145 / 159
第九章──忍(しのび)の想い、秘めし愛の守り手
145話
しおりを挟む
琥太郎の前に突如影が盾になる。言葉は血の風とともに舞う。
「あはは……やはり叶わぬものですな……われは、忍としても……母としても、失格にて候……」
「夜月……夜月ぃぃ──」
声が自然に喉を這う。暴れだす。口を無理やり開かせた。
手を広げ、庇うように全身に矢を受けた夜月。自然に身体が動く。背の痛みなど関係ない。夜月を抱き抱えたまま、まるで流水が隙間を見つける如く敵陣の手薄な道筋を走る。風と見まがうほどの早さ、そして人ひとり抱えたままの動きは人に非らず。兵たちの心に芽生えたものは「前に立ちはだかれば切られる」という恐怖だった。
「おかしいですな……確かに心の臓を突き立てたはずが……わずかに逸れたようにて……その刹那、急所に緋美の顔が思い浮かばれて……貫けず……まこと、忍として失格……」
夜月の声はか細くなる。
「申すな!」
敵陣の最中、縫うように走り、暗闇を味方にできるまでの距離を見つける。
「追えっ! 我に恥をかかすな!」
背中から笹虎の叫び声が聞こえる。しかし、琥太郎は見向きもしない。やがて二人は闇に消える。笹虎の軍勢は……琥太郎の鬼気迫る逃走という戦いに敗れた者のように静まり返っていた。
辺りを見渡す琥太郎。敵の姿を確認できない。
「夜月……なにゆえ……そなたは斯様なことを……」
肩を震わせる琥太郎。
呼吸を荒くしながら夜月は、なんとしても琥太郎に伝えようとした。
「琥太郎殿……妾は幼き頃より忍として鍛えられ、この道こそが宿命と思い定めて参りました……されど……緋美が産まれ、母としての情を知り申した……緋美と共に穏やかに生きたいと……淡き望みを抱くようになったのです……しかしわれは忍……掟に縛られ、許されぬ……その折、笹虎の使者が影より近づき申した……「間者となれば、領内にて庇い、望みのままに生かしてやろう」と……」
夜月の目の光が消えていく。
「もう、語るな……夜月よ……帰るぞ……緋美の元へ……」
手をしっかりと握る。それでも夜月は止めない。
「われは……母として……緋美との安らぎを選び、物の怪にてすべてを失いました……それが……里を裏切り……そなた……琥太郎殿を裏切ると知りながらも……あぁ……緋美がわれのすべてであった……」
「もうよい……語るな……緋美が……緋美が夜月を待っとる……」
「赦してたもれ……われは『罰』を負おう覚悟……されど娘、されど緋美だけは……何卒……何卒情けを……情けをかけてくだされ……あのか弱き指先の温もりに情けを……」
かすかに映る琥太郎の顔を見つめながら、襟を掴む。
「もう申すな……緋美はわれが護る……そなたの想いと共に……そのか弱き指先の温もりを……」
「お、恩にきりまする……琥太郎殿……そしてどうか裏切り者の母とだけは……このことだけは誰にも口を開かずにお願いした……い……お頼みも……う……す……緋美……われの可……愛い……坊や……」
この言葉を最後に呼吸音を繰り返すだけになる夜月。目を見開いたまま、それは緋美を最期の最期まで探すかのように……しかし、届かぬ視線……。指先はかすかに動く…、緋美の温もりを探るように……しかし、それはもうたどり着けず……。
ヒューヒュー……ヒューヒュー……
すでに言葉は届かない。このまま苦しみながら死を待つのみと変わり果てた夜月。琥太郎は忍刀を夜月の喉元に静かにあてた。
「忍の掟とは……なんぞ……」
スツッッ──
刃が喉元を流れた……。
上弦の月の元……静かに散る飛沫はただ二人のみが知る。琥太郎は夜月の見開いた目に手を翳し、そっと優しく閉ざす。飛沫は月に照らされ緋美色に染め上げていた。
「あはは……やはり叶わぬものですな……われは、忍としても……母としても、失格にて候……」
「夜月……夜月ぃぃ──」
声が自然に喉を這う。暴れだす。口を無理やり開かせた。
手を広げ、庇うように全身に矢を受けた夜月。自然に身体が動く。背の痛みなど関係ない。夜月を抱き抱えたまま、まるで流水が隙間を見つける如く敵陣の手薄な道筋を走る。風と見まがうほどの早さ、そして人ひとり抱えたままの動きは人に非らず。兵たちの心に芽生えたものは「前に立ちはだかれば切られる」という恐怖だった。
