたというのに。
グレイスと名乗った女性を見る。
リゼとは全く違う、透き通るような肌に手入れの行き届いた艶めく髪。物腰はまさしく優雅で、例えもし平民の服装を着ていたとしても、一目で貴族とわかりそうな深窓のご令嬢だ。
会いたくはなかったしリゼには話すこともない。
けれどギルベルトの名を出しわざわざ名指しで会いに来られては、このまま返すわけにもいかない。
リゼは他の侍女に詫び、一時職務を抜けさせてもらった。
空き部屋に移動しリゼが向き直ると、グレイスはおもむろに頭を下げた。
「リゼ様。この度のヴィンロード様との婚約のこと、私のせいで誠に申し訳ございません。
どうかあの方を許してくださいませんか」
グレイスは沈痛な面持ちをしている。心の底からギルベルトを案じているようだ。
ギルベルトを許すとは、二人の政略結婚を認め、邪魔をしないでほしいということだろうか。
「許すも何も、ヴィンロード侯爵子息様が決められたことに私は何も言える立場ではありません」
「そんな他人事のような仰りようはお止めになって。ヴィンロード様は私の無理を聞いてくださっただけなのです。
あなたのお叱りは私が受けるべきものですわ。どうか彼へのお怒りは収めていただきたいのです」
グレイスはリゼが怒っていると思い込んでいるようだ。
なぜそのような思い込みに至ったのか。そしてそもそもなぜ彼女がギルベルトとリゼの関係を知っているのか。
徐々に悲しみよりも不信感が増す。
「グレイス様は、私とヴィンロード様とのことをどのようにお知りになったのでしょうか」
「あら、それはあの方が『大切な人がいる』と仰っていましたもの。
それにご存知かしら、ヴィンロード家の方々は皆さん浮いたお話を寄せ付けないことで有名なのですわ。それが最近は女性とよく一緒にいらっしゃるとなれば、ねえ?」
そう言ってグレイスは目を細める。
リゼは顔に熱が集まるのを感じた。
良かれと思い密室を避けたつもりが、かえってギルベルトを好奇の目に晒してしまった自らの浅慮を恥じる。
グレイスから見れば、リゼは『人目を憚らず逢瀬を重ねる非常識な女性』だ。
そのような性格の元恋人なら、別れたことを恨んで問題を起こすとでも思われているのかもしれない。
「それは……ヴィンロード様には申し訳ないことをしました。ですが私は本当に怒ってなどいません。
彼が決めたことに従ったのは私の意思です。同意の上ですから、今後も怒るなどありえません」
「本当ですか? では、是非ヴィンロード様にそう伝えていただけませんか?
あの方、もうずっと覇気がありませんの。あなたの言葉があればきっと元気になりますわ」
「ですが私はヴィンロード様とお会いするわけには──」
「それは私のせいですわね。そう思いましたので、便箋を用意しておりますの。これで一筆したためていただけませんか。私からお渡ししておきます。
もちろん中身を見るなどという野暮なことはしませんわ」
あまりにも強引で唐突な要求に、リゼの不信感はさらにいや増す。
しかし書かなければ帰らない様子のグレイスに諦めたリゼは、当たり障りのない言葉を二、三書きつけ、彼女に手渡した。
「ありがとうございます。重ねてのお願いなのですが、リゼ様が愛用なさっている物を一緒にお渡しできたらなお喜ばれると思うのです。
ブローチ…などは着けていらっしゃらないのね。ではハンカチはお持ちですか?」
今度こそリゼは呆れた。
早く用件を済ませてしまいたい一心で、無地のありふれたハンカチを取り出した。
「あら? 何か落ちましてよ」
その時、リゼの手元から落ちたものを拾い上げ、グレイスがにわかに目を輝かせる。
「まあ! 良い物がありましたわ! リゼ様、これいただきますわね! いえ、お借りするだけですわ。
きちんとお返ししますからご安心くださいませ」
そう言ってハンカチも受け取らず、令嬢らしからぬ速さでグレイスは去ってしまった。
残されたリゼは、勢いに圧倒されハンカチを差し出した手もそのままに、グレイスが開け放った扉をしばらくの間眺めていた。
「あ…根付けが…」
我に返ったリゼがハンカチを仕舞おうとして、ようやくグレイスが手にしたものに気づく。
彼女はリゼの色の根付けを持ち去ってしまったのだった。
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