3 / 21
第三章 搬入作戦
しおりを挟む
一九四四年十一月末、横須賀軍港。
霧が低く立ちこめ、波止場のクレーンが鈍色の影を伸ばしていた。港には人影が少ない。闇の中で、無言の作業員たちがクレーンを操作し、木箱を慎重に貨物トラックへと積み込んでいく。
その木箱こそ、ドイツ潜水艦U-234から渡された「黒い鉱石」だった。
豊橋信一郎少佐は、荷の固定を見届けながら深く息をついた。わずかに海の匂いが衣服に残っている。数日前まで、彼はインド洋を越えて潜水艦に同乗していた。命を削るような航海を終えた今も、任務は続いている。今度は陸だ。
「豊橋少佐、準備整いました」
警備兵の報告にうなずく。トラック二台と、護衛用の乗用車一台。表向きは「軍需物資搬送」。だがその実態を知る者は、数えるほどしかいない。
豊橋は懐に忍ばせた拳銃の重みを確かめ、短く命じた。
「出発」
夜更けの街道を、車列は走り出した。
ヘッドライトには布がかけられ、光は細い筋だけを前に落とす。街灯はほとんど点いていない。戦時下の東京へ近づくほど、闇は濃くなる。
荷台に揺られる兵士たちは皆、息を潜めていた。緊張は車体の振動よりも重く、空気にのしかかっていた。
豊橋は後部座席から窓越しに闇を睨む。
「……尾行は?」
「ありません、少佐」
副官が答える。だが彼もまた、しきりに後方を振り返っていた。
二時間後、川崎市付近。
遠くでサイレンが鳴り始めた。空襲警報。
「来たか」
豊橋は唇を結んだ。
頭上を探照灯が走り、空を縦横に切り裂く。やがてゴウ、と風を割く音。B-29の編隊が雲を抜け、爆撃が始まった。
地鳴りのような爆発音、火柱、飛び散る瓦礫。街は一瞬にして炎に包まれた。
「急げ! この道を抜ける!」
車列は舗装の途切れた脇道へと飛び込んだ。瓦礫と炎の間を縫い、砂煙を巻き上げながら進む。
だがその混乱の中、豊橋の目は後方に光る二つの影を捉えた。
──尾行。
「少佐、車影です!」
副官の叫びに、豊橋は即座に判断した。
「一台を分離させろ。囮だ」
護衛車が速度を上げ、火の粉を蹴散らして別ルートへ逸れる。尾行の一台がそれを追う。だがもう一台がなおも背後に張り付いた。
「撃て」
兵が後部の小窓から小銃を放った。火花が夜を裂き、追跡車のヘッドライトが砕け散る。だが、敵は退かない。
豊橋は窓を開け、懐の拳銃を抜いた。
狙いはタイヤ。短く呼吸を止め、引き金を絞る。
轟音の中で、乾いた破裂音が重なった。
後方の車がバランスを崩し、土手に突っ込み、火花を散らした。
「ふう……」
副官が息をついた。だが豊橋は表情を変えなかった。
「まだ油断するな。敵は必ず、次を用意している」
未明、車列はようやく駒込の理化学研究所に到着した。
高い塀の内側には、すでに仁科博士と佐倉美鈴の姿があった。
「ご苦労だったね、豊橋君」
仁科の声は疲れていたが、確かな安堵を含んでいた。
美鈴はトラックの荷台を見て、言葉を失った。
頑丈な木箱が並ぶ。その中には、彼女が数字の上でしか見たことのない物質──ウラン鉱石が眠っている。
「……これが」
「そうだ。海を越え、命を賭けて届いた。君たちの数字に形を与えるものだ」
仁科は静かに言った。
豊橋は短く報告を終えると、背筋を伸ばした。
「積荷は無事到着。以後は理研の責任です」
「責任なら、ここにいる」
仁科は机上の分離機を見やり、微笑んだ。
「科学の責任は、科学者が負う」
その夜、理研の敷地は不自然なほどの静けさに包まれた。
だが、豊橋も仁科も美鈴も、誰ひとりとして眠らなかった。
木箱の中に眠る黒い鉱石が、帝国の未来を重く圧しているのを、皆が感じていたからだ。
霧が低く立ちこめ、波止場のクレーンが鈍色の影を伸ばしていた。港には人影が少ない。闇の中で、無言の作業員たちがクレーンを操作し、木箱を慎重に貨物トラックへと積み込んでいく。
その木箱こそ、ドイツ潜水艦U-234から渡された「黒い鉱石」だった。
豊橋信一郎少佐は、荷の固定を見届けながら深く息をついた。わずかに海の匂いが衣服に残っている。数日前まで、彼はインド洋を越えて潜水艦に同乗していた。命を削るような航海を終えた今も、任務は続いている。今度は陸だ。
「豊橋少佐、準備整いました」
警備兵の報告にうなずく。トラック二台と、護衛用の乗用車一台。表向きは「軍需物資搬送」。だがその実態を知る者は、数えるほどしかいない。
豊橋は懐に忍ばせた拳銃の重みを確かめ、短く命じた。
「出発」
夜更けの街道を、車列は走り出した。
ヘッドライトには布がかけられ、光は細い筋だけを前に落とす。街灯はほとんど点いていない。戦時下の東京へ近づくほど、闇は濃くなる。
荷台に揺られる兵士たちは皆、息を潜めていた。緊張は車体の振動よりも重く、空気にのしかかっていた。
豊橋は後部座席から窓越しに闇を睨む。
「……尾行は?」
「ありません、少佐」
副官が答える。だが彼もまた、しきりに後方を振り返っていた。