「おかしいですな……確かに心の臓を突き立てたはずが……わずかに逸れたようにて……その刹那、急所に緋美の顔が思い浮かばれて……貫けず……まこと、忍として失格……」
夜月の声はか細くなる。
「申すな!」
敵陣の最中、縫うように走り、暗闇を味方にできるまでの距離を見つける。
「追えっ! 我に恥をかかすな!」
背中から笹虎の叫び声が聞こえる。しかし、琥太郎は見向きもしない。やがて二人は闇に消える。笹虎の軍勢は……琥太郎の鬼気迫る逃走という戦いに敗れた者のように静まり返っていた。
辺りを見渡す琥太郎。敵の姿を確認できない。
「夜月……なにゆえ……そなたは斯様なことを……」
肩を震わせる琥太郎。
呼吸を荒くしながら夜月は、なんとしても琥太郎に伝えようとした。
「琥太郎殿……妾は幼き頃より忍として鍛えられ、この道こそが宿命と思い定めて参りました……されど……緋美が産まれ、母としての情を知り申した……緋美と共に穏やかに生きたいと……淡き望みを抱くようになったのです……しかしわれは忍……掟に縛られ、許されぬ……その折、笹虎の使者が影より近づき申した……「間者となれば、領内にて庇い、望みのままに生かしてやろう」と……」
夜月の目の光が消えていく。
「もう、語るな……夜月よ……帰るぞ……緋美の元へ……」
手をしっかりと握る。それでも夜月は止めない。
「われは……母として……緋美との安らぎを選び、物の怪にてすべてを失いました……それが……里を裏切り……そなた……琥太郎殿を裏切ると知りながらも……あぁ……緋美がわれのすべてであった……」
「もうよい……語るな……緋美が……緋美が夜月を待っとる……」
「赦してたもれ……われは『罰』を負おう覚悟……されど娘、されど緋美だけは……何卒……何卒情けを……情けをかけてくだされ……あのか弱き指先の温もりに情けを……」
かすかに映る琥太郎の顔を見つめながら、襟を掴む。
「もう申すな……緋美はわれが護る……そなたの想いと共に……そのか弱き指先の温もりを……」
「お、恩にきりまする……琥太郎殿……そしてどうか裏切り者の母とだけは……このことだけは誰にも口を開かずにお願いした……い……お頼みも……う……す……緋美……われの可……愛い……坊や……」
この言葉を最後に呼吸音を繰り返すだけになる夜月。目を見開いたまま、それは緋美を最期の最期まで探すかのように……しかし、届かぬ視線……。指先はかすかに動く…、緋美の温もりを探るように……しかし、それはもうたどり着けず……。
ヒューヒュー……ヒューヒュー……
すでに言葉は届かない。このまま苦しみながら死を待つのみと変わり果てた夜月。琥太郎は忍刀を夜月の喉元に静かにあてた。
「忍の掟とは……なんぞ……」
スツッッ──
刃が喉元を流れた……。
上弦の月の元……静かに散る飛沫はただ二人のみが知る。琥太郎は夜月の見開いた目に手を翳し、そっと優しく閉ざす。飛沫は月に照らされ緋美色に染め上げていた。
0
あなたにおすすめの小説
春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話
登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。
ドマゾネスの掟 ~ドMな褐色少女は僕に責められたがっている~
桂
ファンタジー
探検家の主人公は伝説の部族ドマゾネスを探すために密林の奥へ進むが道に迷ってしまう。
そんな彼をドマゾネスの少女カリナが発見してドマゾネスの村に連れていく。
そして、目覚めた彼はドマゾネスたちから歓迎され、子種を求められるのだった。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
黒の神官と夜のお世話役
苺野 あん
恋愛
辺境の神殿で雑用係として慎ましく暮らしていたアンジェリアは、王都からやって来る上級神官の夜のお世話役に任命されてしまう。それも黒の神官という異名を持ち、様々な悪い噂に包まれた恐ろしい相手だ。ところが実際に現れたのは、アンジェリアの想像とは違っていて……。※完結しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる