トキノクサリ

ぼを

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燐光石 -1-

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 アメリの言葉が気になって昼寝どころではなかったが、それでも無理に横になって、二時間程度まどろんだ。色々と頭の整理がつかなかった。今まで僕達に仕事を指示していたのは保健教師や委員長であり、それは役場と学校が連携しての依頼系統になっていた筈だ。とすると、アメリの母親からの直接の仕事の依頼というのはあまり合点がいかない。祭とは無関係な、何か別のお願いなのだろうか。アメリの母親とは、今日初めて会ったばかりだし、会話なんて殆ど交わしていない。それでも僕や…恐らくウミも…を呼びつけるという事は、今回の巫女舞踊に連続した内容なのだろうか…。
 外は陽が落ち始めていたが、気だるい暑さで寝起きの僕は汗にまみれていた。それで、手早くシャワーを浴び、着替えてから、神社に出かけた。何かお腹に入れてから出たかったが、祖母はまだ帰宅していない様子だった。
 遠くに篝火の煙が臨める。町の人々の多くは祭に出かけてしまうから、今時分の町は寂しいものだ。神社に向かう途中、数台の自動車とすれ違った。その中の軽トラは、恐らく神社の境内の広場に、投石用の大量の石を運んだに違いなかった。あの大きな炎を石だけで消化しようと思うと、かなりの量が必要な筈だ。それから、町では見慣れない、妙なナンバープレートの車ともすれ違った。

 神社の石段まで来た頃、あたりはすっかり暗くなっていたが、大勢の人で賑わっていた。石段を上がると露店の明かりがなんだか宵闇に滲んで幻想的で、少しだけ異次元に迷い込んだような錯覚をした。ウミは、先に来ているんだろうか?
 喧騒の参道をゆっくりと歩き、藁人形の広場まで来ると、そこにはいよいよ多くの人だかりができており、予想通り、篝火の近くには、投石用の石が山と積まれていた。係の男たちが、その石山に向かってバケツで水をかけまわしている。誰かが、もう少し経ったら石投げを開始する、上投げはせず、下投げで行う事、と叫んでいた。

 どこに行けばいいんだろう? また、社だろうか。

「圷くん!」
 背中から、呼ぶ声がした。振り向くと、アメリがいた。丁度よかった。
「言われた通りやってきたんだけれど、どこに集合するか聞いてなくって…。社じゃなかったかな?」
 アメリはかぶりを振った。
「社に行って。ウミは、もう待っているから」
 いつものアメリと様子が違う。野辺と喧嘩でもしたのだろうか。
「…何かあった?」僕が訊いた。「なんだか、不安そうな顔をしてるように見えるけれど」
 アメリは僕から視線を逸らすと、俯いた。それから小さく肩を震わせ始めた。泣いているのか…?
 僕はどうしてよいか解らなかったが、アメリはすぐに顔を上げ、片手でメガネを持ち上げると、もう片方の手の甲で涙を拭い、無理に微笑んでみせた。
「ごめんね。わたし、本当はもっと早く気付く事ができたかもしれないのに」
「気づくって…何に?」
 アメリはまた、涙を拭う仕草をしながら、何回も大きくかぶりを振った。いつの間にか三つ編みに結っていた髪が、大きく揺れた。
「わたしからは言えない…。母さんが説明してくれるから…」アメリは、涙でしゃくりあげるのを我慢しながら、少しずつ言った。「姉さんを、恨まないであげてね…それから、ウミを護ってあげてね…。わたし、島外退避…だから…」
 なんだ、このアメリの動揺は…。
「おい…どういう事なんだ?」僕は少し語気を強めて言った。「まるで、アメリはもう二度とウミと会わないかのような物言いじゃないか。ウミと喧嘩でもしたのか?」
「違う、違う…よ」
 アメリは否定すると、また無理に笑顔を作った。それから、何も言わずに踵を返すと、走って参道の方へ行ってしまった。アメリは…一緒に何かをする訳ではないのか…。という事は、僕とウミだけに関わる何か、という事だろうか。
 僕は只ならぬ状況に寒気を感じ、鳥肌が立った。このまま…社に向かっていいものなのだろうか。

 社には、明かりが灯っていた。何人かいるらしく、蝋燭の火で人影が揺らめくのが見て取れた。僕は、心臓の鼓動が早まるのが解った。アメリがあんな様子であんな事を言わなければ、何食わぬ顔で、家の玄関を開けるくらいの気軽さで中に入る事ができた筈なのに…畜生。
 僕は、一度、大きく深呼吸をした。同時に、背中の方で大きな歓声があがった。石投げが開始されたらしい。火が消えれば、祭も終わりになるのだろうか。喧しい声に背中を押され、僕はゆっくりと社の階段を軋ませて、上がった。それから扉に手をかけると、覗きこむように、そっと開けた。

 中は明るかった。蝋燭が沢山焚かれていたのと、巫女舞踊の時に藁人形に着火した松明の燭台が灯されていたのが、その要因だった。
「ユウくん、遅いよ」
 火の光の、逆光のコントラストで、すぐに人の顔の判別はできなかったが、ウミの声だった。その声は、いつも通りだ。どうやらアメリと喧嘩をした、という訳でもなさそうだ。
 僕は無言で中に進んだ。やがて、その場にいる人間の顔が解った。ウミ以外は、神主…つまり、アメリの母親…、保健教師、物理教師、僕の祖母、ウミの祖父だった。いつもの顔ぶれではあるが、ウミ以外のメンバーの表情は暗く神妙だった。このギャップが全く不可解で、くらくらした。

「よく来てくださいました」アメリの母親が、静かに言った。委員長やアメリからは想像ができないほど、無機質な表情だ。「ウミの隣に座ってください」
 僕は言われた通り、ウミの隣に腰かけた。ウミの方を見ると、彼女はいつも通り、にひひ、と笑って見せた。そこで初めて気づいたが、ウミは巫女装束を纏っていた。舞踊の時とは違い、白衣と緋袴だけで、千早は羽織っていないし、髪の毛も水引紐で結ってはいない。何か、儀式でも始めようという様相だ。
 僕は正座したまま、神主の方に向き直り、改めて状況を確認した。正面には御神体、燭台、神主。よく見ると、御神体の前に三方の様な台が置かれており、布がかぶせられている。その前に、正座して座る僕とウミ。祖母や教師たちは、社の側面の壁に、同様に正座をしている。何故このメンバーなのかは非常に不思議だ。委員長はいない。

 神主は大幣を持つと、何も言わずに僕らの頭上で数回振った。それから御神体に向かい、また何やら奏上を始めた。
「…ウミ、これってなんなの?」
 僕が小声で訊いた。
「しっ! 静かにしてて」
 ウミは僕を諭した。

 奏上が終わると、神主は御神体に一礼をし、三方の前に立った。それから布を手でつかみ、ゆっくりと取り払った。
「あっ!」
 僕は、思わず声を上げてしまった。思いもよらないものが、そこに鎮座していたからだ。
 三方の台の上には、石が山状に積み上げられていた。それは、当然、篝火を消すための石ではない。それは…あの、光る石だった。一個や二個じゃない。山と積まれているんだ。それが、蝋燭や燭台の明かりを受けてなお、視認できるレベルで蛍色に輝いていた。これは…一体、何なんだ? 
 僕は、慌ててウミの方を見た。ウミは、僕の方を振り向く事はなく、無表情な横顔だ。つまり、ウミは…知っていた? これが何であるのかを。であれば、これから僕とウミは、一体何をする事になるんだ? あまりにも想定外だ。
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