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燐光石 -2-
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「これは燐光石と呼ばれるものです」神主が言った。「この石が最後に確認されたのは、数百年前の噴火の時だと伝えられています。つまり、人形山が噴火する時、この石が現れるのです。そして、ここにあるのは、町に降った燐光石を集めたもの。でも実際は、人形山の森の中に、もっとずっと多くの燐光石が降り注ぎ、眠っています」
神主は言葉を切ると、ふう、と小さく息を吐いた。
「それで…」僕は、黙って聞いていることができず、声を上げた。「この石と、僕達に何の関係があるんですか?」
神主は静かに頷いた。
「燐光石の光は、一見すると美しく妖艶で、有難くご利益のある物のように見えます。しかし…この光には、毒があると言われています」
毒? この石が?
「それは…事実なんですか? どういう悪影響があるんですか?」
神主は、かぶりを振った。
「…正直なところ、解りません。数百年が経ち、その知識は失われてしまいました。ただ、その毒を逃れる為に、当時の人々は懸命になって燐光石の浄化を試みた、と言います。噴火で散らばった石の光は、放置するとやがてその毒で森や土を汚染し、島を住めない場所にしてしまうと…」
浄化…。どうやって? 数百年も前に、そんな知恵があったというのだろうか。集めて砕くか、海の底に沈めるか…そんなところだったのだろうか。
「消防や警察や…最近出入りしていた自衛隊なんかを動員して石を集めて、洗浄作業をする、という事ですか?」
神主は無表情を固持したまま、首を横に振って否定した。
「彼らでは、この石を集める事も、浄化する事もできません。この石を集め、浄化できるのは、加護に授かった、選ばれた人間だけです」
「選ばれた人間…?」
僕は、はっとした。それで、巫女服を纏ったウミの方を見遣った。ウミは僕と目を合わせると、薄笑みを湛えたまま、小さく頷いた。それはつまり…ウミが、その人、という事なのか…。
「その通りです。燐光石を浄化できるのは、ウミだけです」
僕は、思わず失笑した。人間、理解できない状況におかれると、本当にこうして笑うしかないのだな、と思った。
「正気ですか? この時代に、そんな幻想的な条件が論理的にまかり通るとは思えないですよ。まるでオカルトだ」
神主は、僕の反駁にも表情を変えることはなかった。
「コトリ祭で巫女舞を披露するのは、次の条件の三名と決まっています。古杜家またはその係累の娘、および、古杜家が選定した二名の男女の巫女。つまり、ウミと圷さん、あなたがたです。例年、人形山が噴火をしない場合、巫女の役割は舞踊だけでおしまいです。けれど、今年は噴火があった…」
アメリが言っていた事は…そういう事だったのか…。
「つまり、噴火があって、燐光石が降ってしまったから、僕達の巫女としての仕事は終わっていない…むしろ仕事はこれからで、燐光石の浄化をする…」
「はい、その理解であっています」神主は三方の上から、燐光石をひとつ取り上げると、ウミに渡した。「ウミ、彼に見せてあげて」
ウミは、はい、と答えると、その燐光石を胸に抱く様にした。僕はその様子を伺ったが、無意識に目を見開いていたと思う。
「ユウくん、そんな顔で見ないで」ウミが言った。「恥ずかしいよ…」
ウミは瞼を閉じると、大きく息を吐いてから、両手に包んだ燐光石をゆっくりと彼女の唇に近づけた。そして…次の瞬間、細く長く息を吸うような動作をした。燐光石は…そのウミの呼吸に呼応するように刹那、輝きを強めたと思うと、その後は少しずつ光を失っていった。まるで…ウミが、その光を吸い込んでいるかのようだ。そして、燐光石は、ただの石ころに変わり果てた。僕には、その様子が、信じられなかった。実際、目の前で起きた事なのだ。それは、ウミが、ウミ自身の力で以て、浄化を行ったのだ。浄化とは…つまり、ウミの躰そのもので行うという事だ。
ウミは顔を上げて、僕の方を見た。
「ね? 凄いでしょう」
僕には、返す言葉がなかなか見つからなかった。だって、毒を吸い込んだんだぞ?
「それは…毒なんだろ? なんともないの?」
ウミは、えへへ、と笑った。
「全然大丈夫だよ。それに、これ、わたしにしかできないんだよ」
本当に大丈夫なのか? 強がっているだけじゃないのか…?
