トキノクサリ

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二號作戦 -1-

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 放課後、僕と野辺とアメリの三人で、図書室の中二階に集まった。ここなら、誰にも、何も聞かれないで済む。野辺は、僕とアメリのスマホに、今夜…二十四時を回るので正確には明日…の目標地点となる陸のマップの座標を送って来た。
「往復で六時間は見ておきたい。明日の朝、俺は何事もなかったかの様に登校しなきゃならないからな。だから、二十四時三十分には出発したい」
 野辺が言った。
「委員長には、何時に来てくれって言ってあるの?」
 僕がアメリに訊いた。アメリは、正確な時間は今日中に伝えると言ってあるよ、と答えた。
「今のリュウくんの話からすると、午前三時頃には来てもらった方がよさそうだね」
「ああ、そうだな。アメリにまた、委員長への連絡を頼んでもいいかな?」
 アメリは、まかしといて、と返事した。
「今、ウミは神社で寝泊まりしてるんだ。毎日、うちの婆ちゃんが面倒を見てるんだけれど、今夜は僕が変わるよう、提案しようと思う。ウミは…もう全く歩けないだろうから、僕が背負って港まで歩くよ。神社から、三十分くらいは見ておいた方がよいと思う」
 僕の言葉に、野辺は首肯した。
「じゃあ、俺はそれまでに船で待機してる。明かりは一切点けない予定だから、船の近くまで来たら、合図してくれ」
「合図は、特にしなくても大丈夫だと思う。ウミが…光ってるだろうからね。もちろん、光ができるだけ漏れないように対処はするつもりだけれど」
 野辺は、そうか…、と答えた。
「わたし…見送りに行っても、いいかな?」 
 アメリが言った。
「気持ちは嬉しいし、アメリがそうしたいのも、解るけれど、ダメだ」野辺が言った。「人数は最小限の方が隠密行動がしやすいし…何かあった時に、俺がアメリを護れない可能性があるしな」
 アメリは、そうか、そうだね、と呟くと、俯いてしまった。けれど、野辺の言う通りだろう。
「ありがとう。とりあえず、段取りは何とかなりそうだね」
「待った、まだ決めてない事がある」
 野辺が僕の言葉を制した。
「決めてない事…?」
 野辺は頷いた。
「作戦名称だ」
「「作戦名称?」」
 僕とアメリの声が重なった。
「そんなの、要る?」
 僕は、半ば呆れて野辺に言った。野辺は鹿爪らしい顔で、首肯した。
「勿論さ。よく考えてみてくれよ。第一に、この作戦は、木百合の命を救うための、多くのリスクを伴う重要な行動だ。名前があって然るべきだろう。第二に、もし今後、俺たちがこの作戦の事を話題にして昔語りをする時、共通して認識できる呼び名がないのは、如何にも寂しい」
 僕とアメリは、半ば感心して、何度も頷いてしまった。野辺は、本当に色々と考えて行動をしているんだな…。
「それで、リュウくんの案は、なんて言うの?」
 野辺は腕組みをすると、大きく頷いた。
「『二號作戦』だ」
「ニゴウサクセン? それはどういう意味なんだ?」
「深い意味はないよ。親父の漁船の名前が、第二福龍丸って名前だから。うちの商売にとっちゃ二号目の船だから、二號作戦」
 本当に深い意味はなかったな…。
「まあ、野辺が言うなら、その名前でいいよ。でも、なんで福龍丸って名前を船につけたのかな」
「これもシンプルな理由だよ。俺の名前にも、親父の名前にも、リュウの字が入ってるからな」
 アメリが、ふふふ、と笑った。
「じゃあ、二號作戦、開始だね」

 その日も、僕は淡々と…ウミの唇に、燐光石を押し当て続けた。今日も、三割を繰り越した。合計、いくつの燐光石を繰り越しただろうか…。少なくとも、まるまる一日分には匹敵する筈だ。もし、脱出に失敗すれば、ウミは残りの日程において、一日分の個数を分散させた数の石を毎日浄化する事になる。つまり…失敗は許されないのだ。

 浄化が終わり、ウミはぐったりとしていた。神主は先に神社を去り、僕と祖母が社に残った。祖母は熱湯で濡らしたタオルで、ウミの躰を拭いてやり、襦袢だけを羽織った状態で布団に寝かせた。僕はこの時、初めて、巫女装束が浄化作業にとっていかに都合がよいか、優れているかを目の当たりにした。体調に合わせてゆったり着る事ができるし、腐敗した四肢を隠す事もできる。緋袴は…血に染まっても目立たないだろうな…。それが、経血であろうと、腐敗による出血であろうと…。
 祖母は、ここのところずっとウミにつきっきりだ。当然、疲れも見え始めている。

