堕天使様との恋は前途多難です!〜この恋は筋書きにありません!〜

明夏 向日葵

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堕天使様が抱く、沈黙の選択

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セレスタイン城の高台に、風が吹いていた。
雲間に隠れた月が、ひとかけらの銀色を地に落とす。
その光の中で、ラファエルはひとり、塔のバルコニーに立っていた。

心の中に、ジルベールの言葉が反響していた。

「ノクシア――二百年ぶりに現れた奇跡の力だ。
君が愛するマリアの“聖女”という称号すら、意味を失うかもしれないね」

ラファエルはその言葉を、何度も頭の中で繰り返した。
あの夜、自分を包んだ癒しの光。
己の闇に堕ちかけた命を、優しく引き戻した“温もり”。

(……あれが、本当に“ノクシア”なら)

スカーレットという存在の意味が、根底から変わる。
“悪女”などでは決してない。
この国で、最も特別な、誰よりも稀有な力を宿した――
真の“癒し手”。

(……どうする。俺は、この真実を……彼女に伝えるべきなのか?)

彼女はまだ、自分の力に気づいていない。
それどころか、過去に貼られた悪女のレッテルを拭うことすらできずに、
日々を必死に生きている。

(もし真実を知れば、変わるだろう。
けれど同時に、その力を知れば――国は、彼女を放っておかない)

ルナリアを持つ聖女は、国の象徴であり、王家の庇護下にある。
だがノクシアは、それを凌ぐ力だ。
それを欲する者は必ず現れる。
(まだ、話すべきではない。いや……話すわけにはいかない)

ラファエルはそう結論を下すと、塔の奥から聞こえる軽やかな足音に気づいた。
振り返れば、フードを脱いだスカーレットが、控えめに立っていた。
その手には、小さな包み。コロネと作った菓子だろう。

「……一人でいたから。差し入れよ。いらなければ、捨ててもいいわ」

そう言って彼女は菓子の包みを置くと、すぐに踵を返した。
だがその背中に、ラファエルは思わず声をかけた。

「……スカーレット」

彼女が振り向く。
月明かりの中、その瞳はまっすぐで、穢れを知らぬ光を宿していた。

「……あの夜のこと。……助けられた、と思っている」

「……え?」

「……礼を言っておく。……それだけだ」

ぽつりと、言葉を落とし、ラファエルは背を向けた。
それ以上は、言えなかった。
ノクシアのことも、彼女の中に宿る奇跡の力も――
まだ、語るには早すぎた。

その背中を見つめながら、スカーレットはふわりと微笑む。

「……なんだか、今日は優しいのね。堕天使様」

「……気のせいだ」

「ふふ、そう。じゃあ、気のせいってことで」

小さな風が、ふたりの間を吹き抜けた。
その風の中に、まだ名前のない距離が、そっと縮まっていくのだった。

* * *

夜明け前の澄んだ空気の中、スカーレットはそっとセレスタイン城の裏門を抜け出していた。

行き先は、王都の外れ――遠征へと発つ騎士たちの集結地。

(アーサーに…ちゃんと「いってらっしゃい」を言わなきゃ)

コートのフードを深く被り、揺れる馬車の中でそう胸の中でつぶやいた。
心臓が、小さく、痛む。

やがて視界に入ったのは、整列する騎士たち。
その中にひときわ目を引く姿があった。

凛と背を伸ばし、銀の甲冑に身を包んだ青年――アーサーだった。
彼の横顔は凛々しく、あの日、剣の稽古で泥まみれになっていた幼馴染の姿とはまるで別人のよう。

「……アーサー」

小さく名前を呼ぶと、彼はすぐにスカーレットの気配に気づいて振り返った。

「おっ、来たか。俺の騎士姿に見惚れたか?」

「もー、何言ってるのよ」
思わず笑ってしまう。

「ただ……私の知らない間に、ずいぶん大人になったなぁって思って」

「……お前は俺の母さんか」

照れくさそうに顔をそむけるアーサー。
けれど、その声にはどこか嬉しさが滲んでいた。

スカーレットは一歩踏み出し、彼の手をそっと取った。

「お願い。生きて帰ってきて。……ここで、ずっと待ってるから」

その瞬間、彼女の目に光るものが浮かぶ。

「……ああ。必ず、生きて戻る。ナイトもお前を守ってる。……だから、お前も気をつけろよ」

力強く頷くアーサー。
馬にまたがると、彼はもう一度振り返り、笑って手を振った。

スカーレットは、手を振り返すことができなかった。
ただ、涙を堪えるように、胸元をぎゅっと握りしめて立ち尽くしていた。

* * *

そんな彼女の姿を――遠く、監視魔道具越しに見つめる影があった。

セレスタイン城の高塔、夜の監視部屋に一人佇む、黒衣の青年。

ラファエルだった。

「……あの男、何者だ」

映し出される魔法鏡の中、スカーレットと親しげに話すアーサー。
見たこともない柔らかい微笑み。
涙を浮かべ、何かを伝えるスカーレット。

(……彼女が、あんな顔をするなんて)

思い出しても、彼女が自分の前で見せた表情はいつもどこか意地っ張りで、挑発的で、強がっていた。

(それが……なぜ、あの男には)

握った拳が、知らず震えていた。

「……くだらない」

自分にそう言い聞かせるように、ラファエルは魔法鏡を閉じた。

だが、胸の奥に広がるざらりとした感情は、拭いきれなかった。

彼の知らない彼女の顔。
そして、自分の知らない感情――

それが、静かに彼の中に芽を落としていた。
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