僕は、神主の方に視線を戻した。
「これを、ウミは一人でやるんですか?」
「はい、そうです。何故なら、ウミにしかできないからです」
「島全体の燐光石を、一人で、ですか? そんな、何千何万あるとも知れないのにっ…!」
僕は自分で、怒りで肩が小刻みに震えるのが解った。皆、知っていたんだ。保健教師も物理教師も、アメリも委員長も祖母もウミの祖父も、皆、知っていて、ウミにすべてを押し付けようとしたんだ。どいつもこいつも、どんな感情を抱えて祭の準備をしたり高校生活をしたりしていたんだ? こんな事が許されるのか?
「ユウくん、大丈夫だから…」
ウミが心配そうな声で、僕に話しかけてきた。
「大丈夫じゃ…ないだろ?」
「大丈夫。だって、わたし一人じゃないもん」
一人じゃない?
「浄化はウミにしかできないんだろ?」
「うん、燐光石の浄化そのものはね。だけど…一人じゃない。ユウくんが一緒だから…」
僕が…? ああ、そうだ。僕もだ。そうでなければ、僕が呼ばれた意味がない。
「僕は、何をすればいいんですか? ウミの為に何ができますか?」
神主が頷いた。
「燐光石の浄化は、ウミと圷さん、どちらが欠けても達成できません。あなたには、人形山に入り、燐光石を集め、ウミの許に届けて頂きます」
「燐光石を集める…」
そうか、ウミは浄化はできるけれど、人形山に散らばった石を集めて持ってくるのは非常に難儀な作業だ。だから、それを僕が請け負うという事か。道理だ。
「そして、この作業も、圷さん以外の人間ではできません。人形山は普段から立ち入り禁止区域となっていますが、浄化の期間は特に、あなた以外の一切の人間は人形山に入る事ができません。巫女舞を行い加護を受けた者でなければ、燐光石の毒には太刀打ちができないと言われています」
僕は、もう、神主の言葉を疑う気力はなかった。なにしろ、ウミが実際に浄化をする場面をこの目で見ている。これが夢でない限り、僕も、燐光石に対する神秘的な力に結び付けられてしまっている。けれど…これは…やらなければならないのか? ウミがリスクを冒してまで、この島を護らなければならないものなのか? 逃げてしまえばいいんじゃないのか?
「わかりました…」僕は独り言のように答えた。そして、顔を上げて神主の目を鋭く睨んだ。「僕は、この仕事を引き受けます。ただし、ウミがこの仕事を降りると言った場合は別です」僕は、勢いよく首を振り、ウミの横顔に向かって言った。「ウミ、やめよう、こんなこと。意味がないよ。この島の連中には大切な事かもしれないけれど、ウミの人生とは無関係だ。燐光石の毒が僕やウミにとってなんともないとしても、割に合う作業ではないし、もし毒の影響で被害が出てしまってからでは、どう考えても遅い。僕とウミとで一緒にこの島を出てしまえば、後は島の連中の責任だ。いや、むしろ、島外退避するんだから、全員が島を出てしまえば話はそれでお終いだ。燐光石の毒に汚染された無人島が残るだけで、誰も困らない。お願いだ、やめると言ってくれ!」
ウミは僕の方に一瞬顔を向けると、ふっ、と微笑み、それから俯いて、ゆっくりと小さく、数回、首を横に振った。
「…ごめんね…ユウくん。でも、わたし、やらなきゃ…」
何が、ウミに、そう固く決心させているのか。
「ウミ、もしかして、誰かに脅されているのか?」
「ユウくん、ひどいね」ウミは声を震わせながら言った。目に薄らと涙が光るのが見えた。「わたしだって、島の人間なんだよ? そう簡単に捨てられる訳、ないじゃない。それに…それに、島だけの問題じゃないかもしれないし…」
ウミは…明らかに、恐怖している。何事もなく浄化が完了する保証はないんだ。だけど、その不安に押しつぶされそうになりながらも、ウミは覚悟を決めて踏ん張っているんだ…。それはいったい、何故なんだろう…。
