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わたし、狼になります!
第37話 胸の奥のかすかな痛み
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「そういう言い方するなら、優しいバルバロ、って言わなきゃ。悪いけど、あんたの話し方は、聞いててあんまりいい気はしないな」
シェリーはうつむいた。また何も言い返せない。ルロイといるときは、まだ、少しは思ったことを言えるようになったけれど、相手が何を考えているのか分からないときなどは、まるで唇に錆びた蓋をされたように重くなってしまう。
本当は、もっと、相手のことを知りたいのに。しゃべるのが嫌いなわけでもないのに、何をどう切り出せばいいのか、頭の中が真っ白になって、相手の気持ちどころか、自分の思っていることさえよく分からなくなってしまう。
「ま、それは置いておくとして」
シルヴィは獲物を押さえ込んだ時のように眼をすうと細めてみせた。
「さっき、オスどもが狩りから帰ってきたよ」
シェリーは弾かれたように顔を上げた。ルロイが狩りから帰ってきたのだ。控えめに見えるよう心しながら、隠しきれぬ笑顔を輝かせる。
「わざわざお知らせいただいてすみません。何かお手伝いしなくちゃいけないようなことがあるようでしたら、わたしもすぐに参ります」
「白々しいこと言っちゃって。ルロイのほかはどーでもいいくせに」
シルヴィは棘のある笑いを浮かべた。あざけるような仕草で顎をそらす。
「しんぱいなのはルロイだけなのー?」
「おにくのことはどーでもいいのー?」
「シェリーはおにくがきらいなのー?」
「静かにしなさい、妹たち」
狼っ子たちがよってたかって質問攻めにするのを、シルヴィはうっとうしそうに尻尾で追い払う。狼っ子たちは、あっけなく気をそらされ、猫じゃらしにむらがる仔猫のようにシルヴィの尻尾を追いかけて遊び始めた。
「あ、いえ、その……そんなことは」
「分かってるって。ルロイも、みんなも、元気すぎるぐらい元気よ。オスどもがぶちのめされたことなんて、昔、あんたたち人間の軍隊が攻めてきて奴隷代わりに仲間を掠って行ったとき以外には見たことないし」
流れる水に、ひとしずく。青白い銀の毒をしたたらせるかのような悪意の音色に、はっとして言葉を失う。
胸の奥のかすかな痛みが、きん、と蛍色の光を放って跳ね上がった。
――バルバロの男たちが村全員で狩りに行くのは、人間の兵士と鉢合わせする危険を避けるためだ。
人間の持つ飛び道具は、バルバロの持つ武器よりも、遙かに強く恐ろしい。
たやすくは踏み込めない僻地で暮らしているとはいえ、いつ、どこで、人間の《バルバロ狩り》に出くわすか分からない。用心するに越したことはない。
幼い頃に見た、心の傷――
檻に閉じこめられ、全身ぼろぼろにむち打たれやせ衰えた、バルバロの子ども。足枷をはめられ、鎖で縛られ、棘だらけの首輪をつけられて、うち捨てられていた。
うなじに黒い火傷のあとがあった。奴隷の焼き印だった。
(おなかすいてらっしゃるのね)
(シェリーのおかし、さしあげますわ)
(なんでおたべにならないの)
(せっかくさしあげましたのに、すききらいしてはいけませんわ)
(どうしてですの。せっかく、もってきたのに。いじわるなおかた。おなかがすいてるなら、すききらいしないで、たーんとめしあがってくださいませな)
餓えて、死にそうになっているにもかかわらず。
そのバルバロは、檻越しに手渡される施しのケーキになど、目もくれようとしなかった。
その理由を。
幼いシェリーは知らなかった。何も知らされていなかったのだ。バルバロは奴隷だと素直に信じ込んでいた。大人が、皆がそう言うから、牛馬と同じ家畜なのだと信じていた。バルバロがどこから来るのか。なぜ人間の街にいるのか。何をさせられているのか。何も知らなかった。
煮えたぎる黄色い目で、シェリーの背後に広がる空を睨みつけていたバルバロの子ども。
その、火を宿らせた眼で。
バルバロの子どもはいったい、何を見ていたのか。
ふわふわしたドレスを着たシェリーの他に、差し出されたお菓子のほかに、何が見えていたのか。