「婆ちゃん、今日は、僕がウミのそばにいるよ」僕が言った。「もう何日も、ちゃんとした布団で寝てないんじゃない? 今日は、僕が変わるよ」

 祖母は神主に役割を与えられている事について気にしている様ではあったが、僕の提案を受け入れ、帰路についた。やはり、それだけ疲れていたんだろう。
 ウミは…安らかに寝息をたてて、眠っていた。時計は…二十三時を少し回ったところ。あと一時間したら、僕はウミを連れて、港へ行く。

 僕は社から外に出ると、物置に向かった。それから、いつも探索に使っているリュックと、ソフトケースに入った猟銃を取り出した。リュックには…こっそり、今日採取した燐光石をひとつ、隠して入れてある。光が漏れないようにアルミホイルに包んで。物理教師は、専門の機関に持ち込まないと石の素性については解らないだろう、と言っていた。そんな機関がどこにあるのか、皆目見当は付かないが、まずは、島から持ち出さないことには始まらない。

 時間になった。僕は、リュックから雨合羽…都合よく、それは黒色だった…を取り出すと、ウミの背中に手を回し、睡眠を妨げないように着せた。それから、リュックを逆向き…つまり、腹側に荷物が来る恰好…に抱える様にしてから、ウミの左手を肩に回し、彼女をおんぶした。右腕はなく、左腕は頼りない。それに痩せ細った事もあり、ウミは本当に軽くなってしまったが、落とさないように、本当に気を付けて行かなければ…。

 外に出て暫く歩くと、ウミは発光し始めた。本当は、常に発光しているのだが、暗闇の中でそれが視認できるようになった。僕の肩で揺れるウミの顔から、ゆっくりとした寝息が聞こえて来て、僕はなんだか、笑ってしまった。
 僕は、時間を気にしながら、しかし同時にウミを起こさないように慎重になりながら、一歩々々、港へと歩を進めた。

 半分くらい歩いたところで、背中でウミが動くのが解った。
「ごめん…起こしちゃったかな」
 僕は歩きながら、背中のウミに声をかけた。
「ここ…ユウくんの…背中…」
「そうだよ。ウミは今、僕の背中にいます」
 ウミは、安心したように、息を、ふう、と吐いた。
「…わたしを…連れ出してくれるんだ…ね…」
 僕は、大きく頷いた。
「港で、野辺が待ってくれているよ。一緒に陸に行って、大きな病院でちゃんと診てもらおう」
「うん…ありがとう…。でも…きっと、変わらないよ…」
 ウミは…弱気になっていた。
「そうだ」僕が言った。「ウミがよくなって、浄化も無事に終わって、元気になったら、ウミは何がしたい?」
「浄化が終わったら…?」ウミはまた、ふう、と息をした。「えへへ…そんな事…考えた事も…なかったな」
「行きたい場所とか、食べたい物とか、なんでもいいんだ。何か、思いつかない?」
「そうねえ…」ウミが言った。「アスカが…島から出るのを…見届けたかったかな…」
「違う違う、そうじゃなくて…」僕は、鼻を啜った。「ウミ自身が、やりたい事だよ。例えば、電車に乗って、街に向かう。街には何でも揃ってるよ。ウミに似合う洋服だって、バッグだって、幾らでも溢れてる。タピオカだってパンケーキだって…もう流行ってないのかもしれないけれど…美味しいものがなんだってあるよ。映画を観に行くのもいいよね。プリを撮るのもきっと楽しいよ。脱出ゲームだって…」
 僕の背中で、ウミが肩を震わせて笑うのが解った。
「脱出ゲームだって…。変なの…。でも、いま、わたしは…ユウくんと、脱出ゲームをしてるんだね…」
 僕は、ははは、と笑った。
「ちょっと違うけどね。でも、そうだね…。人生をかけた脱出ゲームだね」
 ウミはまた、えへへ、と笑った。
「…そうね…もし、生き続ける事が…本当に、できるのなら…。街なんて、行かなくていい…。どこでもいい…。当たり前の暮らしを営んでみたい…。ユウくんと、喧嘩がしたい…。他の…女の子に視線をうばわれるユウくんに…やきもちを焼いてみたい…。大学に行って…何を勉強しようかな…。でも…困っている誰かを助けてあげられる仕事に就いて…子供ができて…」
 僕は、うんうん、と聞いていた。けれど、呟きながら、ウミはまた、眠ってしまった。これまでの事が、ウミが見ていた悪夢であれば、どんなにいいだろうかと思った。でも、今の現実は、どのみち悪夢の続きでしかない。もし、目が覚めて、ウミが陸の病院にいれば、あるいは、僕はその悪夢から解放してあげる事ができるんだ。
 
 暫くして、僕は予定通りの時刻に、港に到着した。
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