くたばれオッペンハイマー

ぼを

文字の大きさ
4 / 21

第四章 マンハッタンの影

しおりを挟む
 一九四四年十二月、ニューメキシコ州ロスアラモス。

 雪は降らないが、空気は鋭く冷たかった。高原の乾いた風が、真新しいバラック群の屋根を鳴らす。まだ若い基地の匂いがする。鉄、油、紙、焦げたコーヒー。
 オッペンハイマー博士は、分厚いコートを肩から滑らせながら、白い息を吐いた。

 「……三号炉、再臨界の確認を。あれではグローヴスに殺される」
 独り言のような声を、そばを歩く助手のローレンスが聞き逃さなかった。
 「順調ですよ、ボブ。あなたが心配しすぎなんです」
 「順調な研究というのは、だいたい嘘だ」
 オッペンハイマーは微笑み、顎に手をやった。
 「理論は滑らかでも、装置は気まぐれだ。君も覚えておけ」

 二人が研究棟に入ると、熱と声が迎えた。十数名の科学者が黒板の前に集まり、方程式を罵倒のような勢いで書き消している。
 「くそ、また臨界値がずれている!」
 「データが違う。誰が更新した?」
 それでも皆の顔に焦りよりも高揚があった。ここは“世界を変える”現場なのだ。

 会議室では、陸軍工兵隊のグローヴス将軍が、分厚い書類を机に叩きつけた。
 「この線を、三か月で繋げ。予算も人も出す。足りなければ他所から奪え」
 参謀たちは黙って頷く。
 オッペンハイマーは腕を組み、壁の地図を見つめた。
 ハンフォード、オークリッジ、ロスアラモス。三つの点が、太い赤線で結ばれている。
 「ハンフォードのプルトニウムが安定供給されれば、実験は前倒しできる。理論上は」
 「理論上?」
 グローヴスが眉を上げる。
 「自然は理論に従わない将軍です」
 「ならば従わせろ。それが君の仕事だ、ボブ」
 乾いた笑いが起こり、会議は続いた。

 夕刻。
 カフェテリアでは、疲れ切った科学者たちがアルミトレイを片手に列を作っていた。
 ラジオからは、パールハーバー三周年を報じるニュースと、戦局の楽観的な論調が流れている。
 「日本は風前の灯だそうですよ」
 若い研究員が笑う。
 「ええ、連中の飛行機も燃料も、もはやない」
 「風船爆弾のニュース、聞きました?」
 別の研究員が言った。
 「西海岸で何か落ちたって」
 「おもちゃみたいなもんだ。気象観測気球に爆薬をくっつけただけさ」
 笑い声が上がった。
 オッペンハイマーは窓辺の席でその会話を聞き流していた。
 外の砂漠に沈む夕日が、実験棟の壁を赤く染めている。
 「……風船が、大陸を越えてくるか」
 ぼんやり呟く。
 助手のローレンスが笑った。
 「まさか。そんな馬鹿げた話があるもんですか」
 「馬鹿げた話ほど、現実になることがある」
 オッペンハイマーはカップを置いた。
 「科学も戦争も、それでできている」

 夜。
 ハンフォード工場では、巨大なコンクリートの壁の向こうで、B炉が低い唸りを上げていた。
 エンジニアのスティーヴン・マクレインは、メンテナンス記録を眺めながら、コーヒーの紙コップを手に取った。
 「冷却系、流量安定。中性子束、予定値どおり……上出来じゃないか」
 隣で若い技師が笑う。
 「最近は退屈なくらいですよ。こいつが止まることなんてありえません」
 「そういうときが一番危ないんだ」
 スティーヴンは呟いた。
 窓の外では、ワシントン州リッチランドの夜空に風が吹いていた。

 同じころ、ワシントンD.C.。
 戦略研究委員会の報告書を手にした参謀が、グローヴス将軍に言った。
 「敵国が“原子力研究を続けている”という情報があります。日本の理化学研究所という施設です」
 グローヴスは鼻で笑った。
 「木造の研究所が何をどうする? あの国に精製装置など作れるものか」
 「しかし、ドイツの資源が流れているという話も……」
 「馬鹿げている。もしそうなら、彼らが原爆を作る前に、我々が地球を燃やしてやるさ」

 そう言って将軍は葉巻に火を点けた。煙が天井にゆらゆらと昇っていく。
 その煙が消えるころ、ハンフォードの変電所で、わずかな火花が走った。
 風に煽られた電線がきしむ。
 誰も気づかない。
 それが、のちに世界の時間を半年狂わせる最初の閃光になることを──。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

鋼鉄海峡突破戦       ーホルムズ海峡ヲ突破セヨー

みにみ
SF
2036年4月9日第六次中東戦争が開戦 中露の支援を受けたイランは中東諸国へと攻勢を強める 無論ホルムズ海峡は封鎖 多くの民間船がペルシャ湾に閉じ込められ世界の原油価格は急高騰 そんな中ペルシャ湾から4月28日 ある5隻のタンカー群がホルムズ海峡を強行突破しようと試みる 自衛用兵装を施した日本のある燃料輸送会社のタンカーだった 今彼らによる熱い突破劇が始まろうとしていた

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

米国戦艦大和        太平洋の天使となれ

みにみ
歴史・時代
1945年4月 天一号作戦は作戦の成功見込みが零に等しいとして中止 大和はそのまま柱島沖に係留され8月の終戦を迎える 米国は大和を研究対象として本土に移動 そこで大和の性能に感心するもスクラップ処分することとなる しかし、朝鮮戦争が勃発 大和は合衆国海軍戦艦大和として運用されることとなる

生残の秀吉

Dr. CUTE
歴史・時代
秀吉が本能寺の変の知らせを受ける。秀吉は身の危険を感じ、急ぎ光秀を討つことを決意する。

処理中です...