「…解ったよ…」僕は俯き、呟いた。「ウミがそう決心したなら…やるよ、僕も」
僕の言葉に、神主はゆっくりと大きく頷いた。
「…ありがとうございます。決心してくださって」
「でも、約束してください。浄化を進める上で、もし、ウミの健康に少しでも悪影響があると解ったら、中断を検討してくれると…」
「中断は約束できません。ですが、もしもの事を考えて、体制は整えます。何しろ、誰も燐光石の毒について、本当の事を知らないのだから…」神主は、壁側に座っているメンバの方を見遣った。「お待たせしてしまいましたね。皆さん、役割を説明して頂いてよろしいですか?」
声を掛けられた壁面のメンバは、各々に深く首肯した。
「では、私からお話しますね」保健教師が言った。「木百合さん、圷さん、大変な仕事だと思うけれど、決心をしてくれてありがとう。私たちが全力でサポートするから、安心してね。まず、私の役割から。私と、今日は居ないけれど男性の町医者の二人で、あなたがたの健康の管理をします。私が木百合さん、町医者が圷くんを、定期的に診断するわ。だから、少しでも体調に変化があれば、すぐに気づけるし、対策もできるって訳。それから、浄化の進行管理を物理の先生が担当します。まずは人形山を区画に分けて、何日でどのエリアの燐光石を集めるか、それを浄化するか、を決めます」
「圷くん、ぼくが担当します。よろしくね。とりあえず、早々に二人で打ち合わせをしたいから、そのつもりでお願いね」
「それから、圷くんのお婆さんと、木百合さんのお爺さんが、あなたたちの身の回りの世話をします。浄化の立ち合いは神主さんが必ずしますが、その補助をしてもらう感じかな。お爺さんは、人形山に入るアドバイスや、道具の買いそろえにメンテナンス、お婆さんは木百合さんのお世話のお手伝い。詳しくはまた説明をするけれど、浄化作業は、神社のこの社を起点にします。とりあえず…以上かな」
「あの…訊いてもいいですか?」
僕が言った。
「もちろん。どうぞ」
保健教師が答えた。
「委員長やアメリは、特に関わる事はないんですか? 確か、古杜家は島外退避組だったと思うのだけれど、神主さんだけ残るという事でしょうか?」
「その通りです」答えたのは神主だった。「二人は陸に退避します。私だけが残ります」
僕は不図、野辺とのカフェでの会話を思い出した。燐光石が見つかったエリアの人間は残留組だ。そして、古杜家もそのエリアに入っている。にもかかわらず、古杜家は島外退避組に選定された。そして、実際に退避するのは委員長とアメリだけだ。これはつまり…古杜家の跡継ぎを汚染された島に残さない為…だろうか。とすると、燐光石の毒というのは…それ程に強大な力を持っている、という事にはならないか? いや、念のための島外退避かもしれないし、今の段階で深く考えるのは、あまり意味がないだろう。だから、僕はそれ以上質問をしなかった。
一通りの説明が終わると、神主は、僕とウミを残して人払いをした。祖母は僕に、先に帰っているから、頑張るんだよ、と声をかけると、社の外へと消えていった。その他のメンバも同様だったが、保健教師だけは控室の方へと入っていった。
神主は燭台へと歩を進めると、その炎の中から、火箸の様な物を取り出した。松明ではない。金属製の棒で、先っぽの数センチが垂直方向に曲げられている。どうやら、二本あるようだ。
「鋭い痛みがすると思いますが…あなたたちを護ってくれる印ですので…」
神主が手にしたその棒が何であるか、すぐに知れた。焼印だ。まさか…。
僕は、慌てていいものか解らなかった。ウミの方を見ると、もともと焼印の事を知っていたのだろう、穏やかな表情をしていた。僕には、ウミの覚悟の底が知れなかった。焼印は、一度捺してしまったら、死ぬまで消えないかもしれないのだ。正直、僕は、いい。一生物の痣となった怪我なんて、小さい物であれば一つや二つではない。でも、ウミは、その痕による負い目を一生背負っていかなければならない。