二時間後、川崎市付近。
遠くでサイレンが鳴り始めた。空襲警報。
「来たか」
豊橋は唇を結んだ。
頭上を探照灯が走り、空を縦横に切り裂く。やがてゴウ、と風を割く音。B-29の編隊が雲を抜け、爆撃が始まった。
地鳴りのような爆発音、火柱、飛び散る瓦礫。街は一瞬にして炎に包まれた。
「急げ! この道を抜ける!」
車列は舗装の途切れた脇道へと飛び込んだ。瓦礫と炎の間を縫い、砂煙を巻き上げながら進む。
だがその混乱の中、豊橋の目は後方に光る二つの影を捉えた。
──尾行。
「少佐、車影です!」
副官の叫びに、豊橋は即座に判断した。
「一台を分離させろ。囮だ」
護衛車が速度を上げ、火の粉を蹴散らして別ルートへ逸れる。尾行の一台がそれを追う。だがもう一台がなおも背後に張り付いた。
「撃て」
兵が後部の小窓から小銃を放った。火花が夜を裂き、追跡車のヘッドライトが砕け散る。だが、敵は退かない。
豊橋は窓を開け、懐の拳銃を抜いた。
狙いはタイヤ。短く呼吸を止め、引き金を絞る。
轟音の中で、乾いた破裂音が重なった。
後方の車がバランスを崩し、土手に突っ込み、火花を散らした。
「ふう……」
副官が息をついた。だが豊橋は表情を変えなかった。
「まだ油断するな。敵は必ず、次を用意している」
未明、車列はようやく駒込の理化学研究所に到着した。
高い塀の内側には、すでに仁科博士と佐倉美鈴の姿があった。
「ご苦労だったね、豊橋君」
仁科の声は疲れていたが、確かな安堵を含んでいた。
美鈴はトラックの荷台を見て、言葉を失った。
頑丈な木箱が並ぶ。その中には、彼女が数字の上でしか見たことのない物質──ウラン鉱石が眠っている。
「……これが」
「そうだ。海を越え、命を賭けて届いた。君たちの数字に形を与えるものだ」
仁科は静かに言った。
豊橋は短く報告を終えると、背筋を伸ばした。
「積荷は無事到着。以後は理研の責任です」
「責任なら、ここにいる」
仁科は机上の分離機を見やり、微笑んだ。
「科学の責任は、科学者が負う」
その夜、理研の敷地は不自然なほどの静けさに包まれた。
だが、豊橋も仁科も美鈴も、誰ひとりとして眠らなかった。
木箱の中に眠る黒い鉱石が、帝国の未来を重く圧しているのを、皆が感じていたからだ。
0
あなたにおすすめの小説
鋼鉄海峡突破戦 ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー
みにみ
SF
2036年4月9日第六次中東戦争が開戦 中露の支援を受けたイランは中東諸国へと攻勢を強める
無論ホルムズ海峡は封鎖 多くの民間船がペルシャ湾に閉じ込められ世界の原油価格は急高騰
そんな中ペルシャ湾から4月28日 ある5隻のタンカー群がホルムズ海峡を強行突破しようと試みる
自衛用兵装を施した日本のある燃料輸送会社のタンカーだった 今彼らによる熱い突破劇が始まろうとしていた
日露戦争の真実
蔵屋
歴史・時代
私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。
日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。
日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。
帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。
日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。
ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。
ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。
深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。
この物語の始まりです。
『神知りて 人の幸せ 祈るのみ
神の伝えし 愛善の道』
この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。
作家 蔵屋日唱
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
米国戦艦大和 太平洋の天使となれ
みにみ
歴史・時代
1945年4月 天一号作戦は作戦の成功見込みが零に等しいとして中止
大和はそのまま柱島沖に係留され8月の終戦を迎える
米国は大和を研究対象として本土に移動
そこで大和の性能に感心するもスクラップ処分することとなる
しかし、朝鮮戦争が勃発
大和は合衆国海軍戦艦大和として運用されることとなる
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる