トキノクサリ

ぼを

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コトリ祭 -6-

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 夏休みも半分を過ぎ、舞踊の練習は本格化を増してきた。さすがに改めて女装させられる事はなかったが、神楽鈴をうまく鳴らすことは想像以上に骨だったし、長時間踊り続けると、その重量が両腕にのしかかってくる。筋肉量的に僕はまだ有利だが、ウミとアメリは僕以上につらいに違いなかった。また、詔刀は本当に意味不明だった。保健教師と委員長から受け取った詔刀の奏上文は、カタカナが延々と羅列されているだけで、言語の体…というか、少なくとも日本語として成立しているとは思えなかった。そもそも、どういうイントネーションで、どういう速度で、どういう発音で読めばよいのかが一切解らなかった。これは結局、委員長に手本を聞かせて貰う事でしか解決しなかった。つまり、文章としては書きだすことはできるが、実際は口伝、伝承歌に近い扱いの呪文だ。

「倍音を出すようにやるのよ」委員長が言ったが、その意味はよく解らなかった。「喉を少し絞るようにして、できるだけ『い』の発音の形で唇を固定する。その状態で詔刀を読みながら、口腔内の体積を舌や顎の動きで変化させてみて。うまく共鳴させる事ができれば、詔刀を読む声に、笛のような音が混じってくる。これが、倍音を口の中で作れた証拠なの」
 委員長は、もう一度、手本を聞かせてくれた。
「委員長、これって、出鱈目に奏上していても、解らないですよね?」
 僕が興味本位で訊いた。委員長は、薄笑を湛えながら、僕の方を睨みつけてきた。
「周りにいる人間は、言ってしまえば、ただの祭客、物見遊山の観客にすぎないでしょうね。当然、彼らは詔刀の正しい内容なんて解らないわ。でも、神様や悪霊にとってはどうかしらね」

 詔刀の練習には、踊りと同じくらいの時間を要した。とにかく、難しかった。カタカナの羅列を覚えるのは、なんとかなった。試験勉強と同じで、場合によっては本番が終われば忘れてもいい、そう思えば、短期記憶として叩き込んでしまえばいいのだ。あとは口が勝手に思い出してくれる。しかし、倍音を出す作業はスキルが物を言う。単純に何かを覚えればできるようになるものではなかった。
 思い通りに倍音を出しながら詔刀を奏上できるようになるまでには、数日の練習を要した。

「ユウくん、だいぶ上手になったね」
 ウミがそう評価してくれる頃には、三人ともかなり上達していた。
「男の声の方が倍音は出しやすいんだ」保健教師が言った。「だから、圷くんが一番有利なんだよね」
 この女教師は、相変わらず歯に衣着せない。
「そう言えば、女装までして悪霊を騙す、という前提なのに、詔刀については男の声で問題ないんですかね?」
 僕の質問に、委員長は首肯した。
「詔刀で倍音を出している意味はそこにあると言っていいわね。ちょっと、三人とも輪になってくれる?」
 言われて、ウミとアメリと僕は、体育館の中心で、輪になって立った。
「内向きでいいですか?」
 ウミが訊いた。
「藁人形の火を囲んで奏上する訳だから、当然、内向きでしょ。いいわ、それじゃあ、練習した通りに奏上してみてくれる? 三人同時にね」
 僕らはお互いに視線を送り合い、息を吸うタイミングを合わせ、一斉に詔刀を奏上した。喉から絞り出すような、読経の様な声に混じり、三人の倍音が響き始めた。そして、その倍音は、三人がそれぞれ違う方向を向いて発声している時とは違う様相を呈した。僕の男声と、ウミとアメリの女声。この三人の声から紡ぎ出される倍音の波は、まるで僕らの輪の中心で重なり合って、共鳴し、ひとつの大きな響きとなって立ち現れたのだ。これは体育館というそもそも音響効果が大きい場所でやっているから、余計にそう感じられたのだと思う。僕ら三人は、今、ここで起こっている現象に対して、若干の驚きを隠せず、お互いに微笑みを送り合い、その感情を共有した。
 一通りを終えると、保健教師と委員長が拍手をしてくれた。
「この重なった倍音で、悪霊を呼び出すってわけね」委員長が、そう教えてくれた。「どれもこれも、理にかなってるでしょう?」
「これを、巫女の衣装で踊りながらやるのかと思うと…死んじゃいそう…」
 アメリが小さく舌を出して、言った。僕でもそう思うのだから、彼女たちはもっとそうだろうな…。