檻越しの世界は、いったい、どんなふうに見えていたのか。食い入るように空を睨み据えていたその眼。ぎらぎらと燃えていたあの火は、何だったのか。何を思い、何を考え、檻の中から、外を――
シェリーはうつむいた。また何も言い返せない。ルロイといるときは、まだ、少しは思ったことを言えるようになったけれど、相手が何を考えているのか分からないときなどは、まるで唇に錆びた蓋をされたように重くなってしまう。
本当は、もっと、相手のことを知りたいのに。しゃべるのが嫌いなわけでもないのに、何をどう切り出せばいいのか、頭の中が真っ白になって、相手の気持ちどころか、自分の思っていることさえよく分からなくなってしまう。
「ま、それは置いておくとして」
シルヴィは獲物を押さえ込んだ時のように眼をすうと細めてみせた。
「さっき、オスどもが狩りから帰ってきたよ」
シェリーは弾かれたように顔を上げた。ルロイが狩りから帰ってきたのだ。控えめに見えるよう心しながら、隠しきれぬ笑顔を輝かせる。
「わざわざお知らせいただいてすみません。何かお手伝いしなくちゃいけないようなことがあるようでしたら、わたしもすぐに参ります」
「白々しいこと言っちゃって。ルロイのほかはどーでもいいくせに」
シルヴィは棘のある笑いを浮かべた。あざけるような仕草で顎をそらす。
「しんぱいなのはルロイだけなのー?」
「おにくのことはどーでもいいのー?」
「シェリーはおにくがきらいなのー?」
「静かにしなさい、妹たち」
狼っ子たちがよってたかって質問攻めにするのを、シルヴィはうっとうしそうに尻尾で追い払う。狼っ子たちは、あっけなく気をそらされ、猫じゃらしにむらがる仔猫のようにシルヴィの尻尾を追いかけて遊び始めた。
「あ、いえ、その……そんなことは」
「分かってるって。ルロイも、みんなも、元気すぎるぐらい元気よ。オスどもがぶちのめされたことなんて、昔、あんたたち人間の軍隊が攻めてきて奴隷代わりに仲間を掠って行ったとき以外には見たことないし」
流れる水に、ひとしずく。青白い銀の毒をしたたらせるかのような悪意の音色に、はっとして言葉を失う。
胸の奥のかすかな痛みが、きん、と蛍色の光を放って跳ね上がった。
――バルバロの男たちが村全員で狩りに行くのは、人間の兵士と鉢合わせする危険を避けるためだ。
人間の持つ飛び道具は、バルバロの持つ武器よりも、遙かに強く恐ろしい。
たやすくは踏み込めない僻地で暮らしているとはいえ、いつ、どこで、人間の《バルバロ狩り》に出くわすか分からない。用心するに越したことはない。
幼い頃に見た、心の傷――
檻に閉じこめられ、全身ぼろぼろにむち打たれやせ衰えた、バルバロの子ども。足枷をはめられ、鎖で縛られ、棘だらけの首輪をつけられて、うち捨てられていた。
うなじに黒い火傷のあとがあった。奴隷の焼き印だった。
(おなかすいてらっしゃるのね)
(シェリーのおかし、さしあげますわ)
(なんでおたべにならないの)
(せっかくさしあげましたのに、すききらいしてはいけませんわ)
(どうしてですの。せっかく、もってきたのに。いじわるなおかた。おなかがすいてるなら、すききらいしないで、たーんとめしあがってくださいませな)
餓えて、死にそうになっているにもかかわらず。
そのバルバロは、檻越しに手渡される施しのケーキになど、目もくれようとしなかった。
その理由を。
幼いシェリーは知らなかった。何も知らされていなかったのだ。バルバロは奴隷だと素直に信じ込んでいた。大人が、皆がそう言うから、牛馬と同じ家畜なのだと信じていた。バルバロがどこから来るのか。なぜ人間の街にいるのか。何をさせられているのか。何も知らなかった。
煮えたぎる黄色い目で、シェリーの背後に広がる空を睨みつけていたバルバロの子ども。
その、火を宿らせた眼で。
バルバロの子どもはいったい、何を見ていたのか。
ふわふわしたドレスを着たシェリーの他に、差し出されたお菓子のほかに、何が見えていたのか。
檻越しの世界は、いったい、どんなふうに見えていたのか。食い入るように空を睨み据えていたその眼。ぎらぎらと燃えていたあの火は、何だったのか。何を思い、何を考え、檻の中から、外を――
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