トキノクサリ

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コトリ祭 -4-

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 ウミのバイトの時間が終わる頃、外は既に陽が傾き始めていた。僕らは全員一緒にカフェを後にし、真夏の夕方のまだ明るい日向の中を歩いた。ウミは結局、バイトしていたのか遊んでいたのか、よく解らなかったな…。
「あれ、アスカちゃん」野辺が、思い出したかのように言った。「何か、姉貴に用事があったんじゃなかったのかい?」
 アスカは、ああ、そうだった、忘れてた、と声を上げた。
「お姉ちゃん、あたし、ただ合奏しに来た訳じゃないんだからね」
 アスカの言葉に、ウミは笑った。
「それで、何の用事だったの?」
 ウミが訊いた。アスカは大きく頷いた。
「あのね、おじいちゃんからの言伝。お姉ちゃんのバイトが終わったら、神社に来て欲しいんだってさ」
「おじいちゃんが…?」ウミは一瞬、表情を曇らせた。「なんでおじいちゃんが?」
「さあ、知らないよ。神主さんがおじいちゃんに伝言したんじゃないの?」
 ウミは、何かを考える様に中空を見つめると、数回頷いた。
「うちの母さん、今日はお勤めで遅くなると言っていたから、案外、そうかもしれないよ」
 アメリが言った。
「アメリの母親は、神社の神主として働いているんだよ」野辺が解説してくれた。僕が疑問に思ったのを察してか。「女の神主なんて、珍しいって思うだろ? あの神社は、古杜家の女が代々護り継いで来たんだってよ」
 確かに、僕が知る限り、女性の神主というものを見た事がない。神職は女人禁制の場合だってあるだろうに、女性が勤めてきたというのは興味深い。こういうのも、島独特の文化なんだろうか。
「女性神主自体は他の神社でもいるみたいなんだけれどね…」アメリが言った。「その殆どは、戦後に男性の数が不足した事を理由に認められたパターンだって聞いたことがあるの。でも、古杜家は…というか、この島自体そうなんだけれど、女の子が生まれる比率の方が高いのよね。そういう背景もあってか、島の神社だけは特別。数百年以上、古杜家の女性神主がおさめてきたそうよ」アメリはアスカの方に向き直った。「アスカちん、わたしや、圷くんも一緒に来るようにとは言ってなかった?」
「ううん。お姉ちゃんだけ」
 という事は、巫女のダンスの練習に関する話とかじゃなさそうだ。
「ま、いいか」ウミは、笑顔を作った。「とりあえず、行ってくるね。アスカ、夕飯おそくなっちゃうかもしれないけれど、ガマンしてね」
 アスカは、え~、と不満そうな声を上げた。
 僕は、神社へと続く道へと、方向転換するウミの背中に、後でメッセンジャーするよ、と呼びかけた。ウミは僕の方を振り返ると、小さく手を振り、にひひ、と笑って見せた。

 家に帰ると、玄関に鍵が掛かっていた。電気も点いていない様なので不思議に思ったが、手持ちの鍵で開錠し、中に入った。エアコンは切ってあるようだが、扇風機のモーター音が、小さく居間から聞こえてくるのが解った。
「婆ちゃんこの時間に留守か…。珍しいな」
 キッチンに行くと、テーブルの上に書置きがしてあった。祭の準備の関係で遅くなる、夕飯は鍋に入っているから温めて食べなさい、といった内容だった。ウミの祖父といい、なるほど、この島の人間にとって、確かに祭は一大事の様だ。

 祖母が帰宅したのは、僕が風呂から上がり、Tシャツと短パンで扇風機の前に座り、ソーダアイスなんかを舐めている時分だった。僕は立ち上がると、玄関で靴を脱ぐ祖母に、おかえりを言った。
「こんな時間まで、珍しいね、祭の準備、忙しいの?」
「そうねえ、これから忙しくなるのは、間違いないね」
「へえ。毎年こんな感じ?」
「今年は噴火があったから、いつもよりも忙しいかもしれないね」 
 僕はアイスの棒をゴミ箱に放った。
「婆ちゃん、夕飯は食べた? 残ってるけど温めようか?」
 祖母は、食べてから出かけたから大丈夫だと答えた。
「そういえば、今年はあんたも大役を仰せつかったんだって?」
 島の情報伝達は光インターネットよりも速い。
「なんだよ、もう知ってるんだ。恥ずかしいからやめてくれよ」
 祖母は僕の顔をまじまじと見ると、笑うでもなく、無表情なまま、数度頷いた。
「ウミちゃんと仲良くやるんだよ」
「いや、言われなくとも、ちゃんとやるよ。それに、アメリとだってそうだよ?」
「古杜さんところの娘も、確かにそうだけれど…。まあ、しっかりね」

 僕は自分の部屋に入ってから、スマホのメッセンジャーを確認した。ウミからは特に連絡はなかった。でも、婆ちゃんが帰ってきた、という事は、ウミの用事も終わっているに違いない。

―― ウミ、呼び出しの用事は何だった? 祭の関係? 手伝える事はありそう?