 藁人形制作は、舞踊の練習とは別で行った。だから、当初の予定通り、参加するのは保健教師と委員長と僕だけだった。それと、物理教師が時折顔を出してくれた。委員長はどうやら、屋台メンバの面倒も見ている様だったから、受験生としては働きすぎだろう。
 藁人形は、踊りや詔刀に比べれば、難しいものではなかった。設計図がある訳ではなかったが、保健教師が簡単な手順をメモしてくれていて、その通りに藁を束ねたり、縛ったりしていくのだった。想定外だったのは、藁が思っていたよりも重い事。特に、腕や脚を作り込む作業は骨が折れた。所々を針金で固定したり、補強したりしたので、それもなかなかの力仕事だった。僕と委員長は、終始殆ど無言で作業を続けた。特に、保健教師も席を外してしまった時なんかは、僕と委員長の二人きりでの作業となったのだが、この気丈なアメリの姉と、何の話をしてよいかすら、解らなかった。一応、こっちが後輩なんだから、何か話を振ってくれると助かるのにな…。

「圷くん、あなたは、今回、お祭で巫女の恰好をして踊る事になって、どう思ってるの?」
 委員長が、藁を結ぶ手許から視線を外す事なく、言った。突然だったので、正直、僕は鼻白んだ。
「…どうって…」僕を巫女に抜擢したのは、委員長、あなたじゃないかよ…。「まあ、思ったより大変ですけれど、楽しくやらせて貰ってますよ」
 僕の回答に、委員長は、小さく、そう…、と呟いた。それから、暫くまた、無言になった。
「…もし、圷くんの役割が、藁人形をこうして作ったり、巫女の恰好をして踊ったり、だけじゃないとしたら?」
「いや、そんな話は、待ってください」僕は慌てて、否定しようとした。「これ以上、何かさせようって言うんですか? どちらかというと、貧乏クジなくらいなのに…」
 委員長は、顔を上げて僕の方を向くと、少しだけ笑顔を作り、ううん、言ってみただけ、と答えた。
「妹のアメリと…ウミちゃんを、よろしくね」
 僕には、委員長の会話の意図がまるで見えなかった。なぜ、委員長が、ウミの事まで、そう言うんだろうか。それに、アメリは島外退避組だから、よろしくも何もない。祭が終わるまで、仲良くやってくれ、という事だろうか。そんなこと、今までだってそうだし、これからだってそうだから、委員長が何か心配するような事ではない。
「人形山の噴火の事で、何か気になっている事でもあるんですか?」
 僕が訊いた。委員長は、ゆっくりと数回、かぶりを振った。
「でも…そうかもしれない。もし、本当にまた噴火するとしたなら、尚更、ウミちゃんの事を護ってあげてね」
 ああ、そういう事か…。三人の巫女の中で言えば、ウミと僕だけが残される訳だから、それを心配してくれているという訳か。
 僕は、もちろんそのつもりだ、と、数回大きく頷いた。それでまた、委員長は僕から視線を逸らし、藁人形の作業を再開した。
「そういえば…」僕は、折角なので、この委員長との会話の流れで、ついでに訊いておきたいと思った。「祭の巫女の役割として、ウミと僕を選んだのは、委員長の意図なんですか? それとも、もっと別の人たちの判断があったんですか?」
 この問いに、委員長は何も答えなかった。ただ、黙々と作業を続けた。

