トキノクサリ

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二號作戦 -2-

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 夜の港は、想定していたよりもずっと暗かった。僕は記憶を頼りに、野辺の漁船を探した。とはいえ、野辺からはウミの発光が見えている筈だ。
 程なくして、野辺が小声で呼ぶ声が耳に入って来た。
「気をつけろ、暗いから足許が見づらい」
 野辺の姿が、甲板に見えた。僕は、細い一本橋を駆け足で、数歩でやり過ごした。ウミの体重がある分、軋んだ。
「とりあえず、ここまでは順調かな」
 僕が言った。野辺の表情は暗くて伺えなかったが、硬直しているように見えた。
「木百合は…そんなに悪いのか?」
 野辺が言った。そうか…。ウミが歩けなくなるだろうとは事前に話をしていたが、この状態のウミを見るのは、初めてなんだ…。
「とりあえず、ウミを早く横にさせてやりたい」
「ああ…そうだな」
 野辺は鼻白みながらも、船室の扉を開け、内部の明かりを点けてくれた。僕は狭い階段でウミの頭や足をぶつけないように注意をしながら、船室に入り、敷かれていた毛布の上に横たえた。合羽は、そのままでは暑いだろうと思ったので脱がせた。それから黒色球体形象物? を少しだけ膨らませると、枕にしてやった。
 ウミを一人にするのはなんだか可哀想だったが…船室の明かりを消し、僕は甲板に戻った。
「ありがとう。これで、出発して大丈夫だと思う」
 野辺は頷くと、僕に救命胴衣を渡して来た。野辺は、既に装着していた。
「エンジンをかける前に起動しちゃ、いけないらしいけどな」言いながら、野辺は各種液晶画面の電源を入れ始めた。プロッターには、既に行先が入力されている。「エンジン音を誰かに聞かれるのが一番リスクが高いからな。始動と同時に出航する。つまり、エンジンをかけた時点で後戻りはできない」
 僕は、野辺の目を睨めつけるようにしながら、大きく頷いた。
「よし…じゃあ、二號作戦…」
「まって!」
 不意に、後方から、小さな叫び声が聞こえてきた。僕と野辺は、同時に振り返った。一瞬、町の人間に見つかってしまったかと焦った。が、暗闇の視界不良の中でも、それがアメリである事には容易に気づけた。
「ばか…来るなって言ったのに…」
「ごめんね、ごめんね…でも、わたし…やっぱりわたしも行く! でも…ああん、そっちにいけないよ!」
 アメリは、一本橋を渡れずに当惑しているようだった。野辺が舌打ちをした。
「ほら、手を貸すから、頑張って飛び乗るんだ」
「うん…わかったわ。リュウくん、受け止めてね」
 次の瞬間、アメリは助走をつけたかと思うと、バッタの様に跳ねた。差し出した手を野辺が掴み、無事に野辺の腕の中に収まった。
「護るものが増えちまったよ…」
 言いながら、野辺はアメリのずれたメガネを直してやった。
 僕は…それでも、アメリの存在を、心強いと思った。
「じゃあ、気を取り直して、二號作戦始動、だね」

 野辺はキーを回し、エンジンをかけた。セルモーターがキュルキュルと回転し、勢いよくエンジンが着火した。野辺はクラッチをつなぎアクセルレバーを倒すと、他の船舶にぶつからないように慎重に港を抜けた。海は凪。視界には気になる様な明かりは見えないし、読み方はよく解らなかったが、恐らくレーダー上にも気になる物体は映っていない。
 アメリは、船室でウミと一緒にいてくれる事になった。図らずも、これはありがたかった。アメリのおかげで、野辺と僕は常時操舵や監視に集中ができることになったからだ。

「ここまで沖に出られれば、大丈夫だろう」十五分程度航行したところで、野辺が言った。「もし見つかっていたとしたらレーダーに反応するだろうしな。そもそも同じ規模の漁船に追いかけられたところで、速度はそうそう変わらないから、今更追いつけない。スマホも、そろそろ圏外になる筈だ」
 僕はポケットからスマホを取り出すと、アンテナの表示を確認した。確かに、圏外になっている。誰も連絡をとれないから、島で誰かが気づいたとしても状況は解らない。うまくすれば、明日の朝、僕が高校に行くために祖母と交代する時間まで、気づかれない筈だ。僕は、ほっとした。このまま二時間ちょっと、特に何も起こらなければ、脱出は成功という訳だ。追いかけられた時を想定して、念のために持ってきた猟銃も、出番はないだろう。