「…ウミ、大丈夫なの?」
僕は、囁くように訊いた。
「うん、大丈夫。怖くないよ。ユウくんは?」
いや、怖いかどうかを訊いている訳じゃないんだ…。
「驚いてるよ、もちろん。そんな心の準備はしていなかったし…」僕は一度、言葉を切って、ウミの瞳を凝視した。「でも、ウミがそこまで心に決めている事であれば、大丈夫、僕も一緒だ」
ウミは少し首を傾ぐと、微笑んだ。
「深くは傷つけません。御守りとしての焼印ですから。場所は、二人の手の甲に捺します」
神主の言葉に、ウミはその左手を僕に差し出して来た。
「握ってくれる?」
僕は少し戸惑ったが、ウミの左手を、僕の右手で握った。
神主は、三方の上に小さな座布団の様な物が乗った台を、握った僕らの手の下に置いた。
「まずは、わたしからね…」
僕らは握ったままの手を、ウミの左手の甲が上になるように、台に置いた。
神主は焼き鏝を構えると、ウミに向かって小さく頷き、それからゆっくりと、ウミの手の甲に捺しあてた。じゅっ、という音がし、すぐに蒸気が立ち始めた。それから、皮膚の焼ける匂い…凄く独特な匂い…が、鼻をついた。ウミは、変わらず穏やかな表情で、当てられた鏝に視線を落としている。
神主は、ものの数秒で焼き鏝を離した。それから燭台に戻ると、もう一本の焼印の鏝を取り出した。ウミにあてる印と、僕にあてる印は、どうやら違うようだ。
僕らは握った手を一度離し、今度は逆になるように、握りなおした。つまり、僕の右手の甲が上、ウミの左手が下。
神主は、鏝を構えると、無言で僕に視線を送ってきた。正直、当惑したし、もの凄くドキドキした。けれど、ウミが先に捺している。僕は、大きく頷いた。
焼鏝が、僕の右手の甲にあてられた。瞬間、熱い、というよりも、なにか極端に冷たい物をあてられたような、そんな感覚が襲った。それから鋭い刺すような痛みが始まり、鏝を中心に痺れが伝わってくるのが解った。恐らく、数秒間。しかし、それはとても長い時間の様に、感じられた。
神主が鏝を燭台に戻すと、控室の中から保健教師が飛び出してきて、僕らの手の甲の手当をしてくれた。
「本当は冷やしたいけれど…できるだけ痕を残さなくちゃいけないから、消毒とガーゼと包帯だけで許してね。暫くは、皮がつっぱって痒いと思うけれど、我慢してね」
呟く様に言いながら、ウミの左手を包帯でぐるぐる巻きにした。それから僕の手も、同様に。
「よく我慢してくださいました」神主が言った。「この焼印は、数百年前の噴火の時も、もしかするとその前の噴火の時も、守護印として使われた物だと聞いています」
「ええ、もう、何を言われても信じますよ」僕は、半分ヤケになって言った。「ウミの躰に、一生物の傷ができてしまった。嫌でも、この焼印に、ウミを護りぬく事を誓いますよ」
僕の言葉に、無表情を貫いていた神主は、薄く微笑んだ。
僕は、ウミと一緒に帰りたかった。色々と話をしたかった。けれど、巫女服を着替えなければいけないから、という理由で、ウミはそれを断った。僕は、ちぇ、と思ったが…三方にはまだ、燐光石が山と残っていたんだよな…。
家に戻ると、祖母が出迎えてくれており、僕を見つけるや否や、手を確認した。僕は、包帯を外して、手の甲を見せた。祖母はそこに焼印を認めると、顔を皺くちゃにして涙を流し、僕を強く抱きしめてきた。
神主は言葉を切ると、ふう、と小さく息を吐いた。
「それで…」僕は、黙って聞いていることができず、声を上げた。「この石と、僕達に何の関係があるんですか?」
神主は静かに頷いた。
「燐光石の光は、一見すると美しく妖艶で、有難くご利益のある物のように見えます。しかし…この光には、毒があると言われています」
毒? この石が?
「それは…事実なんですか? どういう悪影響があるんですか?」
神主は、かぶりを振った。
「…正直なところ、解りません。数百年が経ち、その知識は失われてしまいました。ただ、その毒を逃れる為に、当時の人々は懸命になって燐光石の浄化を試みた、と言います。噴火で散らばった石の光は、放置するとやがてその毒で森や土を汚染し、島を住めない場所にしてしまうと…」
浄化…。どうやって? 数百年も前に、そんな知恵があったというのだろうか。集めて砕くか、海の底に沈めるか…そんなところだったのだろうか。
「消防や警察や…最近出入りしていた自衛隊なんかを動員して石を集めて、洗浄作業をする、という事ですか?」
神主は無表情を固持したまま、首を横に振って否定した。
「彼らでは、この石を集める事も、浄化する事もできません。この石を集め、浄化できるのは、加護に授かった、選ばれた人間だけです」
「選ばれた人間…?」
僕は、はっとした。それで、巫女服を纏ったウミの方を見遣った。ウミは僕と目を合わせると、薄笑みを湛えたまま、小さく頷いた。それはつまり…ウミが、その人、という事なのか…。
「その通りです。燐光石を浄化できるのは、ウミだけです」
僕は、思わず失笑した。人間、理解できない状況におかれると、本当にこうして笑うしかないのだな、と思った。
「正気ですか? この時代に、そんな幻想的な条件が論理的にまかり通るとは思えないですよ。まるでオカルトだ」
神主は、僕の反駁にも表情を変えることはなかった。
「コトリ祭で巫女舞を披露するのは、次の条件の三名と決まっています。古杜家またはその係累の娘、および、古杜家が選定した二名の男女の巫女。つまり、ウミと圷さん、あなたがたです。例年、人形山が噴火をしない場合、巫女の役割は舞踊だけでおしまいです。けれど、今年は噴火があった…」
アメリが言っていた事は…そういう事だったのか…。
「つまり、噴火があって、燐光石が降ってしまったから、僕達の巫女としての仕事は終わっていない…むしろ仕事はこれからで、燐光石の浄化をする…」
「はい、その理解であっています」神主は三方の上から、燐光石をひとつ取り上げると、ウミに渡した。「ウミ、彼に見せてあげて」
ウミは、はい、と答えると、その燐光石を胸に抱く様にした。僕はその様子を伺ったが、無意識に目を見開いていたと思う。
「ユウくん、そんな顔で見ないで」ウミが言った。「恥ずかしいよ…」
ウミは瞼を閉じると、大きく息を吐いてから、両手に包んだ燐光石をゆっくりと彼女の唇に近づけた。そして…次の瞬間、細く長く息を吸うような動作をした。燐光石は…そのウミの呼吸に呼応するように刹那、輝きを強めたと思うと、その後は少しずつ光を失っていった。まるで…ウミが、その光を吸い込んでいるかのようだ。そして、燐光石は、ただの石ころに変わり果てた。僕には、その様子が、信じられなかった。実際、目の前で起きた事なのだ。それは、ウミが、ウミ自身の力で以て、浄化を行ったのだ。浄化とは…つまり、ウミの躰そのもので行うという事だ。
ウミは顔を上げて、僕の方を見た。
「ね? 凄いでしょう」
僕には、返す言葉がなかなか見つからなかった。だって、毒を吸い込んだんだぞ?
「それは…毒なんだろ? なんともないの?」
ウミは、えへへ、と笑った。
「全然大丈夫だよ。それに、これ、わたしにしかできないんだよ」
本当に大丈夫なのか? 強がっているだけじゃないのか…?
僕は、神主の方に視線を戻した。
「これを、ウミは一人でやるんですか?」
「はい、そうです。何故なら、ウミにしかできないからです」
「島全体の燐光石を、一人で、ですか? そんな、何千何万あるとも知れないのにっ…!」
僕は自分で、怒りで肩が小刻みに震えるのが解った。皆、知っていたんだ。保健教師も物理教師も、アメリも委員長も祖母もウミの祖父も、皆、知っていて、ウミにすべてを押し付けようとしたんだ。どいつもこいつも、どんな感情を抱えて祭の準備をしたり高校生活をしたりしていたんだ? こんな事が許されるのか?
「ユウくん、大丈夫だから…」
ウミが心配そうな声で、僕に話しかけてきた。
「大丈夫じゃ…ないだろ?」
「大丈夫。だって、わたし一人じゃないもん」
一人じゃない?
「浄化はウミにしかできないんだろ?」
「うん、燐光石の浄化そのものはね。だけど…一人じゃない。ユウくんが一緒だから…」
僕が…? ああ、そうだ。僕もだ。そうでなければ、僕が呼ばれた意味がない。
「僕は、何をすればいいんですか? ウミの為に何ができますか?」
神主が頷いた。
「燐光石の浄化は、ウミと圷さん、どちらが欠けても達成できません。あなたには、人形山に入り、燐光石を集め、ウミの許に届けて頂きます」
「燐光石を集める…」
そうか、ウミは浄化はできるけれど、人形山に散らばった石を集めて持ってくるのは非常に難儀な作業だ。だから、それを僕が請け負うという事か。道理だ。
「そして、この作業も、圷さん以外の人間ではできません。人形山は普段から立ち入り禁止区域となっていますが、浄化の期間は特に、あなた以外の一切の人間は人形山に入る事ができません。巫女舞を行い加護を受けた者でなければ、燐光石の毒には太刀打ちができないと言われています」
僕は、もう、神主の言葉を疑う気力はなかった。なにしろ、ウミが実際に浄化をする場面をこの目で見ている。これが夢でない限り、僕も、燐光石に対する神秘的な力に結び付けられてしまっている。けれど…これは…やらなければならないのか? ウミがリスクを冒してまで、この島を護らなければならないものなのか? 逃げてしまえばいいんじゃないのか?
「わかりました…」僕は独り言のように答えた。そして、顔を上げて神主の目を鋭く睨んだ。「僕は、この仕事を引き受けます。ただし、ウミがこの仕事を降りると言った場合は別です」僕は、勢いよく首を振り、ウミの横顔に向かって言った。「ウミ、やめよう、こんなこと。意味がないよ。この島の連中には大切な事かもしれないけれど、ウミの人生とは無関係だ。燐光石の毒が僕やウミにとってなんともないとしても、割に合う作業ではないし、もし毒の影響で被害が出てしまってからでは、どう考えても遅い。僕とウミとで一緒にこの島を出てしまえば、後は島の連中の責任だ。いや、むしろ、島外退避するんだから、全員が島を出てしまえば話はそれでお終いだ。燐光石の毒に汚染された無人島が残るだけで、誰も困らない。お願いだ、やめると言ってくれ!」
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何が、ウミに、そう固く決心させているのか。
「ウミ、もしかして、誰かに脅されているのか?」
「ユウくん、ひどいね」ウミは声を震わせながら言った。目に薄らと涙が光るのが見えた。「わたしだって、島の人間なんだよ? そう簡単に捨てられる訳、ないじゃない。それに…それに、島だけの問題じゃないかもしれないし…」
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「では、私からお話しますね」保健教師が言った。「木百合さん、圷さん、大変な仕事だと思うけれど、決心をしてくれてありがとう。私たちが全力でサポートするから、安心してね。まず、私の役割から。私と、今日は居ないけれど男性の町医者の二人で、あなたがたの健康の管理をします。私が木百合さん、町医者が圷くんを、定期的に診断するわ。だから、少しでも体調に変化があれば、すぐに気づけるし、対策もできるって訳。それから、浄化の進行管理を物理の先生が担当します。まずは人形山を区画に分けて、何日でどのエリアの燐光石を集めるか、それを浄化するか、を決めます」
「圷くん、ぼくが担当します。よろしくね。とりあえず、早々に二人で打ち合わせをしたいから、そのつもりでお願いね」
「それから、圷くんのお婆さんと、木百合さんのお爺さんが、あなたたちの身の回りの世話をします。浄化の立ち合いは神主さんが必ずしますが、その補助をしてもらう感じかな。お爺さんは、人形山に入るアドバイスや、道具の買いそろえにメンテナンス、お婆さんは木百合さんのお世話のお手伝い。詳しくはまた説明をするけれど、浄化作業は、神社のこの社を起点にします。とりあえず…以上かな」
「あの…訊いてもいいですか?」
僕が言った。
「もちろん。どうぞ」
保健教師が答えた。
「委員長やアメリは、特に関わる事はないんですか? 確か、古杜家は島外退避組だったと思うのだけれど、神主さんだけ残るという事でしょうか?」
「その通りです」答えたのは神主だった。「二人は陸に退避します。私だけが残ります」
僕は不図、野辺とのカフェでの会話を思い出した。燐光石が見つかったエリアの人間は残留組だ。そして、古杜家もそのエリアに入っている。にもかかわらず、古杜家は島外退避組に選定された。そして、実際に退避するのは委員長とアメリだけだ。これはつまり…古杜家の跡継ぎを汚染された島に残さない為…だろうか。とすると、燐光石の毒というのは…それ程に強大な力を持っている、という事にはならないか? いや、念のための島外退避かもしれないし、今の段階で深く考えるのは、あまり意味がないだろう。だから、僕はそれ以上質問をしなかった。
一通りの説明が終わると、神主は、僕とウミを残して人払いをした。祖母は僕に、先に帰っているから、頑張るんだよ、と声をかけると、社の外へと消えていった。その他のメンバも同様だったが、保健教師だけは控室の方へと入っていった。
神主は燭台へと歩を進めると、その炎の中から、火箸の様な物を取り出した。松明ではない。金属製の棒で、先っぽの数センチが垂直方向に曲げられている。どうやら、二本あるようだ。
「鋭い痛みがすると思いますが…あなたたちを護ってくれる印ですので…」
神主が手にしたその棒が何であるか、すぐに知れた。焼印だ。まさか…。
僕は、慌てていいものか解らなかった。ウミの方を見ると、もともと焼印の事を知っていたのだろう、穏やかな表情をしていた。僕には、ウミの覚悟の底が知れなかった。焼印は、一度捺してしまったら、死ぬまで消えないかもしれないのだ。正直、僕は、いい。一生物の痣となった怪我なんて、小さい物であれば一つや二つではない。でも、ウミは、その痕による負い目を一生背負っていかなければならない。
「…ウミ、大丈夫なの?」
僕は、囁くように訊いた。
「うん、大丈夫。怖くないよ。ユウくんは?」
いや、怖いかどうかを訊いている訳じゃないんだ…。
「驚いてるよ、もちろん。そんな心の準備はしていなかったし…」僕は一度、言葉を切って、ウミの瞳を凝視した。「でも、ウミがそこまで心に決めている事であれば、大丈夫、僕も一緒だ」
ウミは少し首を傾ぐと、微笑んだ。
「深くは傷つけません。御守りとしての焼印ですから。場所は、二人の手の甲に捺します」
神主の言葉に、ウミはその左手を僕に差し出して来た。
「握ってくれる?」
僕は少し戸惑ったが、ウミの左手を、僕の右手で握った。
神主は、三方の上に小さな座布団の様な物が乗った台を、握った僕らの手の下に置いた。
「まずは、わたしからね…」
僕らは握ったままの手を、ウミの左手の甲が上になるように、台に置いた。
神主は焼き鏝を構えると、ウミに向かって小さく頷き、それからゆっくりと、ウミの手の甲に捺しあてた。じゅっ、という音がし、すぐに蒸気が立ち始めた。それから、皮膚の焼ける匂い…凄く独特な匂い…が、鼻をついた。ウミは、変わらず穏やかな表情で、当てられた鏝に視線を落としている。
神主は、ものの数秒で焼き鏝を離した。それから燭台に戻ると、もう一本の焼印の鏝を取り出した。ウミにあてる印と、僕にあてる印は、どうやら違うようだ。
僕らは握った手を一度離し、今度は逆になるように、握りなおした。つまり、僕の右手の甲が上、ウミの左手が下。
神主は、鏝を構えると、無言で僕に視線を送ってきた。正直、当惑したし、もの凄くドキドキした。けれど、ウミが先に捺している。僕は、大きく頷いた。
焼鏝が、僕の右手の甲にあてられた。瞬間、熱い、というよりも、なにか極端に冷たい物をあてられたような、そんな感覚が襲った。それから鋭い刺すような痛みが始まり、鏝を中心に痺れが伝わってくるのが解った。恐らく、数秒間。しかし、それはとても長い時間の様に、感じられた。
神主が鏝を燭台に戻すと、控室の中から保健教師が飛び出してきて、僕らの手の甲の手当をしてくれた。
「本当は冷やしたいけれど…できるだけ痕を残さなくちゃいけないから、消毒とガーゼと包帯だけで許してね。暫くは、皮がつっぱって痒いと思うけれど、我慢してね」
呟く様に言いながら、ウミの左手を包帯でぐるぐる巻きにした。それから僕の手も、同様に。
「よく我慢してくださいました」神主が言った。「この焼印は、数百年前の噴火の時も、もしかするとその前の噴火の時も、守護印として使われた物だと聞いています」
「ええ、もう、何を言われても信じますよ」僕は、半分ヤケになって言った。「ウミの躰に、一生物の傷ができてしまった。嫌でも、この焼印に、ウミを護りぬく事を誓いますよ」
僕の言葉に、無表情を貫いていた神主は、薄く微笑んだ。
僕は、ウミと一緒に帰りたかった。色々と話をしたかった。けれど、巫女服を着替えなければいけないから、という理由で、ウミはそれを断った。僕は、ちぇ、と思ったが…三方にはまだ、燐光石が山と残っていたんだよな…。
家に戻ると、祖母が出迎えてくれており、僕を見つけるや否や、手を確認した。僕は、包帯を外して、手の甲を見せた。祖母はそこに焼印を認めると、顔を皺くちゃにして涙を流し、僕を強く抱きしめてきた。
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