 祭の日まであと一週間とちょっとというタイミングで、野辺からメッセンジャーで、カフェに集まるように連絡があった。つまり、ウミのバイト先だ。結局カレーの屋台をやるから、アメリに作り方を伝授してもらう、という。
 カフェに到着すると、バイト中のウミと、アメリが、既にいた。カウンターの反対側がキッチンスペースになっており、マスターが、カレーを作れるように場所を空けてくれている最中だった。島の客が一組居たが、お互いに構いやしないようだった。
 やがて、野辺と数人のクラス仲間が、買い物袋を提げてやってきた。どうやら各種材料を買い込んできたらしい。
「スケジュール的にはギリギリだ」野辺が言った。「当日の目標は三百皿だからな。材料を調達しなければならん」
 野菜はある程度、島の畑の物で賄えるだろうけれど、業務用のカレールーだったり肉だったりは陸から運んでくる関係上、早めに注文をしておく必要がある。
 先生役のアメリを中心に、野辺と数人の調理メンバがキッチンに並んだ。それで空間はいっぱいになってしまったので、僕とウミはカウンター越しに様子を伺う事にした。
 材料がドカドカとキッチンに積み上げられ、アメリのカレー講義が開始した。
「今日は八皿分しか作らないから、三百皿作るなら、分量を計算してね」アメリが野辺達に言った。野辺はスマホを取り出すと、アメリの言葉をメモし始めたが、誰かが、メモよりも動画で残しておいた方がよい、と提案したので、すぐに動画撮影に切り替えた。それを見て、アメリがクスクスと笑った。「なんだか恥ずかしいね。じゃあ、はじめるね」アメリはエプロンの紐を後ろ手に結びなおした。「わたしのカレーのポイントは、大きく二つです。一つ目は、タマネギ。これは本当に重要だから、よく見て覚えてね。で、二つ目がお肉。牛さん、豚さん、かたまりでもミンチなんかでもいいのだけれど、わたしのカレーは鶏肉、それも、手羽元を大量に使います。とってもお安く手に入るし、お出汁もよくでるから、味に深みがでるんだよ。あと、その他のお野菜は好みで色々入れてみてね。人参、ピーマン、キノコ、お茄子などなど。ジャガイモもいいけれど、わたしが作るときは入れません」
「え? カレーにジャガイモ入れないの?」
 野辺がスマホの画面から視線をアメリに移し、驚いたように言った。
「わたしは、だよ。野辺くんが入れた方が好きなら、入れてもいいよ。あ、そっか、前に野辺くんに食べてもらった時は、入ってたっけ?」
 アメリの言葉に、野辺は、多分、と呟くように言った。
「アメリ、野辺くんの事はいいから、早く次を教えて」
 メンバの女子に促されて、アメリはキッチンに向き直った。
「まずはタマネギね。これは、一皿に対して、大一個使います。今回は八皿だから、八個ね。凄く多いと思うでしょ? でも、実際に飴色になるまで炒めちゃうと、本当に少しの分量になっちゃうんだから、これで大丈夫。じゃあ、切っていくね。ポイントは、半数はみじん切りにして、もう半数は細い櫛切りにする事」
 言いながら、アメリは恐ろしいスピードでタマネギを刻んでいった。
「みじん切りはや~い!」
 ウミがアメリの背中に言った。
「わたしオリジナルの切り方だよ。タマネギって、元々層状に重なって切れているから、その層をうまく利用した切り方をすれば、下手にフードプロセッサを使うよりも早くできちゃうんだよ」さすがに八個のタマネギをフライパンに詰めると、山のように盛り上がって、壮観だった。「ここでのポイントは、フライパンに油を敷かないこと、あまり火を強くしないこと、タマネギにはできるだけ触らずに、放置しておくこと。この間に、手羽元を煮込んじゃおう!」
 アメリは、寸胴鍋に水を湛えると、大量の手羽元を投入し、火をかけた。
「手羽元は、何かコツがある?」
「そうねえ…。灰汁をちゃんととる事かな。沸騰させすぎると香りが飛んじゃうから気を付けなければいけないけど、沸騰させれば灰汁が鍋の中心に集まるから、そこを狙ってすくうのがポイントかな。この時、うまくすくわないと、美味しい鳥さんの油も一緒に捨てる事になっちゃうから、注意が必要だよ。ひととおり火が通ったら、ボウルに移して粗熱を取ってから、包丁を使って肉を削ぎ落す」
 それから、ピーマンやニンジン、ニンニクやキノコといった材料を刻んだ。一通り準備が終わったところで、タマネギはまだ火が通る様子がなかった。
「次は何をすればいい?」
 野辺が言った。
「タマネギが炒め終わるまで、待ちます。この量だと、二時間くらいかかるんじゃないかな。残りのコツは、炒めたタマネギをどのタイミングで鍋に投入するか、くらいだから、それまで休んでいて大丈夫だよ」
「二時間!? そんなにかかるの?」
 アメリが笑った。
「重曹を使った時短技を教えてあげるから、それで少しだけ短縮できるよ」
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