「まだ眠ってる。到着までこのままだといいけれどね」
 船室の様子を確認してから甲板に戻り、僕は野辺に言った。
「そうか…。よかった」野辺が言った。「しかし、木百合が、もう、あんなに酷い状態になっているとは思わなかったな」
 僕は、ハンドルを握る野辺の横に立ち、前方を見遣った。
「野辺もそうだけれど…皆、ウミの事を、どう捉えているんだろうか?」
「どう…って?」
「燐光石の毒の浄化作業をしている事は、なんだかんだで、誰もが知ってると思うんだ。腕を切断してヘリコプターで病院に運ばれた、という事も、もしかすると皆が知っているのかもしれない。そして、治療を受けて帰ってくると、間髪容れずに浄化作業を再開した、という事も…」
「ああ…そうだな…」野辺は呟く様に言った。「燐光石の毒については誰も詳しい事を解っていないから、皆、怖がっている、というのはあるだろうな。警察でも消防でも対処できない毒の問題を、木百合とお前が、伝統の方法に従って解決しようとしてくれている、という認識はある」
「そうか…。でも、浄化に関して本当に興味を持っているというか、関心を示している人は、少ないんじゃないかと言う気がするんだよね。ウミが命を懸けてくれている事とか、ウミが…死ぬかもしれない事とか」
 僕の言葉に、野辺は暫く沈黙した。僕は、町医者が言っていた言葉を思い出していた。僕以外の人間は、ウミが死ぬことを受け入れている…。
「そうならないように…俺たちは、二號作戦を計画した訳だろ」野辺が口を開いた。「島に残っている連中は、怖いのさ。残された自分たちは、燐光石の毒に侵されて、やがては死んでしまうのではないか、とかな。俺だって、その可能性を疑い続けている。実際のところ、燐光石の事を知っているにしろ、再噴火を信じて恐れているにしろ、リスクを背負わされた認識が残留組にある限り、木百合の事を、自分たちの代わりに犠牲になってくれる人柱のように捉えているのかもしれない」
 人柱か…。それは、的確な例えかもしれないな。誰かが犠牲になってくれることで安心できる集団心理。もし、そう思われているとしたら、脱出がばれた時点で島は騒然とするだろうな…。自分たちを護ってくれる重要な物を失った訳だから…。

 次の瞬間、それは起こった。急に、船のスピーカーから大きな雑音が聞こえたのだ。
「やべ、無線切ってなかった」
「無線だって?」
「これだ、これ」
 野辺は、操舵室の天井に固定された四角い箱を指差した。電卓の様なデジタル表示で、三桁の数値が表示されている。

―― こちらは海上自衛隊。ただちに停船しなさい。現在、当海域での航行は禁止されている。ただちに停船しなさい。繰り返す…

「なんだと? 海保じゃないのか? なんで海自が…」
 野辺は、あわてて無線を切った。
「なんで、この船と交信ができたんだ?」
「海域ごとに周波数が決まっているからな。周波数に合わせていれば誰でも会話ができる。船の周りを確認してくれ。俺はレーダーを見る」
 僕は操舵室を離れると、甲板を一周しながら周辺の海域を目視した。かなり遠くだが、前方に複数の灯火が見える。ただ、野辺に教えて貰った舷灯の数からすると、船は一隻だ。それから…ヘリコプター? 遠くからプロペラ音が聞こえてくる。これは…かなりまずいぞ。
 僕は野辺に状況を説明してから、扉を開けて船室へ入った。できるだけ冷静を装いながら、アメリに、自衛隊に脱出がばれた事を伝えた。アメリは怯えたように、ひっ、と声を上げた。

「思った以上に危険な状況だぞ」操舵室に戻った僕に、野辺が言った。前方を向くその横顔から伺える表情は、明らかに怯えているようだった。野辺が…怯えるなんて…。「海保抜きで、海自が単独で動くなんてありえない。ヘリも出ているって事は、護衛艦を出してきているってことだ。意味が解らない。あるとしても、海保の巡視船に注意を受けるくらいだと思っていたのに…。こんな、漁船一つを捕まえるのに、なんで自衛隊がでてくるんだ! クソっ!」
 そうか、野辺は、島が国家機密事項であることを知らないのだ。いや、通常、知る訳がないのだ。
「ごめん、言ってなかった。あの島には、何か国家機密があるらしいんだ。だから、自衛隊が出て来てるんだと思う」
「なんだって?」野辺が言った。「だとしても、なんで俺たちを止める必要がある? 用があるのは島の方だろうに! 大体、機密ってなんだよ!」
 確かにそうなのだが…。ここまでしても、島民に外に出られては困る、という事情があるんだろうか…。それとも、僕らがウミを連れて脱出しようとしている事を、既に気づいているんだろうか。もしそうだとすると、国家レベルの課題として、ウミに浄化を続けて貰わなければ困る、という事になる…。
「何が機密なのかは、僕も知らない。ただ、ここまでして島民を外に出したくない、というのは、何かある」
「だとしても自衛隊が動くのは理解できない。奴らが動いているって事は、国の命令で動いているって事だからな。あんな何の資源もない島の見張りを、自衛隊の護衛艦が行うなんて考えられない」
 
 やがて、自衛隊の船は、暗闇の中でもその本体を肉眼で視認できるくらいまで接近してきた。その護衛艦の舷灯の位置から、遠回りして第二福龍丸の前に壁となろうと旋回し始めているのが解った。ヘリコプターはほぼ頭上を舞っている。更に気づいた事に、反対側からボートが接近してきている様だった。挟み撃ちに…された。

―― こちらは海上自衛隊。ただちに停船しなさい。現在、当海域での航行は禁止されている。ただちに停船しなさい。繰り返す…

 無線が通じていないと解ったからだろう、拡声器を使い始めた。
「野辺、お願いだ、このまま行ってくれ」僕が、野辺に言った。「捕まったら、ウミは島に連れ戻される」
「そいつは無理だ。フルスロットルにしたところで、この船は精々二十ノットしか出ない、護衛艦なら四十ノットは出るだろうから、すぐに追いつかれるぞ。ヘリもでているし、複合艇も迫ってる。絶対に切り抜けられない。むしろ、木百合の事を考えたら、このまま保護された方がいいんじゃないのか?」
 このまま保護されても、ウミは浄化を止める事はできないんだ…。前回がそうだったから。なんとかして、この状況を切り抜けなければ、ウミは確実に死ぬ。殺されるに近い状態で…死ぬ。僕が、なんとかしなければならないんだ。

 僕は猟銃をソフトケースから出すと、ペレット弾を充填し、安全装置を外した。空気圧は…充分だ。
 第二福龍丸の後方からは、ゴムボートが凄い勢いで接近してきていた。ボートの上には…四人の自衛官が乗っている。
 僕は、スコープを覗き込むと、ボートに立てられた、小さな船舶灯…小さいが、ちゃんと舷灯もついている…に照準を合わせた。人を狙う事には、威嚇としての意味がないし、リスクが高いと思ったからだ。
 引き金を引いた。パシュッという音がしてペレット弾が飛んだが、当たらなかった。僕は、続けて四発を発射した。そのうちの二発が船舶灯の細いポールに命中し、弾き飛ばした。自衛官が、無線機で何やらやり取りするのが確認できた。

―― 銃撃を確認。だたぢに銃火器を捨てよ。繰り返す、ただちに銃火器を捨てよ

「おい、何やってる、やめろ」野辺が言った。「俺たちが銃撃されちまうぞ」
 僕は、ボート目掛けて声を張り上げた。
「お願いだ! 行かせてくれ! 人の命がかかってるんだ! お願いだ!」
 僕は、何度も何度も叫んだ。
 瞬間、後ろから蹴り飛ばされ、僕は甲板に倒れ込んだ。蹴ったのは、野辺だった。それから猟銃を奪うと、海に投げ捨てた。
「投降します! 銃は捨てました!」
 野辺はボートに向かって両手を上げた。

 やがて、そのボートは第二福龍丸に横付けすると、自衛隊が乗り込んできた。
 僕と野辺はすぐに取り押さえられ、黒い手錠をかけられた。ああ、自衛隊も手錠なんか持ってるんだ…。これで、何もかもがお終いだ…。僕は、ウミを護る事ができなかった。野辺にも、アメリにも、こんなにも怖い思いをさせて、リスクを背負わせて、最悪の結果で終わらせてしまった。

「確保しました。臨検開始します」

 自衛隊の誰かが、トランシーバーか何かに向かって話すのが聞こえてきた。それから、すぐにアメリの悲鳴。そして、目標確保、の声…。
 僕は、今回の脱出劇は全て自分ひとりで計画したこと、アメリと野辺に罰を与えないで欲しい事、ウミをなんとか助けて欲しい事を懇願した。

 第二福龍丸はそのまま、護衛艦に曳航されて、島へと引き返す事になった…。
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