 送付後、数分で既読が付いた。という事は、ウミはもう解放されたという事だろう。
 なのに、返事が来るまでには暫くの間があった。

―― うん、お祭のお手伝いの話だった。ユウくんとの舞踊の練習も、週明けから始まるから、覚悟しておいてね

―― アメリもだよね? 

―― アメリも一緒だよ。去年まではアメリのお姉さんがやってたから、お姉さんが教えてくれるんじゃないかな

―― あ、じゃあアメリも今回が初めてなんだ

―― お姉さん、今年受験生だからね。バトンタッチかな

―― なるほどね…。それと、気になってるんだけれど、いきなり巫女の恰好させられて、練習したりはしないよね?

―― 安心してよ。踊りの練習は動きやすい恰好でやればいいから。実際に女装をしてみるのは、本番だけだから大丈夫だよ

「女装は本番だけすればいい、って言ってたのに、なんでいきなり毛を剃られなきゃいけないんだよ」
 僕は保健室のベッドに座らされ、ぬるま湯を張ったタライの中に両足をいれた状態で、ウミとアメリの姉の委員長に体を固定されてしまった。
「ごめんね、圷くん」眼鏡の奥で、まるで声を立てて笑うのを我慢しているような笑顔をつくりながら、ムダ毛処理用のT字剃刀…僕が普段使っている髭剃よりも幾分巨大な、ピンク色の物体…を片手に、アメリが言った。「わたしたち、どうしても興味を抑えられなかったのよね」
 僕が観念したのを理解したのか、ウミは固定していた両手を離すと、スプレー缶を振り、泡を手のひらに大量に出したかと思うと、一息に僕の両足…つまり、太ももから脛の部分まで全体…満遍なく、塗り込んだ。
「これでよし! アメリ、やっちゃってよ」
「いや、さすがに恥ずかしいよ、これは」僕は、腕を組んで仁王立ちのウミの顔を見上げながら言った。「自分でやるからいいよ、ちょっとみんなどこか行っていてよ」
「ごめんね~圷くん」
 アメリは聞く耳もたず、僕の脛に剃刀を当てると、ゆっくりと剃り始めた。タライの水面に、剃られた毛が浮かんで揺れた。これは恥ずかしいぞ。なんでこんな目に…。それによく考えたら、これって祭当日か前日もやるんだよな。だったら一回で済ませたかったのに…。
 僕は、少し離れた場所にいる、上半身をデスクに向かって捻りながらタイトスカートから覗く足を組んで書類と向き合っている保健教師に、助けを求めた。保健教師は、まあ程々にしてやれよ、とだけ返事をし、ウミとアメリはそれに、調和するように、はあい、と返答をした。
「どこまで仕上げますか?」
 ウミが、委員長に訊いた。
「化粧とカンザシまでだな。さすがに巫女の服は準備していない」
「だってよ、ユウくん」ウミが、僕の顔を覗き込みながら言った。「ユウくん、当日終わるまで、髪の毛切っちゃダメなんだからね」

「お、やってるじゃん」
 剃毛が終わり、ウミに紅を引いてもらっているタイミングで、野辺がやって来た。
「おい、来るなよ」僕は、正直、焦った。「どうせ面白がるなら、当日だけにしてくれ」
「当日は遠巻きだから、まじまじとは拝めないんだよな」野辺は、恐らく野球道具が入っていると思われるカバンを近くの椅子に放ると、近づいてきた。「ほうほう、悪くないんじゃねえの? まさか、お前にそんな趣味があったとはな」
 僕は、わざと聞こえるように、舌打ちをした。
「だから、嫌だったんだよ」
 僕がふてくされると、ウミは笑った。
「いいじゃん、よく似合ってるよ。完成したら、スマホで撮ってあげるからね」
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